79話 三食自炊に挑戦
商業ギルドで会員登録した翌日の朝。
目が覚めるとわたしはいつもどおりステータス画面をチェックした。デモンリンガの職業欄に雑貨屋と記載されたのなら、もしかしたらステータス画面にも変化があるかもしれない。
ワクワクしながらバーチャルなウィンドウを開いたが、何も変化はなく職業も聖女のままだった。デモンリンガは魔族の魔術具であってネトゲ仕様とは関係ないのだから、当然といえば当然なのだけれど、聖女という役職が消えるかもと少し期待した分だけがっかりしてしまった。
朝からネガティブな気分になりかけたけれど、すぐに頭を切り替える。
今日は陽の日。元の世界の日曜にあたる日だ。
引っ越してから連日食べに行っていたノイマンの食堂、マッツのパン屋、ロヴネルのスープ屋が軒並み定休日なので、必然的に自炊することになる。
もっとも、中央通りまで足を伸ばせば陽の日に営業している飲食店はあると、昨日昼食をテイクアウトしようと店を選んでいた時にミルドが言っていたので、外食がまったくできないわけではない。
ただ、来週からひと月は毎週陽の日に離宮へ里帰りする予定なので、自炊の機会は減ることになる。
だから、今日は三食すべてを自炊してみるつもりだ。
そんなわけで、今朝は仕事着であるバルボラとヴィヴィを着てキッチンに立っている。
袖丈が長く袖口の広いシネーラと違いバルボラは袖が細いので作業がしやすい。
離宮では訓練や調理実習の時しか着ていなかったが、今日は三食自炊することだし、一日中この格好で過ごそう。
朝食はドローテアと一緒に買い物に行った時に買った食材で作ろうと、オムレツとカリカリベーコン、レタスとトマトのサラダにした。
簡単なメニューだし手早く作れると思っていたが、いざ作ろうとしたら勝手が違うことだらけで酷く手間取る。
よく考えたら、離宮での調理実習では卵料理の手順を習っていなかったのだ。
卵を溶くのに菜箸がないから泡だて器を取り出し、フライパンがないからオーブンでベーコンを焼く。
オムレツはダッチオーブンで焼こうとしたが重い鉄鍋を片手で上手く扱えるわけもなく、しかも菜箸がないので木べらで奮闘した結果、出来上がったのはオムレツというよりただの卵焼きだ。
それでも何とか出来上がった料理を並べ、精霊たちの皿に魔力クリームを盛る。
初日の夜以来、自宅で食事する時は精霊たちも一緒に魔力クリームを食べているのだ。
ダイニングテーブルにつくと、わたしは両手を合わせた。
元の世界の習慣は魔族たちには奇異に映るだろうと思ったので、離宮では一度も「いただきます」を言っていない。
でも、一人暮らしなら人目を気にする必要もないし、Tシャツとショートパンツをパジャマ代わりにするのと同じように「いただきます」も気軽に言っていこうと思う。
住んでいる世界がどこであれ、いただく生命と作ってくれた人への感謝を忘れてはいけないのだ。
「いただきます」
久しぶりに手を合わせて口にした言葉を噛みしめていると、魔力クリームの皿を囲んで手を合わせている精霊たちの姿が目に入り、思わず吹き出した。
わたしの真似をしたんだろうが、予想外の彼らの行動が面白すぎる。
精霊たちがキャッキャしながら魔力クリームを食べる様子を眺めながら、カトラリーを手に取った。
よし、わたしも冷めないうちに食べてしまおう。
「ごちそうさまでした」も精霊たちと一緒にしたあと、調理器具や食器類を洗浄用の魔術具に入れる。
個別にウォッシュをかけるより少ない魔力で綺麗に洗えるそうで、たいていの生活用の魔術具は低魔力で高品質な効果を得られるように魔術陣が設計されているそうだ。
その最たるものが家全体を管理する魔術具で、キッチン脇の廊下へ出て魔術具に魔力を注入しつつ、家全体をクリーニングする機能を起動する。
家事は水や石鹸で洗い流す洗浄のウォッシュと汚れやほこりなどを取り除く洗浄のクリーンの使い分けが肝要と以前レイグラーフが言っていたが、汚れ別に適した方を低魔力で施してくれるため、より綺麗になるし魔力効率も良いらしい。
家全体を管理する魔術具の魔力はあまり減っておらず、すぐに満タンになった。
レイグラーフが魔術具を最新版にアップグレードしてくれたから、相当魔力効率が良いのだろう。
明日講義に来てくれた時に改めてお礼を伝えたい。
その講義は明日に決まったしミルドが戻ってくるまでは予定が空いているので、お茶会は明後日の午後でどうかとドローテアに連絡してみたところ、即快諾の返事が来た。
手土産についてファンヌに尋ねたら、3回目くらいまでは手ぶらでいいと言っていたので、とりあえず気楽にお邪魔してこようと思う。
家事や伝言が一段落ついたところで、この後の予定について考える。
昼食は一昨日ピザを作った時のピザ生地とトマトソースが保存庫に残っているのでピザにするとして、夕食は何にしようか。
魔族国の穀物は麦のみで、小麦粉から作られているのはパンとお菓子類だけ。
小麦粉を使って何か作れないかと考えたところで思い浮かんだのが、粉ものだ。
――そうだ、お好み焼きを作ってみよう!!
キャベツ、卵、豚肉は先日買って食料保存庫に入れてあるから豚玉が出来る。
食料品店は定休日が月の日だから今日は営業しているので、足りない物は買出しに行けばいい。
一番の問題はこの世界にはウスターソースや醤油がないから自作するしかないということだが、ソースは野菜や果物とスパイスを煮込んだものだから、たぶん自作できるはずだ。
大変そうだけど、何事もチャレンジするべし。頑張ろう。
さっそく買出しに出掛けて必要な材料を揃え、チャレンジしたソース作りは案外うまく行った。
野菜と果物を細かく刻みハーブや香辛料を入れて1時間ほど煮込み、ざるで濾して余計なものを取り除いてから塩、砂糖、蜂蜜、酢などで味を調えて更に煮詰め、粗熱を取って完成したソースはかなりの力作だと自画自賛したい。
元の世界のソースと比べれば味はやや物足りないものの、レシピも見ずにうろ覚えの記憶だけで作ったにしては十分おいしいと思う。
数時間かけた甲斐があったというものだ。
お好み焼きの生地を作り刻んだキャベツを混ぜ、よく熱したプレートに生地を広げて豚肉をのせて焼き、ひっくり返すのもうまく行った。
焼き上がったお好み焼きを皿に取り、手作りソースを塗りマヨネーズもかけて、さあ完成!
――というところで皿がピカッと光り、お好み焼きは一瞬で既存のグラフィックに置き換わった。
しかも、パンケーキのグラフィックに。
この瞬間の、わたしの脱力感、無力感をわかってもらえるだろうか。
箸がないからナイフとフォークで口に運ぶ。
味は洋風お好み焼きといった感じだろうか。
悪くない。悪くないよ、十分おいしいと思う。
でも見た目がパンケーキ。こんなのあり?
皿を脇によけ、横を向いたままテーブルの上に頭をのせた。
いい歳をした大人のくせして情けないし自分でも馬鹿馬鹿しいとは思うけれど、ネトゲ仕様の理不尽さに涙が滲む。
ちょっと頭の中から抜けていただけで料理が既存のグラフィックに置き換わることは知っていたし、じゃあパンケーキ以外に何かお好み焼きに似た見た目の料理がこの世界にあるかと聞かれれば思い浮かばないのも事実だけれど。
「見た目もご馳走!」が口癖の母に育てられたわたしにとって、料理の見た目とおいしさは切っても切れないからこの仕様は本当につらい。
頑張っても頑張っても全部無駄みたいな、努力の成果が一瞬で無になったような気分になって、かなりガックリきた。
離宮で調理実習をした時に、料理が既存のグラフィックに置き換わるのを知ってモチベーションが下がったことがあったが、今回は元の世界の料理を再現しようと数時間かけて努力した結果なので更にダメージは大きい。
「ハァ……、ご飯が食べたい。お米が食べたいよう」
ないものはない、言っても仕方がないと思って今まで口にして来なかったが、猛烈に故郷の味が恋しくなった。
この異世界の食事はおいしいし日々満足しているけれど、それでもやはりどこか満たされない思いがあるのは否めない。
味噌汁が飲みたい。刺身が食べたい。スパゲティーやラーメンが食べたい。
コーラが飲みたい。スナック菓子が食べたい。アイスクリームが食べたい。
食い気ばかりで、自分に嫌気が差してくる。
魔力クリームを食べていた精霊たちが凹んでいるわたしの傍に寄って来た。
わたしが凹んでいるせいか、精霊たちもしょんぼりしている。
「……ごめん。こういうの、良くないね。よし、おいしく食べよう!」
ガバッと起き上がると皿を引き寄せる。
見た目は残念だけど味はおいしいんだから、ちゃんと味わわなきゃ。
そうだ、洋風お好み焼きをつまみにビールでも飲もう。そうしよう。
仮想空間のアイテム購入機能で『ラガー』を買うと、冷却の魔術で急いで冷やしてグラスに注ぐ。
「かんぱーい!」
わたしが声を上げてグラスを掲げたら、精霊たちも片手を上げて飛んだり回ったりしてはしゃいだ。
この子たち、すぐわたしの真似をするなぁ。
行儀の悪いことを真似されないように気を付けなくては。
ビールを飲み、お好み焼き味のパンケーキを食べながら、今日の自炊について振り返る。
元の世界の料理への挑戦はメニューをよく吟味しないといけないなぁ。
かかる時間と労力に見合わないとモチベーションが削られてしまうから注意が必要だ。
今度はグラタンやアヒージョなどの再現しやすそうなものに挑戦しよう。
とりあえず、当面の目標は手軽にオムレツを作れるようになることだろうか。
離宮の朝食に出ていたのだから、フライパンがなくてもオムレツ向きの道具が何かあるはずだ。
今度ラウノの道具屋へ行って聞いてみよう。
ついでに菜箸の代わりになりそうなものも探したい。
そう考えていたのだが、後日ラウノに尋ねた結果オムレツはやはりダッチオーブンで作るもので、作れるようになるまでに時間のかかる非常に高い技術が要求されるメニューだと言われて愕然とする。
あんなに便利な生活用の魔術具の数々を発明できる魔族社会なんだから、フライパンくらい作ってよ!
……いや、この世界にフライパンがないのはネトゲの開発担当者のせいか。
通貨をデニールにするとか、ネタを仕込んでる暇があったらフライパンのデータを入れておいて欲しかったわ……。
ダッチオーブンを片手で扱えるようになるための筋トレをラウノに勧められ、わたしはオムレツを諦めた。
卵料理は目玉焼きとスパニッシュオムレツでいくことにします……。
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