78話 護身術と毒の実験と食事会
――襲撃だ、と脳が判断するのと、腕の拘束を解こうと体が動いたのと、どちらが先だったのかはわからない。
ただ、クランツと共に何度も何度も、それこそ何百回と繰り返した呪文と動きが反射的に出た。
「『感電』、『移動』、『縛』」
腕の拘束が緩んだ瞬間腰を落とし『移動』で拘束から抜け出すと、即座に相手を拘束し返した。
床に転がる体を見て、急に心臓の音が大きくなりドクンドクンと耳を打つ。
驚いた。怖かった。
今頃になって震えが来る。
でも、何とか体は動いたよ、クランツ。
心の中で訓練に付き合ってくれた友達に報告しながらへなへなと床にしゃがみ込むと、わたしは転がっている体にボカスカと拳を打ち付けた。
引っ越してまだたったの3日なのに、もうこの鈍色を懐かしく感じてホッとするなんて。
「もうッ! ビックリするでしょーッ、ブルーノさん!!」
「悪ぃな。まあ、とりあえず解いてくれよ」
「『解』! 怖かった!! もう、すっごく怖かったんですけどッ!!」
「悪かったって。だが、お前がどれだけやれるか見たかったんでな。完全に気ぃ抜いてるところを狙ったが、ちゃんとやれたじゃねぇか。えらいえらい」
非常に満足そうな顔をしながら起き上がったブルーノに、「お前も自信がついただろう?」と言われれば確かにそうだとは思うけれど。
多少過酷であろうとも一度経験しておけば自信がつき、次から余裕をもって対処できるようになる、というスタンスは健在のようだ。
ブルーノから課せられる試練はストレスの強いものが多いけれど、この異世界で生きる覚悟のようなものを都度わたしにもたらしてくれるのも事実で、レイグラーフが文化・学術方面の先生なら、ブルーノは生存戦略の教官のような存在だと言える。
「俺に害意がないからルードヴィグの高性能魔術陣が反応しなかっただけで、家の中に入ればこんな襲撃は絶対に成立しねぇから心配しなくていい。ただ、ドアを開けている時が問題でなぁ。開いているドアから敷居までの空間が魔術陣に家の中と判定されるかどうかが曖昧だ。念のため、家の出入り時だけは用心しておけ」
家に入る時は背後を確認しろとブルーノに言われ、自分の不注意を反省する。
元の世界の一人暮らしでオートロックのドアを出入りする時にはちゃんと背後に注意を払っていたのにな……。
自宅は魔術的に強固に守られているからと気が緩んでいたのは確かなので、今後家を出入りする時はしっかり気を付けようと肝に銘じた。
さっきのようなことを誰かにされるなんて、想像しただけでゾッとする。
それに、基本用護身術では最初に『朦朧』をかけることになっていたのに、訓練中は怪我防止のために省略していたからか、まったく思い浮かばなかった。
そうブルーノに伝えると、『朦朧』込みの呪文の連続詠唱を自宅での訓練に加えるように言われたので、明朝の自主練からさっそく実行しようと思う。
怖い思いはしたものの護身術はちゃんと機能したし、ブルーノにも誉められたとクランツに伝言を飛ばしたい。
だけど、中途半端に報告するとそんな状況に陥ったのかと心配させてしまうかもしれないので、ブルーノから話してもらうことにした。
咄嗟に対応できたのは訓練に付き合ってくれたクランツのおかげなので、ブルーノからクランツのこともしっかり誉めて欲しいし。
そう話しているところへ、レイグラーフから伝言が届いた。
講義の予定について月の日はどうかと聞かれ、不都合はないので承知する。
《それでは、余裕を見て10時から昼食を挟んで午後2時までとしましょう。昼食はあなたが毎朝通っているというパン屋とスープ屋へ行きたいです》
「わかりました。あっ、レイ先生! 陽月星記、おもしろかったので二巻を借りてもいいですか?」
《おや、気に入りましたか。いいですよ、続きを持っていきますね。ではまた》
ブルーノが「俺が来てることは言うな」とジェスチャーしたのでその場は言わずにおいたが、あとで「メッセージのやり取りが終わった後に俺が来たことにしろ」と口裏合わせを要求してきた。
ブルーノがレイグラーフより先にわたしの家に遊びに来たことが今バレると面倒だからというのは、まあわからないでもない。
でも、講義の時にさりげなくバラせというのは酷いと思う。わたしに厄介ごとをなすりつける気だ。
「ところでブルーノさん、用事は何ですか? 単に遊びに来たってわけじゃないんでしょ?」
「ああ。お前の様子を見がてら例の約束を果たそうかと思ってな。……実験施設でルードヴィグに言われただろ?」
わたしがファイアボールでブルーノを瀕死に追い込んでしまって号泣した時のことだろうか。
そういえば、わたしが城下町に引っ越したら詫びとして飯を奢ってやれと魔王が言っていたっけ。
「近所にうまい食堂があるらしいじゃねぇか。お前の都合がいいなら晩飯を食いに行こうぜ。さっきビビらせた分も上乗せして奢ってやるぞ」
「やったー! ゴチになりま~っす」
「何か作業中だったんだろ? それが終わったら出掛けようぜ」
ブルーノが指差したのは応接セットのテーブルの上に積まれたアイテムで、ミルドが性能テストに持っていかなかった分だ。
作業といっても後は片付けるだけだし……と思ったところで考えが浮かぶ。
ブルーノがいるならチャンスだ。手伝ってもらおう。
「ブルーノさんにお願いがあるんですけど、『解毒剤』を試したいので手伝ってもらえませんか?」
冒険者に性能テストを依頼したネトゲアイテムの中に解毒剤があるので、念のため自分で実験してから渡したいとブルーノに説明する。
自分で『毒』を飲み、症状が出てから解毒剤を飲んで効果を確認するだけの作業だが、もしも毒で体が痺れ、瓶を落として解毒剤を飲めなかったら……と考えたら一人で実験するのは怖かったのだ。
だから、わたしが実験している間見守っていて欲しいと頼んだら、ブルーノは呆れたような顔をしてわたしを見た。
「冒険者って、さっき出てった獣人族だろう? お前が試すより体の組成が似てる俺の方が適任じゃねぇか。俺は実験施設でネトゲの毒を試してるし、お前が解毒の回復魔術で治せることも確認済みだ。俺が飲んでお前が見守り、万が一のことがあればお前が回復魔術で解毒する、そっちの方が安全で確実だろう?」
そう言われてみればブルーノの提案の方が安全で確実なのは確かなのだが、だからと言って毒を飲む実験を人に頼むのはさすがに気が引ける。
「でも、ブルーノさん、三人の中で一番毒の耐性が低かったじゃないですか……」
「それでも人族のお前より耐性はある。いいから持って来いよ。さっき脅かした分の償いだと思えばいい。ほれ、さっさと済ませて飯に行こうぜ」
気が引けたが、せっかくの申し出を固辞するのは魔族基準だとよろしくないし、ブルーノの提案がベストなのは事実なのでお願いすることにした。
効果別に小、中、大とある3種類の毒と、同じく小、中、大の3種類の解毒剤を取り出してブルーノに手渡す。
小と中はそれ程でもなかったが、大はあの時飲んだカシュパルと比べて明らかにブルーノのHPバーの減りが早い。
すぐに大の解毒剤を飲んだので問題はなかったが、肝が冷えた。
回復魔術ではなく敢えて回復薬を飲んでHPを回復してもらうと、ネトゲの回復薬を試すのは初めてだとブルーノが喜んだので、少しだけ申し訳なさが和らぐ。
ともかく、ブルーノのおかげで解毒剤の安全性が確認できたので、これで安心してミルドに解毒剤を預けられるとわたしは胸を撫で下ろした。
ブルーノは初めてこの家に来たので、わたしがアイテムを片付けている間、家の中を自由に見てもらっていたのだが、ダイニングテーブルの上に置いてある精霊用の魔力クリームに呆れたり、階段のところで靴を脱ぐシステムに驚いたりする度に大声が聞こえてくるのが面白い。
一人暮らしだと、家の中で自分以外の誰かの声がするのは新鮮だ。
アイテムの片づけが終わり、夕食にはまだ早い時間だったがノイマンの食堂に出掛ける。
「時間に余裕もあるし、おしゃべりしながらゆっくり食事を楽しみたいです」
「おう。俺が家まで送ってやるから、酒飲んでもいいぞ」
「やったー! 実はまだ外で一回もお酒飲んでないんですよ」
夕食でグラスワインやビールくらい飲んでみたい気もしたが、夜道――という程遅い時間に出歩いたことはまだないが――を一人で帰るのにアルコールを入れてしまう度胸は今のわたしにはなかった。
そういえば、引っ越し以来自宅でもお酒を飲んでいなかったので、ブルーノの提案がとても嬉しい。
ブルーノが送ってくれるなら安心して飲めるなぁ。
そんなことを考えつつ若干にやけながら食堂に入った途端、エルサがすっ飛んできてわたしに向かって捲し立てた。
「ちょっとアンタ、恋愛する気ないんじゃなかったの!? この人、シャツのボタン半分以上開けちゃって、やる気満々じゃない! 大丈夫?」
「ヘッ!? いや、こちらはわたしの保護者の一人でして」
「そうそう。俺、保護者その2」
「魔王だけじゃなくて、魔族軍将軍も保護者なのか……。すごいな、あんた」
私服のブルーノはかなり露出度が高いと、以前ファンヌから聞いて知っていた。
でも、革パンに3分の2近くボタンを開けたシャツに革のベストという、おっさんだと言う割に攻めているファッションは意外と似合っていて違和感がないので、見た瞬間は驚いたけれど何となくスルーしてしまって今に至る。
というか、漲る胸筋とチラ見えしている割れた腹筋は確かにお誘い効果高いだろうなぁと感心してしまう。
……この格好の男性に抱きつかれて、それを転がして縛ったのか。
地味なアラサー女子には刺激が強いだろうに、いつの間にかこういうのも平気になってしまったなぁ……。
ノイマンの呟きが聞こえたけれど、リアクションのしようがなかったのでスルーさせてもらった。
注文を済ませ、引っ越してからの3日間のことをいろいろと話しながら食事を進める。
ブルーノはうまいうまいと言いながら次から次へと料理を平らげては酒を飲み、わたしはタルタルソースがたっぷり添えられた白身魚の揚げ物にジャガイモの揚げ物とビールという、かなりジャンクなメニューをおいしく頬張った。
毎回はどうかと思うけれど、たまにはこういう食事もいいよね。
気持ち良くほろ酔いになって店を出る。
家まで送ってくれたブルーノは、家の出入り時が一番危ないんだからさっさと中へ入れと言って、わたしが玄関口で見送るのを嫌がった。
ブルーノがわたしの背後を捕らえたのは事実なので、大人しく引き下がろう。
「今日はありがとうございました。気を付けて帰ってくださいね~」
「おう。んじゃ、おやすみ」
「はーい、おやすみなさい~」
バタンとドアが閉まり、カランカランとドアベルが鳴る。
ああ、楽しい食事会だった。
ブルーノがこんなに早く約束を果たしに来てくれるとは思わなかったなぁ。
ぞんざいに振る舞うくせに、律儀な人だ。
ほんの数時間前にはあんなに怖い思いをしたというのに、今同じ場所にいても恐怖感は特にない。
少しずつだけど、きっとわたしは強くなっている。
わたしに強さを与えてくれるのは、やはりブルーノだなと改めて感謝した。
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