73話 ご近所の飲食店
昼時を過ぎていたからか、ノイマンの食堂は前回来た時より空いていた。
カシュパルとクランツは肉の煮込みを、わたしは鶏のローストを頼む。
料理が出て来るまでの間、カシュパルは手が空いてそうだった店の主人を呼んでわたしのことを紹介し始めた。
店主は店の名前になっているノイマンで、魔人族の男性だ。
「へぇ~、人族の国から亡命して来たのか。若いのに苦労してるんだな」
「そうなんだよ。この子、魔力持ちだから王家に狙われてさ。閉じ込められて魔力を搾取されるだけの存在になる寸前で何とか逃げ出したんだ。まぁ、過去に亡命してきた人族も同じような事情だったらしいけどね」
「魔力を使えない人族の中じゃ魔力持ちは貴重だろうし、そうでなけりゃ異端扱いだろ? どっちにしろ居づらいだろうよ。あんた良かったな、逃げて来られて」
カシュパルがノイマンに語っているのはヴィオラ会議で決定したというわたしの公式設定で、巡回班の兵士、大家と執事、オーグレーン荘の隣人にも同じ説明がなされた。
わたしは魔力持ちの人族でひっそりと隠れ住んでいたが、イスフェルト王家に存在を気付かれ無理矢理連れ去られた。監禁のうえ一生魔力を搾取されそうになったので隙を見て魔族国へ逃れてきた、という割と事実に近い設定となっている。
出された料理を食べている間もノイマンはいろいろと話し掛けては労いの言葉をかけてくれた。
話し好きで世話好きな、人のいいおじさんのようだ。
魔族料理を覚えるために自炊もする予定だとわたしが話したら、奥の調理場にいる料理人に声を掛けて「料理のことで知りたいことがあれば彼女に聞くといい」と言ってくれた。
料理人はリーリャという小柄な兎系獣人族の女性で、調理場から少し顔を見せて手を振ってくれたので軽く会釈する。
それにしても、すごいな魔族社会。
先程の大家やドローテアもそうだったが、初対面のわたしに対して皆が気軽に手を差し伸べてくれる。
魔族がこういう人たちばかりなら、わたしが遠慮をする度に嫌がられたのも当然だと思えてきた。
飲食店への挨拶回りはスカーフなしでというカシュパルの指示で家を出る前にスカーフを外してきたが、何となく理由もわかった。
正式な挨拶回り以外はカジュアルにいこうということなんだろう。
地味服は門前払いしているような印象を与えることもあると以前ファンヌも言っていたし。
そんなことを考えながらカトラリーをせっせと動かす。
注文した鶏のローストは皮がパリッとして香ばしく、なのに中はジューシーでとてもおいしい。
ハーブの香りが効いているし、添えられた柑橘系のソースも絶品だった。
やはりプロの料理は繊細で複雑で深みがある。
離宮は機密保持という観点からスタッフの人数を極力抑えていたため専任の料理人は置かれず、家事全般を得意とする女性たちが炊事・洗濯・掃除といった離宮内のすべての家事を少数精鋭で行っていたと聞いている。
離宮の料理は家庭の味で、食堂はプロの味といった感じか。
ノイマンにホールスタッフのエルサという兎系獣人族の女性を紹介されたあと、定休日は日曜日に当たる陽の日で、営業時間は昼の12時から夜の8時までだと教えてもらった。
城下町の飲食店の営業時間は夜の8時までという決まりがあるのだが、お酒を扱う店も早めに閉まるというのは街の治安維持には効果的だろう。
女の一人歩きに不安はないか、一度夜に来て雰囲気を確かめたい。
「そろそろ帰ろうか。さあ、スミレ。君はもう独立したから自分の分を支払ってもいいよ」
「やった、待ってました! ノイマンさん、わたしの分の会計をお願いします」
「はいはい、35Dね――って、あんたのデモンリンガ、緑じゃないのか。これ、魔王ルードヴィグの色だろ。特別仕様ってことか?」
「スミレは“魔王ルードヴィグを部族長とする部族”の所属なのさ。魔人族とは別の部族で、ルードは魔王族って呼んでる。ちゃんと魔族国の正式な部族扱いになってるよ」
カシュパルの言葉に驚いたノイマンはわたしのデモンリンガと服を何度か見た。
元人族のわたしが自分たちの長を部族長に頂くということを魔人族はどう感じるんだろうと、少し不安になる。
「へえ~、すげえな。……いや、この子の服の色使いを見ればそういう関係なのかと思ったが、シネーラだし一人暮らしするって言うし、そうでもないのか? よくわからんが……何にしろ、直属の部族にするとは随分と庇護が厚いんだな」
「さすがに魔人族は魔王を直接見知ってるから理解が早いね。ま、そういうわけだから、気にかけてもらえると嬉しい」
「あんたなぁ、さっきの話聞かせといてそりゃないだろ? 元よりそのつもりさ」
「ありがと。ルードにも伝えとくよ」
ノイマンの食堂を出て次の店へと歩き出す。
先程のノイマンの言葉からするとわたしが魔王族になったことに対して悪感情を持たれた感じはしなかったが、話の内容がいまいちよくわからなかったのでカシュパルに尋ねた。
「スミレはこれまで苦労してきたみたいだし、魔王の庇護も厚いようだから気に掛けてくれるって話さ」
「“そうでもないのか?”って言ってたのは何だったんでしょう」
「ルードの色を身に纏ってるから付き合ってるのかと思ったみたいだね」
「えええっ!?」
「誤解だって気付いたみたいだし、問題ないよ」
まさか、魔王との仲をそんな風に誤解されそうになるとは思いもしなかった。
カシュパルが問題ないと言うんだから大丈夫なんだろうが、魔族の恋愛に関する機微を理解できるようになるのはまだ遠そうだな……。
ノイマンの食堂を出て次に向かった先はパン屋とスープ屋で、オーグレーン荘の近所にある主な飲食店はこの3つらしい。
パン屋とスープ屋は隣り合っていて、店の入り口と入り口の間に共用のベンチが置いてあった。
なるほど、パンとスープの両方を買ってここで食べる客がいるんだろう。
入り口から店の中を見ると、イートインコーナーもそれぞれあるようだ。
まずはパン屋の方へ入り、カシュパルが店主にわたしのことで話し掛けている。
パン屋の店主は熊系獣人族のマッツと名乗った。
いかにもパン職人といった感じの逞しい二の腕を持つ男性だ。
カウンター周辺に籠に入ったパンが何種類かあり、カウンター内の壁の黒板には挟みパンの具材が書かれている。
本日何度目かのわたしの公式設定をマッツに伝え、魔族料理を覚えるために自炊もするからパン種を買いに来ることもあるとカシュパルが言うと、マッツはわたしに好意的な目を向けてくれた。
「ほう、嬢ちゃんは自炊するのか。なあ、もしうちの店にない人族のパンがあったら教えてくれんかね。わしは新しいパンのアイディアならいつでも歓迎じゃから」
「あっ、はい。何か思いついたらお伝えします」
このネトゲな異世界にないパンなんて挙げたらキリがないくらいあるけれど、どうせ既存のグラフィックに置き換わってしまうしなぁ……。
食べたいパンを思いついたらアイディアを提供して作ってもらうことを考えるかもしれないが、目立ちたくないからなるべく自重しておこうと思う。
「そうだ。スミレ、今夜の夕食用に何か買っていくかい?」
「わあ、いいですね! そうします!」
わたしは籠の中のパンを指差して3個パンを買った。
黒板に書かれた挟みパンのことを尋ねたら、選んだパンを半分に切り、そこに具材を挟んでくれるらしい。
試しに今買ったハード系のパンにチーズとトマトで挟みパンを頼んだら、奥の調理場で手早く作って持ってきてくれた。
手軽だし、朝食にも良さそうだ。
買ったパンを店内で食べる客は隣のスープ屋や外のカフェで買ってきた飲み物などを持ち込んでもかまわないというから、明日の朝も来てさっそく試そうかな。
パン屋の定休日はノイマンの食堂と同じく陽の日で、営業時間は朝の7時から午後3時までだそうだ。
魔族国は週休1日、8時間労働が主流なんだろうか。
店が閉まるのが思ったより早いから、夕食用に調達するつもりなら気を付けないといけない。
パン屋の次はスープ屋に入る。
ファンヌに魔族の料理についてレクチャーを受けた時に、魔族社会にはスープ屋がありブイヨンも売っていると聞いて以来、ずっと気になっていたのだ。
店内はスープのいい匂いが充満していて、カウンター内には大きな寸胴鍋が4つ並んでいる。
スープ屋の店主はロヴネルという名で、魔人族の男性だった。
食堂のノイマンや食器と調理器具専門の道具屋のラウノもそうだが、飲食関係に魔人族が多いのはやはり彼らがグルメだからなんだろうか。
カシュパルが再びわたしの公式設定をロヴネルに話し、自炊のことも伝えると、マッツと同様にロヴネルも好意的な態度でブイヨンについて話し出した。
「一人暮らしならそこまで必要ないだろうが、ブイヨンもスープ類も量が多い注文の時は自宅まで配達するぜ。どうせ保存庫に入れるんだからと一週間分買っていく客もいるんでね」
温度と状態を入れた時のままキープしてくれる保存庫という便利な魔術具があるので、魔力の補充さえ怠らなければ確かに買いだめは可能だ。
でも、ブイヨンはともかく、一週間ずっと同じスープというのはちょっと遠慮したい。
夕食用のパンを買ったことだし、スープもここで買っていくことにした。
カウンター内の鍋はポトフ、ブラウンシチュー、クリームシチュー、トマトスープの4種類だそうで、ポトフ以外はその日によって具材が違うらしい。
今日は初回だから定番商品のポトフにしよう。
スープ一人前用の保存ポットを持っていなかったので店で購入し、ポトフを入れてもらった。
マッツも支払い時にわたしの紫のデモンリンガを見て驚いていたが、ロヴネルの反応はやはり魔人族だからかノイマンと同じような感じになり、また誤解されたかと一瞬焦る。
カシュパルがスルーしていたので問題ないんだろうと思い、特に言及はしなかったけれど。
ロヴネルのスープ屋もマッツのパン屋と同じ定休日と営業時間で、マッツの店で買ったパンをこちらに持ち込んでスープと一緒に食べてもいいそうだ。
隣り合ったこの二つの店は互いにうまく利用し合って商いをしているんだな。
明日の朝食はどのスープにしようかと考えながら、店を後にした。
オーグレーン荘へ向かって歩きながら、今日一日ほとんど静かだったクランツが口を開いた。
「どれも良さそうな店で安心しました」
「そうだね。パンもスープもおいしそうだったし」
「ですよね~。食べるのが楽しみです」
そして、オーグレーン荘に着くと二人はそのまま帰ると言った。
散々挨拶回りに付き合ってもらったんだから、せめてお茶くらい飲んでいって欲しかったのだけれど。
「夕食は調達済みですが、慣れない家でいろいろと手間取ることもあるでしょう。我々に気遣いは無用ですから家の用事をしてください」
「そうそう。わからないことがあったら、今日会った誰かにメッセージを送って聞けばいいから。もちろん、僕らに送ってもらってもいいけどね」
そう言って、迎えに来た馬車に乗って二人は帰っていった。
わたしは馬車が道を曲がって見えなくなるまで見送ってから家の中に入ると、ドアをしっかりと施錠する。
「施錠確認、よーし」
さて、まずはお茶でも淹れて一服しようかな。
この前ラウノの道具屋で買ったマグカップで!
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