70話 独り立ちの日
本日は2話投稿します。
引っ越しの日の朝、ぐっすりと眠ったわたしの目覚めはとても爽やかだった。
いつものようにステータス画面を開いて何も変化がないか確認し、ストレッチをする。
クランツとの朝練も今日が最後だ。
次からは里帰りした時に予定を合わせて訓練に付き合ってもらうことになるだろう。
「城下町へ引っ越したら自主練するしかないんですけど、何をやったらいいでしょうね。裏庭で動きの確認をするとか、そのくらいかな」
「壁に囲まれているとはいえ、裏庭では誰かに見られるかもしれない。相手が油断していればしているだけ有利になるのだから、君が護身術を身につけていることはなるべく周囲に知られない方がいい」
大声を出す練習や動きの確認など一人でできることを室内でするしかなさそうだが、まずは城下町での暮らしに慣れ、街なかではどこにどんな注意が必要かを知ることの方が重要だというクランツの言葉に頷く。
「別に危険な街じゃありませんが、くれぐれもボーッとしたまま歩かないように。君は時々ぼんやりしていることがありますから」
「ぼんやりって、酷いなぁ」
「事実でしょう? 外出時は現在地からの退路を確認してください。人が多い場所ではネトゲ仕様のマップや『生体感知』に気を取られて周囲への意識が疎かになりやすいので、使いどころはよく考えるように」
「……気を付けます」
何だかクランツまでもがレイグラーフ並みに心配性を発揮している気もするけれど、わたしが目の届かないところに行くので実際気がかりなんだろう。
クランツの小言や説教を聞く機会も減るかと思うと少し寂しい気もしたので、わたしは神妙な顔をして頷いた。
皆に早く安心してもらえるように頑張ろう。
朝食を済ませ、先行して届けられた紫の最上級シネーラに着替える。
念入りに地味メイクを施し、スカーフを巻いたら出来上がりだ。
「ねえ、ファンヌ。お泊り会はいつにする?」
「余裕がない時にやっても楽しめないと思うから、スミレがある程度新しい生活に慣れてからがいいと思うわ。里帰りの時にでも話し合いましょう……って、あら、スティーグに教わったスタイリッシュな巻き方はしないの?」
「今日は場所によってスカーフを付けたり外したりするってカシュパルさんが言ってたから、鏡を見なくてもできる簡単な巻き方にしておこうかと思って」
「そう。挨拶回りだといろいろとあるのかもしれないわね。それにしても、そのシネーラやっぱり素敵ねぇ」
ファンヌの言葉に深々と頷く。
業者にこの明るい紫色の生地を勧められた時は「派手過ぎるからこれは無いな」と思ったのに、スティーグの見立てでモノトーンの刺繍を施したらこんなにシックな感じに仕上がった。
黒地に白い幾何学模様の入ったスカーフを巻いたらグッと大人っぽくなる。
わたしは鏡の中の自分に向かってニッと笑った。
「フフフ。これなら成人前の子供には見られまい」
「この前一緒に内装確認に行った時、食事に行ったり道具屋へ買い物に行ったりしても、誰も何も言ってこなかったじゃない。大丈夫よ」
そういえばそうだった!
よし、自信を持って挨拶回りに出向こう。
そう思っていたのに、馬車に乗るべく離宮の車寄せへ向かったら、見送りにきてくれたヴィオラ会議メンバーの一部がわたしの姿を見て騒ぎ出した。
ブルーノはニヤニヤと笑いながら冷やかすように口笛を吹き、レイグラーフは顔を赤らめてわたわたしているんだけど、何がどうしたと言うんだろう。
「紫のシネーラに黒のスカーフ、ねぇ。スミレ、そのシネーラを選んだ意味は何かあるのか?」
「あ、これですか? わたしが元いた国には“すみれ”という名前の紫色の花があるんですよ。それで、仕立てるなら自分の名前にちなんだ色の服が欲しいなと思いまして」
「ほほー、お前と同じ名前の花の色か。んじゃ、この黒のスカーフは?」
「スティーグさんが選んでくれました。シネーラの刺繍もそうなんですよ。シックだし、大人っぽくて気に入ってるんですけど……あの、似合ってませんか?」
「んん? いや、そうは言ってない」
「似合ってます、よく似合っていますよ、スミレ! ただちょっと、その、紫に黒という組み合わせに驚いただけですから」
ブルーノとレイグラーフの反応に、自分で思う程には似合ってないのかと若干凹んだが、色の組み合わせと言われて紫と黒が魔王の目と髪の色だと気付く。
「ああ、そうか。ルード様の色と同じだから驚いたんですね? 部族長の色を身につけるのって、何だかすごく魔王族っぽい気がして来ました。へへへ、ルード様、どうですか?」
「……気に入ったのか?」
「はい!」
「ならば良い。スティーグの見立てなら間違いはなかろう」
「ですよね~。改めましてありがとうございます、スティーグさん」
「どういたしまして。でも、このメンバーの前でならかまいませんが、異性に見立ててもらったということは人前では言わない方がいいですよ」
「うわっ、そうでした。気を付けます……」
クランツに引き続き、スティーグにも注意点を指摘されてしまった。
うう、今からこんなことじゃ先が思いやられる……。
すると、凹みかけたわたしの気を引き立てるかのように、慌ててレイグラーフが講義の話題を振ってきた。
「ところで講義の予定ですが、里帰りは今度の休日ということでいいですか?」
「それなんですけど――」
ここでも日本と同じように日曜に当たる陽の日が休日だ。
そして今日は木曜に当たる星の日で、木曜の今日離宮を出て中二日でまた日曜に里帰りというのはさすがになしだろう。
だから、最初の里帰りは次の休日にすると伝えたらレイグラーフが酷く落胆してしまった。
「それでは、里帰りは十日も後になるんですか?」
「だって三日後では慌ただしすぎますよ。それに、離宮で勤めてくれていた皆にも休みを取ってもらいたいんです。中二日じゃゆっくり休めないでしょう? というわけだから、ファンヌもクランツもしっかり休んでね」
「もう、スミレはそればっかりなんだから。わかってるわ、明日から休暇に入るから安心してちょうだい」
「任務なんですから、君が気を回す必要はありません」
「大丈夫だよ、スミレ。クランツが休まないようだったら、ルードやブルーノから言ってもらうからさ」
「うむ」
「おう、任せとけ」
クランツは少しだけ顔を顰めたが、軍人らしく上司や上官には口答えをしないようだ。
一方、心配性なレイグラーフは妥協する気がないようで、わたしが近日中に里帰りしないのなら自分が行くと言い出した。
「それなら、来週早々に訪ねていきます。出張講義をしましょう」
「えっ。わたしは助かってしまいますけど、いいんですか?」
「かまいませんよ。城下町で暮らし始めて数日も経てば疑問に思うこともいろいろと出て来るでしょうし、私もあなたの暮らしぶりを直接見て安心したいですから」
「ありがとうございます、レイ先生。講義を楽しみにしてますね」
ご足労をお掛けしますと恐縮しそうになるのを堪え、満面の笑みでお礼を伝えたらレイグラーフの機嫌も直ったようで、ようやくいつもの穏やかな笑顔になった。
うん、クランツの言うとおりだ。
師の機嫌を取るのは教え子の役割だよね。
次の里帰りに関する打ち合わせも済み、いよいよ出立の時間となった。
皆が口々に見送りの言葉を掛けてくれるが、湿っぽくならないのはやはりすぐまた里帰りするとわかっているからだろうか。
この離宮がわたしの里だと言ってくれた魔王の前に立ち、出立の挨拶をする。
「それでは行ってきます」
「ああ、楽しんで来い」
そう言って、魔王はわたしの頭の上にぽすっと手を置いた。
いつもならくしゃくしゃっと頭を撫でてくれるのだけれど、今日はスカーフを巻いているからか、ぽんぽんとしただけですぐに手が離れていく。
いつもと違うその所作が何だか寂しくて、馬車の中で巻けばいいのだからそれまでスカーフを外しておけば良かったと、つい思ってしまった。
我ながら幼稚な発想に呆れてしまうが、父というには若すぎる、でも兄というには落ち着きと包容力がありすぎるこの新しい魔族の家族がわたしは大好きだから、素直にこの寂しさを噛みしめる。
空虚な寂しさではなく、温かみのある寂しさを感じられるのは幸せなことだ。
カシュパル、クランツと共に馬車に乗る。
馬車が動き出すと同時に窓から腕を出し、皆に向かって大きく手を振った。
「いってきまーす!!」
馬車は少し進むと離宮を囲む森の中を行く道に入り、離宮はすぐに木々に隠され見えなくなる。
わたしは少しの間センチメンタルに浸ることを自分に許した。
離れがたく思える場所がたった4か月でこの異世界にできるなんて、ここへ来たばかりの頃のわたしに伝えても信じないだろう。
この離宮で過ごした4か月があったからこそ、これからの城下町での暮らしが始まるんだ。
魔族としてのわたしの土台が作られた場所。
そこを巣立ち、ついに一歩踏み出す。
少し怖いような、でもわくわくする気持ちがわたしの背中を押している。
待ちに待った独り立ちをするんだ、センチメンタルタイムはもう終了!
一人暮らしを始めたら、すぐに雑貨屋開業を目指して動き出そう。
頑張れ、わたし!!
読んでいただきありがとうございます!
本日はもう1話投稿しています。次は第一章の最終話です。




