268話 真っ暗な空間で
「ねえ、ルード様。転移先ってどこですか? わたしの知ってるところ?」
「さてな。まあ、楽しみにしておけ」
「ええ~~」
転移する前日、わたしはルード様に転移先について訊ねた。はぐらかされて多少ブーブー言ったけど、サプライズなら仕方ない。言われたとおり内心で楽しみにしていたんだ。
それなのに、ルード様が『戻り石』の魔術具に魔力を流した次の瞬間、わたしは真っ暗な空間に一人浮いていた。
いや、浮いているというのは正確じゃない。だって、周囲を見回そうと思ったら視界が360度回転した。こんなの首や目の動きじゃないよ。
たぶん体がなくて、意識だけがここにいる。
真っ暗な空間に一人。隣で手を繋いでいたはずのルード様もいない。
異世界転移失敗したの!? 失敗してもその場にそのまま残るだけかと思ってたのに!
恐怖が喉をせりあがってきて叫び出しそうになった時、いきなり視界の中央にネトゲ仕様のバーチャルなウィンドウが現れた。
『ニューゲーム』 『コンティニュー』
……は? 何これ……って、もしかしてゲーム開始画面!?
えっ、わたしログアウト扱いとかになってたの?
ぎゃ───ッ、そんなのコンティニュー一択だよ! コンティニューッ!!
いつもは視線で雑に操作してたけど、今日は慎重に指で操作した。いや、今は意識体で体がないから気分だけだ。でも、もしうっかり間違って『ニューゲーム』を押してしまったら、悔やんでも悔やみ切れない。
『コンティニュー』を押したら今度は『実行』と『戻る』が現れた。ここでも慎重に『実行』を押す。
早く早く! いつまでもこんな真っ暗なところにいたくないよ。早くルード様のもとへ行かせて!
なのに、ネトゲ仕様は更に混乱させるようなウィンドウを表示してきた。
『おめでとうございます!
メインクエスト達成ボーナスを獲得!
次の2つの中から好きなシナリオを1つ
選んでください』
『地底湖の秘宝』 『空中庭園の謎』
はああ~~~???
真っ暗な空間の中で、わたしは思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ。いや、体はないから、実際は頭を抱えてしゃがみ込んだつもりなだけだけど。
なんで人が切羽詰まってる時にこういう呑気な選択を提示してくるかな!?
まったくもう、おめでとうございますじゃないよ! 出てこい、ネトゲの開発担当者!!
……ふう。とりあえず開発担当者に対する文句は置いといてシナリオを選ぼう。
えーっと、なになに? 『地底湖の秘宝』に『空中庭園の謎』──ってあれ?
空中庭園って確か、冒険者ギルド長のソルヴェイがずっと探し求めてたヤツじゃなかったっけ。レイグラーフのお使いで本を届けたことがあったような……。そうそう、その時に初めてSランク御用達のお店に連れてってもらったんだよね。
空中庭園なんてそこそこ大きさのある場所だろうに、情報だけあって肝心な場所が見つからないなんておかしい。拡張パックとかダウンロードコンテンツみたいな追加要素なんじゃないかってあの時考えた覚えがあるけど、そうか、メインクエストの達成報酬だったのか。
こんなのプレイヤーがクリアしなきゃどうにもならないじゃん。そりゃ空を端から端まで探し尽くしても見つからないわけだよ。ギルド長気の毒に……。
でも! 安心してねギルド長。今ここでわたしがビシッと『空中庭園の謎』を選びますから!
あなたがこれまで集めた情報は無駄にならない。華麗にスタートダッシュを決めて空中庭園に一番乗りして欲しいな。それでまたあのSランク御用達の店で冒険譚を聞かせてください!
『地底湖の秘宝』も気になるけどね。ギルド長もミルドも財宝の探索が好きだからこっちも喜びそうだけど。まあ、まずは伝説の空中庭園からってことで!
それにしても、次は何を達成したらシナリオをもらえるんだろう。
パッと思いつかないけど、選択肢としてタイトルを見せた以上はいずれゲットできるはず……いや、このゲーム、結構クソ仕様なとこあるからなぁ……。
一瞬嫌な考えが浮かんだけど、今考えても仕方ない。
慎重に『空中庭園の謎』を押すと『実行』と『戻る』が現れた。更に『実行』を押す。すると、視界の中央にダウンロードやインストールの最中に見掛けるゲージみたいなのが現れた。
何なのこれ……。マジで今データが追加されてるの? ていうか、速度すごく遅くない……?
若干イラッとしたけど、楽しいことでも考えながら待とうと頭を切り替えた。たぶん追加データがすごく多いんだよ。きっとそうに違いない。
新しいエリアやクエスト、NPCに敵モンスター、それに大量のアイテムが追加されるんだよね?
どんなアイテムかな。食材や食事系のアイテムが増えてるといいなぁ。日本をピンポイントでとは言わないけど、東洋系お願いします!!
ネトゲの開発担当者様、米と大豆プリーズ! あとできればカカオを──!
そんな感じで、最初のうちは煩悩丸出しなことを考えながらゲージが進むのを見つめていた。
だけどゲージが進むのが本当に遅くて、徐々に不安が押し寄せてくる。これが終わったら本当にあのネトゲ世界が再開されるんだろうか、本当にルード様のもとへ戻れるんだろうかと、ついネガティブなことを考えてしまう。
だってこのネトゲ、これまでも散々わたしの予想を裏切ってきたし。
聖地を癒して大団円!と思ったらMPゼロ・HPひと月分でカウントダウン開始とか。HPゼロでリスタートかと思ったら元の世界に強制送還とか。
こっちが想定してる予定調和的なものを平気でスルーしてくるところがある。
ネトゲ仕様のシステム自体には信用を置いてるけど、設計思想みたいな部分はどうも信用しきれない。
そもそも、このコンティニュー自体も予想外の展開だし。
……ちょっと待って。『コンティニュー』が前回セーブしたところからの続きなら、出る場所は離宮にならない?
もし、ルード様が置き石を設置してきた場所と違ったらどうなる? 二人別々の場所に出るだけ? それとも転移自体が失敗になるの?
ルード様は無事?
わたし、本当にここから出られるの?
焦燥感に駆られる。今は意識体だから身体症状なんてないけど、体があったら心臓がドキドキして額に汗が滲んでいたに違いない。
ジリジリしながら真っ暗な空間で待ち続ける。まるで何かの試練でも受けているみたいだ。
ふと、聖地で『四素再生』した時のことを思い出す。
あの時も途中で時間感覚がなくなったっけ。永遠に続くような錯覚に陥りそうになる中、魔力の反発を感じた途端虹色の光が放たれて────
その場面が脳裏に浮かんだ時、いきなり視界中央からブワッと白い光が溢れた。
あまりの眩しさに思わず目を瞑る。
「────スミレ、着いたぞ。転移は無事成功したようだな」
ルード様の声が聞こえて、即座に目を開けた。
目の前にルード様の服。片手は腕を組んでパーティー状態に、もう片方の手は恋人繋ぎでほとんど抱き合っているような、『戻り石』の魔術具を使う直前と同じ体勢のままだ。
「あ……」
「どうした。どこか具合が悪いのか?」
顔色でも悪かったのか、ルード様が心配そうにわたしの顔を覗き込んでいる。
一瞬で汗がドッと吹き出した。耳元で心臓の音がうるさく響く。無意識に息を止めていたようで、そっと息を吐いたら腰が抜けてその場に座り込んでしまった。
ルード様もわたしを抱えるようにしてしゃがんだので、そのまま胸に顔を埋めさせてもらう。
ハァ~~~~~ッ! 助かった!!
思いっきりため息を吐いた。こんなクソデカため息、人生初だよ。
何事もなく……はないな。滅茶苦茶ストレスかかったけど、何とか無事に魔族国へ転移して来れたみたいだ。
ルード様が背中をポンポンしてくれている。ふうぅ、落ち着く……。
ひと心地ついたのでがっつり繋いでいた手を離した。組んでいた腕も解除する。というか、頭が冷静になってきたので気付いたんだけど、母の目の前でこの体勢でいたのか。
転移前で緊張していてそれどころじゃなかったとは言え、母が最後に目にした娘の姿がこれってどうなの? うわ、恥ずかしい。お母さん忘れてくれ……。
ルード様の方は転移中どんな感じだったのかと思って訊ねてみたら、ほんの一瞬でここに着いたらしい。ええ~、わたしはあんなに長かったのに。でもルード様が妙な目に遭わずに済んで良かった。
わたしに起こったネトゲ仕様の変な現象について簡単に話す。コンティニューとシナリオの選択があっただけだから、めちゃくちゃ時間がかかってストレスがマッハだった割りにたいしたことは起きていない。
「そんなことが起きたのか。スミレ、ネトゲ仕様はどうなっている。例の四角は復活しているか?」
「へ? あっ、あります! しかも緑!!」
「そうか、良かったな」
「ありがとう! やった───ッ! 復☆活!!」
元の世界へ戻った時には消えていた視界の隅の四角が復活している! 赤でもオレンジでもない、健全な状態を示す緑だ。HP27とかMPゼロなんてことは絶対ないはず!
わたしは大喜びで思い切りバンザイした。心の中では「キラッ」と効果音付きでダブルピース。いい歳して浮かれすぎだと思うけど、わたしにとってこの異世界とネトゲ仕様はセットなんだ。クソ仕様に腹が立つことも多いけど、復活してくれて本当に良かった。
機能自体は便利だから、慣れると手放せなくなるんだよね。向こうの世界へ戻った時、魔術とネトゲ仕様が両方とも使えなくなって本っ当に大変だったもん。
ほくほくしながらさっそくステータス画面を確認しようとしたら、いきなり隣でルード様が大きなため息を吐いた。悄然と肩を落としてうな垂れている。
えっ、何事!?
「例の四角がない。私の方のネトゲ仕様は消えてしまった」
「ええっ!? あ、こっちへ戻ってきちゃったから?」
「おそらくそうだろう。……読んだものすべてを動画で再確認できればと思っていたが、自分の記憶だけが頼りか……。ハアァ~~~~~」
ああ~、ルード様までクソデカため息に……。大急ぎで詰め込んでたから、イマイチ記憶に自信がないところがあるのかもしれないね……。
心中お察しします。ごめんね、わたしだけ復活して。ポンポンしてもらったお返しとばかりにルード様の背中を撫でる。
「とりあえず、お前のネトゲ仕様を確認しよう。シナリオとやらの追加で変化が起きている可能性がある」
「はい。じゃあ、どこかで座って……あっ!」
立ち上がろうとして、ようやく周囲の様子が目に入った。長時間の転移でヘロヘロに疲れてたから今まで気付かなかったのだ。
目に入ったのは壁に掛かった絵。シェスティンが描いた、富士山と桜によく似た山と白い花の絵だ。
思わず立ち上がって周囲をぐるりと見渡す。
ここは、オーグレーン荘3号室の二階。
わたしの居間兼書斎だった部屋だ!
たった二か月離れてただけなのに、懐かしくて胸がきゅうっとなった。
窓の向こうにはオーグレーン屋敷の庭。池には以前と変わらずスイレンが咲いている。
帰ってきた。
本当に、本当に帰ってきたんだね!
2話書いたけど終わらなかった……。明日また1話アップするのでチェックしていただけると嬉しいです。




