267話 異世界への引っ越し準備
異世界で暮らしていたというわたしの話を信じてくれた母は、続いて打ち明けた異世界に戻るというわたしの選択をもあっさりと受け入れた。
……こんなに物わかりのいい人だったっけ? 話がスムーズに進みすぎて逆に不安になっていると、ルード様が母に訊ねた。
「母御よ。一度戻れば再びこちらの世界へ戻ってくることはおそらく出来ぬ。スミレとは二度と会えなくなると思うが、後悔されぬか」
ルード様は母には詳細を説明しなかったけど、わたしが経験した異世界間の転移はどちらもネトゲの強制力によるものだ。聖女召喚の魔法陣と聖女という存在が消滅した以上、もう発生しない可能性が高いとわたしたちは考えている。
手持ちの『戻り石』の魔術具は異世界へ帰還する分しかない。ルード様は何故かネトゲのアイテム購入機能が使えないので、ここへ『戻り石』を置いていけない。
彼の言うように、たぶんもう母とは会えなくなる。異世界へ戻るということはそういうことだ。
わたしは既に一度故郷を諦めた経験があるから気持ちを切り替えられる。冷たいようだけど、もう二度と戻れないとしても迷わない。
でも、母はどうか。ルード様はそれを心配しているんだろう。
「それはもちろん、寂しくないと言ったら嘘になりますよ。ルードヴィグさんのおかげですっかり元気を取り戻したようですけど、やっぱり心配ですしね。一時は本当に抜け殻みたいでしたから」
母はわたしをチラリと見ながらルード様に答える。
うう。散々心配かけたくせに、戻れると聞いた瞬間異世界へ戻ると決めた薄情な娘でごめんお母さん。
「でも、引き止めたところでわたしがこの子を幸せにしてやれるわけじゃありませんしね。ルードヴィグさんはあちらへこの子を連れ帰っても、ちゃんと幸せにできる見通しも自信もおありなんでしょう?」
「ああ」
「それなら安心して娘を預けられますよ。この子のこと、どうぞ末長くよろしくお願いします」
「承った。私の全力をもってご息女を幸せにすると母御に誓おう」
……なんか、娘を嫁に出す時みたいな雰囲気になってるんですが。
でもまあ、実際もう会えないレベルで離れるんだもんね。嫁入り以上に遠い間柄になるんだなと、神妙な心持ちで二人の会話を聞いていた。
どちらの思いもありがたい。二人の思いに応えるためにも幸せにならなきゃ。
人族のわたしの寿命は魔族より短いから、異世界へ戻ってもルード様と一緒に過ごせる時間はせいぜい50年くらいだろう。
だけど、もうそれを恐れたりしない。ルード様と二人で毎日楽しく幸せに暮らすんだ。
二度と後悔したくないもん。力いっぱい自分らしく生きよう。
まだしばらくはこちらで過ごす予定だと伝えたら、今度食事でもしようと言って母は帰っていった。
いつ戻るかはまだ全然ルード様と話し合ってなかったのだけど、母とルード様の会話を聞いているうちに、ふと現実的な問題点に気付いてしまった。
このままわたしが何もせずに異世界へ去ったら、確実に母に迷惑を掛ける。
銀行やカード類、保険にスマホ。アパートの賃貸契約に家財一式。どれもこれも、わたしが解約や処分をしておかないと後で確実に面倒なことになるヤツだ。
立つ鳥跡を濁さずとも言うし、異世界へ引っ越してこちらへはもう二度と戻らないつもりなら、可能な限り身辺整理しておかなきゃね。
異世界転移が成功するかどうかは五分五分だとルード様は言っていたから、失敗して結局この世界で生きることになるかもしれない。でもその時はその時だ。また一から整えればいい。
ルード様と新しく人生を始めると思えば何だって楽しいよ、きっと。
そんなわけで、即異世界転移!とはいかない事情に気付いたことを慌ててルード様に説明した。
前回は勝手に召喚されたから自分ではどうしようもなかったけど、今回は自分の意志で行くんだから身辺整理したいと言うと、ルード様はすんなり理解を示してくれた。本当に懐の深い人だよ……。
いろいろと手続きをするとして、すべて完了するまでにひと月くらいはかかりそうだ。
その間ルード様が手持無沙汰になってしまうのが気掛かりだったんだけど、それは早々に解決した。
実は転移してからというものルード様は家中の電化製品に興味を示していて、わたしにこれは何か、どういう仕組みなのかと熱心に訊ねてくる。
魔術具の権威なだけあって、そういう物にすごく関心が高いんだよね。魔族社会は魔力が基本だから、化学や物理方面の捉え方が根本的に違ってたりするみたいだし。
だけど、残念ながらわたしはその質問にまともに答えられなくて、ネット検索に頼っていたところ、器用で学習能力の高いルード様はあっという間に自分でネット検索とネットサーフィンを始めたのよね……。
図書館の本もネット閲覧してるし、ネトゲ仕様のおかげで何語でも読めるから際限なしだ。
何でも自力でやってくれるのは正直助かる。でも、睡眠不足も疲労も回復魔術で治せるからって一晩中読み耽るのはどうなのかな……。
異世界の知識や工夫を持ち帰ろうと頭に詰め込んでるのはわかるし、楽しそうだから止めてないけど。
わたしの方もさっそく各種手続きを進めている。
家具の処分とか、体を動かしたりどこかへ出向いたりしなきゃいけないこともあるけど、解約手続きを待つだけの期間も長い。
その待ち時間を有効活用しない手はないよね!というわけで、わたしは積極的に料理教室へ通うつもりでいる。魔族国へ戻った時にこちらの料理を再現できるようにと思って。
向こうの少ない限られた食材でどんな料理が作れるか、脳内で考えては現実逃避していたけど、それが逃避じゃなく現実になるかもしれないんだから!
小麦粉を使うお菓子なら再現できる種類はかなり多そうだし、ファンヌたちに教えてあげられるようになりたい。
あと、アイスやジェラートとかの氷菓を普及させたいなぁ。既存のグラフィックに似たようなものがないから、何に置き換わるかまったく想像つかないけどね。
それに、向こうでもルード様にラーメンを作ってあげたいから、また中華麺の講座を受けてしっかり身に着けるつもりでいる。
あなたに食べさせたいと思ってラーメン作りを習っていたと話したら、ルード様はかつて見たことがないほど感動を露わにしていた。魔族にとって手作り料理を振る舞うというのは「あなたに気があります」のサインだからね……。ぎゅうぎゅうにハグされましたよ。
へへへ、照れるぅ~とニヤニヤしてたら、ちょっと思ったのとは違ってて。
何でもルード様は、向こうに戻ったらもうお店のラーメンは食べられない、ネトゲの日本食アイテムが買えたとしても『ラーメン』しか食べられないのだと、残念に思っていたそうで。
いろんな味のラーメンを知ってしまったルード様には物足りないよね。だから、わたしが自分で作れるようになろうとしていたのが本当に嬉しかったらしい。
そう聞いて、わたしもすごく嬉しくなった。ネトゲの機能や聖女の力を使わなくても彼にしてあげられることがあると思うと、やる気と勇気が湧いてくる。
食材の種類が少ないから難しいけど、トッピングのコーンとかチャーシューなら作れるし、料理教室で聞けばもっとバリエーションを増やせるかも。豚のブイヨン作りを工夫すればとんこつスープもいけるんじゃないかな。
うん、頑張ろう!
料理教室に通う傍ら、わたしもルード様のようにネットで調べ物をしては知識を頭に詰め込む作業を始めた。主に調味料関係。だって、もしかしたら向こうの世界でも味噌や醤油が作れるかもしれないし!
ルード様の知識欲は書籍やWEB上の文章を読むだけでは満足できなくなったようで、最近は科学館や博物館へ足を運んだりしている。研究者だからどうしても実物を見たり触ったりしたくなるんだろうね。
「そういえば、あの風景はどこへ行けば見れる?」
「あの風景……? ああ! シェスティンの描いた絵ね!」
富士山と桜に似たシェスティン作の風景画を、以前元の世界の風景によく似ていると言って離宮で皆に披露したっけ。よく覚えてるなぁ。
残念ながら桜の季節じゃなかったので、ルード様にはネットで富士山と桜の写真や動画を見せた。
「美しいな」
「でしょ? この花を見ながらお花見するんだよ。花びらが散るのも綺麗でね~」
もし魔族国へ戻れたら、あの絵を二人で一緒に見ながらこっちの世界で過ごした日々の話をしよう。
短い期間だったけど、きっとこれも大切な思い出になる。
作業や手続きが進んでいく。
母と三人で食事をした。それから、一応海外赴任中の兄にも連絡した。好きな人が出来たので彼の国へ行って暮らすと伝えたけど、完全に冗談だと思われてるっぽい。兄め……。
異世界転移が成功するかどうかわからないので、兄には詳細を伝えないまま行くつもり。母がスマホで三人一緒の写真を撮ったから、兄が海外赴任から帰ってきたらそれを見せながら説明してくれるそうだ。
ひと通り手続きが済んだら、残ったお金は全部母に渡すことにしてある。税金とか、来年にならないと請求がこないものもあるからね。さすがにそこまで待ってられない。
結局母にいろいろ頼むことになってしまった。申し訳ない。でも、あんまり多くはないけど、ある程度まとまった額を渡せてよかった。第二の人生の足しにしてもらえると嬉しい。
そして、すべての準備が整った日。
わたしと手を繋いだルード様が『戻り石』の魔術具に魔力を流す。
母が見守る中、わたしたちは異世界へと旅立った。
たぶんあと2話くらいで終わると思うんですが、ちょっとまだまとまってません。木曜日に投稿できるようなるべく頑張りますが、遅れるかもしれないので念のため予告させていただきます(汗)やはり最後はきれいにまとめたいので……ご了承くださいませ。




