266話 母は強し
翌日はルード様と買い物に出掛けた。
メンズの服や靴など必要なものをひととおり購入する予定。その場で着替えて帰るつもりでさっそくいくつか試着してもらった。
ルード様は髪色こそ黒だけど目は紫色だし顔立ちがエキゾチックだから、こっちの服を着ても外国人ぽさは抜けてない。でも、とりあえず街の中でも浮かないくらいには目立たなくなりそう。
ただ、魔族の服って基本的に男女問わず体の線が出ないようになっていて、肌もあまり露出しない。魔族男性の服装だと仕事着以外はゆったりとしたパンツだ。
つまりですね、ルード様のスリムパンツ姿とか初めて見たわけですよ。
……くるぶし見えてるじゃん! 魔族的にはこれ結構エッチなんですけど!?
しかもシャツがいつもよりボタンひとつ多く開いてるし!
これって魔族的には恋愛OKのサインで、パートナーがいるというアピールでもあるわけで……。くっ、照れる。
魔族の恋愛の機微はイマイチ共感できないものが多いと思ってたけど、以前よりはわかるようになってたみたいだ。というか、回復に関してもそうだけど、結構魔族的な思考に染まってたんだなと今更ながら再認識したり。
なので、なるべく魔族の服装に近いゆったりめのアイテムをチョイスした。なんかあんまり生活感ない感じに仕上がってしまったけど、元魔王だからいっか。
たくさん買い物して、帰りにはルード様のリクエストで再び昨日のラーメン屋に寄った。大将が驚いてたよ。そりゃ、また来るって言っても翌日の昼にとは思わないよね。
でも、いくら好きでも回復魔術があっても、ラーメンばかり食べ続けるのは良くない。朝だって昨日買ったカップ麺を3つも食べてたし!
今夜は何か体に良さそうなものを食べさせようと考えつつ帰宅したら、部屋のドアの前に誰か立っているのが見えた。──母だ。
ハッ、夕べからスマホチェックしてない!?
うわあ~~っ、ルード様のことで頭一杯ですっかり忘れてたよ! 入院以来ずっと心配かけてるのに!
「お母さんごめん! スマホ見てなかった!」
「確かに心配したけど……、だいたい事情は察したわ」
慌てて駆け寄ったわたしに、母が意味深な笑みを浮かべてわたしの背後に視線を送る。
……ぐっ、思いっきりルード様と一緒に帰ってきたところを見られた。
何て紹介したらいいのか。馬鹿正直に「元魔王のルードヴィグさんです」って言う? いや、まずは怪しい人じゃないってとこから……そうだ、めちゃくちゃお世話になった人だってことは伝えないと。
まったく心の準備ができてなくて、何て言おうかと頭の中でグルグル考えていたら、ルード様がスッとわたしの隣に来て母に話し掛けた。
「スミレの母御か。初めてお目にかかる。私の名はルードヴィグ。彼女を追ってここまで参った。以後よろしく頼む」
「ちょっ!?」
「まああ~っ!」
間違ったことは言ってない。言ってないけど、その言い方だと微妙に熱愛っぽく聞こえる気が……。母が妙な方向へ勘違いしそうな気がする。
案の定母は両手を頬に当てテンション高い声を上げると、満面の笑みを浮かべて前のめりになった。
「スミレの母です。娘がお世話になりまして、こちらこそよろしくお願いいたします。……外国の方とお見受けしますけど、スミレを追って来られたんですか? わざわざ遠くからようこそお越し下さいました」
愛想よくルード様に挨拶したと思ったら、母はわたしをぐっと引き寄せて耳元で囁いた。
「ちょっとケーキ買ってくるから、あんたはお茶の準備してなさい。……ほらね、やっぱり同居しなくて正解だったでしょ?」
小声で言うだけ言うと、母はにこやかに「すぐ戻りますから~」とルード様に言いながら素早く去っていった。止める暇もなかった……母、強すぎる。なんであんなにテンション高いんだ……。
どっと疲れたけど、とりあえず部屋に入ってお茶の準備をする。
ケーキ買ってくるなら紅茶にするか。紅茶、向こうにいた時みたいに上手く淹れられなくなってしまったけど、ルード様に温度指定してお湯を出してもらったら少しはおいしくなるかな。
「母御は元気そうだったな。安心したか」
「はい。母のことだけは気掛かりだったのでホッとしました」
離宮で暮らし始めたばかりの頃、わたしは残してきた母と仕事の心配ばかりしていた。ルード様はそのことをよく知っているもんね。
わたしが頷いて答えると、ルード様が少し居住まいを正し、わたしの目をじっと見ながら訊ねた。
「お前が気に掛けていた母御は無事だった。それに仕事も辞めたと言ったな。こちらの世界でのお前の心残りはもう解消しているのか?」
「はい、おかげさまで。……ただ、それは良かったんですけど、安心したらしたで今度は、だったらもうここに留まる理由はない、魔族国に戻りたい、なんて思ってしまって。勝手ですよね、ははは」
ルード様に訊かれ、こちらへ戻ってきた頃の情けない自分を思い出す。置き石のペンダントを握りしめながら泣いてばかりいたっけ。
アラサーのくせにまったく情けない。恥ずかしさのあまり、つい笑って誤魔化してしまうのも情けないけど。
そんなわたしに、ルード様がさらっと爆弾発言を投下した。
「ならば、スミレ。私と共に魔族国へ戻るか?」
「……は? 戻れる、んですか?」
「戻る手段は用意してある」
水晶球で泣いてばかりいる姿を見てわたしのところへ行こうと決意したルード様は、渡った先でそのままわたしと暮らすつもりで来たという。
ただし、そこで暮らすより魔族国で暮らす方が良いのであれば連れ帰ろう。そう考えて、あらかじめ城に納品した『戻り石』でもうひと組魔術具を作り、置き石を向こうの世界に置いてきたらしい。
突然夢みたいな話を聞かされて、驚きのあまり言葉が出ない。
あくまでも理論上の話で、実際にやってみなければわからないが、とルード様は話を続ける。
無事に戻れる可能性は五分五分。魔王として君臨した彼はあちらの世界の理なら概ね把握しているけれど、ここは未知の世界だ。
ネトゲ仕様もそれなりに活用しているとはいえ根本原理を理解しているわけではない。絶対大丈夫なんて保証はできない。
「それでも『戻り石』を改造したこの魔術具でここへ渡って来たのだ。同じ原理で帰れる可能性はある。スミレ、お前はどうしたい?」
もし駄目だったらここで共に暮らせばいいと、何てことなさそうに言うルード様に、わたしは大声で即答してしまった。
そんなの、答えは決まってるよ!
「帰りたい。戻れるならわたし、帰りたいです!」
母は新しい生活を楽しんでいる。何なら第二の人生でも始まりそうな勢いだ。
仕事も円満に辞められた。プロジェクトはサブリーダーが率いていくだろう。
心配事はなくなった。もうこの世界に思い残すことはない。
未練なら、むしろ向こうの世界にたんまりある。
きっぱり答えるわたしに、ルード様は笑顔で言った。
「そうか。ならば共に帰ろう」
「はいっ! あ、じゃあ母が戻ってきたら、向こうに帰ること伝えてもいいですか?」
この際だ。母に全部話してしまおう。
わたしが異世界に召喚され、一年以上過ごしていたこと。
突然元の世界へ戻され、目が覚めたらICUにいたこと。
ルード様や魔族の皆がいるあの世界に、ずっとずっと戻りたかったこと。
異世界召喚を信じるかどうかは別としても、母は肝の太い人だからたぶん好きにしなさいと送り出してくれると思う。
それに。
「できればルード様のこともちゃんと紹介したいんです。元魔王で、向こうの世界でわたしの面倒を見て、ずっと守ってくれた人なんだって」
「構わぬが……。あまり母御を驚かせぬようにな」
「わかりました」
取り急ぎ、母に開示していい情報と伏せる情報を確認し合う。
説明に必要な異世界や魔族国のことはある程度伝え、聖女やネトゲなどの余分な情報は伏せると決まった。
そこへケーキ屋の箱を手に母が戻ってきた。いそいそと箱の中身を取り出しながら、上機嫌でルード様に話し掛けている。
「適当に買ってきてしまったけど、ルードヴィグさんは甘いもの大丈夫かしら。苦手じゃないかちゃんと聞いておくんだったと、ケーキ屋に着いてから気付いたのよねぇ」
紅茶を淹れつつ、ケーキを分ける。ルード様はフルーツがたくさん載ったタルトを選んだ。向こうは果物5種類しかないもんね、珍しいよね。
とりあえず三人で食べ始めてから、改めて母にルード様を紹介した。
「お母さん、あのね、こちらルードビク……ルードヴィク、あれ? ヴィ、グ」
「はいはい、ルードヴィグさんね。それで?」
なんで母は初めて聞いたルード様の名前をスラッと口にできるのか。言いにくくないの? わたしすんなりフルネーム言えたことないのに。
なんか負けた気がして悔しいけど、今はそんなことを気にしている場合じゃないのだ。
「わたしね、一年と二か月くらい異世界に行っててさ。庇護してくれたのが魔王のルード様だったの。ルード様にはすごく良くしてもらって、住む場所や教育、仕事関係とか本当にお世話になったんだ」
「ルード様って呼んでるの? 変わってるわね……って、今、王って言った?」
「魔王だよ。ま・お・う」
「当時の話だ。スミレの下へ行くために譲位してきた。今は何の役職にも就いておらぬ」
「譲位!? ということは元王様……? それで様付きで呼んで……えっ? こ、この子のために譲位したんですか!?」
「そうだが」
「まああ~~~~ッ!!!」
ちょっと待って。これ絶対話通じてない。
玉の輿とかそういう話じゃないからね。この世界のフォーマットが当てはまらない世界の話なんだってば!
母に異世界や魔王の説明をするのはとても大変だった。
異世界転生とか召喚とかって、だいぶ普及した気がしてたけど、縁がない人はまだまだ全然知らないんだね……。
「つまり、あんたはこの世界とは違う世界で一年ちょっと暮らしていた、と。雑貨屋で生計を立てていけるよう、ルードヴィグさんはじめ、魔族の皆さんが面倒を見て下さったのね?」
「うん。まあ、簡単に言うとそんな感じ」
「それはそれは……。ルードヴィグさん、娘が大変お世話になりました。ありがとうございます。すみれ、あんたも大変だったわねぇ」
「あっさり言うけど……。今の話、信じるの?」
「信じるわよ。一年以上雑貨屋の仕事してて、もうすっかりそっちに情熱が移ったんでしょ? そうよねぇ~。そうでなきゃ男っ気なしで仕事に情熱燃やしてたあんたが、あんなにあっさり会社を辞めるわけないもの。変だ変だと思ってたのよ~。今の話聞いてものすごく腑に落ちたわ」
うんうんと一人頷きながら母は力強く断言した。
信じてもらえたのはものすごく嬉しいけど、残念な日頃の行いのせいかと思うとなんか微妙な気分だな……。
若干ふてくされてたら、母がふっと優しい顔で言った。
「泣いてばっかりで、しかも理由が失恋だなんて。全然恋愛に関心なかったくせにそんなわけあるかって思ってたけど。ルードヴィグさんが現れた途端、太ってむくんで吹き出物だらけだったのがどこかに吹き飛んでしまって。あんた、よっぽどこの方のことが好きで、離れて辛かったのねぇ。追って来てくださって本当によかったわね~」
母の言葉に思わず泣きそうになった。
でもごめん。肥満と肌荒れが治ったのは愛の成せるわざじゃなく、単に回復魔術のおかげなんだ……。
うう、感動の場面なのに締まらない……ッ!
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