262話 現実逃避な日々
脳内での再現料理チャレンジに楽しみを見出したわたしは、それ以来すっかりハマッてしまってアレコレとメニューを考えている。
向こうの世界の少ない食材でどんな料理を生み出すか。お好み焼きを作った時の苦労を踏まえつつ、ネットでいろんなレシピを見ながら考える。
メニューを増やす方向ならやっぱり小麦粉を使う料理が一番手堅い。
汎用性が高そうなのはパスタ。シチューやスープをソースに転用すれば簡単にバリエーションを増やせるしパンとも合う。小麦粉の種類や配分はいろいろあるらしいから、そのあたりは本職の料理人に開発を頑張ってもらうとして。
重曹があれば中華麺もいけそうだ。魔族の料理はブイヨンを多用するからスープストックは問題ないし魚介類のスープもある。十分ラーメンっぽいのが作れるだろうし焼きそばもできそう。
パスタ料理もラーメンも既存の料理のグラフィックに置き換わるだろうけど、さすがにもうお好み焼きを作った時のようにいちいち凹んだりしない。むしろ見た目で抵抗感を持たれる可能性が減る分、却っていい気がする。
食材はOKとして、あとは魔族の料理人に教えられるようにわたしが作り方を習得できるかどうかだ。
生パスタや中華麺って素人でも作れるのかなと検索してみたら、案外いけるらしい。動画も上がっているしレッスン教室もいくつかある。空想にリアリティを加えるためにも、一度教室に行って実際に作ってみようか。
動画を見た感じだとやはりそれなりに力がいりそうで、おいしく作るとなるとそこがネックになりそうだけど。
魔族国で生パスタや中華麺を開発するなら、まずはノイマンの食堂の三人に相談するのが無難かな。
『へえ~、小麦粉練って茹でるのか。いろんな形があるんだな』
『ソースがよく絡むし、食べ堪えもあっていいわね』
『でもアタシたちの腕力だとこの生地を打つのはちょっとキツくない?』
獣人族のエルサとリーリャはわたしよりは力があるけど、兎系だからそこまで力持ちってわけじゃないんだよね。
じゃあ、熊系獣人族でパン生地を捏ね慣れてるマッツがいいかな?
『小麦粉を練るのは確かに慣れておるが、わしはパンが専門じゃからのう。発酵ならともかく、茹でるっちゅうのやコシ?とやらはよくわからんなぁ』
マッツは新しいパンのアイディアは貪欲に求めていたけど、パン以外に関心を持つかはちょっと微妙だ。パスタや麺という魔族国にはない新しい食材の開発となると、誰が向いているのか想像がつかない。
ああ、グルメな魔人族なら関心を持ちそうな気がする。それなら調理器具専門の道具屋のラウルに相談を持ち掛けてみようか。
『へえ~、新しい食材か。調理してみたいな。板の上で小麦粉を練って、棒で伸ばして……お、あの道具が使えそうだ。試してみるか』
うんうん、ラウルならたぶん作りたがると思う。それにパスタや麺を打つのによさそうな道具も見繕ってくれそう!
ラウルは料理を作るのも食べるのも好きだけど、客に食べさせることには関心がないから料理人の道を選ばなかったと言っていた。
でも料理人たちとは広範囲に交流してるらしいし、調整力の高い魔人族だから適した人を紹介してもらえるかも。
そんなことを考えて、我ながらいいアイディアだと悦に入ってはニヤニヤしている。本当に会話しているかのように魔族たちとのやり取りを脳内で具体的に思い浮かべるのが楽しい。
向こうの世界に戻れない以上虚しい行為だとわかっているけど、魔族の皆が身近にいるように感じられるからやめられないでいる。
興が乗りすぎた結果、一人笑ったり独り言が増えたりしてるっぽいのがちょっとネックだけど。
先日、そんな様子をうっかり母に見られてしまった。
ちょうどわたしがパスタや中華麺を作ったらヴィオラ会議のメンバーはどんな反応をするかと考えていた時で。
日本食アイテムの『ラーメン』が大好きな魔王はきっと大喜びするだろうし、逆に、麺の見た目を忌諱していたクランツは嫌がるだろう。
『この麺があれば魔族の料理人もラーメンを作れるのか! 素晴らしい。毎日食べてもいいか?』
『どう見ても食材に見えないんですが。まあ、私の前に出さないでくれるなら、好きに開発したらよいのでは?』
魔王は普段の気だるそうな雰囲気もどこかへ飛んでいきそうだし、クランツはものすごく嫌そうな顔をして皮肉を言いそうな気がする。
そうやって両者の反応を思い浮かべて笑っているところを見られたらしい。それ以来どうもマジで心配されているようで、母の来宅頻度が上がっている。
わざわざ食材を持ち込んで、わたしの好物の煮込みハンバーグを作ってくれたりとか。ばっちりチーズ乗せな上に、孫のキャラ弁作りで鍛えたのか飾り付けがすごい。しかも「見た目もご馳走だからね」と懐かしい口癖を聞いてまた泣いた。
どう見ても情緒不安定だよ。ごめんねお母さん、心配かけて。
本当のことを説明できればいいんだけど、それも難しいし。脳波が異常な今、異世界から戻ってきたなんて言ったら、本気で頭がおかしくなったと思われてしまいそうで怖い。
向こうに召喚された時は、事情を知る魔族たちが寄り添ってくれた。でもここではそうはいかない。
わかってたことだけど、改めて孤独だなと思った。
そんな有り様なので、料理を習いに行くと言ったら母はとても喜んだ。ようやく前向きになってきたと思ったのか、少し安心したらしい。
残念ながら現実逃避は続行中で、脳内の魔族とのやり取りにリアリティを添えたいという動機なのが非常に申し訳ないんだけども。
料理教室は手打ち麺のレッスンと手打ちパスタのレッスンを申し込んだ。前者は空きがあったので翌日受講、後者は来週だ。
手打ちの中華麺は意外とすんなり作れた。レッスン時間の都合で生地は寝かさなかったけど、出来上がった麺で作ったラーメンは普通においしくてびっくりだ。
でも、一人でもちゃんと麺を打てるかというと正直自信がない。こういう時、ネトゲ仕様の機能があれば後で動画で見返せるのになとつい思ってしまう。
料理教室の帰り、通りがかった酒屋のポスターに蜂蜜酒の文字を見つけた。速攻で購入したのはいいけど、欲張って店頭にあった瓶入り3種類を全部買ってしまったので重い。どこでもストレージがあれば買い物も楽なのに。
料理が完成した瞬間既存のグラフィックに置き換わる仕様は不満だったけど、ネトゲ仕様は本当に便利だったなと懐かしく思う。
家に着いたらさっそくミードの栓を開けてみた。お店の人には冷やして飲むとおいしいと言われたので、甘口タイプとスパークリングタイプは冷蔵庫に入れる。
でも魔族国では常温で飲んでいたから、とりあえず一本はこのまま常温で飲んでみよう。辛口タイプならそうしつこい後味にはならないと思う。
ひと口飲んでみたら、思ったとおりすっきりした風味でおいしい。もともとこちらの世界ではミードを飲んだことがなかったから、わたしにとってこのお酒は異世界のものという感じだ。
魔族はこれが大好きなんだよなぁ。御礼やおまけに手渡すと喜ばれたっけ。久しぶりに味わえて嬉しい。懐かしい。
ただ、思ったよりアルコール度が高かったようで、口当たりがいいからとぐいぐい飲んでいたわたしはあっという間に酔っぱらってしまった。
ほわほわした頭で今日受けてきた中華麺のレッスンのことを考える。
せっかく学んだんだから、忘れてしまう前にまた作ってみよう。今度母が来た時に振る舞ったら喜ぶだろうし。
魔王にも食べさせてあげたいな。ラーメンが大好きだったから。
HPゼロになるその日まで、毎日いろんなネトゲアイテムを買えるだけ買って置いてきた。日本食アイテムもかなりあったと思う。
でもわたしがこちらへ戻って来てからもうひと月経った。向こうの世界ではたぶん十年近く経っていると思う。さすがにもう食べ尽くしてしまっただろう。
作ってあげられたらいいな。うん、やっぱ中華麺作れるようにならなきゃ。明日にでもまた作って練習しよっと。
それにしてもだいぶ酔ってしまったみたいで体がだるい。そろそろ片付けようと立ち上がったら、急に目の前が真っ暗になった。立ち眩みかと、とりあえず大人しくしゃがみ込む。
脳波が異常なままだから、めまいや立ち眩みには気を付けるよう医者に言われているのでね。
「どうした。具合でも悪いのか?」
うん、魔王ならそう言って心配してくれるだろうな。
大丈夫ですよ、ルード様。ちょっと立ち眩みっぽかっただけですから。酔ってますしね。へへへ。
脳内で魔王に答えてみる。
わたしの脳内会話のレベルが上がったのか、やけに声がリアルだ。
「おい、スミレ。……ん、酔っているのか?」
目の前の黒がフッと取り除かれたと思ったら、顎をくいと持ち上げられる。
自然に上がった視線の先、目に入ったその人は────
「え、ルード様……?」
「そうだ」
「……う~わ~、現実逃避もここまで来たかー。さすがにやばいわ~。マジでリアル。本物みたい。あはは、すごーい」
「やはり酔っているな。何を飲んだ……これか。ほう、この世界にもミードがあるのだな。ネトゲアイテムのミードとは別物のようだが」
「そうなんですよ~。冷蔵庫に冷えたヤツ二本ありますけど、ルード様も飲んでみます……か……って、え?」
本物の魔王が目の前にいるように見える。でも、なんかこの魔王、わたしの頭のあたりに気を取られてるような……。
手を伸ばしてきたから頭撫でられるかと思ったらそうじゃないらしい。なんだ、本物じゃないのか。
酔いすぎたかな。それとも本当に脳波が異常で幻覚的なものが見えてるとか?
「これが例の……状態異常……なるほど、『酩酊』もあるな。スミレ、回復魔術で状態異常を解くぞ」
「へっ? ふあっ!?」
いきなり頭と体がすっきりして。でも目の前の人の存在に混乱している。
魔王がいる。
会いたくて、会いたかった魔王が、目の前に。
「久しぶりすぎて私の顔を見忘れたのか?」
そう言いながら、頭をくしゃりと撫でられた。
この声。この感触。
「……ルード様」
「ああ」
「ルード様」
「うむ」
蛇口をひねったかのように目から溢れる涙を魔王が指で拭う。
「お前がずっと泣いたままだから来た。遅くなってすまぬ」
本物だ。
魔王が来てくれた。
わたしは魔王の胸に飛び込むと、嗚咽で声にならない声で彼の名を呼び続けた。
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