261話 飽食の日々
絶望していてもお腹は減る。
魔族国の料理はおいしくて味には十分満足していたけど、メニューが少ないから日本の食生活と比べるとかなり単調だった。
たぶんネトゲのデータ量の関係だろうから仕方ない。固定グラフィックの制限もあったし、そもそも食材の種類自体が圧倒的に少なかった。
そういう世界から、望んでなかったこととはいえ、おいしいものが巷に溢れるこちらの世界に戻ってきてしまった。
だったらせめて、思う存分おいしいものを食べて自分を慰めたい。
そんなわけで、退院した日からわたしは食欲の赴くまま食べ歩きをしている。
戻ってきて最初に食べたのは、当たり前だけど病院の食事。煮物や煮魚が出てすごく嬉しかったけど、やはり病院食だからかどこか物足りなくて、残念ながら感動するほどではなかった。
そこで、退院したその足で近くの割烹料理店へ行き、そこで思う存分和食を堪能した。刺身、天ぷら、小鉢に茶碗蒸し。出汁がきいててどれもおいしい。季節の食材がふんだんに使われていて、盛り付けや器もとてもきれいだ。
なんと言っても野菜の種類が多いのが嬉しい。向こうの世界では野菜は葉物と根菜類を中心に9種類しかなかった。大根、ナス、カボチャ、ブロッコリー等々、食べたい野菜がたくさんある。
泣きそうになりつつ、しみじみと染み入るおいしさを味わった。ずっと洋風の肉料理中心の食生活だったから、やっぱり和食に飢えていたんだな。だけど、なんかまだ物足りない気持ちが残る。
物足りなさを埋めようとコンビニへ寄った。
チョコレートやスナック菓子、バニラ以外のアイスやプリンなどを手当たり次第買う。向こうの世界は店で扱う食料品や食堂のメニューも限られていたから、豊富な品揃えに眩暈がしそうだ。
チョコは向こうではまったく口にできてなかったので、店を出てすぐパッケージを開けて口に放り込む。
くうっ、この口溶け……! コクのある甘味とほのかな苦味、それに甘美な芳香が脳にクる。何という暴力的なおいしさ。これはもう官能と呼んでいいんじゃないだろうか。ヤバイ、語彙が死ぬ。
久々に触れる故郷の食と食文化に深い感動を覚える。
なのに、何かまだ満たされない気持ちがどこかにあって。
わたしはおいしいものが好きだ。「おいしい」のパワーを信じている。
クランツの「君は本当にブレませんね」と呆れた声が聞こえてきそうだけど本気でそう思っている。
ひと口頬張るだけで生きる気力が湧く。手軽で手っ取り早いところもいい。「おいしい」は幸福感を与えてくれる。そう思っていた。
異世界から不意に戻ってきてしまった自分の中の虚無を少しでも埋めたい。それにはおいしいものを食べるのが一番手っ取り早いと思っていたのに。
何なんだろう、この満たされなさは。
それならばと、食べ歩きついでにウインドウショッピングを楽しんでみる。
とりあえず新しい服でも買いに行こう。向こうではだぶっとしたマキシ丈のワンピースのようなシネーラとブーツというスタイルだったから、ミニスカートなんかどうだろう。
お出掛けもカジュアルなスタイルで。デニムと素足にサンダルは気楽でいい。
街の店には豊富な種類の品々が並んでいて、見ているだけで楽しい。向こうではウインドウショッピングは諦めてたもんなぁ。まあ、服飾関係は少しマシだったけど。
ネットも含めれば商品の選択肢は無尽蔵と言える。選択肢の多さは豊かさの証。こちらの世界は本当に豊かだ。
帰宅後はパソコンでのんびりと動画視聴。音楽を聴きながらお風呂に入ったり、スマホでマンガを読んだりする。
久々に触れる娯楽はやっぱり楽しい。魔族国では娯楽は読書くらいしかなくて、シーグバーンがあっち向いてホイに夢中になるほど娯楽が少なかった。
だけど、ちょっと視聴覚への刺激が強いというか脳への情報過多というか、すぐに目や頭が疲れてしまう。久しぶりだからか、それともアラサーだからか……。
でも今はボーッとしてるとすぐ魔族の皆のことを思い出して悲しくなるから、なるべく何かしていたい。
コンビニで買ってきたお菓子を摘まみながらせっせと暇つぶし。
指先を少し動かすだけで、候補は次から次へと無限に出てきてくれる。睡魔に負けるまでエンドレス。
起きたらまた食べ歩きへ出掛けよう。魔族国のメニューになかった料理はまだまだたくさんある。
丼物は制覇しなくちゃね。牛丼、かつ丼、天丼、親子丼、うな丼、海鮮丼。
それから麺類。パスタにうどん、そば。麺類は日本食アイテムの『ラーメン』以外に一切なかったから楽しみだ。
お寿司も食べたいし、中華もだ。餃子に春巻き、エビチリやニラレバ。酢豚に八宝菜、それから麻婆豆腐も!
魔族国でも肉料理のメニューは結構充実してたけど、しゃぶしゃぶやすき焼きはなかったからそれも食べたいな。
そんな感じで食べたいものを食べてブラブラゴロゴロして過ごしていたら、当たり前だけど太った。服がどれもこれもきつい。
時々食べ過ぎで胸焼けして苦しくなったりしたし、数日前から顔に吹き出物ができている。未だに満たされない感が続いているというのに、これじゃ食べ歩きはマイナス要素の方が勝ってしまう。
「ちょっとすみれ、あんた太ったんじゃない? なんだかむくんでるし、やけにメイクが派手になってるけど、もしかして不健康そうなのをカバーしてるつもり?」
最近おしゃれになって若々しくなった母からビジュアルにダメ出しされた。
メイクはスティーグに教わって以来ずっと魔族の地味メイクをしてきたので、何となく続けてしまっていた。これでも魔族的には地味メイクなんだよ!と言いたいけど言えない。
太ったのと不健康そうなのは自分でも気にはなっていた。実は数日前、退職の挨拶と私物の回収を兼ねて会社へ行った時も、物言いたげな視線を何度か感じたんだよね……。
さすがに不味いかもと体重計を引っ張り出して乗ってみたら、なんと平常時の体重から5キロも増えていた! 退院してからまだ二週間しか経ってないのに!?
考えてみれば、単に食べ歩きするだけでなく、テイクアウトやコンビニやベーカリーでもいろいろ買い込んで好きなだけ食べていた。太って当たり前だ。
だけど、向こうの世界なら魔術か薬で「肥満」の状態異常を解消すれば済む話なんだもの。全然気にしてなかったというか、気にする必要があるということすら忘れていたよ……。
ショックのあまり、速攻で外食をやめて自炊を始める。
でも、とりあえずオムレツを作ってみたら酷い出来で。ずっと『作業用手袋』してダッチオーブンで作っていたからか、フライパンは軽すぎてうまく返せない。
グラフィックが固定だったから多少失敗しても完成すればきれいな見た目になったのに、この世界では当たり前だけど下手に作れば不細工な見た目のままだ。
テンションが下がっていたところへ、今度はトースターに放り込んでいた食パンが焦げた。火加減はいつもひーちゃんとみーちゃんに任せっぱなしだったから気付かなかった。
向こうの世界では魔力がなくなると同時に精霊の姿が見えなくなったけど、契約は切れてないらしいことが精霊薬の調合時に判明していた。姿が見えなくても精霊たちはわたしの傍にいて力を貸してくれていたのに。
この世界に戻った以上、きっとその繋がりも切れてしまったんだろうな……。
自炊を再開して他にも気付いた。紅茶がおいしく淹れられない。
茶葉が違うからとかじゃなく、お茶を淹れるのに使っていた魔術具がないからだと思う。茶器温め用の魔術具はともかく、湯沸かしの魔術具と魔砂時計がないと適温と蒸らし時間がわからない。冒険者の常連客に振る舞って喜ばれるくらいの腕前になったと思っていたけど、単に魔術具のおかげで実力じゃなかったのか。
そして洗い物が面倒くさい。いや、洗い物だけじゃなく水仕事全般が面倒だ。
特に掃除は、久しぶりにあの嫌な水場のヌメヌメと闘ってうんざりした。ウォッシュが恋しい。家全体を管理する魔術具があれば一瞬で家の中がきれいになったのに。掃除ってこんなに大変だったかな。
ストッキングを買う時、デニールの表記を値段だと思って、めちゃくちゃ安い!と一瞬驚いた。すぐに勘違いに気付いたけど、魔族国の通貨単位がデニールと聞いて何度も笑いそうになっていたのを思い出した。今となってはただ懐かしくて寂しい。
なんかもう、人恋しさだけじゃなく魔族国での暮らしまでが恋しくて堪らない。
これじゃまるでホームシックだ。もともと住んでいた世界に戻ってきたはずなのに、向こうの世界の方が懐かしいなんて。一体どっちがホームなんだか。
というか、わたしのホームは完全に向こうに移ってしまっていたんだろう。そうなろうと努めていたんだから本来なら大成功だ。なのにいきなり予想に反してこちらへ戻ってしまったものだから、心も体も急激な変化についていけずに悲鳴を上げている。
異世界転移は経験済みなんだから今回も何とかなるでしょ、頑張りなよ。そう叱咤しても頑張れない。
もう戻れないところへ想いを残してもつらいだけ。結局最後は諦めるしかないってことも、二度目だからもうわかってる。
だけど、こんな理不尽な目に遭ってるんだから、なんか少しくらい補償してくれたっていいじゃん。
愚痴ばっかり垂れたくない。不毛だし建設的じゃない。だけどもう疲れたよ。
いい加減涙も枯れそうなものなのに、まだ出てくるのか。でももう拭う気力もない……。
泣いて寝て、起きたらお腹が空いている。
何度絶望してもお腹は減るんだ。
朝食を作る。手抜きでツナマヨトースト。これじゃ痩せっこないよなと自嘲しつつ頬張る。
もぐもぐしながら、ふと気付いた。
これ、向こうの世界でも再現できたのでは?
今更気付いてがっくりきた。『魚(赤身)』と『マヨネーズ』があったんだから、ツナマヨ普及してくれば良かったよ。ミルドとか絶対好きそうなのに!
くだらないけど、ちょっと笑えた。こういうの、案外悪くないかも。
こちらの料理を向こうの世界で再現できるかな。何なら向こうの食材で作れるだろう。食べたら皆喜ぶかな、なんて考えるのは意外と楽しい。
脳内で空想を繰り広げる。
オーグレーン荘3号室のキッチンで、精霊たちに手伝ってもらいながら再現料理にチャレンジだ。
現実逃避だっていい。
どうせ向こうの世界のことを思い出してしまうなら、せめて楽しいことを考えたい。
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