260話 異世界から戻ってきたわたし
最終章スタートです。
(作品情報にハッピーエンドタグ追加したつもりがついてなかった!修正しました汗)
佐々木すみれ。32歳、会社員。独身。
聖女として召喚された異世界で魔王族のスミレとなり、雑貨屋として過ごすうちに33歳に。最終的に役職は聖女から元聖女へ、HPゼロでゲームエンドという波乱万丈な人生を終えたはずだった。
なのに、目が覚めれば何故か元の世界へ戻っていて、ステータスも元どおり。
いや、ネトゲのステータス画面が見れなくなった今はもう確認のしようがないのだけれど。
イスフェルトへ召喚される直前、確かわたしは会社の資料室にいた。
明日は自分がリーダーを務めるプロジェクトの進退が掛かった重要なプレゼンがある。絶対に成功させたくて、最終的なリハーサルをする会議室へ向かう途中で補足資料を取りに資料室へ立ち寄り、その場で召喚されてしまった。
わたしはその資料室の本棚の間で倒れていたらしい。会議室に現れないわたしを探しに来た後輩に発見された時は意識がなく、すぐに救急搬送されたそうだ。
意識不明のまま三日間ICU。
目を覚まし、元の世界へ戻っていることに気付いたわたしは号泣した。
嬉しかったんじゃない。絶望したからだ。
どうして元の世界に戻ってるの?
おかしいよ。だってイスフェルト王の目の前で自裁した時は確かに聖女召喚の魔法陣の上にリスポーンした。それはつまり、わたしは死んでも元の世界へ戻れなくなっていたということで。
暴力をもって四方の騎士が行った聖女をあの世界に固定するための術式は、あの時点では間違いなく成立していたはず。なのにどうして。
思い当たるのは聖女召喚の魔法陣を破壊したことくらいか。リスポーン地点が消滅したせいで死んだわたしの行き先がなくなり、最初の地点へ戻されたとか?
それとも聖地を癒して魔素の循環異常を解消したせい?
全然わからないよ。
『四素再生』の後、残りひと月の命とわかった時も絶望した。それでも何とか持ち直したのは、この苦しみもあとひと月で終わると思ったからだ。それくらいなら耐えられる、あの時はそう思った。
なのに、死んでない。わたしの人生はまだまだ続くらしい。
思い出すこともなくなった、とうに諦めた元の世界で。愛しい人たちや大切な仕事をすべて失った状態で。
そりゃ絶望するでしょ。
魔族の皆に会いたい。寂しい、悲しい、やり切れない。そして怒り。こんなエンディングありかよ。なんだこのクソゲー。
何よりもわたしを苛んだのは、こんなことなら魔王に告白しておけばよかったという後悔の念だ。
すぐ死ぬから相手に負担をかけるだけ。それでも魔王ならきっと、恋愛感情を受け入れるのは無理でも、わたしの想いを受け止めるくらいはしてくれただろうに。
この先もまだまだ生きると知っていたら、せめて想いを伝えて恋心を昇華させておきたかった。でなければ想いが重くて前へなんて進めやしない。
号泣するわたしは鎮静剤を投与されたらしい。再び目覚めた時は病院の個室で、母が付き添っていた。
元気そうな母の顔を見てまた泣いた。良かった、母のことだけは気掛かりだったから。
父が亡くなったあと兄一家と暮らしていた母は、兄の海外転勤が決まった時、兄一家についていかず一人日本に残り老人施設に入ると決めた。
高血圧で通院してるし、兄の赴任が二年と短めなこともあり、それくらいの期間ならと決断したらしい。
まだそういう施設に入る年齢じゃない、早すぎるんじゃ?と思って、一人暮らしが不安ならわたしと同居しないかと声を掛けたところ、あっさり断られた。
「あんたが男の人を連れ込めなくなるでしょ。機会があるかどうかは別としても、こっちも気を遣うじゃない。今更結婚を急かすつもりはないけど、同居してたら口も出したくなるだろうし、お互い精神衛生上よろしくないわ。二年間の体験入居と思えばいいのよ。先々のためにも一度経験しておきたいと思ってたしね」
ごもっともな意見に返す言葉もない。
ただ、兄と義姉が心配するので、何かあってもすぐに駆け付けられるよう、せめてわたしの住む地域にある施設に入居してもらった。幸いなことに見学に行った時の印象はかなり良かったらしい。
そして母の入居が完了し、週末に顔を見に行こうと思っていた矢先のことだったのだ。わたしの異世界召喚は。
病室が個室へ移ってから諸々の検査が行われた。だいぶいろんな検査をしたらしいのだけど、ずっと泣いていたのであまり覚えていない。
検査結果が出て医者から聞かされたのは、体に悪いところはないが脳波にかなりの異常が見られるとのこと。
病院に運び込まれた当初から脳波に異常があり、原因を追究するためにかなりいろんなところを検査したものの、原因の特定には至らなかったらしい。
一週間入院して経過観察。何もなければ退院して自宅療養でひと月経過観察と決まった。
「あんた、会社で何かあったの?」
さすがに号泣は収まったけど、それでもすぐにあの異世界のことが思い出されて泣けてくる。はらはらと涙をこぼすわたしを見かねてか、母がそう訊ねた。
泣き虫な性分でもなく、恋愛もせず嬉々として仕事に熱中していたわたしがこんなに泣いてばかりいるのはおかしいと思ったらしい。
「会社は関係ないよ。ただちょっと、失恋しただけ」
そう言ったけど、母は信じていないようだった。以前の自分を言動を思えば、恋愛と縁遠かった娘が何を言うという顔をされても仕方ない。
課長とプロジェクトのサブリーダーをしていた同僚が見舞いに来てくれた。
随分と心配させてしまったものの、プレゼンは無事成功。プロジェクトも正式にGOサインが出たと聞いてホッとする。
取り返しのつかない迷惑を掛けずに済んで本当によかった。肩の荷を下ろした思いで、二人に退職の意思を伝える。脳波の異常を理由に、健康に不安があるのでなるべく早く辞めたいと告げた。
一年間の雑貨屋経営の記憶が鮮烈な今、元の職場へ戻っても以前のような情熱を持って仕事できるとは思えない。
それに、召喚された資料室のある建物内で平静に過ごすなんて無理だ。自分で破壊したはずの聖女召喚の魔法陣が再び現れないかと、起こるはずのない現象を待ちわびそうで嫌だった。
会社から離れて、しばらく一人になりたい。
プロジェクトはプレゼンを成功させたサブリーダーが率いていくだろうし、普通に受理されて退職と思っていたら、翌日課長だけでなく部長まで来た。
何でも、プロジェクトが正式に発足すればリーダーのわたしは昇進する予定だったそうで、本日付で辞令が出たらしい。退職金はその役職で計算、ボーナスが支給される十日後を待ってから退職してはどうかと提案された。
わたしの希望どおり、最短で退職できるよう考えてくれたらしい。手厚い配慮に感謝を伝え、提案どおり手続きを進めてもらうことにした。
仕事中に倒れてるし、今も脳波に異常があるから、労災を避けたいという会社側の打算もあるんだろう。だけど、もらえる金額が増えるのは正直助かる。
しばらくは次の仕事のことなんて考えられそうにないもの。経済的な余裕を持てるのは本当にありがたい。
あんなに仕事にばかりかまけていたのに、あっさり退職を決めたわたしに母は何も言わなかった。
入院中、母は毎日入居した老人施設から病院まで様子を見に来てくれた。
母に何かあってもすぐに駆け付けられるようにと、わたしの住む地域の施設に入居してもらったはずなのに、速攻でわたしの方が世話になっていて申し訳ない。
新しく始まった生活についていろいろと話している母は、以前より少しおしゃれで若々しくなった気がする。
わたしがそう言うと母は満更でもなさそうな顔で頷いた。
「そうなのよ~。それなりに煩わしさもあるだろうと覚悟してたんだけど、意外なことに年の近い世代が周りにたくさんいる良さってものがあってね。孫たちと暮らすのも楽しいけど、おばあちゃんおばあちゃんって呼ばれてると本当におばあちゃんになってしまうんだと今回気付いたわ」
確かにそういうのはありそうだ。その点、今の施設では母がぶっちぎりで一番年下で、スタッフ以外の入居者は全員年上だ。新入りの末っ子扱いで、かわいがってもらっているらしい。
お年寄りにとっては、世話を焼いたり頼られたりするのは案外嬉しいことなのかもしれない。母は母で、久しぶりにかわいがられる側になって楽しそうだ。
しかもお年寄りたち、一向に枯れてないそうで……。
「何しろ一番若いもんだから、もうモテちゃってモテちゃって。もしかしたら第二の人生始まっちゃうかもね~」
高らかに笑いながら帰っていく母の姿を見て、何だかすごく安心した。兄一家が戻ってくるまでの二年間、楽しく暮らしそうだ。
母が心配ないならいい。仕事も支障なく辞められそうだし、もう思い残すことはない。
だから、ねえ。
わたしをあの異世界に戻してよ。
一週間経っても脳波は異常なまま、でもやっぱり体に悪いところは見当たらないので退院して自宅へ帰った。
白いバルボラに黒いヴィヴィを着て。
わたしは向こうの世界にいた時の姿のままこちらへ戻ってきたらしい。
不幸中の幸いか、白いバルボラに黒いヴィヴィというオフィスカジュアルっぽい格好だったので、倒れているわたしを見た会社の人たちも特に違和感を抱かなかったようだ。着ていたのがシネーラだったら誤魔化すのが大変だっただろう。
戻って来たわたしが身につけていたのはバルボラとヴィヴィだけじゃない。
魔王が作った『戻り石』の魔術具、置き石のペンダント。あれも首から下げたままだったようで、個室に移った時、備え付けのロッカーを開けたら畳まれたバルボラとヴィヴィの上にちょこんと載っていた。
それを見てわたしが号泣したのは言うまでもなく、それらを胸に抱えて大泣きしたのでまたしても鎮静剤の世話になったらしい。
それ以来、わたしは置き石のペンダントを常に身につけて、一人になるとすぐに手に握ってひたすら念じている。
ネトゲ仕様の機能を失ったわたしにはこのアイテムに効力が残っているかどうかはわからない。
だけどこれしか縋るものがなかった。
──ルード様。ルード様。
わたしはここです。早く迎えに来てください。
でも、魔王は現れなくて。
わたしが苦しんでいたら、いつもすぐに飛んできてくれたのに。
──ルード様。ピンチです。わたし毎日泣いてます。
寂しい、悲しい。つらくて苦しい。
もう本当に、心が死んでしまいそう。
あの異世界で過ごしたのは約一年と二か月。この世界でわたしが意識不明だったのは三日。
目覚めてからもう一週間。向こうではたぶん三年近く経っている。
魔王がそんなに長く泣いているわたしを放っておくはずがない。
つまり、この『戻り石』の魔術具は効力を失っているんだろう。
魔力のないこの世界ではどうしようもない。
久しぶりに帰った自宅で過ごす夜。
カーテンを開けて見上げた空には三日月が浮かんでいた。
──満月じゃない。
この世界では月は満ち欠けするから、別に普通のことだ。だけど。
不変は失われた。魔王は来ない。
わたしは床の上にうずくまり、置き石のペンダントを握りしめながら声をあげて泣き続けた。
いよいよ最終章です。楽しんでいただけたら嬉しいです。
つらい展開が続いてますが……追加したタグを信じて最後までお付き合いいただけますように!




