239話 竜人族部族長との会談
泣きながら思い切り胸の内を吐き出したら、気が済んだのか徐々に気持ちが落ち着いてきた。だけど、泣き止むと同時に今度は恥ずかしさと申し訳なさで胸がいっぱいになる。
こんなの、ただの懺悔じゃないか。謝罪と称してヒュランデルに伝えたところでわたしの罪悪感が軽くなるだけ。単なる自己満足に過ぎない。
第一、謝罪するなら聖女召喚の魔法陣が消失したと明かすことになる。重要機密だというのに、そんなの許されるわけがない。
本当に、何やってるんだわたしは……。
わたしが泣くのを見慣れている魔王たちは落ち着いていたけれど、竜人族部族長のアディエルソンは手を上げたり下げたり腰を浮かしたりと、落ち着かない様子でわたしを見ていた。
オーグレーン屋敷に駆け付けさせるわ、懺悔を聞かされるわ、初対面だというのに申し訳なさすぎる。
居たたまれなくて、涙と鼻水で悲惨なことになってそうな顔を手早くウォッシュすると、わたしは深々と頭を下げた。
「すみません。見苦しいところをお見せしてしまいました」
「いやいや、気にせんでいい。ヒュランデルのことがあったから気が昂っておるんじゃろうて」
眉を下げてハハハと笑う部族長に、感謝の気持ちを込めて再度頭を下げる。
やっぱり部族を率いる長は度量が大きい。挨拶を交わした時はあんなに厳めしい顔をしていたのに、優しいおじいちゃんなんだなぁ……。
しみじみと感動していたら、部族長が居ずまいを正した。何か真面目な話でもされるのかと、わたしもシャキッと背筋を伸ばす。
「先程お前さんは自分を責めておったが、どうも考え違いをしておるようじゃ。聖女召喚の魔法陣を破壊したことは罪ではない。ルードヴィグから説明されとらんのかね?」
「いえ、聞いています。聖女なしでも魔素の循環異常に対処できているので、聖女召喚の魔法陣がなくなったところでまったく問題ないと、亡命してきた時に言われました」
聖女を召喚できなくなっても魔族国が迷惑を被ることはないと知って、ものすごくホッとしたのを覚えている。
罪悪感を覚える必要はないと言われて安堵したまま今日まで過ごしてきた。だけど、今日ヒュランデルの話を聞いて、わたしは彼から聖女を取り上げたんだとはっきりと自覚した。自覚した以上、今までと同じ心持ちではいられない。
「……でも、わたしがこの世界の理を曲げてしまったのは事実なので」
「それは違う。理を曲げたのはあの地に聖女召喚の魔法陣を固定した聖女であり、歪な運用を続けたイスフェルトだ。お前の破壊行為は魔法陣の解放であって、我々はそれをお前の功績と認識している」
「へっ?」
魔王にきっぱりと否定されて気付く。
確かに諸悪の根源は最初に魔法陣を固定した聖女か。純粋に愛情からの行為だったのか利用されたのかは知らないけれど、いくら王の配偶者になったからって私情を交え過ぎだよ。
だけど、実際にアナイアレーションを叩きつけて魔法陣を消滅させたのはわたしだし……って、それはともかく、魔法陣の解放ってナニ? 功績って、どういうこと??
「我が国の抱える問題に触れるため、亡命したばかりのお前には伝えなかった。一年ほど間を置き、お前が本当にこの国で暮らす気なのか見てから話すつもりだったが……」
「あと十日足らずで一年経つだろう? 今話しちまったらどうだ」
「そうだな」
首を傾げるわたしに、国民証を付与した時に話しても良かったことだがと前置きしてから魔王が話し始めた。
聖女召喚の魔法陣とは、本来自然に出現し消滅するものだ。
魔素の循環異常が起こったエリアに現れて聖女を召喚し、魔素の循環異常が解消されると消えてなくなると伝わっていて、誰かの意図でどうこうできる存在ではない、そう思われていた。
それを覆し、後にイスフェルトとなる国に魔法陣を固定したのは当時の王の伴侶となった聖女だ。
ある時期から魔素の循環異常が起こっても一向に解消されなくなった。原因と対処法を究明する過程で人族の国が魔法陣を私物化していると判明する。秘かに調査を続けたが、魔法陣の固定化を解く方法は見つからなかった。
魔法陣を正常化する目途も立たず、人族エリアから魔族国へと動かすこともできない。破壊を試みる案も出たが、魔法陣は人族の城の地下神殿にあり固く守られていた。城だけ壊れて魔法陣が残れば有象無象が魔法陣に近付けるようになってしまう。それは不味いと、魔法陣の破壊は見送られる。
一度は人族を滅することも検討された。だが、魔素のないエリアを統治下に置いたところで魔族国には何の利益もないと、これも見送られた。
そうこうするうちに、魔素の循環異常は精霊の大量投下で癒すことができると判明した。魔法陣を私物化した国が威を振るっていたが、狭い人族エリアの中での争いがどうなろうと魔族には影響がないため看過される。
結果的に、聖女召喚の魔法陣の固定化状態は様子見のまま長く放置されることとなった。
「長年膠着状態にあった問題を、お前は魔法陣の破壊という形で解消したのだ。これを功績と言わずして何と言う。私がお前の望みを叶えるのはその功績に報いるためでもある。聖女召喚の魔法陣が魔素の循環異常に寄与しなくなって既に久しい。お前は機能不全の魔法陣を処分しただけだ。罪悪感など抱かずとも良い」
まさか、魔法陣を破壊したことが功績と認識されているとは思わなかった。
魔族国が長年抱えていた問題の解消に一役買った形になっていて、それがわたしへの好待遇に繋がっていたのか。
聖女の役割を拒否しているのに、どうしてこんなに良くしてもらえるのかずっと不思議だったけれど、ようやく腑に落ちた。
ただ、それでもまだ、聖女信奉者たちから聖女を取り上げたという思いは消えない。功績という評価とは別の話だと思ってしまう。
納得しきれないわたしの様子を見かねたのか、部族長が魔王の後に話を続けた。
「それにのぅ、魔法陣を私物化したイスフェルトが聖女を召喚しては魔力を搾取しておるという事実は、発覚当初から公にされず秘匿されておるのじゃ。明かせば間違いなく聖女を救えと憤りの声を上げる者が出るからのぅ」
ヒュランデルなどはその筆頭じゃろうと言って部族長は苦笑した。
竜人族のエリアには遥か昔に一度聖女が現れたことがあるらしい。言い伝えなどが残っているためか、ヒュランデルほどではないにしろ竜人族には聖女に親しみを覚える者が結構いるそうだ。
聖女召喚の魔法陣の現状が明らかになれば部族内が紛糾しかねない。そんな危惧を歴代の竜人族部族長は抱いてきた。その魔法陣が公になる前に消滅したことは、竜人族部族長のアディエルソンにとってはかなりの朗報だったという。
「魔法陣が固定化される遥か前から魔族国に聖女は現れておらぬ。魔法陣の在り処を知るのは部族長会議と少数の諜報部隊だけで、一般の魔族は存在すら知らぬ。知らぬものはないと同じじゃ。お前さんが破壊しておろうがおるまいが関係なかろうて。むしろ、知らぬままなら好きなだけ夢を見られよう。既にないという真実を知らせることは彼らから夢を奪うことになる。彼らにとってはどちらが幸せじゃろうなぁ?」
部族長にそこまで言われたらわたしも頷くしかなかった。わたしへの気遣いがあるにしても、彼の言うような一面も実際にあるんだろう。
わたしが変にこだわって自責の念に苛まれたって、誰も喜ばないどころか周囲に気を遣わせるだけか……。
これはもう呑み込んでしまって、自責の念は封印するしかないんだろう。自立した大人の魔族として振る舞うなら、きっとそれが正解だ。
わたしがわかりましたと答えたら、部族長はホッとしたように笑った。
「ともかく、聖女召喚の魔法陣を破壊したことはお前さんの功績じゃと部族長会議も認識しておる。何ならグニラに聞いてみるといい。親しいんじゃろう?」
「あっはい。今度お会いした時にお訊ねしてみます」
「まったく、あのばあさんから自慢話を聞かされて、わしも近いうちに面会を申し込もうと思うておったのに、初対面がこんな形になってしもうて……。頼むから、わしや竜人族に苦手意識なんぞ持たんでくれよ?」
大きな体を小さくして、しょんぼりと部族長が言う。
突然グニラの名前が出てきて驚いたが、一週間ほど前に開催された部族長会議の時にグニラからわたしと仲良くなったと自慢されたらしい。
自慢ってナニ……? スミレちゃん、グニラおばあちゃんと呼び合っていると自慢されたって、部族長会議で何をやってるんですか……。
「そこで相談なんじゃがな。さっきは謝罪中じゃったからお嬢さんと呼んだが、それでは何だかよそよそしい。手打ちを済ませた仲になったことじゃし、わしもスミレちゃんと呼んでもいいかのぅ?」
「えっ。あ、はい。どうぞ」
「ジジイが図々しくて申し訳ないんじゃが」
「いえそんな、全然平気です。というか、部族長に親し気に呼んでいただけるのは嬉しいです」
「そう言ってくれるかね! そ、それじゃあ、わしの呼び名じゃがの。こいつらはわしのことをアディ翁と呼びよるから、スミレちゃんには……その、アディおじいちゃんと呼んでもらえると嬉しいんじゃが」
「……長。いい加減調子乗りすぎ。アディおじいちゃん? 何言ってんの?」
「いいではないか! あのばあさんがグニラおばあちゃんと呼ばれとるなら、わしがアディおじいちゃんでもおかしくないじゃろう」
呼び名の話から何か変な流れになってきたなと思っていたら、部族長の隣に座っているカシュパルがいつの間にか少年っぽい笑みを浮かべて冷気を漂わせていた。
ひいぃ……。ヒュランデルも部族長も、カシュパルを怒らせすぎだよ……。
でも、部族長のお願いはちょっとおかしくて和んだし、気安い間柄になろうと気を遣ってくれたんだろうと思えば、その心遣いが嬉しかった。
今日は散々迷惑を掛けてしまったことだし、呼び名くらいで喜んでもらえるならお安い御用だ。
「では、アディおじいちゃんと呼ばせていただきますね。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」
「おお! こちらこそ、よろしく頼みますぞ!」
大喜びでブンブンと首を縦に振ると、もう遅いからと言って部族長……アディおじいちゃんは手を振りながら帰っていった。
スキップしているように見えた気がするんだけど、転移陣までその調子で行くんだろうか。お年寄りなのにあの大きな体ですごいな……。
竜人族は誇り高い部族だと以前カシュパルから聞いていたし、厳めしい風貌に威圧感を感じていたというのに、ほんの一時間くらいでだいぶイメージが変わってしまった。
「ハァ~ッ。竜人族やめたいって思ったの、初めてかも」
「お疲れ様でしたねぇ、カシュパル」
青い髪をかき上げながらカシュパルが天井を仰ぎ、呻くように呟く。そんな彼を同僚のスティーグが労っている。
突然の聖女バレから始まった長い夜は、ようやく幕を閉じた。
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