238話 足りない覚悟
自室へ戻り、ファンヌのお茶を飲んでいるうちに気持ちもだいぶ落ち着いた。
実験を放り出してきたというレイグラーフに、もう大丈夫だからと言って戻ってもらう。
録画と映写の魔術具の実験中だったそうで、何とわたしが魔石板に書いた文字を使って『録画』を起動するところまで辿り着いているらしい。まだ『再生』が起動できてないので本当に録画できているのか確認できてないらしいけど、ネトゲの機能をリアルで再現しつつあるなんて本当にすごいと思う。
こういう時にポジティブな話が聞けるのは嬉しい。おかげで笑顔でレイグラーフを見送れた。
レイグラーフが帰った後、入れ替わるようにしてブルーノがやって来た。少し緩んでいた気持ちが再び緊張を帯びる。
ブルーノにわたし専用の護身術を教えてもらう時、最初に言い渡された。魔術とは明らかに異なる魔法を行使し、それを誰かに見られた場合、城下町での一人暮らしは不可能になるものと思っておけ、と。
終了宣言と撤退命令が下される。そう思って体を固くしていたわたしに、ブルーノはいきなりデコピンしてきた。ふおっ痛い! 何でデコピン!?
「なに辛気臭い顔してるんだ。カシュパルが任せろと言ったんだろう? あいつが悪くはしないと言って引き受けたんなら、お前に負担が掛かることはねぇよ」
「……でも、聖女だってバレたんですよ? それに、魔法を見られたら城下町での一人暮らしはおしまいって、ブルーノさん前言ってたじゃないですか」
「時と場合による。問題がないなら継続でかまわん」
「えっ」
「ルードヴィグならそう言うだろ」
ブルーノは確信があるのか、何ということもなさそうにそう言った。そう言われると確かにそんな気もする。
一瞬ぶわっと喜びが胸に広がりかけたけど、すぐにしぼんだ。やっぱり駄目でしたとなったら落胆が倍じゃ済まなそうだし、あまり期待しないでおこう。
それに、ある事実に思い至った。もし今の暮らしの継続許可が出たとしても、手放しでは喜べない……。
そうこうしているうちに、スティーグから伝言が飛んできた。
竜人族部族長はオーグレーン屋敷へと向かったそうだが、対処を終えて戻ってきたらわたしに謝罪したいと面会を希望しているらしい。
「え、そんな、謝っていただく必要なんてないですよ。気にしないでいただきたいんですけど……無理でしょうか」
「そりゃ無理だろ。ルードヴィグが介入しちまってるからなぁ」
《今回の件を終わらせるには会談が必要ですよ。そして会談する以上は、謝罪なしではあちらも体裁が悪くて困るでしょう。明日は営業日ですから、スミレさんは早朝に離宮を出ますよね? スミレさんさえ良ければ、後日に改めて会談を設定するより今夜のうちに済ませた方がいいかと思ったんですが。長引かせたい話ではないでしょうからねぇ》
「そうですね……。じゃあ、お受けします」
《ではそのように。もちろんルードが同席しますから安心してくださいね。ブルーノにも立会人として同席してもらいますから。落ち着いたらルードの執務室へ来てくださいな。クランツ、送迎を頼みますよ》
どちらにしろ、今夜のうちにカシュパルからその後のことを聞いてしまいたかったので、さっさと魔王の執務室へ移動することにした。遅くなるだろうから、今日はもう下がってもらうようファンヌに伝えて離宮を出る。
部族長との会談なんて緊張する。以前、精霊族部族長のグニラと一度会談しているけれど、あれは親しくなった後だったので参考にはならないし、今回はトラブルが起こった後なので、更に何を話したらいいのかわからない。
夜も遅いので、移動中は『透明化』するようブルーノが指示してきた。念のため『生体感知』とネトゲのマップを起動して移動する。
何事もなく魔王の執務室へ到着した。わたしを見てスティーグがホッとしたような笑顔を見せる。心配させてしまっただろうから、顔を見て安心してもらえたなら良かった。
こんな時間に竜人族部族長を迎えることになって、大変だったろう。嫌がられるとわかっていても、皆に迷惑を掛けてしまったと思わずにいられない。
そのスティーグがお茶を淹れてくれた。ひと口飲んで、ティーカップを手で包み込む。温かい。わたし以外はお酒を飲んでいる。部族長との会談があるのにいいんだろうか。
竜人族部族長とカシュパルはなかなか戻ってこない。オーグレーン屋敷での話し合いに時間が掛かっているんだろう。
ヒュランデルは悪くないから厳しくしないでと頼んだけれど、カシュパルは竜人族の問題でわたしは関係ないと言った。やはりヒュランデルは処罰されてしまうんだろうか。わたしと関わったばかりに、とんだ災難だ。
部族長も急遽呼び出された挙句、謝罪させられるなんて気の毒だな。謝ってもらう理由なんてないのに。謝るのはむしろ──
「スミレ、さっきから静かですね。疲れや眠気があるなら回復するといいですよ」
「初対面の部族長との会談は初めてだし、緊張してるのか? まあ、トラブルに部族が介入することは今後もあるだろうから、お前もこの手の会談を一度経験しておくといい。ナータンの時はあいつが獣人族だったのと、暴力沙汰と金銭が絡んだせいでいろいろと面倒だったから、俺一人でパパッと収めちまったもんな」
クランツとブルーノの言葉に、魔王とスティーグも頷いている。
とりあえず、言われたとおり回復魔術を掛けよう。わたしのせいで遅くまで付き合わせてしまっているので全員に掛けたいところだけれど、回復魔術は一人ずつしか掛けられない。今は聖女の回復魔法を使う気になれないので、自分だけに回復魔術を掛ける。
フッと体が軽くなり、頭がすっきりした。クランツの言うとおり、疲れと眠気があったみたいだ。
それにしても、何故ブルーノがナータンの件を引き合いに出したのか、よくわからない。
トラブルの発端は聖女、関係者はオーグレーン商会会長。会談の出席者は魔王に竜人族部族長で、立会人は魔族軍将軍だ。ナータンの件と同列扱いしていいとは思えない深刻さだと思うのだけど。
スティーグのもとへ伝言が飛んできて、オーグレーン屋敷を出たとカシュパルの声が告げた。
しばらくして執務室のドアが開き、竜人族部族長らしき人物とカシュパルが現れたので、わたしは挨拶のために立ち上がった。
「竜人族部族長のアディエルソンじゃ。お初にお目にかかる」
「はじめまして。スミレと申します。本日はお忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます」
アディエルソンと名乗った部族長は、白髪にところどころ黒や灰色が混ざっているからおそらく黒竜なんだろう。
お年寄りではあるもののがっしりとした体つきで、いかにも誇り高い竜人族の長という風格があった。
厳めしい風貌もあわせて、何となく威圧感のようなものを感じてしまう。
ざっくりとした紹介を交わしソファーに腰を下ろす。向こう側に部族長とカシュパル、こちらはわたしと魔王。テーブルの横にある一人用の肘掛け椅子にブルーノが座った。
カシュパルから今回のトラブルの経緯が簡単に述べられ、竜人族としてはオーグレーン商会会長のヒュランデルに対し、罰としてわたしへの接触禁止を命じたと告げられた。
報告は以上らしい。解任や降格はないということか。良かった……!
「うちの者がお嬢さんの手を掴んでしつこく迫ったそうで、誠に申し訳ない。接触禁止を申し渡したので、今回のようなことは再発せぬものと存ずる。これにてご容赦願えんじゃろうか」
驚いたことに、経緯の説明では聖女のことに触れたものの、罰した理由に聖女はまったく出てこなかった。
これじゃまるで、異性間のNGに関するトラブルに部族が間に入って仲裁したみたいな……というか、敢えてそういう体を取っているの……?
暴力や金銭が絡んでない分、ナータンが起こしたトラブルより軽い処理で済む案件のようになっている。魔王と部族長が出張る事態になったというのに。
カシュパルが、悪くはしないと言っていたのはこういうこと?
処罰に聖女のことは関係していない。会長も留任。それなら、現状に変化なしということで、わたしも城下町での一人暮らしをやめなくてもいい、と?
部族長から隣のカシュパルに視線を移すと目が合った。二ィッと笑っている。任せてと言ったでしょ?という声が聞こえてきそうだ。
魔王を見たらこちらも目が合った。いいんでしょうかと目で問えば、魔王が目を細めて諾と頷く。
ブルーノはといえば、ほら見ろという顔をしていた。
わたしは向かいの二人にぺこりと頭を下げて答える。
「……はい。迅速にご対応いただき、ありがとうございます」
「ルードヴィグも良いか?」
「うむ」
「ならば、これで手打ちじゃな。よし、終わりじゃ終わりじゃ! ふう、遅くまで待たせてすまんかったな、お嬢さん。明日も店があるんじゃろう?」
パンと音を立てて両手を合わせると、厳めしかった部族長の表情が打って変わって笑顔になった。
これまでどおり暮らしていいと、城下町で培ったものを捨てなくてもいいと確定して、心の底から安堵したのと同時に、近所のおじいちゃんのような親しみやすさで声を掛けられて、わたしの涙腺が決壊した。
魔王の手が背中をポンポンとしてくれている。ホッとするけど、今は泣いてないで、ちゃんと部族長に伝えないと。
「あの、ヒュランデルさんには、わたしの方こそ謝らなくちゃいけなくて。わ、わたしが、聖女召喚の魔法陣を壊したから、もう二度と、この世界に聖女は現れません。あの人から、わたしは聖女を、永遠に取り上げました。だから、謝るのはわたしの方なんです……ッ!」
聖女という存在と折り合えるようになった。聖女の回復魔法を使うことにわだかまりを感じなくなった。
良いことだと思っていたけれど、聖女になるということの意味をわかってなかった。
いずれは聖女の役割を果たしていこうと考えていた。でも、わたしは認識が甘くて、メリットを享受するだけで覚悟がまったく足りてなかったんだ。
聖女信奉者は他にもいる。彼らを拒絶するばかりでいいのか。最後の聖女となった以上、崇拝対象を奪ったわたしは何か埋め合わせをするべきじゃないのか。
自分が気が向いた時だけ聖女の力を振るうのか、どういう場面でどう用いるのが正しいのか。魔王や部族長会議の判断に従えばいいのか、丸投げするのは良くないのか。聖女とは何か。
本当の意味で聖女という役職と向き合うには覚悟も考えもまるで足りてなかったと痛感する。
聖女召喚の魔法陣はもう元に戻らない。戻す気もない。時が戻ったってわたしはまたあれを破壊するだろう。
あの魔法陣がある限り、わたしはあの場所にリスポーンしてしまう。わたしがいなくなればまた次の誰かが召喚されてしまう。
だけど、この世界から聖女を奪う権利はわたしにあったのか。
世界の理を曲げてしまったわたしこそが罰せられるべきなんじゃないだろうか。
もう逃げない。逃げたくない。わたしの方こそごめんなさいと言いたい。聖女召喚の魔法陣を破壊したこと、あなたたちから永遠に聖女を奪ってしまったことを謝りたい。
吐き出すように言いながら、わたしは泣き続けた。
「お前さんは優しい子じゃのう。うちの者のために泣いてくれてありがとうよ」
部族長の言葉に首を横に振りながら、わたしは泣き続けた。
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