237話 【閑話】聖女信奉者に効く罰は
歴代の聖女がどうだったかはわからないが、スミレは召喚された時にこの世界で生きることを拒んだそうだ。
元の世界に母親を一人残してしまう上に、責任者として任されている仕事もあった。どうしても戻らなければならない、今すぐ元の世界へ帰すようその場で要求したという。
「だけど、イスフェルトの連中はスミレの意思を無視して暴力で抑え、彼女を無理矢理この世界へ固定した。聖女として召喚されてしまったがために、スミレは故郷や親しい人々から永遠に切り離されたんだよ。スミレがイスフェルトを憎み聖女という存在を忌諱していたのは、彼女にとって理不尽としか呼べない経緯があったからなんだ」
スミレが聖女という存在を忌諱していたと聞いて、最初は愕然としていたヒュランデルだったが、カシュパルの説明を聞いて沈痛な面持ちとなった。
聖女を敬愛するヒュランデルにとって、その存在を聖女自身が厭わしく思うという事実は受け入れがたいものだ。それでも一個人の身に突然起きたことだと考えれば無理もないと思ったらしい。
しかし、沈痛な面持ちはすぐに憤怒の形相となる。聖女信奉者である彼は、当然イスフェルトの不当で卑劣な仕打ちに激怒した。
「おのれイスフェルトめ! 聖女様に何てことを……絶対に許さん! 商会を使ってありとあらゆる妨害をしてやる……!!」
ヒュランデルはこめかみに青筋を立て拳を握り締めながら、交易方面から具体的な妨害案をズラズラと挙げていく。
カシュパルが思い付かなかった妙案がいくつもあり、さすがに魔族国最大の商会と部族の拠点を任されるだけのことはあると感心する。
聖女が絡むと判断がおかしくなるが、本来なら竜人族の中でもトップクラスの優秀さを誇る男なのだ。方向性さえ間違えなければスミレの環境に悪影響を及ぼすことはない。むしろスミレの安全と秘密の保持に利用できて便利とも言える。
もっとも、今度はやり過ぎが心配になるのだが。現に、この妨害してやる発言も問題がある。
「ねえ。それ、越権行為だってわかってて言ってるの? 商会を任されてるからって、何でも君の好きにしていいわけじゃないことくらいわかってるよね。さっき反省を口にしてたような気がするけど、僕の聞き間違いかな」
「うっ……。長、申し訳ありません。ついカッとなって口が滑りました……」
部族長のアディエルソンは鼻をフンと鳴らすと、グラスを傾けながら面倒くさそうに片手を払う仕草をした。
今のところは口を挟まずカシュパルに任せてくれるようだ。部族長とは留任の方向で了承を得ている。狙った落としどころへうまく誘引したい。
「まあ、それは置いとくけどさ、妨害だなんて、頼んでもないのに部外者が茶々入れるのはやめてよね。せっかくスミレがイスフェルトに渾身の嫌がらせをしたところなんだから。無粋なことしないでよ」
「部外者とは、きついことを言ってくれる。私だって聖女様のために何かして差し上げたいのだ。……聖女様、お可哀そうに……どんなにお辛かったか……」
「だったら、聖女として見るのをやめてあげて。聖女様じゃなくて、名前で呼んであげてよ」
スミレに同情を寄せるヒュランデルの目を見ながら、カシュパルはぽつりと呟いた。寂しそうな表情を浮かべ、スミレ個人を見てやってくれと願うカシュパルの言葉に、ヒュランデルはショックを隠せない。
普段なら諜報と謀略を担当するカシュパルの態度や言葉をすんなりとは信じないだろうに、今の彼は疑うことも裏を読むことも思い浮かばないようだ。
「そ、そこまで聖女であることを疎んじておられるのか?」
「そういう時期があったのは事実だね。スミレは“魔族らしくなった”って言われるのを一番喜ぶんだ。特別扱いされるのを嫌がるし、悲しんでいたよ」
「理不尽な経緯で聖女になったことは理解したが、それでもその力は唯一無二だ。素晴らしい力を得たとはお感じにならなかったんだろうか」
実力主義の魔族にとって、他より抜きんでた力を持つのは誇らしいことだ。ヒュランデルのように疑問に思うのも無理はない。
だが、彼の疑問を聞いて、それまで酒を飲みつつ黙って話を聞いていた部族長が口を開いた。
「ルードヴィグは部族長会議で当面の間は彼女を聖女として扱わぬと言った。彼女にとって聖女とはこの世界の者によって一方的に押し付けられたものじゃ。いかに貴重で強大な力であろうと、授かったと感じられるものではないとな」
精霊族部族長のグニラは、庇護する以上は聖女としての仕事をさせるべきだと随分と反対していたが、魔王に説得され、今は魔素の循環異常が起きていないからと最終的には受け入れた。
癒しの力というのはその性質上、慈愛や献身の気持ちがないと効果が半減するという。スミレが聖女の存在に反発している状態では、却って循環異常に悪影響を与える可能性もあるという意見もあった。
少なくとも魔素の循環異常が起きていない間は、彼女が魔族国に馴染み、聖女の力を受け入れられるようになるのを待とう、という結論に落ち着いたのだ。
「そういうわけで、僕らはスミレの心の傷が癒えるよう見守ってきたんだ。決して急がず、急かさず、慎重にね。スミレが聖女であることを隠して城下町で一人暮らしをしたいと望んだ時は、もちろん心配したし、中には反対した者もいたけれど、元の世界と同じように働いて自分の稼ぎで生活したいという彼女の願いをルードは叶えた」
そうしてスミレはこつこつと準備を重ねて雑貨屋を開店し、城下町の暮らしに馴染んでいった。友人もでき、近所の人々と交流し、常連客の冒険者とも親しくなった。さまざまなことに挑戦し、少しずつだが自信をつけていったようだ。
そんな暮らしの中で徐々に彼女に変化が起こる。聖女の力に触れる機会がある度に、少しずつ聖女という存在と折り合えるようになっていった。
「スミレが初めて聖女の回復魔法を使った時さ、結構夜遅かったけど、僕たち急遽集まって祝杯を挙げたんだ。ようやくここまで来たって。嬉しかったよ、本当に。あの子が泣くところを何度も見てきたからね」
カシュパルは口には出さなかったが、スミレは回復魔術では治せないグニラの足の状態異常を聖女の回復魔法で治したり、聖地の樹翁の状態異常を治したりもしている。
スミレが聖女の力を振るって誰かを癒そうとし始めた。どれもスミレが自分から言い出してやったことだ。
彼女に意識させたくなかったので、ヴィオラ会議のメンバーはその場では特にそのことには触れなかったが、報告された時は皆で大いに喜んだ。
「相変わらず聖女を求めるイスフェルトに対しても、今回きちんと向き合って、彼女なりにけりを付けた。ようやく、本当にようやくスミレが聖女に対して抱き続けていた屈託を振り払ったところだったんだよ。彼女が聖女という存在を受け入れるのも時間の問題だと思った。──なのに、今回の件でぶち壊しになったかもしれないね。何しろ、聖女に対する熱い想いとやらを君が一方的に吐露したおかげで、城にいたルードが感知する程の衝撃をスミレは受けたんだから」
「ヒュランデルよ、自分が何をやったか理解したか? 彼女からしたら、お前の態度はイスフェルトの連中と同じに見えたかもしれんぞ」
部族長から問いを投げ掛けられたヒュランデルの顔は青褪めていた。自分の軽率な振る舞いが、敬愛する聖女の心のかさぶたを剥ぐに等しい行為だったと知り、絶望的な気持ちに陥ったんだろう。
膝の上で拳を握り締め、震える声でカシュパルに詫び、部族長に訴える。
「カシュパル、本当にすまなかった。長、どうか私を罰してください。ああ、私は聖女様に対して何という取り返しのつかないことをしてしまったのか……」
「言われんでも処罰するわい。まあ、解任じゃな。まったく、オーグレーン商会の会長職なぞ、すぐに後任が選出できる役職でもないというのに。……まったく、予定外な厄介事を起こしよって」
解任を口にしながら、アディエルソンはちらりとカシュパルを見た。そういう流れかと、カシュパルが応じる。
「長、ちょっと待って。大家が解任になったと知ったらスミレが責任感じてしまうよ。できればそれは避けたいんだけど」
「じゃが、近くにおればこの男はまた暴走しかねんぞ」
「それはそうだけどさ、聖女に対する忠誠だけは本物じゃない? これだけ話したんだから、さすがにもう自分本位な行動はしないと思──」
「もちろんだ! 聖女様に絶対の忠誠を誓う! その御身と御心を傷付けないと、長と君に誓うとも!!」
「……これが喜ぶだけじゃろうが。罰にはならんぞ」
「う~~ん。それじゃあさ、接触禁止を申し渡したらどうかな。こんなに近くにいるのに声も掛けられないとなったら、聖女信奉者にはさぞかし苦しいだろうね」
カシュパルが爽やかな笑顔を浮かべながら提案した。ヒュランデルはううとか、ぐぬうという声を上げたが、罰なのだからと奥歯を食いしばって耐えている。
「もちろん甘んじて受けるとも。聖女様のお役に……いや、スミレさんのために何かしたいんだ」
「スミレのために、ねぇ。なら、今度こそ彼女を守りなよ。聖女信奉者としてじゃなく、大家としてさ」
聖女だとバレたとはいえ、ヒュランデルが大騒ぎせずスミレの正体を秘匿するなら別に問題はないのだ。
スミレが望まないこと、嫌がることは何かを理解すれば、今回のようなトラブルは起こさないだろう。どう動くかわからない後任を置くより余程安心できる。
もしもまたスミレの意思に反する動きをしたら、その時排除すればいい。
「大家として……か。差し当たり聖女様の情報に触れた者の処遇だな。彼らの目が彼女に向かないように手配しよう。人族エリアでの交易と情報収集、ルートや人員の配置についても早急に確認して必要な措置を取る。……屋敷の者も同様だな。彼女が変に注目されることがないよう、体制を見直すか」
有能な会長らしさを取り戻したヒュランデルがてきぱきと執事に指示を出す。聖女の存在さえ頭から切り離せば、この男はやはり優秀なのだ。
長と視線を交わす。どうやら望んだ地点へと着地できたようだ。
「うん、そんな感じで頼むよ。もともとスミレは大家としての君には好意的だったんだから、これまでみたいに振る舞えば問題ないんだ」
「好意的!? そ、そうだったのか!?」
「スミレがこの屋敷の庭の池を気に入ってると知って、庭への出入りを許可したでしょ? あれ、スミレはすごく喜んでてさ。いい人だ、いい大家さんで良かったって言ってたんだよ」
「いい人……いい大家さん……くっ、感激だッ! うおおおおッ!! 私はもっともっといい大家さんになるぞーッ!!!」
あまり凹ませ過ぎても良くない。少しは飴を与えてモチベーションを上げてやろうか。
そう思ってカシュパルが口にした言葉を、ヒュランデルはしみじみと噛みしめて感激に浸った後、突然立ち上がって両手を掲げて叫んだ。
「……あー、うん。まずは距離をおいて、理性的に振る舞えるようになろうか。君が落ち着いて行動できるようにならないと、いつまで経っても接触禁止は解けないからね。わかった?」
カシュパルが額に片手を当てる。飴の加減がわからない。
グラスを傾けていたアディエルソンが、げんなりした顔のカシュパルを見て苦笑している。
「こいつの状態異常が治る時は来るんじゃろうか」
「どうだろうね」
カシュパルはやけくそ気味にグラスに酒を注いだ。
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