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聖女は返上! ネトゲ世界で雑貨屋になります!  作者: 恵比原ジル
第四章 聖地と聖女

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236話 【閑話】側近と大家と竜人族部族長

 カシュパルは走っていた。

 いや、正確に言うと走っているのはクランツだ。カシュパルはクランツの背中にしがみつき、猛スピードで転移陣へと向かっている。


 つい先ほど、魔王ルードヴィグの水晶球にスミレが現れた。スミレに異変が起これば魔王の水晶球に映る。実際に以前そういうことがあったらしい。



「赤竜……オーグレーン商会か。行ってくるぞ」



 そう呟いた直後、魔王の姿が消えた。戻り石の魔術具を使い、スミレの元へ転移したのだろう。

 その場にいたカシュパルとスティーグとクランツは互いに目配せすると同時に動き出した。スティーグは各方面へ連絡を、クランツとカシュパルは魔王の後を追いオーグレーン商会へ急行する。

 カシュパルがクランツの背に負ぶさり腕と足を巻き付けてしがみつくと、クランツは執務室の窓から外へ飛び出した。転移陣のあるエリアへ向かうのに最短距離を目指すなら、城内の廊下だけを行くという通常ルートなど選んではいられない。

 壁の凹凸やベランダなどを足掛かりに、建物外部の立体的な移動ルートも組み込んでいく。高山に住む羊系獣人族のクランツにはどうということはない。


 カシュパルを背に載せたままクランツは転移陣で第三兵団分屯地へ転移し、そのままオーグレーン商会へと走る。二人ともこの転移陣を用いて城から城下町へ移動したことは何度もあるが、所要時間は間違いなく今回が最短だろう。

 屋敷へ到着する直前にカシュパルが背中から降りた。歩いて屋敷へ入る。門には守衛がいるので、さすがに血相を変えて駆け込むわけにはいかない。

 そろそろ飲食店も閉まる時刻だが、竜人族のカシュパルが部族の王都での拠点でもあるオーグレーン屋敷を訪れるのは不自然なことではない。クランツを伴い、何気ない様子で廊下を進む。



「たぶん応接室か会長の執務室に──ルード!」



 カシュパルが向かう先を口にした時、廊下の向こうに魔王が現れた。急いで駆け寄ると、魔王の両腕が不自然な形になっている。スミレはそこか。

 歩けないのかと具合を案じたが、大丈夫だと返事があった。しかし、その返事は鼻声で、スミレが泣いたのは明らかだった。カシュパルが指摘すると、聖女だと知られたという。

 オーグレーン商会会長のヒュランデルは熱烈な聖女信奉者だ。スミレが聖女だと知って接触を図ったか。スミレに関することは自分へ連絡するよう念を押したのにと、カシュパルは内心で舌打ちする。

 部族長から知らせがなかった以上、部族長にも無断での行動に違いない。まったく腹立たしい。


 魔王とクランツはスミレと共に『戻り石』で離宮へ転移することになった。その場に残るカシュパルに、スミレがヒュランデルは悪くないと言う。厳しくしないでと乞われ、魔王にもやり過ぎるなと釘を刺された。

 もちろんカシュパルは必要以上にヒュランデルを罰するつもりはないし、元よりそんな権限もない。ただし、独断で勝手をやらかした愚か者には、その愚行がもたらしたものを突き付け自覚させてやる必要がある。

 風の精霊がヒュランデルの居場所を知らせてきた。そちらへ足を向けつつ、部族長のアディエルソンに伝言を飛ばす。スティーグから連絡がいっているはずだ。



「こっちに向かってる?」


《ルードヴィグと話をしてから向かう。方針を擦り合わせておいた方がよかろう》


「留任の方向でお願い」


《構わぬが……よいのか?》


「僕に考えがある。悪くはしないよ」



 やり過ぎればスミレの精神的な負担になる。そんなヘマはしない。だが、甘い顔をするつもりもない。

 最大限の戦果を持ち帰ってやるさと心の中で呟くと、カシュパルはバンと音を立て荒々しく応接室のドアを開けた。





 肩を落としてソファーに座り込んでいたヒュランデルは、カシュパルの顔を見るなり立ち上がった。



「カシュパル! 聖女様とすれ違わなかったか?」


「会ったよ。ルードと共に城へ帰った」


「城へ!? オーグレーン荘には戻られなかったのか……」



 カシュパルのそっけなさを気にすることもなく、悄然とした様子でヒュランデルは再びソファーに腰を下ろした。膝に肘をつき、両手で顔を覆う。



「聖女様を泣かしてしまった……。謝る間もなく魔王に連れ去られて……ああ、どうしたらいいんだ。あのような怯えた目で見られるとは……。一体何が悪かったのか……」


「気持ち悪いからに決まってるでしょ。ハァ~ッ。何で聖女の信奉者ってのはこうなのかな。君がここまで馬鹿だとは思わなかったよ。執事も何やってるんだ。止めなよ、会長の愚行をさ」


「大人しく聞いていれば、馬鹿だの愚行だのと聞き捨てならないな。どういうつもりだ」


「こっちが聞きたいね。家を借りる前の打ち合わせで、スミレに関することはまず僕を通すように言ったはずだけど、スミレを呼び出して何してたのさ」


「ゆ、夕食に招待しただけだ」


「それだけで何でスミレが泣くんだよ。どうせ聖女様聖女様って彼女に詰め寄ったんだろ。恐怖か嫌悪か知らないけど、ルードが感知するほどの衝撃をスミレは受けたんだ。誤魔化すのはやめなよ」



 恐怖に嫌悪、衝撃という言葉に、ヒュランデルは顔を歪める。そんなつもりは毛頭なかったが、結果的に自分がそういったものを彼女に与えてしまったのは紛れもない事実だ。

 そう認めざるを得ないほど、彼女は全身で自分を拒絶していた。弾かれた手の痛みを思い出し、胸がうずく。



「……私がいかに聖女様を敬愛しているかを知っていただきたかった。私が安全な人物であるとご理解いただければ、もっと良い家か部屋をご提案してお移りいただくのも良いと考えていた。おかしいだろう。何故聖女様ともあろう御方が、あのような慎ましやかな暮らしをしておられるんだ。君も魔王も、一体何を考えている」


「スミレのことを君にどこまで話していいか、まだわからないから詳細は伏せるけど、あの家での暮らしは間違いなくスミレ本人が望んだことだよ。もうじき長が来る。どこまで話していいか指示があるだろう。そしたら教えてやるよ。君がスミレにしたことの意味をね」


「長が、ここへ? 何故」


「聖女信奉者ってのは、聖女が絡むと本当に馬鹿になるんだね。部族長の判断も仰がず、存在を秘匿されてる重要人物に勝手に接触しといて、何が悪かったかもわかんないの?」



 カシュパルに指摘されて、ヒュランデルはようやく自分の権限を越えて先走っていたことに思いが至ったようだ。部族の拠点を任されている者が犯してはならない類の失態で、事の重大さを理解した執事も青褪めている。

 部族長が来るのは、本当はそれが理由ではない。スミレがオーグレーン荘に住むと決まった段階で、ヒュランデルがスミレに対して何かやらかした場合は速やかに部族長が介入してくれるよう、あらかじめアディエルソンに協力を要請してあったからだ。

 だが、相手が部族長に対しても不手際を起こしているなら、それを利用しない手はない。失点を積み上げ、身動きが取れなくなるよう追い込むには都合がいい。



「それじゃ、長が来るまで事情を聞かせてもらおうか」



 ヒュランデルの目を見据えながら、カシュパルは向かい側のソファーに腰を下ろした。






「──つまり君は、部下の報告を聞いて、ここ最近で人族の亡命者はスミレしかいないから、彼女が聖女に違いないと思い込んで即座に行動に移した、と。そういうこと? 随分と杜撰だね。聖女に関する情報が入ったというのに、部族長に報告を上げなかったのも問題だけど、情報の精査すらまともにしてないじゃない。聖女と聞いた瞬間、頭のネジでも飛んだの?」


「……面目ない。だが、わかってくれないか。長年憧れ続けてきた聖女様がすぐそこに居られると気付いたら、もう居ても立ってもいられなかったんだ……」


「ハァ~ッ。こういうこと言いたくないけどさ、オーグレーン荘をスミレに紹介したのは、管理者が君なら安全だと思ったからなんだよ? 例えスミレが聖女だとわかっても、君なら絶対に彼女を傷付けないと思ってあの家を紹介したのに。城下町に住み始めてからそれなりにトラブルもあったけど、ルードが反応するほどの衝撃なんて今回が初めてだ。それが大家の君のせいだなんて、僕の面目は丸つぶれじゃないか。僕だけのことならまだいいけど、竜人族の面目がつぶれたってことでもあるんだから。本当に反省してよね」


「……すまない」



 カシュパルがこんこんと諭すように話しているところへ、竜人族部族長のアディエルソンがやって来た。執事が慌ててお茶の淹れようとしたが、部族長はそれを止めて酒を所望する。



「まったく、酒でも飲まねばやっておられんわ。ルードヴィグに頼まれた時は気軽に引き受けたが、まさか本当にやらかすとはのう。部族長のわしですら個人的に面会を求めるのは自重しておったというのに。ヒュランデル、随分と馬鹿な真似をしたな」


「長までそう言うんですか。それは、報告が遅れたことも越権行為であったことも申し訳なく思っております。ですが、聖女ですよ? 長い時を経てようやく魔族国に聖女が現れたというのに!」


「フン。その聖女にお前が何をしたのか、カシュパル、よ~くわからせてやってくれ。今回の件について、ルードヴィグはお前に全権を預けるそうだ。お前は彼女のためにならんことはせんから、判断は任せると言っておったわ。随分と信頼が篤いんじゃな。魔王、聖女共に」



 聖女の信頼が篤いと聞いて、ヒュランデルがうらやましそうな目でカシュパルを見た。それを見咎めてカシュパルが指摘する。



「聖女信奉者には理解できないだろうけど、そうやって聖女聖女っていちいち反応するの、ホントやめた方がいいよ。スミレ、そういうの大嫌いだから。彼女、ほんの少し前まで聖女って存在を忌諱してたんだ」


「なっ。そんな、馬鹿な……」


「スミレがどうしてイスフェルトから逃げてきたか。魔王の庇護を受けてからどう過ごしてきたのか。僕らが彼女をどう見守ってきたか。僕が知ってるスミレについて話すよ。聖女じゃなく、スミレについて、ね」




 執事が用意した酒を受け取ると、カシュパルはひと口飲んで喉を湿らせる。

 蒸留酒の喉を焼くような刺激に少し頭が冷えた。思っていた以上に自分は怒っていたらしい。

 怒りは判断を鈍らせる。抑えるつもりはないが、矛先を変えよう。それで溜飲を下げてやる。



 さて。

 目の前の聖女信奉者。この竜人族の有力者を最大限利用させてもらおうか。


 せいぜいスミレの役に立ちなよ。

 カシュパルは心の内でペロリと舌なめずりをした。

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