228話 自己嫌悪、のち、シナモンロール作り
ヘッグルンドが言っていたのと同じようなことを、以前ノイマンも言っていた。
魔族は寿命が残り5%くらいになると急激に衰え始めるため、死期を悟った魔族は部族や種族の里に戻り晩年を過ごす。
ヘッグルンドとは違い、別部族のノイマンとリーリャは最期までは一緒にいられない。でも、あのカップルはいつもとても幸せそうだ。
『部族が違うから、いつか必ずリーリャと別れる時は来る。だが、それは目の前にいる愛しい女を諦める理由にはならない。一緒にいられるのが今だけなら尚更だ。一瞬だって無駄にできるかよ。魔族の人生は長いが、時間は有限なんだ』
二人の馴れ初めを聞いた時、ノイマンはそう言っていた。
自分が残される側だったらどう思うか。ヘッグルンドに聞かれるまでもなく、わたしだって好きな人となら最期まで一緒にいたいと思うだろう。
自分はそうしたいとすぐに答えが思い浮かぶのに、何で相手にはそうして欲しくないと思うのか──。
黙ったわたしを気遣ったのか、ヘッグルンドが紅茶を飲むよう手振りで示す。
ひと口飲んだら温くなっていた。香りも若干薄くなっているし、飲み頃を逃してしまったか。丁寧に淹れてくれているのに申し訳ない。
「時間に限りがあるのは織り込み済みだ。だが、別に不幸じゃない。まだ100年近くあるだろうし、同族だから最期まで里で一緒に過ごせる」
「……そうですね。すみません、余計な口出しをして」
「いや、あんたがドローテアさんのことを心配してるのはわかった。自分の気持ちを押し付けるつもりはないから安心してくれ。ただ、黙って見つめるだけで満足する気もない。オレを見てもらえるよう出来るだけの努力はする。だから、ドローテアさんに余計なことは言うなよ?」
「はい、もちろんですよ」
「ネレムが心配そうにこっちを見てる。さっさと飲んでカフェ行ってこい」
言われるままに紅茶を飲み干し、マグカップをウォッシュして返すとカフェの屋台へ移動する。
カフェ店員のネレムが何か言いたそうな顔をしていたけど、今はちょっとおしゃべりする気分じゃなかったので、コーヒーを受け取るとすぐに日除け付きのテーブルへ移動した。
今度は冷ましてはいけないと、すぐにコーヒーに口をつける。
いい香りだ。セムラもおいしい。いつもなら心が浮き立つのだけれど。
久しぶりに自己嫌悪にどっぷりと沈みつつ、苦い気持ちをコーヒーの苦味で誤魔化した。
自覚はなかったけど、口では相手を思いやるようなことを言いながら、実は単に自分が傷つきたくないだけだということに気付いてしまった。
恋愛意欲が低いのは事実。でも、魔族社会に馴染もうとしてきたし、たいていのことは前向きにやってきたのに、恋愛に関しては常に消極的な思考で、誰かと本気で向き合うことを避けていた。
魔族たちは皆ちゃんと好きな人と向き合っている。ヘッグルンド、ファンヌ、ノイマン、エルサにヤノルス、ソルヴェイ、それにメシュヴィツもそうだ。
なのにわたしと来たら、脳内ですら向き合うことを避けて逃げている。
一万人の兵士の前で偉そうなことを言っていても、大事なたった一人には立ち向かえない。なんて弱くて薄っぺらいんだ。
そう思ったら情けなくなった。なんというヘタレ。
「――って感じで凹んでたんだ」
《恋愛してもいないのに先回りして凹むなんて、非生産的なことしてるわね。せめて誰かを好きになってからにしなさいよ》
「ぐう。返す言葉もない」
《まあ、失敗したくない気持ちはわからないでもないけれど》
その日の夜、お風呂に入りながらファンヌと伝言して愚痴を聞いてもらった。もちろん、凹むきっかけとなったヘッグルンドの恋愛相談については伏せた上で。
ごもっともな指摘に若干凹みつつ、ふと親友の恋愛のことが思い浮かんだ。
ファンヌはターヴィに好意を寄せているけれど、彼とは部族が異なるから最期までは一緒にいられない。それを悲しんだり不安に思ったりしないんだろうか。
《そんな何百年も先のことまで考えないわよ。恋愛する時に考えるのは、その相手と子作りするかしないかくらいじゃない?》
率直で現実的な回答をいただきました。魔族の恋愛事情を知る上でとても参考になります……。ドライなようだけど、これが普通の魔族の感覚なんだよなぁ。
魔族の恋愛関係はあまり長期間ではない。前のパートナーと100年続いたエルサはかなり情が深いという評価だったし。
ファンヌによると、魔族にとってパートナーとの別れは発展的解消であることが多く、破綻としての別れはあまり多くないそうだ。破綻に至る前に発展的解消をしてしまうからで、部族や種族の介入がうまく機能しているからでもある。
「結局、一緒にいる期間の長さとか最期まで一緒にいられるかどうかにこだわってるのはわたしだけってことか~。もしこの先好きな人ができたとして、相手が気にしてないのにこっちが心配するのは余計なお世話……だよねぇ」
《そこまでは言わないけれど、少なくともスミレを好きになる人はあなたが元人族だってわかってて好きになってるんでしょう? あまり長く一緒にいられない可能性については織り込み済みだと思うわよ》
織り込み済み、か。ファンヌもヘッグルンドと同じことを言っている。
でも、そうか。いつかわたしが魔族の誰かと恋をしたとして、自分の好きな人に織り込み済みだから一緒にいると言われたら、拒むなんて絶対できないよなぁ。
その言葉を信じて受け入れるしかない気がする。
「――そうだね。もし相手が最期まで一緒にいると言ってくれたら、その時はありがたく受け入れたいと思うよ」
《スミレがそう言ってくれて嬉しいわ。でもね、何度も言うようだけれど、誰かと恋仲になってから悩みなさいよ》
うう、ごもっともで。でも、そんな時来るかなぁ?
というか、そもそも恋愛意欲の低いわたしには関係ないテーマであって、何も自己嫌悪に陥ってまで考え込む必要はなかったような……。
しかも、全部仮定の話だし。何やってるんだろ、わたし……。あれ? もしかしてヘッグルンドの恋愛相談のせいでは?
何だか無駄に考え込んだだけのような気もするけれど、ここのところすっかり慣れた気になっていた魔族の思考や感覚について、じっくり考える機会になったのは良かったと思う。
長い時を過ごす魔族だから細かいことにこだわらないんだろうし、それはきっと他者に寛容で大らかな彼らの長所にも繋がっている。
それに、わたしより遥かに長い時間を過ごすはずの魔族の方が、一瞬一瞬を大切に生きていると気付いた。わたしもそうありたい。
とりあえず、恋愛関係のことは置いといて、ファンヌの言うとおり好きな人ができた時にまた考えよう。せっかく縁切りしてすっきりしたんだから、今はやりたいことをやれるだけやって楽しまなきゃ!
そんなわけで、雑貨屋の仕事や調合、お菓子作りに精を出す。
まずは常連客の冒険者に出すお茶請けとして、普通のシナモンロールをたっぷり作った。これで一週間は楽に持つはず。
それとは別にアレンジ版のドライフルーツ入りとナッツ入りも作って、昼休みにドローテア宅を訪問。お裾分けがてら一緒に食べてお茶をご馳走になった。
ふはは、悪いなヘッグルンド君。君の想い人の素敵な笑顔はわたしが独り占めさせてもらうからね!
ドローテアはすごく喜んでくれて、自分もさっそく作ると言っていた。離宮でアリバイ作りの時に、ファンヌや下働きたちと試作しておいて良かったなぁ。
わたしと違って丁寧に作る人なので、きっと素敵な仕上がりになるだろう。次のお茶会で振る舞ってくれるかな。楽しみだ。
シナモンロールは予想どおり冒険者たちに喜ばれた。
それは良かったんだけど、最初に振る舞ったのがレンタルを借りに来た犬族冒険者集団Cチーム一班の三人で、話を聞いた他のメンバーがその後ぞろぞろと来店したせいで、大量に作ったはずのシナモンロールが二日でなくなった。おい!
犬族冒険者集団48人全員来たらそうなるでしょ……。しまった、マッツのパン屋を紹介して、そこで買うように言えば良かったよ。
後でサロモにメモを送ったら恐縮されてしまった。リーダーのサロモは速攻で来たから、その時はまさか二日でなくなるとは思ってなかったんだよね……。
再びシナモンロールを大量に作って補充。まあ、喜んでもらえたのは良かった。
ただ、申し訳ないけれど、アレンジ版を振る舞うのは少数の特に仲良しな冒険者だけに限定させていただこう。
で、その「特に仲良しな冒険者」であるミルドとヨエルが来店した。さっそくお茶を淹れてシナモンロールを出したらとても喜ばれた。ミルドは普通のシンプルな方が好みで、ヨエルはナッツ入りが気に入ったようだ。
それにしても、二人は前回も一緒に来たような気がするけど、一緒に冒険でもしているんだろうか。
「そーゆーわけじゃねーんだけど、ちょこちょこ情報交換する必要があってよ」
「へえ~」
「とりあえずひと通り片が付いたんで、一応スミレちゃんの耳にも入れておこうと思ってのぅ」
「えっ、わたしにも関係することなんですか?」
「つーか、お前の店で起こったことが発端だ。少し前に言ってただろ、新規の客が商品にケチをつけてきて揉めたって」
確かに、そんなことがあった。二週間くらい前に起きたトラブルで、巡回班を呼ばずに自分だけで対応できたのでちょっと嬉しかったヤツだ。ちょうど相談役のミルドは数日間冒険に出ていて、戻ってきた時に軽く報告したんだっけ。
でも、その場で片が付いた話なのに、それが発端で二週間もどこかでトラブってたの? 何で?
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