226話 【閑話】第七回ヴィオラ会議
イ軍平地とイスフェルト城へ遠征した翌日の夜、魔王の執務室にヴィオラ会議が招集された。
最後に現れたのは魔族軍将軍のブルーノで、他のメンバーは既に酒を飲み始めているようだ。
「待たせたな」
「お疲れ。僕もさっき来たとこだよ」
「ずっと野営食だったでしょうから、つまみにハムステーキのサンドイッチを用意してありますよ」
「ありがてぇ!」
ブルーノはグラスに注いだ酒をひと息に飲み干すと、サンドイッチをガツガツと食べながらクランツにスミレの様子を訊ねた。
今日の午前中にピットフォールが解除されてイ軍平地は元の状態に戻り、その約一時間後には『落雷』も解除され雷は止んだ。ブルーノはそれを魔王に伝言で報告した後、スミレにも伝言を送って知らせている。
「スミレは昼過ぎに帰りました。将軍からの一報を聞いて安心したようでしたよ。昨夜の祝勝会でもスッキリした顔をしていました」
「そうか。それは良かった」
「雑貨屋は普通に営業するそうです。イスフェルトの侵攻について何か耳にしたら将軍に報告すると言っていました」
「わかった」
スミレの状況確認が済むと、イスフェルトの軍や城の現状についてブルーノが報告を始めた。
まずはイ軍平地。
救助の部隊はピットフォールが解除される前に到着したが、深い堀の前に何もできずに終わる。宰相と四方の騎士は丸一日ぶりに堀から解放されたものの、消耗が激しかったため荷車で駐屯地へと運ばれていった。
集積されていた物資が次々に搬出されており、搬出先が後方の軍施設であることから、侵攻は一時中断もしくは中止になったと思われる。
そしてイスフェルト城。
雷の被害を避けるためか特に動きはなかったものの、『落雷』が解除になる少し前に城内の数か所から煙が上がったらしい。雷が原因で出火したようだが、魔力が底を尽き城の防御力が低下したのかは現在確認中。
「俺が第四兵団の情報収集担当を現地へ派遣したのは、昨日離発着場へ戻ってお前らと別れてからだから、連中は作戦中の俺らの行動を一切見ていない。で、ひとまず情報をザッと集めて持ち帰るよう指示したんだが、戻ってきたそいつらが面白いことを言っててよ」
「ほう」
ブルーノがグラスに酒を注ぎ、酒瓶を魔王に手渡しながらニヤリと笑う。
情報収集から戻ってきた彼らがボソボソと会話しているのを、少し離れた場所にいたブルーノはこっそり聞いていたのだが、思わず吹き出しそうになったのを思い出したのだ。
『しばらく前に亡命してきた人族の女ってのが聖女なのか?』
『ちげーよ。それは城下町で商売やってるヤツだろ』
『でも、他に人族が亡命してきたなんて話聞いたことあるか?』
『ねーけど、聖女なら大事に囲い込むに決まってるだろ。城下町で一人暮らしなんかさせるわけねーよ。危ねーだろ』
『そうだよなぁ。その城下町に住んでるっていう元人族の女、一人で二番街の串焼き屋やピザ屋で飲み食いしてるらしいし、違うと思うぜ』
『あ、オレも聞いたことある。商業ギルドの裏に鱗持ちの飲み物を扱ってる店があるんだけどよ、その女、そこでよく鱗持ちの飲み物を飲んでるんだってよ』
『マジかよ、変わってんな』
『そういえばその女、精霊祭の宵祭りの時、俺らが踊ってるのを一人でずっと見てたぞ。他の連中が言うには、前回の時も一人で最後まで見てたらしい』
『草性族の踊りって真夜中だろ? 元人族の女が一人で見てんのか? 帰り道とか大丈夫なのかよ』
『そんなの絶対聖女じゃねーわ。あり得ねーよ』
『だな。将軍がそんな危ない真似を許すとは思えない』
『魔王だってそうだろ。集めた情報によると、どうやら聖女は随分と大事にされているようだって話だし、どこかでひっそりと囲い込まれてるんだろうよ』
その会話をブルーノが思い出し笑いをしながら話すと、皆も大笑いした。
確かにそうだ。普通なら聖女の扱いとは彼らが言うとおりのものだろう。
自分たちだって最初はスミレを生涯離宮で守るつもりだったし、彼女が強く自立を望まなければ、城下町で一人暮らしや商売をさせるつもりなど毛頭なかった。
「プハッ、確かにないよねー。あはははっ」
「普通ならあり得ませんものねぇ。でも全部事実だという……くっくっく」
「改めて並べられると、なかなかの惨状ですね」
「彼らの勘違いは確かに面白いですが……、スミレの存在は意外と兵士たちに知られているのですね。私はそちらの方が心配になってきました」
「目立ち過ぎってか? だが、今回の情報収集で一番聖女の情報に触れているはずの連中にすら、今のところ聖女と同一人物だとは思われてないんだ。それがあいつが普段何気なくしている行動のおかげなら、良かったじゃねぇか」
ひとしきり笑った後、しかしレイグラーフの心配もわかるとブルーノは言った。
情報収集はまだ当分続けられる。そのうちに再び聖女の存在とスミレを関連付けて考える者が出てこないとも限らない。
その点は、第四兵団との接触が多いブルーノとカシュパルが引き続き注視すると引き受けた。
今回の作戦では多くのイスフェルト人が聖女を見ている。今はまだ振るわれた攻撃魔術や魔法の威力に慄いているが、騒動が落ち着けば聖女が放った言葉の数々や彼女自身に関心が集まる。様々な憶測なども出てくるに違いない。
拾った情報に思考が影響を受けることもあるので、しばらくは情報収集する彼らのことも注意深く見ておいた方がいい。ここで聖女とスミレを同一視する芽を摘んでおけば、魔族国内で疑う者が出ても早々に否定され、疑いも霧散するはずだ。
「まあ、そっちは僕あんまり心配してないんだけどね。レイもスティーグも動画見たんでしょ? スミレの情報を集めれば集める程、あの演説をした女性とは結び付かないと思うよ。むしろ、スミレのことをよく知らない人の方が短絡的に人族ってだけで一括りに考えるだろうから、そっちの方が心配かな」
「魔族軍の兵士以外で今回のイスフェルトの件を耳にする者は稀だと思いますけどねぇ」
「冒険者や商人には人族エリアへ出入りする者もいるそうですが」
「冒険者、商業の両ギルドにはしばらくの間霧の森と人族エリアへの出入りを差し止めるよう指示してある。いつ解除するか、考えものだな」
「あまり長引かせたくありませんね。今まではイスフェルトが侵攻してきても、せいぜい霧の森を数週間立ち入り禁止にするくらいでしたから。いつもと違う対応をすると変に勘繰る者が現れかねません」
レイグラーフの指摘はもっともだが、まだ騒動が起こってから二日も経っていない。しばらくは様子を見るしかないが、なるべく早期に解除する方向で一応意見はまとまった。
話が落ち着いたところで、スティーグがブルーノに訊ねる。
「ところで、先程の情報収集担当の者たちの会話の中に『聖女は随分と大事にされているようだって話だ』とありましたが、具体的にどのあたりでイスフェルト兵はそう感じたんでしょうか」
「ああ、それな。駐屯地に戻った兵士らは、スミレの衣装がかなり上等だったと報告しているようだぞ。スティーグ、お前の狙いどおりだな」
ブルーノがニヤッと笑いながらそう言うと、スティーグは満更でもなさそうな顔をしてにんまりと笑った。
ただし、ドレスの件は少々予想外の展開を見せている。
一般の兵士らは王妃の姿を見る機会などほとんどない。スミレのドレスが王妃と同格だとは知らないため、単に上等だとしか思わなかった。
だが、宰相と四方の騎士は王妃のドレスを見知っており、スミレのドレスの格を正確に理解していた。
「俺はイ軍平地で、奴らがスミレを見ながら『あのドレス、王妃と同格の品じゃないか?』と言っているのを聞いた。更に『しかも魔王と揃いだ。魔王のやつ、聖女を娶ったのか?』とも言っていた。レイグラーフ、娶るってのは結婚するって意味で合ってるよな?」
「ええ、そうです。結婚して妻に迎えるという意味ですが……そんなことを言っていたのですか? 恋愛関係ならともかく、何故結婚という発想になるのでしょう」
「わからん。だが、駐屯地でもそう報告していたらしい。指揮官どもはだいぶ顔色が悪くなっていたそうだ。魔王と聖女が結婚すると都合が悪いのかもしれん」
「結婚というのは、確か人族社会ではかなり重要な位置づけにあるんですよねぇ。我々にはピンときませんけど」
以前、魔族の恋愛事情について説明した時、パートナー関係が長期に渡ることはあまりなく、結婚する者は滅多にいないと伝えたら、スミレはとても驚いていた。
この世界の人族も結婚してパートナーを固定するのが望ましいと考えているようで、彼らにとって結婚というのはかなり強固な関係を示すものであるらしい。
「魔王と聖女が結婚したとなると、彼らには聖女を魔王から引き離すのはかなり絶望的に見えるんでしょうか。力の差があるのでどの道無理ですが」
「じゃねぇか? ルードヴィグがスミレの手を握って腰を支えていたのも、魔王が聖女を抱え込んでいるように見えたようだぞ。スミレも平然としていたから、相思相愛に見えたのかもしれん。ブハッ、そう考えると笑えるな」
「額への接吻は、祝福ではなく洗脳と捉えられていましたが」
「くくっ、洗脳とは酷いですねぇ」
情報を拾ってきた者たちも、魔王の結婚など聞いたことがなかったため、首を傾げながら報告していたという。
妙な噂が立っても困るので、そのような事実はない、人族の勘違いだときっちり否定した。
そう言って、ブルーノは報告を終えた。
「それにしても、急遽予定を変更してイスフェルト城へ行くとメモが飛んできた時は驚きました。ブルーノにしては珍しいですね」
「ピットフォールが終わった後でカシュパルが提案したんだ。まあ、ルードヴィグがいれば多少の無理は効くし、スミレも乗り気になったんでな」
「思い残すことのないようにと思っただけだよ。もともと提案してみるつもりだったんだけど……、四方の騎士たちの会話が聞こえてさ。あいつら、スミレを見下して馬鹿にするようなことを言ったんだ。もう絶対イスフェルトは潰す!って思ったね。スミレがいるから抑えたけど」
耳のいい竜人族と獣人族だけでなく、視力と聴力を強化していた魔王もその会話を聞いたらしい。全員がカシュパルと同じく怒りを覚えたという。
何と言っていたのかと問うレイグラーフとスティーグの留守番組二人に、初めは口が重かった現地組も情報共有のために口を開いた。
その結果、日頃は温和なレイグラーフが烈火のごとく怒り狂っている。
「暴力を振るった者が、何という言い草! ……許せません。二度と侵攻できないようにしてやりましょう。イ軍平地を樹木で埋めてやります。また開墾しようとしてもすぐに埋めてやりますから! ルードもブルーノも、構いませんよね!?」
「まあ、あの場所がなきゃ霧の森で戦闘を継続するのはかなり難しくなるな」
「平地の向こう側の林と霧の森が繋がると、野獣の生息域も広がりそうですね」
「採用」
樹性精霊族は樹木の高速育成が可能だ。スミレが『転移』する時のために、レイグラーフは以前魔王城の正門付近の木立を十日ほどかけて拡張している。
しかし、激しい怒りを魔力に替えて注いだのか、会議の終了と共にイ軍平地へ直行した彼は三日余りで作業を終えたという。
スミレから回収した回復薬のうち、検証が済んで余っていた低ランクの回復薬の在庫処分になったとか何とか。
ピットフォール作戦終了後、スミレはイスフェルトを頭に浮かべなくなった。
ネトゲのマップを開いてもそちら方面を見ることもなく、マップからイ軍平地が消えていることにいつまで経っても気付かないのだった。
イスフェルト関連がようやく終わりました。次からは城下町での日常に戻ります。




