224話 イスフェルト城へ
『あはっ、あはははは! ……ハァ~、苦しい……もうスミレってば、お腹よじれてまともに飛べないじゃない。あーおかしかった~。何あのポーズ……プッ、あははっ』
「んもう。カシュパルさん、笑い過ぎですよ!」
上空へと上がっていく間、カシュパルはずっと笑っていた。そこまで爆笑されるほどおかしかったのかと思うと少々不本意だ。
何あのポーズと言われても、手の甲を頬に当てて少し体を逸らし気味にするのが高慢な女性のステレオタイプな高笑いじゃないの? ……くう、魔族女性の高笑いの仕方もグニラに訊いておけばよかったよ。
「カシュパル、いい加減真面目に飛べ」
『はいはい。じゃあスミレ、補助魔術で支援して』
「わかりましたー」
スタミナや素早さを上げる補助魔術をカシュパルに掛けると、フンッと鼻息を吐く音が聞こえて急にスピードが上がった。
気合いを入れたカシュパルの最高速はさすがに速い。と言っても、魔王の空気操作の魔術のおかげで風圧の影響がないから、高速飛行中でも皆問題なく回復薬を飲んでいるみたいだ。
最高速で飛んでいるカシュパルはもちろん、カシュパルの負担を減らすためにブルーノとクランツは重量軽減の魔術で自分を軽くしているし、魔王は空気操作と全体の重量軽減を強化してカシュパルの最高速を補助している。
何だかんだで全員が魔力を消費しているから、寄り道が決定した段階ですぐ回復薬を飲むと決めたブルーノの判断はさすがだね。
そして、飲み終えた回復薬の瓶はすかさず回収してどこでもストレージへ。瓶を落としたら回収が大変なのでね……。
驚いたことに、魔族は落下物が誰かに当たることよりごみの回収の方を気に掛ける。怪我や病気には無頓着なくせに、エレメンタルを重視するせいかエコにはうるさいんだよなぁ。
わたし以外全員が回復薬を飲み終えた。わたしは『落雷』に備えて到着間際に飲むように言われている。
そういえば、一番回復量が多いものをと思って『回復薬(究極)』を提供したけれど、今回のように長時間のミッションの場合は一定時間魔力が瞬時に回復し続ける『回復薬(究極)』単体より、同時に飲んだ回復薬の効果が半日持続する『精霊の回復薬』と回復薬の大か特大の組み合わせの方が良かったかもしれない。
予定外の高速移動と高火力攻撃が入ったとはいえ、もともと全員が魔力を消費する予定だったんだから、どうせなら今朝出発する前に皆で飲んでおけば良かったなと、今更ながらそう思った。
もしまたどこかへ遠出したり長時間の作戦に参加するようなことがあったら、その時はあらかじめ回復薬の合わせ技での魔力回復を提案しよう。
まあ、次があるかどうかは謎だけどね。今回みたいな大掛かりなミッションなんて、そうそうないと思うし。
魔王がレイグラーフとスティーグにメモで予定変更を知らせている。それを横目で見ながらブルーノに訊ねた。
「ブルーノさん、『落雷』の効果時間は何時間にしますか?」
『そんなの、最長の二十四時間に決まってるじゃない』
「あの連中と同じ二十四時間でいいだろ。あっちは『落雷』よりきつい仕置きを受けてるんだ、せめて時間くらい公平にしてやらんとなぁ?」
『ほらね!』
「わかりましたー」
わたしにしか見えないと思ってか、カシュパルがチャットで茶々を入れている。
それに苦笑いしつつも、わたしはイスフェルト城でどんな口上を述べるか考えを巡らせ始めた。
あのイスフェルト城へもう一度行くことになるとは思ってなかったので、正直複雑な心境だ。急に出された案だし、勢いだけで決めたようなところもあるから、まだ落ち着かなくてドキドキしている。
――十か月前に通ったルートを、今、反対側から逆行しているんだよなぁ。
眼下に広がる人族のエリアを眺めながら、イスフェルト城から逃げてきた日のことを思い出す。
マップのルート表示機能を使い、表示される黄色い矢印に沿って『移動』を連発し、いくつもの町を抜け、休憩も取らずにひたすら魔族国の入口である「境界門」を目指した。
アナイアレーション発動のために『回復薬(究極)』をがぶ飲みしたせいで、一日に飲める本数の上限を越してしまい、自然回復頼りで魔力がカツカツだったから大変だった。
霧の森から先は魔物が出るとネトゲのマニュアルに書かれていたので、さすがに夜間に進むのは危険だと夜明けまで村の麦畑の隅で横になって休んだ。あの時は思い付かなかったけど、『結界石』を使えば良かった。そうしたら少しは安心して仮眠が取れただろうに。
この休憩の時になって、ようやく自分の着ている白いドレスが血まみれなことに気付き、慌てて仮想空間のアイテム購入機能で茶色っぽい地味な服を購入して装備品を変更した。こんな目立つ格好で町なかを抜けて来たんじゃ、簡単に跡を追われてしまう。
早く逃げるためにも、水以外に何かお腹に入れないと力も出ない。そう思ったけれど食欲がなくて、それでも仮想空間のアイテム購入機能で買ったリンゴを無理矢理かじって食べた。食べ物の味がしないと感じたのはあの時が初めてだ。
霧の森では『魔物避け香』を使いつつ、それでも襲ってくる魔物とは戦わずにスルーして、ひたすら『移動』を連発して逃げ続けた。
休憩中に自然回復で一度は魔力がMAXに戻ったものの、回復薬はまだ飲めないままだったから『移動』以外で魔力を消費するのが怖かったのだ。
そうやって魔物からギリギリ何とか逃げ切り、ついにわたしは境界門までたどり着いた。
境界門に近づいていくと門の上部から誰何されたので、両手を上げて無抵抗を示しながら、イスフェルトから逃げてきた、魔王の庇護を願いたいと告げる。どう扱われるかわからないから、聖女だとは言わずにおいた。
初めて見る魔族の兵士は怖かったけれど、いい加減恐怖に対する感覚が麻痺していたのかもしれない。少なくともイスフェルトや霧の森にいた時ほど怖い思いをすることはないだろうと、根拠もなくそう思った。半ばどうにでもなれという気分になっていたような気もする。
襲ってこない上に丁寧に対応してくれるだけで十分紳士的だと思えたし、丸一日近く逃げ続けていて、とにかくもう疲れ切っていた。
門の中へ招き入れられた時の安堵感は一生忘れないと思う。あの時に出されたお茶の温かさも。
詳しい話は担当者が来てから聞くので、彼らが到着するまでの間少し休むようにと勧められ、簡易宿舎のような部屋に案内された。
埃まみれの服を着替える余裕すらなく、ベッドに崩れるように倒れ込んだ。「泥のように眠る」という表現を身をもって体験した。本当に、そんな感じで寝入ったと思う。
実際にはほんの30分くらいしか寝てなかったみたいだけど、おかげで多少頭もスッキリしたし、身支度に気を回す余裕もできた。
その後、亡命の担当者として現れたブルーノとカシュパルとレイグラーフの三人に詳しい事情を話すことになったから、休息を与えてもらえて助かった。
あの時、境界門で対応してくれた名も知らぬ兵士の皆さんには、本当に感謝している。
霧の森からイスフェルト城までの最短ルートを、カシュパルはものすごい速さで飛んでいく。自分たちの姿をイスフェルトの民に見せつけるためか、街道や町の上では結構低めに飛んでいくので下の様子がよく見えた。
この道も通っているはずなのに、全然見覚えがない。上空からと地上とでは景色が違って当然だし、今は逆行して反対側から見ているから仕方ないとはいえ、目立つ建物ですら記憶にない程必死だったのか。
ルート表示に従っていくつもの町の中を通ったけれど、血まみれのドレス姿の女が突然現れたと思ったら瞬時に姿が消えて、見掛けた人たちはさぞかしびっくりしただろう。
悪いことをしたな。トラウマになってなければいいけど。幻でも見たと思っていて欲しい。ああでも、イスフェルト軍が聖女の足取りを追って調査したそうだから無理か。きっと根掘り葉掘り話を聞かれたんだろうな……。
取り留めもない想いが後から後から湧いてきて収拾がつかなくなってきた。
いけない、さっさと対イスフェルト王の口上を考えないと。
ネトゲ仕様のメモ帳機能を立ち上げ、バーチャルなキーパッドを叩いて思い付いた文言を入力していく。演説と違って短くていいからと、急いで仕上げた。
イ軍平地では後半、悪役令嬢モードより冷酷さをワンランク上げたので、こちらも引き続きそのノリでいこう。練習する時間はないけれど、どうせわたし以外には見えないんだから、メモ帳をカンペにしてチラ見しながら言えばいいや。
スクリーン表示にして魔王に目を通してもらい、OKをもらった。背後にいるブルーノも右隣にいるクランツも覗き込んで読んでいる。空気の膜に覆われているとはいえ高速飛行中の竜の背中の上だというのに、何だかシュールな光景だ。ビジネスジェットか。
高速移動を続け、ついにイスフェルト城が見えてきた。城の手前には大きな街が広がっている。
回復薬を飲み準備を整えた。これでしばらくの間、好きなだけ魔力の大盤振る舞いができる。
『そろそろだね。城の上空をゆっくり二三周してから城の正面で空中に留まるよ』
「わかりました」
『王の居室は二階中央で、執務室はその右隣。王座の間は一階右側で、執務室の真下あたりだね。風の精霊からの連絡によると今イスフェルト王は執務室にいるらしいけど、『落雷』はどこに落とす?』
「右側に。現在地なのもありますけど、王座の間に落としたいので」
聖女召喚の魔法陣が設置されていた聖堂もアリかと思ったけれど、あそこは地下だし、限られた者しか立ち入れないようだった。外から見えなくて多くの人が知らない場所なら攻撃の意図が伝わりにくそうだ。
王座の間はイスフェルト王との謁見を行った場で、わたしが見せしめのために自裁した場所でもある。真上は執務室だし、本人だけじゃなく城勤めの人たちにもわかりやすく王への攻撃だと伝わるんじゃないかな。
イスフェルト城の手前にある大きな街の上空に差し掛かると、カシュパルは咆哮を上げながらの低空飛行に切り替えた。あちこちから悲鳴が聞こえる。国の中枢で人口の多い街だからか、これまで以上に威圧していくなぁ。
中央の大通りの正面にイスフェルト城がある。相変わらず無駄にでかい城だ。富や権力の象徴なんだろうけど、わたしには歴代聖女から搾取してきた証にしか見えない。
城の上空でカシュパルが旋回を始めた。咆哮に合わせ、わたしも演出を手伝おうと強めの『曇天』を広範囲に掛ける。イ軍平地と違って相手は建物の中だし、口上が聞こえないと困るので風雨の音がうるさい『荒天』はやめておいた。
空がフッと暗くなり、城の中や周囲の人の動きが慌ただしくなってきた。
カシュパルが城の正面に陣取る。魔王がわたしに拡声の魔術を掛けた。
これで最後だ。さあ、やるぞ!
「わたくしの名はヴァイオレット。イスフェルト王の身勝手な命により召喚され、魔力を搾取せんと無理矢理この世界に留められし者」
城のあちこちで、武官や女官らしき人々がこちらを見上げている。
わたしが着ている王妃と同じ最高位のドレス、しかも陽月星色の高級ドレスをその目に焼き付けて、上の連中にしっかりと報告してよね!
「同意のない召喚など拉致と同じ。ましてや力ずくで支配しようなど言語道断。宰相と四方の騎士は既に制裁を下した。次はお前だ、イスフェルト王!」
わたしは両腕を高く掲げると、効果時間も威力もMAXに設定した『落雷』を思い切りイスフェルト城に向けて放った。
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