221話 聖女ヴァイオレットの演説
演説の台詞を悪役令嬢っぽく修正してみました。
突然竜が現れた恐怖と、平地に乱入してきた巨大な狼とビッグホーンの体当たりを食らった者たちの悲鳴があちこちで上がっていたが、それが一気に静まった。
竜の背に乗り、名乗りを上げたわたしと魔王に兵士らの視線が集中する。
ブルーノの目論見どおりだ。ヒト型化している人数を減らした方がわたしと魔王に意識が集中する。そのために、わざわざクランツを降ろして獣化させ、ブルーノも獣化を解かないままでいるのだ。
今、眼下に見下ろすこのイ軍平地には一万人近い兵士が集まっているという。その視線が一斉に注がれているのを実感して、今更ながら足が震えてきた。
これまでの人生でこんな大勢の人の前に立ったことなんてないんだから、緊張するのは当然だよ。頑張れわたし!
魔王が拡声の魔術を掛けてくれているので、わたしの言葉はイ軍平地全体に届いたらしい。ざわめきが広がったと思ったら突然歓声が沸き上がった。一万人の大歓声だ、圧がすごい。
いつか行った野外ライブみたいだと、一瞬その時の光景が頭に浮かんだけど、すぐにそんな呑気な思いはかき消された。
「聖女! 聖女だ!!」
「聖女がイスフェルトに帰ってきたぞ!」
大歓声、喜びに満ちた顔。
手を叩き、拳を突き上げ、こちらへと伸ばされる手。
熱狂的な感情を宿した眼差し。
それらすべてがわたしに向けられている。
────気持ち悪い。
そうだった。イスフェルト城でわたしに注がれる視線のほどんどがこれだった。
聖女を求める者たちの目はいつもこうだ。
一方的にわたしに押し付けられた「聖女」という役職と、それに伴う力だけを見て、「佐々木すみれ」というわたし自身には一切頓着しない。
そして魔力を、聖女の力を、寄越せ寄越せと執拗に言い募るのだ。
吐きそう。そう思った瞬間、手をぎゅっと握られた。
びっくりして魔王の方を向いたら、至近距離に魔王の顔があった。
は!? な、ななな何ごと!!?
魔王は不意打ちを食らって固まるわたしの前髪を掻き上げると、額にそっと口づけた。驚きのあまり目を見開くしかできないわたしを見て魔王が不敵な笑みを浮かべる。
その途端、震えていた足も、吐き気をもよおしていた胸も、口から飛び出そうになっていた心臓も、すべてが落ち着きを取り戻した。兵士らの声の音量が上がったような気もしたけど、そんなことはどうだっていい。
これは祝福だ。国民証付与の儀式の時にもしてもらったのと同じヤツだ。
腰を支えていた手が背中をそっと撫でる。
魔王の祝福──わたしにとって最強の祝福を得て、むくむくと勇気と、そして反抗心が湧いてきた。
そうだ、わたしは魔族。魔族国の民。
魔王の祝福を受けた魔王族なんだ。
誰が聖女だよ。
イスフェルトに帰ってきただと? ふざけるな!!
「静まりなさい!」
わたしが右手を高く挙げ声を張り上げると、すーっと潮が引くかのように歓声がおさまった。
言うことは聞いてくれるんだな、今のところは。わたしが聖女だからってだけの理由だろうけど。
彼らの反応も、別に嫌がらせでやっているわけじゃないんだ。ただ単に、彼らの願いとわたしの気持ちが致命的なまでにすれ違っているだけで。
そう思ったら少し胸が痛んだけど、彼らが「佐々木すみれ」という個人がどうでもいいように、わたしも「イスフェルト」という国がどうでもいいんだ。
ごめんね、わたしのことは縁がなかったと諦めて欲しい。
イスフェルトと決別するために、わたしは演説を始める。
「あなたがたはこの度の挙兵を、魔族軍に攫われたわたくしを奪還するためだと聞かされているのではなくて? でもそれは事実とは異なっていてよ。身勝手な理由でわたくしをこの世界へ召喚し、同意を得ることもなく暴力でこの世界に固定した宰相と四方の騎士、そしてそれを命じたイスフェルト王を、わたくしは心の底から憎んでおりますの。あのような卑怯者どもが治める国になど居られませんわ。ですからわたくしは自らの意思でイスフェルトから魔族国へと逃れ、こちらにおられる魔王陛下に庇護していただきましたの。おかげで今は魔族国で心穏やかに過ごしておりますわ」
心の底から憎んでいる、という激しい言葉に再びざわめきが起こったが、続いてわたしの横にいるのが魔王だと聞いてざわめきは更に大きくなった。兵士の中には敵意を剥き出しにし、武器を手に取り掲げている者もいる。
わたしが再び「静まれ」と声を上げるとざわめきは少し収まったが、彼らの表情には不安と反感が滲んでいた。
まあ、当然だよね。突然敵の親玉が目の前に現れたら平静でいられるわけがないし、自分たちの聖女だと思っていた存在がその親玉に敬意を表していれば不満だろう。
でもね。この演説はわたしがあなたたちにしてあげられる唯一で最後のことだから、どうかわたしの話を聞いて、一人でも多くの命が救われて欲しい。
そう願いながらわたしは声を上げた。
「わたくしは自分の意思で魔王陛下の庇護下におりますの。つまり、あなたがたは偽りの戦闘に駆り出されようとしているのですわ。そのような戦闘で命を落とすこともありませんでしょう? それを告げに参りましたの。イスフェルトは長きにわたり民を欺いている。あなたがたに真実を教えて差し上げますわ。わたくしの話に耳を傾けなさい」
視界の隅に風の精霊が飛んでいく姿が見えた。どうやらカシュパルが演説音声の広域配信を始めたらしい。
近くの村に設けた駐屯地に、後方待機中の第二陣、第三陣がいるイスフェルト軍の施設。市場など王都内の各所に、イスフェルト城。二つの属国の王宮。わたし側の真実を確実に届けたい場所で、風の精霊たちが順次わたしの演説音声を放ってくれているはずだ。
そして、兵団のかなり後方で前方へ出ようと隊列をかき分けて来る者たちの姿が見えた。おそらく宰相と四方の騎士だ。
姿が見えないと思っていたが、わたしたちが陣取った平地の端とは反対側にいたんだろう。そして、わたしが好き勝手に演説するのを阻止しようとこちらへ向かっているのだ。
連中が来る前に、イスフェルトが民に隠していることを暴露してやらなければ。
わたしは覚えた演説原稿を淀みなく暗唱する。
「これまでの魔族国討伐も偽りでしたのよ。数十年に一度結成されてきた魔族国討伐軍は、討伐とは名ばかりで、その実態は霧の森で魔物討伐をするだけでしたの。霧の森から先の土地は魔素に満ちていて、人族が生きていける土地はない。霧の森に阻まれ、これ以上の領土拡張は事実上無理であるにも関わらず、王の権威を国民と属国に知らしめるためだけに、長年無意味な戦闘が行われてきたのです。兵士の命を、そして税と食料を無駄に費やして。酷い話ですわね」
イスフェルト軍が長年無意味な戦闘をしていたと告げると、「嘘だ!」という声が上がり出した。
自分たちだけでなく、親や先祖たちも行ってきた戦闘が無意味だったと聞かされたら否定したくなるのも無理はない。中にはその戦闘で家族や先祖が亡くなった者もいるのだろうから。
だが、高慢な悪役令嬢RP中のわたしはそういう者たちを悼んだりしない。
君たちが慈悲深いと思っている聖女などここにはいないのだとばかりに、冷たい視線で見下ろしながら演説を続ける。
「そもそも、聖女はイスフェルトだけのものではなくってよ。この世界では魔素の循環異常という災害が数十年に一度起こりますの。聖女召喚の魔法陣とは、魔素の循環異常が起こっている土地に現れ聖女を召喚し、聖女の力により状態異常を回復するためのもの。特定の国や部族に所属するものではない。その魔法陣を、理をまげて自国に固定したのが当時の聖女を娶った初代イスフェルト王。イスフェルトは聖女という存在を不当に私物化してきただけに過ぎませんのよ」
聖女はイスフェルトのものだと何の疑いもなく長年信じてきた兵士たちは、聖女を独占することに何の正当性もないと言われてかなり狼狽えているようだ。
でも、ごめんね。ここからもっときつい現実をお知らせするよ。
「わたくしは宰相と四方の騎士によって故郷と家族を奪われ、あまつさえ暴力で尊厳を侵されました。わたくしは生涯その者らを、そしてそれを命じたイスフェルト王を許しません。ですから、イスフェルト城を脱する時に聖女召喚の魔法陣を破壊してやりましたの。城の一部が壊れたのはその余波ですわね」
聖女召喚の魔法陣が破壊されたことをイスフェルト内で知るのはごくわずか。そんなトップシークレットを兵士らが知るわけもないが、城の一部が壊れたことを知る者はそれなりにいたらしい。
城が壊れたのが事実なら、聖女召喚の魔法陣が破壊されたのも事実なのでは。
そう考えて徐々に顔色が青褪めていく彼らを、高慢な悪役令嬢は無情にも絶望に突き落とすのだ。
「イスフェルトの兵士諸君、よくお聞きなさい? 聖女召喚の魔法陣が破壊された今、もう二度とこの世界に聖女は現れませんの。聖女の力がイスフェルトに戻ることは絶対にありませんわ。恨むなら王と宰相、四方の騎士らを恨むのですわね。わたくしはあの者らに復讐しただけに過ぎなくってよ」
頭を抱える者がいた。崩れ落ちる者もいる。でも、多くの者たちが「嘘だ」と口にしていた。
その声がだんだんと大きくなっていき、勢いづいていく。
「嘘だ! そんなことあるはずがない!」
「聖女は魔王に洗脳されているんだ!」
「そうだそうだ! さっき何か術を掛けられていたぞ!」
「そうに違いない!!」
どうやらさっきの祝福のキスを、魔王がわたしを魔術で洗脳したのだと思っているらしい。笑わせてくれる。魔力のない人族の一般兵が、魔術のことなど何も知らないだろうに。
予想していた反応なので、このまま演説を進めてもいいのだけれど、ああ、そろそろか――。
「そうだとも! 聖女様は魔王に洗脳されておるのだ。そうでなければ、あのような妄言を申されるはずがない! 勇敢なるイスフェルト兵よ、魔王に騙されてはならぬぞ! 先程聖女様が申されたのはすべてまやかし、魔王によって言わされておるだけに過ぎぬ! 決して信じてはならんぞ!!」
後方から一万の軍団をかき分けかき分けして、ようやくここまで辿り着いたらしい。
宰相と四方の騎士がわたしの前に現れた。
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