220話 イスフェルト軍と対峙する
演説の台詞を悪役令嬢っぽく修正してみました。
「スミレの着替えも済んだし、そろそろ飛行準備しようぜ」
「ルード、無茶しないでよ? あんまり締め付けたら、僕暴れるからね」
うん? 締め付けるって何だろう。これまでカシュパルの背に乗って飛ぶ時はいつも『とりもち』で胴体に足を固定したり持ち手を作ったりしていたけれど、今回は同乗する魔王がその辺りをすべて魔術で対応してくれることになっている。その関係かな。
竜化したカシュパルのしっぽをよじ登っていくわたしの横を、魔王がふわ~っと浮き上がっていく。何と、魔人族の半分くらいは浮遊魔術を使えるのだとか。
竜化すれば飛べる竜人族や足が速い獣人族並みの高速移動力を求めて魔人族の高位魔術師が編み出した特殊な魔術で、重量軽減の魔術を発展させたものらしい。ネトゲの魔術欄に載っていない魔術だったので、話を聞いた時はとても驚いた。
ただ、浮くこと自体にかなり魔力を消費する上に高さや速さをコントロールするにも相当量の魔力が必要なので、魔族軍の作戦ではあまり採用しないそうだ。
戦闘前に魔力の消耗を避けるのは当然だし、獣人族が担いで魔人族がスタミナ回復する方が手っ取り早くて効率が良いなら仕方ないか。スティーグも長距離移動なら馬に乗ると言っていたし。
ちなみに、魔人族と同じく高速移動力のなさそうな精霊族はどうかというと、どうもこの浮遊魔術には関心がないらしい。風や火などのエレメンタル系精霊族の一部は竜人族や獣人族より高速で移動できる上に、樹性や草性、岩性精霊族といった「移動」自体に関心を持たない種族が多く、需要がないから身につける努力もされなかったのだとか。
何とも精霊族らしい考え方だ。もちろんレイグラーフは例外で、きっちり浮遊魔術を身につけているらしいけれども。高いところの物を取るとか、高い塔の階段を上るのが面倒な時に重宝するとスティーグが言っていて、ちょっとうらやましかったからいつか習ってみたいなぁ。
魔王の指示で、カシュパルに乗せてもらう時にいつも座る位置へ立ってみる。一瞬足元がぐらついて、咄嗟にカシュパルの首に掴まってしまった。平らじゃない背中の上で何かに掴まらずに立つのは難しそうだ。演説の時は大丈夫だろうか。
そんなことを考えていたら、魔王が何やら魔術を使い始めた。当然無詠唱だから何をやっているのかまったくわからない……って、おお? 周囲の空間に光が屈折しているところが出てきたぞ?
どうやら腰のあたりまでの高さの透明な壁が作られたらしい。透明な腰壁がわたしの周りをぐるりと囲んでいるようで、気球にぶら下がっているバスケットの中にでもいるような感じになっている。
とりもちの持ち手の代わりにこの壁のへりを掴めと、なるほど。足元もいつの間にか固まっている。これならぐらつくことなく、安心して演説できそうだ。
そして、同じように透明な何かが腰と足首に巻き付いた。ほほう、こっちは安全ベルトというわけですね? これで飛行中も大丈夫、と。
この透明バスケットも同じようなベルトでカシュパルの胴体に括りつけられているんだろう。さっきカシュパルが「締め付けたら暴れる」と言っていたのは、たぶんそのことなんじゃないかな。
透明な腰壁の外、わたしの左側に魔王が、右側にクランツが立つ。クランツは腰壁のへりを掴めば十分で、魔王もへりと透明な安全ベルトで万全らしい。魔王には浮遊魔術もあるもんね。
『空中散歩の時と違って時間に余裕があるから、必死になってスピード上げる必要もないし、今回は僕すっごく楽だよ』
チャットの文字で視界に浮かんできたカシュパルの言葉を読んで、思わず苦笑してしまった。
空中散歩はタイトなスケジュールの中ハイスピードで移動したのに、イスフェルト侵攻の時はまったりでOKってどういうことなんだろうね? 前者は行楽、後者は曲がりなりにも軍事行動なのに。普通逆でしょ?
わたしが笑ったのを見て、こちらを向いていたカシュパルの口角が上がる。きっと、わたしをリラックスさせようと思って声を掛けてくれたんだろう。本当に、側近の二人はいい兄貴分なんだよなぁ。お兄ちゃん大好き!
それにしても、竜って微笑できるんだね。初めて知ったよ。
『よし、行くぞ』
『出発~っ』
「しゅっぱーつ!」
変化したカシュパルとブルーノの言葉の通訳は今日もわたしの担当だ。
獣化したブルーノの合図でカシュパルが強く羽ばたき始め、グンと飛び立つ。
離発着場のある洞窟を出た先は森の中の緑のトンネルだ。このトンネルの中をもう一度飛べるなんて思ってなかったので地味に嬉しい。
森を出ると同時に急上昇して高度が上がる。ぐっとかかるGに耐えつつも、今日のわたしには周囲の景色を眺める余裕があるみたいだ。
空が青いな~! それに、澄んだ空気が心地良い。思わず深呼吸してしまうよ。
上昇が終わり、水平飛行に移る。風圧も感じないし風切り音もない。今日は風よけ用の空気の膜も魔王が担当しているそうだ。カシュパルはこのあと風の精霊たちを使って演説の広域配信をするから、魔力を温存しておきたいらしい。
第四兵団の離発着場からイ軍平地へのルートは、若干遠回り気味になるものの、霧の森の外縁を辿るように組まれている。最短距離を行くことより、霧の森の中を突っ切る時間を短くすることを優先した結果だ。
わたしたちは森の上空を飛ぶけれど、ブルーノは森の樹木の下を走る。互いの姿を目視しづらくなる時間は極力減らしたい。カシュパルも高度を下げて、かなり森に近いところを飛んでいる。
「ブルーノさん、もうじき森を抜けますよ」
『おう、明るくなってきたな』
何事もなく霧の森を抜け、外縁を辿るルートに入って少し安心した。遮る樹木がなくなったので、下を走るブルーノとカシュパルにスタミナ回復の魔術を掛ける。
あとはこのままイ軍平地へ向かうだけだな。
霧の森を抜けてカシュパルとブルーノも少しリラックスしたのか、チャットの文字が視界に浮かんできた。
同じエリアにいれば距離が離れていてもわたしにはチャットが届くけれど、高度が低いからか、カシュパルとブルーノも互いの声が聞こえているみたいだ。
獣人族が耳がいいのは知っていたけど、竜人族も耳がいいんだなぁ。
『スミレさぁ、今日はムカついたらちゃんと攻撃しなよ? 今日を逃すともう一生機会がないかもしれないんだからね』
『あまり焚き付けるなと言いたいところだが俺も同意見だ。威力や的中具合はルードヴィグが調整するだろうから、間違っても殺しちまうことはねぇ。カッとなったらブッ放しといた方がいいぞ』
確かにそうかもしれない。
攻撃魔術を人に向かって放つことには戸惑いや恐怖感がある。だけど、宰相や四方の騎士を前にしたらきっと怒りが湧いてくるだろうし、殴ってやりたい気持ちになる可能性は高い。
それに、わたしがとまどいなく攻撃魔術を放てば、イスフェルトに敵対していると言葉で言うよりはっきりと伝わるだろう。
「そうですね……。イラッとしたら、一発か二発くらいブッ放すかもしれません」
「いいと思いますよ。魔王が調整してくれるでしょうし」
「うむ、任せろ」
変化しているからカシュパルとブルーノの言葉は魔王にはわからない。クランツも同族のブルーノの言葉はわかってもカシュパルの言葉はわからないはずだ。
でも、わたしの返事からおおよそのことは察したんだろう。魔王とクランツも彼らと同じことを言った。
『スミレより先にルードがキレたりしてね』
「そ、それはちょっと怖いなぁ……」
「心配するな。たいしたことはせぬ。せいぜい周囲を真空にしてしばらく息ができないようにするか、高高度への急上昇と急降下で驚かせるか、その程度だ」
「ちょっ、わたしルード様のことって言ってませんよ!? っていうか……え、本当にやるんですか? 結構きついですよね、それ」
『あはは、見た~い! 今日の祝勝会では絶対動画観賞会しようね――っと、そろそろイ軍平地が見えてくるよ』
『了解。クランツ、支度しろ』
「承知! では魔王、スミレを頼みます」
「ああ」
ブルーノと魔王と会話を交わすと、クランツはパッとカシュパルの体から飛び降りた。
うわあああ! スカイダイビングみたいなことをするって聞いてはいたけれど、実際に目の前で見たらぶわっと鳥肌が立ったよ! ひええ、怖いいぃ!!
慌てて下を覗き込んだら、広げていた両手足をサッと折り畳み、空中回転をして着陸するクランツが見えて、思わず「戦隊もののヒーローかよ!」と突っ込んでしまった。
どうなってるんですかね……。クランツの運動神経、マジでヤバいと思う。
地上に降り立ったクランツはすかさず獣化して、ブルーノと並走し始めた。彼ら二人は、イ軍平地にカシュパルが着陸したらその両脇に立ってイスフェルト兵を威嚇することになっている。
かっこいいだろうなぁ~。正面から見れたら動画やスクショで残せるのに!
『じゃあ、そろそろ僕らも行こうか。ルード、突入開始ってレイとスティーグに知らせてくれる?』
「突入開始するので、レイ先生とスティーグさんに知らせて欲しいそうです」
「わかった」
魔王がメモを飛ばした直後、新幹線がトンネルに入った時みたいに耳が詰まった感じになった。
あれ? と思う間もなくカシュパルが咆哮を上げる。どうやら魔王が魔術でわたしの耳を塞いでくれたらしい。うわあ、魔術ってこんなこともできるんだ。すごいな、さすが魔王。高位の魔術師すごい!
カシュパルの咆哮で、イ軍平地にいるすべてのイスフェルト兵が上空のわたしたちに気付いたようだ。おお~、皆こっちを見て慌てているよ。
イ軍平地の上空をカシュパルが旋回し始めたのとほぼ同時に、霧の森側から巨大な狼とビッグホーンがイ軍平地に駆け込んできた。
ちょっ! ブルーノとクランツの体当たりで兵士の皆さんが弾き飛ばされてるんですけど!? 何かこういう光景、ゲーム実況の動画で見たことあるなぁ……武器とか振り回して無双する感じのやつ……。
下見に来た時に決めていた位置の上空にカシュパルが留まり、強く羽ばたいてその場にいる兵士たちを吹き飛ばしている。……というか、それ微妙にウィンドカッター入ってない? 怪我とか大丈夫なの……?
カシュパルの羽ばたきと、ブルーノとクランツの体当たりのおかげで、着陸地点に必要なスペースを空けられたらしい。
スーッと高度を下げ、ズズンという地響きと共にカシュパルは着陸した。すかさずブルーノとクランツがその両脇に陣取る。
くう~っ、絶対かっこいい構図! でもわたしは上からしか見れない……って、いやいや、そんなことを考えている場合じゃないぞ!
カシュパルが体を少し斜めにして、わたしがイスフェルト兵からよく見えるようにしてくれた。
魔王がエスコートでもするかのようにわたしの左手を取り、もう片方の手でそっと腰を支えてくれる。
すぅっと背を伸ばし、深呼吸した。
わたしは悪役令嬢、わたしは悪役令嬢、わたしは悪役令嬢…………よし!!
鏡の前で繰り返し練習した時のように、優雅な、それでいて高慢な笑みを浮かべられているだろうか。
「イスフェルトの兵士諸君! わたくしの名はヴァイオレット。あなたがたが奪還すべしと命じられた存在でしてよ」
はいっ、無事に第一声出ました――ッ!!!
どうかこのまま、噛むことなく詰まることなく、無事に演説を終えられますように!
ブックマーク、いいね、☆の評価ありがとうございます!
ついにイスフェルト兵の前に立ちました。ここまで長かった……!!(笑)
しばらく対イスフェルトのシーンが続く予定です。




