219話 スミレ出陣
新年を迎えてからは、あっという間に日々が過ぎていった。
お泊まり会や女子会、ドローテアのお茶会にミルドたちとの食事会など、ちょこちょこ入ってくるイベントを楽しみつつ、雑貨屋の営業を続けている。
一度、新規の客が商品にケチをつけてきて揉めたりもしたけれど、巡回班を呼ばずに自分で対応できたのでちょっと嬉しかった。ちょうど、四番街へお惣菜タルトを買いに行った時に、珍しくナンパされたもののすんなりお断りできたという出来事も重なって、何となく自信に繋がったような気がしている。
わたしも城下町に住む魔族女性らしく、強さが身についてきたのかもしれない。
イスフェルトの侵攻に対する準備は順調に進んでいる。
陽月星色のドレスが完成したと連絡が来たので、ランヒルドの仕立て屋へ行きドレスを受け取ってきた。わたしが持っていれば、いつイスフェルトの侵攻が始まってもすぐにドレスを持って駆け付けられる。
自宅へ帰り、試着しようとして気付いたのだけれど、イスフェルト王妃が着るんだから、本来は侍女が数人がかりで着付けるドレスのはず。なのに、一人で着られるようになっている。
どうやらスティーグが頼んでくれたらしい。ドレス受け取りの報告をした時にそんなことを言っていた。
《だってねぇ、当日の出発地点はおそらく第四兵団の離発着施設になるでしょうけど、離宮からそこまでは空中散歩の時と同じくクランツに担がれての移動になると思うんですよ。姿は『透明化』で隠せるとしても、ドレスを着た状態のスミレさんを担いで運ぶのはちょっと無理があるでしょう?》
確かにそうだ。高速移動だし、どこでドレスを引っ掛けるかわからない。
もしこの高価なドレスをうっかり破いてしまったら……、うああ、想像しただけでゾッとする!
そんなことになったら、わたし立ち直れないよ! 高慢な悪役令嬢RPで演説なんて、とてもできそうにない。
《だから、離発着場に着いてからドレスに着替えることになると思うんです。機密性の高い軍の施設へはファンヌを連れて行けませんし、メイクはわたしが担当しますが、さすがに着替えを手伝うわけにはいきませんからねぇ。一人でも着られるよう、ランヒルドに仕立ててもらったんです》
ボタンが多くてちょっと大変だけど、自宅で試着できるから一人で着られるのはとても助かる。
ドレスは刺繍がびっしり入っていて、仮縫いの時より更にゴージャスになっていた。ありがたいことに見た目に反して重量は軽い。たぶん魔術陣か何かで軽量化してあるんだろう。
これまでドレスとは無縁の人生だったから、こんなすごいのを着て本当に演説なんてできるんだろうかと、ちょっと不安になってきた。当日の緊張を少しでも減らせるよう、少しでもドレスに慣れておくしかない。コルセットをしなくていいだけマシだと思おう。
陽月星色のドレスを着て鏡の前に立ち、音漏れ防止の結界を張ってさっそく演説の練習をする。原稿はもう暗記したし、表情や身振り手振りを加えようか。
声を出しているうちに、ドレス着用ではあまり大きく息を吸えないことに気付いた。当日は魔王が拡声の魔術を使ってくれるのでそこまで大声を出す必要はないのだけれど、演説なんだからある程度は声を張らないと格好がつかないと思う。
護身術を習い始めた時、ブルーノはまずわたしに大声を出す練習から始めさせたけれど、今回それが役に立った。
まさかこんな風に役立つ時が来るとは思わなかったなぁ。城下町へ引っ越してからの自主練でも声出しを続けておいて良かったよ。
イスフェルトは年明け早々に徴兵と訓練を再開したらしく、イ軍平地と近くの村に設けた駐屯地への兵糧の集積も開始したそうだ。
魔族軍第四兵団の諜報部隊や斥候などから集まる情報を基に、時々ブルーノが現況を伝えてくれる。イスフェルトの侵攻軍が駐屯地に入る頃には、霧の森の魔族国側に第一兵団の部隊が配置されるそうだ。
《まあ、魔族軍が直接イスフェルト兵と戦うことはまずないんだがな。魔術を使えねぇ人族じゃ相手にならんから、基本的には霧の森に棲む魔物を誘導して侵攻軍にけしかけてやる感じだ》
「イスフェルトは霧の森の半分までしか来られないらしいから、積極的な攻撃はあまり必要なさそうだとは思ってましたけど、何ていうか、魔族軍の対応って想像以上に地味なんですね……」
《しょうがねぇさ。あんまり死なれると霧の森にアンデッドの魔物が増えちまうだろ? 討伐の手間を増やしたくなきゃ手加減するしかねぇ》
「そうですね~。でも、直接戦闘しないなら負傷者も出ないでしょうし、安心しました」
《霧の森は結構強い魔獣も出るからまったく怪我しないってわけじゃねぇが、回復するだけだからあんまり関係ねぇぞ》
そうだった。うーん、病気や怪我に対する魔族のこの無頓着さは、まだ時々頭の中から抜け落ちるなぁ。
でも良かった。わたしのせいじゃないけど、わたしが原因で起ころうとしている侵攻で、魔族の誰かが深刻な怪我を負うことはないと思うとやっぱり安心する。
ドレスを着ての練習を何度か繰り返した後、回復薬を回収に来たついでにクランツに練習を見てもらった。
友人の前で一人演じるのは恥ずかしかったけど、どうせ当日は確実に見られるんだし、NG関連でもっと恥ずかしいやらかしをして来たことを思えば今更だ。
クランツの前でひと通り演説した後で感想を聞いてみると、意外なことにダメ出しもなく、からかったり皮肉を言ったりすることもなかった。珍しい。
どちらかと言うと褒められたのでわたしが驚いていると、クランツは鼻をフンと鳴らして皮肉った。
「真面目にこつこつと努力するところは、何かと抜けている君の貴重な長所ですからね。褒められる時に褒めておかないと」
「ちょっ、せっかく珍しく褒められたと思って喜んでたのにー! ……でも、クランツにはいつも練習に付き合ってもらって感謝してるんだ。ありがとうね」
そう、クランツには離宮に住み始めた頃から護衛してもらっていただけでなく、ブルーノに護身術を習い始めると同時に訓練にも付き合ってもらっていた。
今のわたしはいろんなことができるようになったけれど、その多くがクランツの手を借りて身につけたスキルだと思う。
わたしの感謝の言葉には特に反応を示さないないまま、クランツは練習を続けるようわたしを促し、そのまま練習に付き合い、夕食を一緒に食べて帰っていった。
今度から回復薬の回収に来た時は一緒に食事しようと約束したの、ちゃんと覚えててくれたんだなぁ。
クランツは口に出さない優しさでできている。
いかつい角がかっこいい、自慢の友達だよ。
そして、星の日の定休日。
いつものように小広場でコーヒーなどを楽しみ、帰宅したところへブルーノからXデー決定の一報が入った。
イスフェルトの侵攻日は三日後の陽の日に決まったと情報が入ってきたそうで、裏付けも取れたらしい。
二連休の定休日なら、雑貨屋を臨時休業しなくて済むからラッキーだ。
侵攻日の前夜、わたしは雑貨屋の営業を終えてから離宮へ帰り、ヴィオラ会議のメンバーと最終的な打ち合わせを済ませた。
イスフェルト軍の第一陣は明日の早朝から行軍を開始、午前のうちにイ軍平地へ到着。休憩を取った後、小隊に分かれ霧の森へ突入を開始する予定らしい。
こちらも早朝から行動することになる。
明日か……。できる限りの準備はした。後はやり切るだけだ。
「あまり気負うな。何が起ころうと我々がフォローしてやる。思い残すことのないよう、好きに振る舞え」
会議が終わって皆が退室していく中、魔王がわたしの頭をくしゃくしゃと撫でながらそう言った。
そうだ、この世界で一番強くて万能な魔王が一緒なんだから、何も恐れることなんてない。大船に乗ったつもりで挑むぞー!
翌早朝。わたしは目隠しした上で『透明化』で姿を隠し、クランツに肩に担がれて移動した。
空中散歩の時は透明化なしで移動したが、イ軍平地の下見の時と同様に今回もかなり厳重にわたしの存在を秘している。イスフェルト軍の前に聖女が現れたその日に、わたしが城内にいたという形跡を残さないためだ。聖女と人族の亡命者であるわたしを結び付けられるのは何としても避けたい。
第四兵団の離発着場に到着すると、既にブルーノとスティーグがいた。スティーグはわたしにメイクを施すために早めに来てくれたんだろう。
今日の予定では、魔王とクランツはわたしと共にカシュパルの背に乗って出発、ブルーノは獣化して追従する。そして、スティーグはわたしにメイクを施した後は城へ戻って非常時に備え、レイグラーフは離発着場に残って部外者の立ち入り禁止を維持する担当だ。
わたしは別室を借りて陽月星色のドレスに着替え始める。どこでもストレージに入れておけば文字通りどこででも取り出せるから、こういう時ネトゲ仕様は本当に便利だ。
着替え終えた後、そのまま別室でスティーグにメイクしてもらったのだけれど、久々だったのでちょっとドキドキした。顔が近かったのと、異性に触れられる機会が滅多にない城下町の暮らしにすっかり慣れてしまったせいだと思う。
クランツには肩に担がれたり護身術の訓練をしたりと触れまくりなのに、あのイケメンフェイスを間近で見てても平気だなんて、慣れって恐ろしいわ――ってそんなことより! 派手メイクですよ、派手メイク!
魔族女性の派手メイクは見慣れているけれど、初めて自分の顔に施される派手メイクは全然別物で、度肝を抜かれるすごさだった。
全体的にラメラメな感じなのは、陽月星色のドレスに合わせることを考えれば、まあわかる。けど、アイシャドーなんかはもう、目の上がオレンジで下はパープルという、ちょっと理解の範疇を超える色が乗せられて。
アイラインとかマスカラががっつりなのは当然だと思うけど、黒以外にグリーンやネイビーも使っているみたいだし。
リップは朱色? 習字で先生に手直しされる時のあの色よ。この地味顔に。
なのに、これが何故か、びっくりするくらい素敵で艶やかで! 自分でも信じられないくらい似合っていた。
「うわーっ! スミレ、すっごく似合ってるよ!」
「おっ、マジでいいじゃねぇか」
「うむ」
「は、派手すぎませんか、スティーグ! いけません、これでは魔族男性が寄ってきてしまいます!」
「大丈夫ですよ、レイ。我々以外に見る者はいません」
別室から出たらヴィオラ会議のメンバーが揃っていて、彼らからの評価も上々。
スティーグの腕前がすごいだけだというのに、ちょっと舞い上がってしまいそうだ。だってモード系のモデルみたいなんだもの! うう、記念にスクショ撮っておこう。
スティーグが言うには、召喚当時のわたしはスッピンにしか見えないナチュラルメイクだったことを考慮して、イスフェルトの連中から見てもちゃんとわたし本人だと認識できるよう面影はしっかり残したそうだ。その上で陽月星色のドレスに負けないくらいのゴージャス感もりもりにしたんだとか。
「女性のメイクとドレスは武装ですからねぇ。さあ、スミレさん。祝勝会の用意をしておきますから、存分に戦ってらっしゃい」
ポンとスティーグに背中を押される。
準備は整った。
よし、いざ出陣!!
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