209話 毒と解毒剤の調合と薬草園での採集実習
里帰り二日目の朝はいつもより早起きした。午前の早い時間帯に解毒剤の講義が入っているため、それに合わせて朝食の時間も繰り上がったからだ。
それでも、わたしは朝からしっかり食べる派なので朝食を抜くという選択肢はハナからない。
そして、抜かなくて正解だったんだよ。だって朝食にシナモンロールが登場したんだから! 思わず手を叩いて喜んでしまった。
「わあ、離宮で食べるのは初めてだよ~」
「フフ、少し前から城の食事に出されるようになったのよ」
「評判はどう?」
「もちろんいいわよ。アレンジメニューが増えることはあっても、見た目も新しいメニューが増えることなんてないもの。料理人以外も大喜びだわ」
「そっか、よかった」
料理の完成時に既存メニューのグラフィックに置き換えられてしまうネトゲ仕様において、通常なら独自のグラフィックを持つメニューが増えることはない。
たまたまわたしがネトゲのバグというか設定ミスを見つけ、そのレシピを商業ギルドで発掘できたのは本当にラッキーだった。
おかげで貴重なメニューが一品増えたわけで、このシナモンロールのレシピ発見はわたしの魔族国への最大の貢献になるかもしれないと思う程だ。
今度の赤の精霊祭ではファンヌも半日ほど部族の里へ帰るそうで、その時にはシナモンロールを手土産にするつもりらしい。
へへへ、皆の食生活に彩りを添えられたなら嬉しいな。
にんまりしながらおいしく朝食を食べ終えると、迎えに来たクランツと共にレイグラーフの住む研究院用の住居棟へと向かった。
今日はレイグラーフの予定の合間を縫って講義と調合をするので、空き時間も彼の自宅で待機して過ごすことになっている。
わたしに無理をさせたがらないレイグラーフにしてはかなり強行なスケジュールだ。今日を逃すと次の定休日までお預けになってしまうから、どうしても今日中にわたしが調合した毒と解毒剤を入手したいんだろう。
まあ、薬効が上がる聖女のチートが回復薬以外には効かないかもしれないとなれば、レイグラーフなら確認したくて堪らないだろうし、つい無理をしてしまうのもわかる。
わたしは雑貨屋を臨時休業してレイグラーフの予定に合わせると言ったんだけど、それはダメだと固辞された。いつもお世話になっている師のためなら、一日くらい店を休んだってかまわないのに。本当に生真面目なんだから。
でも、レイグラーフらしいとも思う。この人がわたしの師で良かったなぁ。大好きな自慢の先生だよ。
「朝早くから来てもらってすみませんね、スミレ」
「とんでもないですよ、レイ先生。忙しいのに時間を割いてくれてありがとう。今日一日よろしくお願いします!」
「クランツも、付き合わせてしまってすみませんね」
「かまいません。復習になるから悪くないですよ」
クランツに聞いた話によると、近衛兵になるには毒と解毒剤の知識がいるそうで、調合はしなかったものの取り扱いについては学校で修得済みなんだとか。
毒や解毒剤の取り扱いを学ぶ必要があるような危険が魔王城内にあるとは思わなかったので、その話を聞いて驚いた。でも、国の中枢なんだからいろんな思惑や悪意なんかが潜んでいて当然だろうし、平和な国でも用心は必要か。
さっそく解毒剤の講義を始めてもらい、次の予定の時間ギリギリまで続いた。そして、レイグラーフが研究院へ戻っている間は主にクランツと訓練して過ごした。もちろん家主の許可は取ってある。
しばらく前から訓練には応接セットやテーブルで向かい合わせに座っている場合の護身術が加わった。たぶん串焼き屋で酔っ払いに絡まれたせいだろう。
魔族の知り合いも増え、一人でぶらりと出掛ける場所も増えたから、以前よりトラブルに遭う確率が上がったとブルーノは見ているのかもしれない。
何にしろ、生存戦略の教官とも言えるブルーノがやっておけと言うならやらないという選択肢はない。せっせと練習して身に着けよう。
昼食は保存庫で持参したサンドイッチを食べ、食後のお茶を飲みながら調合の予習をしておく。
そして、レイグラーフが戻って来て、いよいよ調合の実習開始だ。
まずは毒の調合から。回復薬では使わない抽出用の調合器具の使い方を教わり、続いて素材をゴリゴリしたり計ったりして作業を進めていった。
ルリハチョウの羽は鱗粉のみを使う。羽から鱗粉を擦り落とす作業は息で鱗粉を吹き飛ばしそうで緊張する。いや、それよりも吸い込みそうで怖い。
「ううぅ、マスクないからスカーフでも巻こうかな……」
「何のために?」
「だって、毒の材料を吸い込んだらヤバそうじゃない」
「体調が悪くなったら回復か状態異常回復のどちらかを使えばいいだけでは?」
「ハッ! そうだった」
「回復は得意分野だというのに、君は本当に時々抜けてますね」
うう、元の世界の怪我や病気に対する感覚って、なかなか抜けないなぁ……。
クランツに呆れられたけど、でもそうか、わたしはどんな毒を受けたって自分で治せるんだ、と思ったら一気に気が楽になった。
ハハハ、毒の調合も怖くないぞー!
そう思ったのも束の間、アカメオオミミズやツノイナゴの燻製といった気味の悪い素材を扱いながら、わたしは盛大にヒーヒー泣き言を言った。
うええ……。毒の素材マジキモイ。鳥肌立ちっぱなしだよ。
レイグラーフの指示に従い複数の毒を調合し、一旦休憩。お茶を飲んで休んだら今度は解毒剤の調合だ。
毒とは違って解毒剤は虫系素材がないので助かった。だけど、その代わり何だかにおいのキツイ素材が多くて、これはこれで閉口するなぁ……。
においを嗅がずに済むようにと口で呼吸していたら、毒の時と同じくマスクをしたい気分になった。うう、におい成分が口に入ってそうで嫌だよぉ……。
結局、解毒剤も弱音を吐きながら調合し、何とか無事に調合の実習を終えた。午後はずっとこんなだったな……。
でもその甲斐あって、レイグラーフは現在わたしが調合できるすべての毒と解毒剤を入手できて大喜びしていたので、弟子としては頑張って良かったと思う。
大喜びしたレイグラーフはすぐさま薬効の調査に突入したようで、翌日店を閉めているところへ結果報告の伝言が飛んできた。
《スミレ! やはり毒と解毒剤も薬効の上昇は見られませんでした。聖女のチートが効果を及ぼすのは回復薬と特殊回復薬だけと考えて良さそうです!》
おお、わたしの作る薬の効果が上がるのは回復系だけと確定したっぽいぞ。
良かった。これでわたしが今後毒や解毒剤の調合を頼まれることはないだろう。
虫系素材やにおいのキツイ素材を調合するのが嫌というだけでなく、やっぱり毒を作るというのは抵抗があるから、作らないで済むならその方がありがたい。
それに、聖女のチートが万能じゃないとわかって、ホッとしている自分がいる。
「そうですか。じゃあ、わたしは聖女という役職の、単に回復系が得意なだけの人ってことですね。何だかちょっと気が楽になりました」
《単に、というには強力ですけどね。ところでその得意の回復系ですが、今後も回復薬の調合を続けますか? 検証はほぼ完了しましたが、実績未解除の調合レシピがあるのでしょう?》
「はい。『魔物避け香』の時みたいに未発見のレシピかもしれませんし、頑張って解除を目指そうと思います」
《回収用のラベル貼りが手間かもしれませんが、引き続きお願いしますね》
「わかりました。任せてください!」
回収するのはクランツだというのに、勝手に話を進めるなんて悪い師弟だ。
調合レベルと薬効プラスの関係も明らかになったことだし、もう急いで調査する必要もないから今後は余裕をもって回収してもらおうか。
それに、回収に来る時にクランツと一緒に食事するのもいいなぁ。今度話してみよう。
星の日の定休日には研究院の薬草園で採集の実習を行った。
今回もクランツが同行しているので、薬草園へ向かいながら回復薬回収時に食事をしないかと持ち掛けたら快諾してくれた。やったね!
調合の実習の時と同じく今日もバルボラとヴィヴィを着ているが、今日は屋外なので『革の帽子』もかぶっている。
更に毒のある素材を採集するかもしれないから『作業用手袋』と、薬草園では蝶などの採集もするそうなので『捕獲用網』も持参した。
雑貨屋で取り扱う商品を決める時に、どちらも冒険者が素材採集に使うとミルドに言われて置くことにしたけれど、まさか自分が採集するために使う時が来るとは思わなかったなぁ。
レイグラーフの指示の下、次々と素材を採集していく。
この薬草園には約60種類の素材が栽培されているそうで、午前中は区画ごとに分けられた畑のようなところで採集し、午後は温室のような施設で採集した。
時々虫を見掛けたらすかさず捕獲用網で捕まえるんだけど、捕まえたあとが大変で、結局わたしはまたもや虫の取り扱いでヒーヒー泣き言を言う羽目になった。
わたしだって小学生の頃は虫取りくらいしていたから、毛虫はともかく蝶や甲虫くらいなら大丈夫だと思っていたのに……。捕まえたツノイナゴをつまんだ瞬間、腹のプニッとした感触にうひい!と鳥肌が立った。
子供の頃は全然平気だったのに、いつの間にこんなに苦手になったんだろう。
くっ、これが大人になるということか……。
薬草園での実習を終えた翌日、サロモがレンタルサービスの件で来店した。
サバイバル道具類が上位ランク冒険者に行き渡り、レンタルサービスの利用者が中堅ランクへと移って以来、予約状況にかなり余裕が出てきた。
そこで、犬族冒険者集団へのレンタルの制限を月1回から2回に緩和しようと思い、サロモに連絡したのだ。
わたしの申し出をサロモはとても喜んでくれていて、さっそく今月2回目の予約を入れるつもりで来たらしいのだけれども。
「それじゃ、次の土の日はどうかな」
「あ、すみません。その日はちょっと外せない用事があるので、臨時休業する予定なんです」
「へえ~。珍しいね、臨時休業なんて」
「実は、聖地へ行く人に同行させてもらえることになったんです。で、この機会を逃すわけにはいかないと思って、思い切って休むことにしました」
「それは良かったね! うんうん、魔族なら一度は聖地に行っておかないと」
魔王たちがスケジュールの調整に骨を折ってくれたらしいのだが、聖地訪問日を雑貨屋の定休日にするのは叶わなかったと、先日スティーグが申し訳なさそうに連絡してきた。
元々決まっていた次期魔王との聖地訪問に便乗させてもらうんだから、こちらが彼らのスケジュールに合わせて当然なので、気にしなくていいのにね。
それにしても、予想以上にサロモが笑顔で聖地行きを勧めてくる。聖地を訪問することは魔族にとってかなり好印象みたいだ。
そういえば、フィールドでの実習場所が聖地に決まったと聞いてレイグラーフもとても喜んでいた。以前から一度わたしを連れて行きたいと考えていたらしい。
魔族は成人すると里の者に連れられて聖地を訪れる。聖地訪問はおめでたいことなので、知人友人なら喜んでくれるから教えてもいいと言われている。
サロモの様子を見るに、レイグラーフの言うとおりのようだ。
でも、喜んでもらえるのは嬉しいけれど、訪問目的が採集だからちょっと後ろめたくなってきた。
人に話すのは控えめにしておこうかな……。うう、迷うぅ。
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