198話 参考文献の調達と本屋での出会い
帰りは遅くなったのでクランツに送ってもらうことになった。離宮に泊まればクランツの手を煩わせずに済んだのだけれど、明日は朝から約束がある。招集が掛かった時には既に約束していたので仕方がない。
馬車に揺られながら、クランツとぽつぽつ言葉を交わす。今日は日帰りであまり時間がなかったし、さして重要とも思ってないから会合では訊ねなかったが、聖女の回復薬や究極の魔石の件が起きて以来胸に疑問が湧いている。
「ねえ、クランツ。過去の聖女はネトゲ仕様を利用してなかったのかなぁ」
「それは間違いないと、魔王たちは考えていますよ。他の聖女もネトゲの空の魔石に魔力を注げば究極の魔石になった可能性は高いですが、イスフェルトには究極の魔石の情報はないようです」
「究極の魔石のことを知ってたら、あの強欲なイスフェルトが作らせないわけないもんね」
「それに、ドワーフ製の武器や防具、エルフの回復薬などが使われている様子もない。それらがあれば霧の森の攻略も少しはマシになったはずです。ただ、ネトゲ仕様がなかったのか、使い方がわからなかっただけなのかは不明との見解でした」
そうか。過去の聖女がわたしと同じ時代、同じ場所から来たとは限らない。ゲームのことを知らなければ使えないかもしれないね。
わたしにだけ特別にネトゲ仕様が備わっていたとは思わないけれど、使えなければないと一緒か。
はまり込んでプレイしたネトゲはMMOの1タイトルだけだけど、ネトゲやってて良かったなぁ。
翌朝、いつもどおりマッツのパン屋とロヴネルのスープ屋へ行く。昨日のうちに帰宅したのは彼らとの約束があったからだ。
どちらの店も新メニューを投入するそうで、彼らが「スミレホイホイ作戦」と呼ぶ、店先に置かれたベンチでおいしそうに食べて客を呼び込むという試みへの協力を頼まれている。だから人をGみたいに呼ぶなと……うう。
本当に効果があるのかいつも半信半疑で引き受けているこの作戦だが、今回の新メニューはどちらにも関わっているので喜んで引き受けた。
マッツの方の新メニューはレシピ発掘に関わったシナモンロール。プロの料理人が作ったのを食べるのは初めてなのでとても楽しみ。
そしてロヴネルの方はというと、マッツにシナモンロールのレシピをプレゼントした時に、新レシピを羨ましがるロヴネルを宥めるためにコーンポタージュっぽいものを提案した。
レシピの権利が発生すると面倒なのでポタージュという名称は伏せ、クリームシチューのアレンジの範疇に収めてある。どうせクリームシチューのグラフィックに置き換わるだろうしね。
すり潰したトウモロコシを具に使い、ほんのり甘くとろみのあるスープに仕立ててはどうかと大雑把な提案をしただけだが、ロヴネルならきっとおいしいコーンポタージュに仕上げてくれるだろう。
いつもどおり渡されたトレーを手に店先のベンチに座って食べ始める。
新メニューはどちらも期待どおりのおいしさで、あんまりおいしかったからつい作戦のことも忘れて夢中で食べてしまった。
ヤバイ。客は4、5人しか店へ入っていない気がする。
食器を返しに行った時に味の感想を伝えつつ役に立てなかったと謝ったら、二人にそれぞれ笑い飛ばされた。
「はっはっは。わかっとらんのう。朝そこを通るのは朝食を済ませた通勤途中のやつの方が多いんじゃ。スミレちゃんがうまそうに食ってるのを見た連中が押し寄せるのは今日の昼、それから明日の朝じゃよ!」
「何だ、お前今まで気付いてなかったのか。ハハハ、明日の朝トウモロコシのスープの鍋を見たらいい。売れてるのがわかるからな。おっと、お前は他のもの注文してくれよ。減りが早くて補充が追い付かなくなるからな」
翌朝知ることになるのだが、確かに新メニューのスープ鍋もパンの籠も残り少なかったし、イートインのテーブル席を見てもコーンポタージュとシナモンロールを食べている客が多かった。
作戦の効果だと思っていいのかなぁ? でも、彼らがそう思っているならそれでいいか。期待に応えられたなら嬉しい。役に立てて良かった。
どちらのメニューも魔族に受け入れられるといいな。
さて。今日は星の日なので、いつもなら朝食帰りに商業ギルド裏手の小さな広場へ行くのだが、今日は一旦家へ帰る。グニラと少々込み入った話をするつもりなのだ。
グニラに『お手すきの時に連絡ください』とメモを送ると、すぐに返事が伝言で飛んできた。
《おはようスミレちゃん。約束は来週じゃが、都合でも悪くなったのかえ?》
先月の後半ごろグニラから陽月星記のオタトークをする集まり――グニラにより陽月星記同好会と命名された――開催の打診があったのだが、ちょうどナータンの件が勃発していてわたしの方はしばらく予定が立てられなかった。ようやく落ち着いたので先週連絡を取り、来週開催と決定したのだ。
「おはようございます、グニラおばあちゃん。いえ、約束の件はそのままで大丈夫なんですが、ちょっとお訊ねしたいことがありまして。地位の高い女性や高圧的な話し方をする女性、ホ~ッホッホと高笑いする女性が登場する物語をご存じだったら教えてもらえませんか」
離宮での会合にて、イスフェルトでキャラ付けしてきた「身分の高い女性のように高圧的な話し方をする聖女」路線で演説すると魔王たちに宣言したわたし。
そのキャラで演説しきるにはイメトレが必須だし、それには参考文献を集めて貴族言葉の語彙を増やさなければならない。
その参考文献についてレイグラーフに訊ねてみたが、学術方面はずば抜けている彼も文芸方面は詳しくないようで、それならグニラはどうだろうかと思いついたのだ。グニラは大の陽月星記愛好家だし、文芸方面の造詣が深そうな気がする。
《また変わった質問じゃのう。すぐには思い浮かばんが……本屋でお前さんの言う条件で本が見つからんかったら、竜人族の女が登場する物語でも紹介してもらったらどうじゃろう。竜人族は気位の高いヤツが結構おるでのう》
なるほど。竜人族は誇り高い部族だというから、確かに参考になりそうだ。隣人のドローテアは高慢ではないが話し方はとても上品だし、何よりリアルでホホホと笑う唯一の知人でもある。
この世界の本屋は図書館のようにレファレンスサービスもしてくれるから、もともとこの後本屋へ行って参考文献を探してもらうつもりだったが、漠然とした注文では探すのも大変だろうと思っていたので、具体的なキーワードをもらえたのは非常にありがたい。
「でもその流れだと『高圧的な話し方をする=竜人族』と考えていると思われそうなんですけど、差し障りないでしょうか」
「本人たち以外はほとんどの魔族がそう思っとるから構わんじゃろ。店員が竜人族じゃったら日を改めるしかないがのう」
心配だったので念のため訊ねてみたが、精霊族の部族長であるグニラがそう言うんだからまず大丈夫だろう。
何か作品が思い浮かんだら知らせると言ってくれたグニラに御礼を言って伝言を終え、ダッシュで本屋へと向かう。
本屋の店員は褐色の肌に黄色の目で、ラッキーなことに竜人族ではなかった。
わたしは店員に、地位が高い女性、高圧的な話し方をする女性、ホ~ッホッホと高笑いをする女性が登場する物語を探していると伝える。
店員はすぐに思い当たる作品がなかったようで、調べるから少し待つように言われた。もし該当なしと言われたら竜人族の女性で再度探してもらおう。それもダメだったら男性でもいいや。参考になるものが何もないよりはマシだ。
探してもらっている間、手持ち無沙汰なので店内をブラブラしながら本棚に並ぶ背表紙を眺める。
娯楽の少ないこの異世界で読書は貴重な娯楽だが、これまでは必要に迫られて読む本が多かった。まだまだ学ばなければならないことが多いわたしだけれど、たまには学びから完全に離れて、装丁やタイトルだけで気ままに選んだ本を読んでみるのもいいかもなぁ。
そんなことを考えつつ文芸ジャンルのエリアを彷徨っていたら、一人の男性が本棚の前で佇み、ジッと一点を見つめているのを見掛けた。
通路を塞ぎそうなガタイ、そして頭にスカーフを巻いているこの男性は……。
「ウルマスさん? ですよね、こんにちは」
「うわっ、び、びっくりした……。確か元人族で、3号室の」
「はい、雑貨屋のスミレです」
彼は1号室のウルマス。オーグレーン荘の住人だが滅多に会うことはない。
学生である彼の主な活動エリアは学校がある五番街だろうし、朝から晩まで自由に時間割を組める学生とは活動時間も違って当然だから、顔を見なくても不思議に思ってなかったけれど、意外なところで会うものだ。
本屋なら五番街にもたくさんあるだろうに、一番街でも端の方にあるこの店まで足を伸ばすなんて、よほど勉強熱心なのかな。
意外には思ったものの、追求する程のことでもない。スカーフで髪を隠している彼はわたしと同じで恋愛お断りだ。口数の少ない人だったという覚えがあるし、世間話を喜ぶ相手でもないだろう。
挨拶だけ交わしてササッと通り過ぎようとしたわたしに、何故かウルマスは話し掛けてきた。
「あの……本屋にはよく来るんですか」
「えーっと、ひと月に1回くらいでしょうか」
「読書、好きなんです?」
「はあ、結構好きな方だとは思います。でも今は、魔族国や魔族社会について学ぶための読書がメインですね」
まさかウルマスがわたし自身について訊ねてくるとは思わなかった。
オーグレーン荘に引っ越してから早4か月半経つが、初めて彼と会話らしい会話をした気がする。
あれ、意外と立ち話を楽しむ派? だったら、聞かれっぱなしじゃなく、わたしも何か聞かないと失礼かな。
「今日も学習用の本を?」
「はい、そうです。今探してもらってて……。ウルマスさんも調べ物ですか? 学校のある五番街からはだいぶ遠いですけど」
「いえ……。実は、この本屋には俺の書いた本が1冊だけ置かれていて、売れたかどうか時々見に来てるんです」
「えええっ!? ウルマスさん、作家なんですか!?」
マジで!? そんなこと黒竜の執事はもちろん、ドローテアもターヴィも言わなかったよ! ただの学生だと思ってたのに。
というか、魔族にも作家さんいるんだ。そりゃこうやって本屋があるんだし、陽月星記みたいな超長編もあるんだから当然いるんだろうけど。
まさか、こんな身近にそういう職業の魔族がいるとは思わなかったよ!
「うわ~っ、知りませんでした。オーグレーン荘の人、誰もそんなこと言わなかったから」
「言わなくて当然です。誰も知りませんから」
「えっ、内緒にしてるんですか?」
「いえ、そうじゃないですけど……。1作品しか書いてないし、まったく売れてないから、作家なんて名乗れるような存在じゃないんです」
おおう……これは、どう返すのが正解なのか……。
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