183話 空中散歩
※今回文中に登場する「変化」はすべて「へんげ」で竜化・獣化を指します。
わたしとレイグラーフは竜化したカシュパルの背に跨がると、両脚をとりもちで固定していった。
手は固定しないが、捕まれるようにとりもちを取っ手のような形にしてカシュパルの背中にくっつけてみる。かなり速度を上げる区間もあるそうなので、その時はこれに捕まろう。
『スミレ、僕の言葉見えてる?』
「はい、バッチリです!」
カシュパルの言葉が文字となって視界に浮かぶ。変化した者の発した言葉がネトゲ仕様のチャットに反映される、この現象を見るのは久しぶりだ。
変化するとコミュニケーション面が厄介なことになる。変化する側はヒト型の言葉がわかるが、ヒト型側は同族の変化者以外の言葉は理解できなくなるのだ。
変化した者同士の会話は通常どおりなので、ブルーノが獣化したらカシュパルとは会話が可能になる。同族だからヒト型のクランツとも会話可能だ。
『指示系統で困ることはほぼないと思うけど、レイは変化者二人の言葉がわからないし、クランツも竜化した僕の言葉はわからないから、全員と会話が可能なスミレが通訳してあげてね』
「はいっ、任せてください」
カシュパルに搭乗する上空チームの意志疎通はわたしにかかっている。
気合い入れていくぞー! おーっ!!
『皆、準備はいい? そろそろ出発しようよ』
「準備はいい? そろそろ出発しようよ、と言ってます」
「おう。レイグラーフ、計測の魔術具の準備は済んだな? んじゃ、外へ出るぞ。俺も獣化する」
ブルーノがそう言った直後、ズズンという音と共に一瞬でブルーノの姿が鈍色の狼に変わった。
ふおおお、かっこいい!! 普段は強面なブルーノだけど獣化したら精悍に見えるから不思議! 青い目だからかシベリアンハスキーっぽい雰囲気もある。
ふう、危ない危ない。両脚を固定してなかったら駆け寄ってモフってしまったかもしれない。デコピンで済まないところだった。
というか、思っていたより断然大きい。カシュパルよりふた回りくらい小さいけれど、狼としては破格の大きさだ。今はカシュパルの背中から見下ろしているからあまり感じないが、下で見たらすごい迫力だったろうな。
『おいスミレ』
「ハッ!? はい、何でしょう」
『見えてるみてぇだな。んじゃ、いろいろ確認するぞ』
いけない、獣化したブルーノに見とれていた。わたしは慌ててブルーノの言葉に集中する。
まずはチャットが届く範囲を確認。いろいろと試した結果、同じエリア内にいれば距離に関係なく届くとわかった。変化者同士では声が届く範囲でしか会話できないそうで、地上を走るブルーノの言葉が上空チームに届くのはラッキーだ。
空中散歩中のタイムキーパーはブルーノ。細かい指示は彼に任せ、上空チームは飛行に専念する。何か起きた場合は速やかにブルーノに報告し指示に従う。返事がない時は伝言を飛ばして対応すること。
昨夜の打ち合わせで決まったことも含め、一つ一つ全員で確認しては共有していく。
今日のフィールドは城や城下町の外で、しかも上空だ。わたしが未経験な場所ばかりだから、常に最悪の事態を想定するブルーノはいつも以上に慎重なんだろう。
『確認事項は以上だ。まあ、何か起こった時の用心に過ぎん。せっかくの機会だ、たっぷり楽しめ。じゃ、行くぞ』
『さあ、出発~っ』
「しゅっぱーつ!」
大きな狼姿のブルーノがダダッと駆け出した。続いてカシュパルも強く羽ばたきながらグンと飛び立つ。
と言ってもしばらく低空飛行だ。第四兵団の離発着場は木が生い茂った山の中腹にある洞窟を拡張したもので、洞窟から出た先は長く伸びた木の枝でできたトンネル状の空間を通って麓の森を抜けていく。
まだスピードがあまり出てない方だとは思うが、既にアトラクション感満載だ。
ひょおお~っ、こんな乗り物乗ったことないよーッ!!
薄暗い緑のトンネルの正面に白く光るものが見えてきた。出口だ!
『出たらすぐ上昇するからね。しっかり掴まってて』
「出たらすぐ上昇する、しっかり掴まって!」
わたしが大声で復唱するのとほぼ同時に森の外へ出たようで、ぐっとカシュパルが加速したのがわかった。
角度が上向きになり、後ろに引っ張られて傾ぐわたしの後頭部をクランツが片手で支えて押し返してくれた。腹筋に力を入れて体を前へ戻す。
クランツは今日わたしの背後でスタンバイしてくれているのだが、彼はとりもちで体を固定していない。握力と脚力で踏ん張り、指先とつま先を鱗に引っ掛けて体を安定させるらしい。
それで上空を飛ぶなんていくら何でも無茶だと思ったけれど、訓練を受けた獣人族の軍人なら可能なんだとか。いざとなったら空中に飛び出して滑空し、クルクル回って着地するそうだ。身体能力が高いにも程がある。
そんなことを考えていたら、不意に上昇が終わった。
体が水平に戻り、わたしの正面に世界が広がる。
空だ。
そして、地平線。
「うわあ、すごい――ッ!!」
急に目の前に広がったのは、初めて見る異世界の景色。
上昇中は周りを見る余裕がなく目の前のカシュパルの鱗ばかり見ていたからか、オープンワールド系のゲームのムービーみたいで現実味が湧かないけれど。
本物なんだ。わたしは今、異世界の空から魔族国の一部を見ている。
ハァ~、本当に広い。
下は野原かな?
あ、ブルーノが走っているのが見える。
「ブルーノさんが走ってる! おーい!」
『こっちからはカシュパルの腹しか見えねぇ』
「あははっ。ブルーノさんからはカシュパルさんのお腹しか見えないって」
『やなこと言わないでよって伝えといて』
軽口を交わしつつ状況確認をする。レイグラーフの速度計測も問題ないそうで、オールグリーンと言ったところか。
順調だとわかったのでカシュパルがスピードを上げた。
でも、風圧も感じないし風切り音もしない。不思議に思いカシュパルに訊ねてみたら、魔術で自分の周囲に空気の膜を作っているからだと答えが返って来た。
さすが、風のエレメンタルと相性のいい青竜は空気を操るのがうまいんだなぁ。
原野や川、湿地帯など、あまり人の手が入ってなさそうなエリアが続く。
偵察、哨戒、諜報を担当する第四兵団の離発着施設を置くんだから、周辺に里がないエリアを選ぶに決まっているか。
でも、徐々に道などの人工物が見えてきた。綺麗に整地された牧草地や麦畑らしき広い土地なども見え始める。等間隔に植林された街路樹を備えた道はおそらく王都へ向かう街道だろう。
『王都に入った。一旦左へ旋回。各自『隠遁薬』または『透明化』の準備』
時々ブルーノが出す方角の指示に従って飛び続け、王都までやって来たらしい。
王都内は基本的に変化禁止だが、今日はある程度は変化したまま進めるよう許可を取ってあるそうだ。人の少ないエリアの上空を通り、城下町が近づいてきたら姿を隠すことになっている。
城下町上空で少しでも長く過ごせるよう、進入と離脱の際には最高速度で飛ぶとカシュパルは意気込んでいた。
ブルーノは姿を隠す地点で待機し、タイムキーパーに徹する。スムーズな伝達が肝となるのでわたしの役目は重い。頑張るぞ。
『20秒後に開始。…………10秒…………5、4、3、2、1、開始!』
『透明化』を唱える。カシュパルも『隠遁薬』を飲んだのだろう、体が半透明になった。透明になった者同士は互いを視認できる仕様で良かったなぁ。
最高速度を出すと事前に宣言していたとおり、一気に景色が流れるのが速くなった。ヒューッと風切り音が聞こえる。これだけ速くなるとさすがに空気の膜があっても遮れないか。
『もうすぐ到着だ。速度落して旋回するよ』
「もうすぐ到着! 速度落して旋回する!」
『了解。6分弱旋回できるぞ』
「わあ、6分弱も旋回できるって!」
『やったね!』
思ったより長い! カシュパルが速く飛んでくれたおかげだね。
上空から城下町を眺める。
高さはどれくらいなんだろう。移動する馬車ははっきり目視できるが、人は米粒大で個人の判別はできそうもない。
こうして上から見ると、中央通りと四方の通りで区切られた6つの区域から成る城下町の構成がよくわかる。
第三兵団の駐屯地は別としても、分頓地や市場や学校などの広い敷地はやはり目立つ。
スピードが落ちてきて更によく見えるようになってきた。冒険者ギルドに商業ギルドが見える。あれはオーグレーン屋敷か、やっぱり大きいんだなぁ――ってことは、あの建物がオーグレーン荘だ!
「わ~、うちが見えました! 嬉しいなぁ」
『お、良かったね』
「よく見つけられましたね。やはり土地勘があると違うのでしょうか」
「オーグレーン屋敷の裏手ですからすぐ見つかりますよ」
大きな通りに面している建物も見つけやすいなぁ。あれがたぶんノイマンの食堂で、マッツのパン屋とロヴネルのスープ屋はこれかな。
西通りを挟んで三番街も見たけれど、ラウノの道具屋やシェスティンの工房は路地を入った先だからさすがにこの角度では無理か~。
それにしても、WEB上のマップで自分が住んでいる街を見ることはあっても、こんな風に見下ろすなんて元の世界ではちょっと考えられなかったなぁ。
魔族国の城下町。今のわたしのホームタウン。
何だか愛しくて、胸が一杯だ。
「……見れて良かったです。本当に。ありがとう」
『離脱30秒前』
「離脱30秒前!」
『徐々に速度上げるよ。合図と共に一気に離脱するから』
「徐々に速度上げる、合図と共に一気に離脱する!」
『……3、2、1、離脱!』
再び最高速度に戻り、王都外へと一目散に離脱する。
進入前に姿を隠した地点で待機するブルーノの姿が見えてきた。もう少しだ、というところで半透明だったカシュパルの体が突然はっきり見えた。隠遁薬の効果が切れたらしい。
『間に合ったな。よし、このまま次行くぜ』
『スピード落とさずに行くから、ブルーノしっかり着いてきてよ。それとレイ、ここからしばらく直線コースだから最高速度の計測よろしく~』
最高速度のまま、今度は火の山が見えるところまで飛んだ。
遠目にも火口から白い煙が出ているのがわかる。噴火してないなら明日の火の精霊族の里訪問は支障なさそうだ。良かった。
火の山を眺めた後はぐるりと方向を変え、実験施設のある霧の森を目指す。
途中で遠く右手の方に広がる平原が見えた時、レイグラーフがあれがヴェストルンド平原だと教えてくれた。他にも、荒野の外れに佇むセーデルブロムの塔も見ることができた。
どちらも読んだ本に登場したし時々冒険者の会話でも聞く場所だから、教えてもらう度に「おお、あれが!」とテンションが上がってしまった。
「うわあ」と「すごい」しか口にしてなかった気がするけれど、もういろいろとすご過ぎて完全にキャパオーバーだったから語彙が死んでも仕方ない。
何と言うか、完全に自分の中でスケール感が変わったと思う。
今日見た景色がとてつもなく広大で、でもこの世界のほんの一部でしかなくて、そのことがわたしの中で沸々と希望を湧き出させた。
まだまだ行きたいところがある。今はまだ知らないかもしれないけれど、きっと見たいものもやりたいこともたくさんあるはずだ。
この魔族国で生きていくわたしは、まだまだこの世界を全然楽しめる!
もう感無量で、空中散歩という機会を与えてくれた保護者たち皆に感謝の気持ちでいっぱいで。
だから、実験施設に到着後には『荒天』と『落雷』を大盤振る舞いした。
今回は四エレメンタルの精霊を呼び出し、アクティベートで精霊を活性化させた状態で魔法を使ったものだから前回より更に激しい嵐になった。
それを30分間堪能したカシュパルは本当に楽しそうで、わたしも大満足だ。
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