179話 【閑話】第六回ヴィオラ会議
ヴィオラ会議が召集された。魔王の執務室の奥にある会議テーブルで、カシュパルを除くメンバーがいつもどおり夕食をとっている。
食事の終わり際になってようやくカシュパルが現れた。労いの言葉を受けつつ、全身を軽くウォッシュしてからテーブルについて食事を始める。
数日前、イスフェルト王の周辺が魔族国侵攻に向けて動き出したという報告が上がってきた。それへ対処するため、諜報担当のカシュパルが現地へ飛ぶ。
陽・月の日に予定されていた空中散歩と火の精霊族の里訪問が流れたのはこのためだ。
「ハァ、ただいま。まだ始めてないよね?」
「ああ、これからだ。先に他の報告を済ませる。ゆっくり食べろ」
「報告って何さ。僕がいない間に何かあったの?」
魔王ルードヴィグがブルーノを見る。視線を受けてブルーノは頷くと、数日前のスミレとの伝言内容を報告した。
二番街の串焼き専門店で酔っぱらいに絡まれたそうで、大した揉め事にはならなかったが念のためにと知らせてきたという。
「えっ、昨日講義で会った時はそんな話をしませんでしたよ!?」
「あいつが特に気にしてねぇからだろ。何でも酔っぱらった冒険者二人にナンパされて断ったら絡まれて、ジョッキに入ったワインを掛けられそうになったんだと。咄嗟に魔力の盾を展開したからワインはあいつじゃなく相手に掛かったらしいが」
「スミレに被害は及ばなかったのですね? ああ、良かった……」
ブルーノの話を聞きレイグラーフはホッと胸を撫で下ろしたが、クランツは眉間に皺を寄せた。
スミレの護衛としては、無事だった、ああ良かったでは済ませられない。
「ワインを掛けようとしていたと見せかけて、実はジョッキで殴るつもりだったという可能性は?」
「間にテーブルを挟んでたというから距離的にそれはなさそうだった。巡回班の聞き込みでも同様の回答だ」
「呪文の詠唱はどうでしたか」
「咄嗟だったから無詠唱で出しちまったらしいが、すぐに呪文を口にしたから周囲には気取られてないそうだ。巡回班の報告もよくある酔っぱらい同士の小競り合い未満という感じだったぞ」
「特に問題はなかった、と」
「ああ。該当の二名はネトゲ仕様のイエローリストに登録したと言っていたから、今後も警戒は怠らんだろう。あいつ、ワインを掛けられる!と思った瞬間、反射的に盾を出してたらしいぜ。特訓の成果だな」
クランツを筆頭に、スミレの魔術の練習や護身術の訓練に付き合ったブルーノとレイグラーフが満足そうに笑みを交わし合う。
「へえ~、しっかり身につけておいて良かったね」
「今でも自宅で練習してるらしいぞ。離宮に来た時はクランツと念入りに訓練してるしな」
「スミレさんは真面目ですからねぇ」
ブルーノからの報告は以上で、次はレイグラーフへと魔王の視線が向かう。
それを受けてレイグラーフは手荷物から小瓶を6本取り出すと、テーブルの上に綺麗に並べてから報告を始めた。
陽月星記を読み終えたスミレが薬学の講義を開始したそうで、これらは彼女が初めて調合した回復薬らしい。
この回復薬が問題で、器具の説明を兼ねて初歩的な回復薬を調合させてみたところ、『回復薬(小)』ができるはずが何故か『聖女の回復薬(小)』という薬ができてしまったのだ。
レイグラーフの知る範囲に聖女の回復薬という名の薬はなく、研究院内の全情報を照会してもレシピや文献の記述は見当たらなかったという。
「成分は『回復薬(小)』と同じで、薬効は標準的なものより1割ほど高いという解析結果が出ました。今のところ他に特筆すべき点はありません」
「へえ~。初心者が作ったのに薬効が高いなんて、やっぱり聖女効果なのかな」
「その可能性は高いと思います。ネトゲ仕様の聖女のチートじゃないかとスミレも言っていました」
「チートって何でしたっけ。スミレさんがネトゲ仕様の話をする時にたまに言いますよねぇ」
「ズルい程の強さ、正攻法じゃない優秀さ、確かそんな意味合いだったかと」
「レベル1のヤツが初めて調合したら薬効が普通より1割も高かったなんて、確かにチートと呼びたくなるな。本職の調合師が聞いたら怒るだろうぜ」
皆がそれぞれ小瓶を手に取り、かざして見たり蓋を開けて匂いをかいだりしながら意見を交わしている。
同じように小瓶を手にしていた魔王がレイグラーフに訊ねた。
「エルフの回復薬はエルフにしか調合できぬ。聖女の名を冠するこれも聖女にしか調合できない特殊薬である可能性は?」
「ないとは言えません。素材とレシピは『回復薬(小)』とまったく同じですが、注がれるのは聖女の魔力ですからね……。それでも、今はまだ薬効が1割高いだけですから特殊薬とは見做していません」
単に、聖女が回復薬を調合すると名を冠した高品質版ができるというだけのことかもしれないのだ。
ただし、スミレの調合レベルが上がるにつれて何らかの特殊性能が現れる可能性は十分あり得る。スミレが今後も調合を続けるようであれば、経過観察は必要だとレイグラーフは言った。
「スミレは調合を続ける気なのか? 店で痛み止めを扱えるようになるだけであれば、調合の技能はさほど必要ないが」
「続けるかどうかは実技でいろいろと試してから考えると言っていたので、今のところ未定です。でも、調合の作業自体はとても楽しそうにやっていましたよ」
「彼女は地道な作業を好みますから、調合は向いていると思います」
クランツの言葉にレイグラーフも頷いた。アイテムの一覧表作りや陽月星記の読破など、スミレはこつこつと続けることを厭わない。
雑貨屋も開店から丸ふた月経ち随分と落ち着いたようだし、何か趣味のようなものを始めるのもいいだろう。薬の調合なら打ってつけだ。
「スミレは仮想空間のアイテム購入機能で素材を調達できるから、その気になったら調合レベルさえ満たせば何でも作れるよね。そのあたりはどうするのさ」
「今は私が許可したレシピしか調合してはいけないと言ってあります。毒でなく回復薬であっても、素材の知識が圧倒的に足りない状態ではやはり危険ですから」
「魔族なら職業体験や講義で子供の頃からそれなりに素材に触れたり知識を得たりする機会はありますが、スミレさんはそういうのが皆無ですもんねぇ」
「できればこの機会に学校へ通わせてやりたかったが……」
ポツリと魔王が呟いた。
痛み止めの取り扱い資格程度なら数日通うだけで取得できる。学校の雰囲気を味わうにはちょうどいい手軽さだが、薬学の受講者にはたいていエルフがいる。薬屋や調合師は精霊族とエルフが多いのだ。
エルフはドワーフほど好戦的ではないとはいえ、人族に土地を奪われて魔族国の庇護下に入ったという因縁がある以上絡んでくる可能性はある。
トラブル回避を優先するなら、やはりスミレを学校へ通わせるのは難しい。
「学校が無理なら、せめて採集くらいは行かせてやろうぜ。レイグラーフも研究院の薬草園で済ませようなんて言ってやるなよ?」
「わかっていますよ。街の外で採集させるのは心配ですが、場所を選べばそう難しくありませんから」
「相変わらず、スミレさんのこととなると皆過保護ですねぇ。まだ始めたばかりなんですから、そこまで先走らなくてもいいでしょうに。調合を楽しんでいるようなら、今はそれでいいじゃないですか」
「ええ、スティーグの言うとおりですね。それに、できあがった薬が聖女の名を冠していることや、聖女のチートについても特に忌諱感はないようでした。彼女の反応を見て、私は本当に安心しましたよ」
レイグラーフの言葉に一同が喜びや安堵の表情を見せる。
スミレが聖女という存在と折り合おうとし始めてから約ひと月半。その意識は依然継続中のようだ。
以上の報告を踏まえ、魔王はレイグラーフに指示を与える。
「いずれにしろ、この薬品名では表に出せぬ。すべて買い上げて回収しろ。調査は今後も継続、残った分は当面の間保管しておけ」
「わかりました。調査にはブルーノとクランツも協力してもらえませんか? 解析結果は出ましたが、実際に使用してみないと正確な評価はできないかもしれませんので」
「解析結果には出ない効果や使用感があるかもしれないということですか?」
「ええ。あなた方二人はスミレの回復魔術と回復魔法をこの中で一番多く体験していますから、標準的なものとの比較や微少な薬効を感じ取れるかもしれません。それに、危険がないなら薬の性能はやはり人体でも確認しておきたいですから」
「実験台かよ……。まあ、仕方ねぇか。あいつ絡みの案件は目に見えてないだけで何か訳のわからんことが起こってる可能性を捨て切れんからなぁ」
「それに、何と言ってもまだ始めたばかり。スミレの能力の成長具合を一から測れる貴重な分野ですからね、きっちり調査しておかないと!」
ぐっと拳を握りしめ、やる気に満ちたレイグラーフの鼻息が荒い。
小瓶には「1ー1」、「1ー2」、「1ー3」というラベルが貼られていて、数字の意味を訊ねれば、調合レベル1での1回目の調合、2回目の調合、という具合に番号を割り当てているのだとか。
既に調査のための準備は万全らしい。
報告が一段落つき、カシュパルの食事も終わっていたので、テーブルの上の食器類を下げて酒の用意を整える。
酒瓶が一周し、それぞれのグラスを満たしたところでカシュパルの報告が始まった。
イスフェルトが魔族国への侵攻用に訓練を施していた兵たちは、麦の収穫時期に一旦故郷へ帰され収穫作業に従事していた。
そして、収穫が終わった地域から兵の徴用を再開し、訓練と兵站が整い次第魔族国への侵攻を開始しようと王とその周辺は考えていたようだ。
その情報をカシュパルが操る風の精霊が拾ってきたので、流言で民衆や兵に不満を抱かせ、侵攻開始を遅らせるべく策を講じようとカシュパルが提案した。
侵攻とは名ばかりで、いつも霧の森の半分までしか来られないイスフェルト軍が相手でも、侵攻が始まれば一応それなりに備えなければならない。侵攻が年内に始まれば確実に年を跨ぐ。赤の精霊祭と新年が重なる忙しい時期だというのに迷惑な話だ。
鬱陶しいから絶対に年が明けてからでないと侵攻開始できないようにしてやろうというカシュパルの言に、魔王も魔族軍将軍のブルーノも賛成した。
そして、言い出しっぺの法則に従い、カシュパルは魔族軍第四兵団の諜報部隊と共に現地で数日にわたり活動してきたというわけだ。
「で、民衆や兵の不満を煽るのはうまくいったのか?」
「やだなー、ブルーノってば。当然でしょ? ようやく兵役を解かれたのに収穫後の祭りにも参加できずにまた徴兵されて、新年も故郷で過ごせないなんて聞いたら兵も民衆も嫌がるに決まってるから簡単だったよ。あれだけあっちこっちで不穏な空気になったら、さすがに新年を迎えさせてからでなきゃ徴兵は無理だね」
「ほう。それじゃ、季節ひとつ分の猶予は得られたか。お手柄だぜ、カシュパル」
「ふふ~ん、まあね! 第四兵団と一緒にこき使われたけど、これでスミレにじっくり考える時間を与えられると思えばお安い御用だよ」
そう言うと、カシュパルはにっこり笑って魔王を見た。
「ねえ、ルード。イスフェルトの侵攻のこと、スミレにいつ伝えるのさ。僕らが稼いできた時間、無駄にしないでよね?」
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