172話 精霊祭の前日
商業ギルドでゲットしたシナモンロールのレシピは、エルサとリーリャ、マッツたちプロの料理人に加えて、料理やお菓子作りが好きな隣人のドローテアと道具屋のラウルに配った。
たまたま訪れた商業ギルドで新レシピが出ていたと言って渡したら、皆すごく興奮してとても喜んでくれて、いつもお世話になっている人たちに少しでもお返しができて良かったと嬉しくなる。
プロの料理人たちはレシピが有料だと知っているので料金を支払うと言ったが、1食分御馳走してもらうことで話をつけた。タダでゲットしたものでお金をもらうのはさすがに気が引ける。
あとは離宮へ帰った時にファンヌと離宮の下働きたちに配って、残りはスティーグに渡して城の料理人たちへ配るなり塩梅してもらうつもりだ。
たくさんの人にシナモンロールを作って味わって楽しんで欲しい。
精霊祭の前日はいつもより冒険者の来店が多くて慌ただしかった。ソルヴェイが言っていたとおり、精霊祭を忙しく過ごす冒険者は結構いるみたいだ。
犬族Aチーム1班リーダーのサロモは朝一番にやって来て、自分用の『寝袋』と『野外生活用具一式』を購入し、精霊祭後のレンタルの予約を入れていった。次回はBチーム2班が借りるらしい。
フレンドリーな犬族は種族で仲良く精霊祭を過ごしそうなイメージだったので訊ねてみたら、やはり依頼を抱えていない班は全員里に帰るそうだ。
「冒険者志望の子供たちの指導をするんだ。と言っても遊びながらだけどね。獣化させて匂いを頼りに探し物をしたりとか」
「うわ~、想像しただけで和みますね」
子犬たちが転がるように駆けていく様子を思い浮かべ、和むどころか全力でモフりたい!と思ったが、そんな心の叫びをかろうじて吞み込んだ。
モフモフなんて獣人族にとっては絶対お誘いに当たるに決まってるし、それを成人前のお子さんたちにやったら間違いなく事案だよ。
城下町が変化禁止で良かった。モフモフがそこら中にいたら自重できずにモフってしまって、お誘いしまくりな尻軽元人族という不名誉な評判が立っていたかもしれない。
昼前にはヨエルもやって来て、魔物避け香や紙袋などを買っていった。
ソルヴェイの話だと、精霊祭はエレメンタル濃度が均一な素材が採れるらしいから、採集専門のヨエルは忙しいんだろうな。
「ヨエルさんも精霊祭ならではの素材採集に行くんですか?」
「おう、そうじゃよ。植物系の素材は特にエレメンタルの影響を受けるからのぅ。精霊祭、それから季節の中頃。この2つの時期に採れる素材は研究院の高額依頼の対象なんじゃ」
明日で白の季節は終わり、明後日からの三か月は黒の季節だ。
エレメンタルの四元素が均一な精霊祭が終わると、黒の季節の間は土のエレメンタルだけが増減し、季節の中頃にピークを迎える。
つまり、一か月半後には土のエレメンタル濃度が一年で最も高い素材が採集できるというわけだ。研究院の実験ではそういうきっちりした素材を必要とするというのも何となくわかる。
かと言って、精霊祭と季節の真ん中以外の期間に採れる素材に需要がないわけではない。それらは主に薬の材料になるそうで、薬は複数の素材と合わせて調合されるからエレメンタル濃度があまり影響しないのだとか。
「お話を聞いている限りだと、ヨエルさんって年中忙しいんじゃないですか? 忙しい冒険者の筆頭のような気がするんですけど」
「まあの。派手さはないし冒険者ランクの昇格も遅めなせいで不人気じゃが、常設依頼が多くて食いっぱぐれる心配もないから悪くない専門分野じゃよ。それに、エレメンタルの移り変わりを肌で感じられるしのぅ」
それを感じながら野外で飲む酒がまたうまいんじゃと、ヨエルはふにゃふにゃと笑いながら言った。
はい、今回もお酒のお買い上げありがとうございます。魔物避け香の情報も売ってもらったので、ミード1本おまけしておきますね!
常連客の他にもサバイバル道具類を買う新規客や、魔物避け香などの消耗品を買い求める冒険者の来店がぽつぽつと続いたが、それも三時過ぎには途絶えた。
その頃になって、ようやく待ちわびたドアベルが鳴る。
「いらっしゃ――ミルド! お帰り!」
「よう、戻ったぜー。元気そうだな」
店に入って来たのはミルドだった。
彼の姿を見た瞬間、嬉しくて思わずハグしたくなってしまい、咄嗟に広げた両腕を上げたり下げたりして意味不明な動きをして誤魔化した。
元の世界ではこんな衝動に駆られることなんてなかったのでちょっと焦る。
モフモフ願望といい、スキンシップ不足なんだろうか。真面目な話、ぬいぐるみか抱き枕でも作った方がいいかもしれない。
「そっちも元気そうで何よりだよ。開錠は無事レベルアップしたの?」
「まーな。へへッ、レベル7になったぜ」
「おー、おめでとう!」
「高級ピック様々だな。耐久10倍だからピック折れて集中途切れるのが少ねーおかげで、すげー捗ったぜ」
Aランクに近いとは言えBランクで開錠レベル7は結構すごいことらしい。
これまでどれだけ宝箱を開けてきたんだろう。ミルドの探索への情熱はソルヴェイに通じるものがありそうだ。
閉店までの間、お茶を飲みながらミルド不在中の出来事を報告する。
と言っても、全Sランクがサバイバル道具類購入済みになったこととユーリーンの件が解決したことくらいで、特に大きなことは起きていない。
「そーか、ついにSランク全員が客になったか」
「精霊族の人は代理購入だったから来店してないけどね」
「そんでも買ったことは事実だろ? すげーよ」
「あ、Sランクと言えば、ギルド長と食事に行ってね。Sランク御用達のお店に連れてってもらったんだよ」
「げっ! あの4階にあるこぢんまりした店か!?」
「そうそう。樽キープのワイン飲ませてもらった」
「マジかよー! 俺飲んだことねーのに」
ミルドを連れて行ったのはAランクだったからそういう特別なサービスはなかったそうで、盛大にうらやましがられた。
Sランクのステータスってやっぱりすごいんだな。
だいぶアイテムを消費したようで、ミルドは高級ピックをはじめ消耗品アイテムをいくつか補充していった。
物資が心許なくなったから補充のために城下町へ戻っただけで、もう少し冒険を続けるそうだ。
ミルドも精霊祭の時だけ入れる場所を攻略するつもりらしい。
「とりあえず、目標だった開錠のレベルアップは果たしたし、金策も兼ねてアイテムや素材集めの依頼をいくつかやってこようと思ってる」
「ミルドも金策とかするんだね。余裕ありそうに見えたからちょっと意外」
「Sランクじゃあるまいし、Bランクが裕福なわけねーだろ。サバイバル道具類3点一気に買ったらスッカラカンになるっつーの」
「うちの店のせい!? うわ、ごめん……」
「アホか、必要経費だろ。後悔してねーよ。今回の冒険で結構稼いだしな」
ミルドはわたしの心配を一蹴すると、ニッと笑ってみせた。
イイヤツだな。そりゃモテるわ。
閉店後はノイマンの食堂へ場所を移し、食事をしながら今回巡ったダンジョンなどの話を聞かせてもらった。
新たに攻略したのは2か所で、他は過去に攻略済みの場所だそうだ。
日数経過で敵や宝箱が復活するんだな。ダンジョンやクエストは有限だし、ランクやレベルを上げるには数をこなす必要があるから当然か。
消耗品の需要が途切れなそうで、雑貨屋としてはありがたい仕様だ。
エルサが接客の合間を縫ってわたしたちのテーブルに顔を出していく。
「ミルド、久しぶりだねー。しばらくは城下町にいるの?」
「いや、ちょっと物資の補充に戻っただけ。もう少し稼いでくる」
「ふ~ん。シェスティンが市場のスープ楽しみにしてたから、もう少しかかるって言っておこうか」
「あー、俺から連絡入れとくわ」
「じゃ、よろしくー」
シェスティンを含めた4人での食事会の話を済ませて他のテーブルへと行きかけたエルサが、何かを思い出したらしく足を止めてわたしを見た。
「そうだ、スミレ。アンタからミルドに説明しといてよ。ヤノルスのこと」
「えっ、何でわたしが!?」
「言い出しっぺはアンタじゃない」
「何だよ、ヤノルスのことって」
「アタシたち付き合うことになったの」
「マジかよ!?」
「大マジよ。んじゃ、あと頼んだわね。いらっしゃーい、こちらの席へどうぞ~」
急に振られて慌てたが、小声でミルドにエルサとヤノルスが期間限定で恋人関係を偽装することになった経緯を説明する。
話を聞いてミルドは驚いていたが、そもそもの発端である、ヤノルスがナンパ対策の最終手段として恋人偽装の協力を申し出てくれたことから話したら、そちらも驚かれてしまった。
「ほーん。あいつがそういうことを言うとはなぁ」
「わたしもびっくりしたけど、ヤノルスさんと付き合ってることにすれば、報復を恐れてナンパしてくる冒険者はいなくなるって」
「あ~~。…………なるほど」
納得するんかい。
別にヤノルスが見栄を張っているとは思っていなかったが、同業者であるミルドがこの反応なら本当なんだろう。
というか、その微妙な間が気になる。訊かないけど。
その後、手が空いたエルサが再びテーブルへやって来て、あんこ菓子のレシピ開発の進捗を聞かせてくれた。
ヤノルスがあんこ菓子を一手に引き受けて食べてくれるおかげで、エルサもガンガン試作できるようになったらしい。
「おお、良かった。やっぱヤノルスさん紹介して正解だったな~」
「そうね。スミレってばとんでもないこと言い出したと思ったけど、結果的にすっごく助かってるわ」
うんうんと頷きながら聞いていると、エルサが体をかがめ、声を落として内緒話モードになった。
「あの人ね、どこからか妙な情報仕入れて来るのよ。まだレシピ開発中だから詳しいことは伏せるけど、あく抜きにエレメンタルの相性が関係するらしいって、食材のエレメンタルと喧嘩しない材質の桶なんか入手してきてさ。今それ使って豆を水に浸けて試してるところ」
「すげーな。あいつ、あく抜きの情報まで集められるのかよ……」
「さすが情報通……。でも、現物まで手に入れて来てくれるなんてすごいね」
「うん。すごく助かってる。さすがAランク!って感じ。頼もしい彼氏が出来て、差し入れのお菓子も作り甲斐があるってものよ~」
「ひゃー、お熱いことで。ご馳走さま」
店内の客に聞かせるためか、途中で内緒話モードをやめて大きめの声で話し出したエルサに合わせ、わたしもノリノリで交際したてのカップルのノロケを聞いている風を装った。
ミルドが笑いをかみ殺しているのを見て、わたしとエルサも吹き出しそうになったけれど何とか堪える。
ああ、気の置けない友人たちとこうして過ごすのは久しぶりだなぁ。
やっぱりわたしの城下町暮らしにはミルドがいてくれなきゃ。
楽しい夕食を終えると、わたしを自宅まで送ってミルドは足早に帰って行った。
明日は朝早く出立するらしいが、今夜は女の子と過ごしてその足で出掛けるそうなので、出立時に伝言をくれるよう頼むのはやめておく。
別れ間際、直接本人に伝えられたからOKとしよう。
旅立つミルドに、精霊のご加護がありますように。
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