170話 シナモンロールの試作と隣人のターヴィ
帰り際、レイグラーフに変に意識させたくないから、自分が彼をロックオンしていることは内緒にしてくれとソルヴェイに頼まれたので承知した。
二人ともすごくお世話になっているし大好きだし尊敬しているし、どちらにも幸せになって欲しい。だからこそ、わたしは見守るだけ。何もしちゃいけない。
それにしても、こんな身近なところで恋愛模様が発生するとは思わなかった。
単に恋愛意欲の低いわたしが気付かなかっただけで、今までも傍で起こっていたのかもしれないけれど。
そんなことを考えながら、一人で帰り道を歩く。
夜歩きテストの時とは違うルートで帰ったが、何事もなく無事に家へ到着した。
ブルーノの追跡もクランツの見守りもない、一人での夜歩きを精霊祭前に試せて良かったかも。
こういう小さな達成感の積み重ねが自信に繋がっていくと思う。
翌日は星の日で定休日。
今日は懸案だったシナモンロールの試作を行う。
日本食アイテムの中で一つだけ様子が違うこのメニューをリアル調理で再現できるか、完成時のビジュアルが同じグラフィックになるかを検証するつもりだ。
朝食時にマッツのパン屋でパン生地を買って帰る。
レシピを見たことがないので正しい作り方は知らないが、ロールケーキの要領で作れば何とかなるんじゃないかと思う。
帰宅後お茶を飲んで一休みしたら、さっそくシナモンロール作りに取り掛かる。
買ってきたパン生地を長方形に伸ばして薄くバターを塗り、砂糖とシナモンを満遍なく振りかけてからロール状に巻く。それを六等分に輪切りにし、切り口を上にしてプレートに並べた。
このまま焼いても良さそうだが、実績解除となった追加アイテムのシナモンロールには照りがあった。一応卵黄を溶いて表面に塗っておこうか。
そして、オーブンへ投入。ここまですごく簡単に出来てしまったので、これでいいのか却って不安になる。
焼いている間は精霊たちにお任せして、わたしは『野外生活用具一式』の中から折り畳み式の簡易テーブルとイスを取り出すと裏庭へ運んだ。
お天気もいいし、たまには外でお茶しよう。ドローテアのお茶会で裏庭を見せてもらって以来、一度やってみたかったんだよね。
組み立て作業をしながら、宵祭りの夜にこの裏庭で『テント』と『寝袋』で一晩過ごしてみるのはどうだろうと、ふと思いついた。
確か以前、精霊祭の最中は第三兵団の巡回が多くて普段より安全だとブルーノが言っていた。安全なら、この機会にテントと寝袋の使用感を味わってみたい。
ちょっとしたキャンプ気分を味わえるし、レンタルサービスを利用する客の気持ちも体験できるし、我ながらいい思いつきだと思う。
『結界石』を使えば安全面も万全になる。よし、決まりだ!
楽しみが一つ増え、ウキウキしながらセッティングを終えると、ちょうどパンが焼き上がった。
オーブンからプレートを取り出す。少し不格好だがいい匂いだ。今のところいい感じだと思う。問題はここからだ。
パンを1つ取り、皿に載せるとピカッと光った。グラフィックは実績解除となった追加アイテムのシナモンロールと同じだ。
やった!
この世界で初めて、作ろうと思った料理が作ろうと思った姿で完成したぞ!!
うはははは! 見たか、ネトゲの開発者!
嬉しさのあまり、わたしは手を叩いてガッツポーズしてくるくる回って喜んだ。
この異世界での初調理から苦節三か月半。何を作っても一瞬で既存のグラフィックに置き換わってしまう、このネトゲ仕様にようやく打ち勝った気分だ。
ウキウキ気分でお茶を淹れると、わたしは皿とマグカップを手に裏庭へ出て折り畳みイスに腰掛けた。
グラフィックはOK。後は味だけだ!
「いっただきまーす!」
パクッとシナモンロールにかぶりつくと、ふわっとシナモンの香りが鼻を抜けていった。焼きたてで熱いのをハフハフ言いながらもぐもぐと咀嚼する。うん、おいしい。甘さもちょうどいいぞ。
ははは! 大成功だよシナモンロール!
しかも、オリジナルのグラフィック。最高だよ!
ファンヌやエルサに教えたら絶対喜ぶ!
大満足でテンション爆上げしたわたしだったが、二口三口と食べている間に頭が冷静になってきた。
追加アイテムのシナモンロールは普通に調理して作成できるメニューだと確定した、と言っていいはず。
だが、魔王たちは見たことのない菓子だと言っていた。なのに、シナモンロールは白い箱のグラフィックではない。調理してもそれは変わらず。
……やはり変な気がする。これ、本当は既存のアイテムなんじゃないだろうか。
エルサから聞いたレシピの権利の話を思い出す。
もしこのシナモンロールが新レシピなら新たに商業ギルドに登録しないといけない。でも、本当に新レシピなんだろうか。どうも納得がいかない。
またファンヌたちを糠喜びさせたくないし、一度商業ギルドでレシピの確認をした方がいい気がする。
よし、これを食べたら商業ギルドへ行ってみよう。
そう決めて、早く食べてしまおうと口を大きく開ける。スッと視線が上がった、その瞬間。
レンガ塀の上に生首が載っているのが目に入った。
その生首と、目が合う。
凍り付いた喉の奥から悲鳴が駆け上がってきて――――
「うわーッ、叫ぶな!! 俺だ俺だ、隣のターヴィだ!」
「えっ?」
レンガ塀の上にぐいっと上半身が現れ、そのマッチョなガタイは確かに隣の虎系獣人族のターヴィだ。間違いない。
「なんだ~、ターヴィさんでしたか。ああ、心臓止まるかと思った……。もう、壁越しに覗いてないで声くらい掛けてくださいよ~」
「すまん、驚かせる気はなかった。ただ、嗅いだことのない甘い良い匂いがしたんで、つい。……それは何だ? 見たことないが、菓子か?」
「あ、これは、わたしがちょっと試しに作ってみたパンです。パンというよりお菓子に近い感じですけど」
「ほう……」
感嘆の声をあげると、ターヴィはわたしの食べかけのシナモンロールをジッと見つめた。無言でずっと見続けている。
うっ、気まずい……。
見たことないお菓子が気になるのはわかる。いい匂いに釣られたなら尚更だ。
でも、魔族のNG的に手料理を気軽に振る舞うわけにはいかないんだよぅ。
2号室のターヴィとは顔を合わせた時に挨拶を交わす程度で、ごく浅い近所付き合いしかしていない。
以前ドローテアのお茶会でオーグレーン荘の男性住人は二人とも恋愛お断りだと聞いて以来、迷惑だろうからと積極的に話しかけたりしないでいたのだ。
今程度の交流しかないなら手作りのシナモンロールを振る舞うのは不適切なんだろう。だが、明らかに食べたがっている隣人を無下に扱うのも良くないと思う。
この前はターヴィがユーリーンを詰問してくれたおかげで彼は退散したのだし、第三兵団の兵士であるマッチョなターヴィの存在はきっとこの近所の治安維持に貢献しているに違いないのだ。
ここはひとつ、妥協案を提示してみようか。
「あの、ターヴィさん。これはわたしの手作りなんです。なので本当はダメなんでしょうけど、お互い恋愛お断りですし、わたしにお誘いする気は皆無だと理解してもらった上でなら、これ差し上げてもいいですよ?」
「いいのか!? ありがたい! もちろんあんたが俺を誘う気ないことはしっかり理解してるぞ!」
物凄い勢いで食い付いてきたターヴィに、声を落として他の人には内緒にしてくださいと伝えたら、彼も小声でもちろんだと嬉しそうに答えた。
少し待つように告げてキッチンへ戻ると、サンプル用に1個だけ取り置きして残りを全部皿に盛った。獣人族は大食漢が多いから1個じゃきっと足りない。
裏庭へ取って返し、どうぞと言って壁向こうのターヴィに皿を差し出す。NGに抵触している以上家にまで入れるのは不味いから、気は引けるがここで立ったまま振る舞うのが無難だろう。
ターヴィがシナモンロールをひとつ手に取った。わたしも立ったまま食べかけを口に運ぶ。行儀悪いが仕方ない。
手にしたシナモンロールをまじまじと眺め匂いを嗅ぐと、ターヴィは大きな口を開けてガブリとかぶりついた。うおっ、さすが虎族。迫力がすごい。
残りも口に放り込み、うっとりと目を閉じて咀嚼するターヴィはとても幸せそうで、NGに拘らず食べさせて良かったなと思った。
「ああ、うまい……。やはり甘いものはいいな……」
「甘いものがお好きなんですか?」
うっとりしたままターヴィが溢したので訊ねたら、露骨にしまったという顔をされてしまった。
何でもターヴィは大の甘党なのだが、厳つい見た目と合わないといって笑われるので普段は隠しているのだとか。
「菓子屋へ行っても、売り子が女なら怖がらせるし男ならニヤニヤ笑われる。思うようには食べられないんだ」
「それは辛いですね……。あ、これ全部食べていいですよ」
「すまない。本当にありがとう」
大きなガタイを縮こめて、恐縮しながらも両手にシナモンロールを取りパクつくターヴィが不憫でならない。そんな偏見のせいで好きなものが思うように食べられないなんて気の毒すぎる。
買うのが難しいなら自分で作ってみては?と問えば既に試したそうで、結果は酷い出来だったらしい。
まあ、いくら子供の頃に一度習ったとしても、長いこと外食オンリーなら作り方や調理のコツなんかは忘れてしまうだろう。
でも、このシナモンロールなら作れるんじゃないだろうか。買ったパン生地を使えば本当に簡単だったし、不器用な人でも振りかけて巻いて切るくらいならできると思う。
どちらにしろ、まずは商業ギルドでレシピを確認してからだな。
もし新規レシピで登録が必要ということになったら、目立つのを避けたいわたしはレシピを公開せず隠匿するつもりなのだ。
下手なことを言って期待をさせた挙げ句、やっぱり教えられませんじゃ目も当てられない。
「今日はあんたのおかげで美味い菓子にありつけて本当にありがたかった。だが、今後は気を遣わんでくれ。あんたみたいに若い女性が付き合ってもない男に手料理を振る舞うのはやはり良くないからな」
ごちそう様と最後に言って、ターヴィは自宅へ入っていった。
引っ越し時の第一印象のまま愛想のない隣人だと思っていたけれど、NGに抵触しないよう心掛ける常識人だったようだ。
大の甘党だというのに、女性店員を怖がらせるという理由で菓子屋へ行くのも控えているみたいだし、気遣いのできる良い人だと思う。
脳内の人物情報を修正しなくては。
それにしても、4号室にはお茶会が大好きなドローテアがいるのだから、彼女と交流すればいくらでもお菓子を食べられそうなものなのに……。
ドローテアも引っ越してきたわたしが同性だったからお茶会に誘うようになっただけで、意外と他のオーグレーン荘の住人は知らないのかもしれないなぁ。
わたしが勝手に教えるわけにもいかないし、とりあえず黙っておくけど。
まずは自分でやれることをやろう。
食べ終えたことだし、商業ギルドに出掛けようかね。
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