162話 グニラおばあちゃんとレーヴ湖事変の話
今回水害を伴うエピソードが登場します。
台風被害に遭われた地域の皆様、お見舞い申し上げます。
冒険用の服装のコーディネートを終え、ユーリーンはマントをひらりと翻しながら意気揚々と二番街へ帰っていった。
わたしにとってロマンの塊である冒険者の象徴・マントを、まさかユーリーンが最初に着ることになるとは思わなかったなぁ……。
ちょうど昼になったのでお礼を兼ねてスティーグを昼食に誘ったところ、この後予定があるからと断られた。残念だが仕方ない。
「忙しいのに時間を割いてくれてありがとう、スティーグさん。何かお礼したいんですけどリクエストありますか?」
「ああ、それならブルーノが食べたというスミレさんの故郷の食事をお願いしたいですねぇ。ルードが、自分が費用を持つから食事会をしたいと言ってましたよ」
日本食アイテムの件もしっかりヴィオラ会議で情報共有されているらしい。
お高いアイテムだが、スティーグはブルーノやクランツのような大食漢ではないから、そこまでお財布に厳しくないだろうと引き受けかけたら、スポンサー付きの食事会の話が出てきた。
魔王がそう言うならありがたく甘えさせてもらおう。
わたしがすんなりと了承したら、スティーグがすごく喜んだ。
「以前のスミレさんだったら遠慮するか、少なくとも躊躇はしたでしょう? そういうためらいがなくなったのが私たちはとても嬉しいんですよ」
今でも誰かに負担をかけることに抵抗がないわけじゃない。
ただ、魔族は自分にできる範囲内で助力を申し出ているとわかってくるにつれ、それを負担と捉えるのはむしろ相手に失礼だと思うようになってきた。
それに、助力を受け入れた方が断然喜ばれる。だったら素直に受けて感謝を伝える方がずっといい。親しい相手なら尚更だ。
「そう言ってもらえるとわたしも嬉しいです。あとは、自分がしてあげる側になった時も躊躇なく動けるようになりたいなぁ」
「NGに触れない範囲内でお願いしますよ?」
「うえっ、気を付けます!」
そう言って、スティーグも帰っていった。
夜に改めてスティーグにお礼の伝言を飛ばしたら、ユーリーンから喜びの報告が入っていると返ってきて、思わず手を叩いて喜んだ。
しばらくの間ユーリーンの経過を見てくれるそうで、わたしへの付きまといをやめることもしっかり言質を取ってくれたらしい。
問題の迅速な解決に、最初からこうすれば良かったのかと反省した。
魔族社会が部族の仲裁で個人間の問題解決を図るのはそれだけの実績があるからで、なるべく自力で解決しようというわたしの考え方が却って足手まといになることもあるよね……。
その辺りの判断力も磨いていかないと。
今回はいい勉強になった。次に活かそう。
頭痛の種だったユーリーンの件が解決した翌日。
やって来ましたよ、星の日の定休日! こんな清々しい気持ちでグニラの訪問を迎えられるとは思ってなかったなぁ。
朝食の帰りに商業ギルド裏手の小さな広場へ立ち寄り、ミントミルクと焼き菓子をテイクアウトすると、コーヒーを一杯だけ飲んで家に帰った。
少ない注文でも店員たちは何も言わなかったが、毎週顔を出すようになったからだろうか。
ここでも常連認定されたんだったら嬉しいな。
グニラとの約束は午後1時。
家全体を管理する魔術具で掃除をしたり、お茶やお菓子の準備をしたりと、落ち着かない気分で午前中を過ごしたわたしは、昼が過ぎ、馬車の音が聞こえてきた瞬間ダッシュでドアを開け外へ飛び出して出迎えた。
止まった馬車から杖をつきながら降りてきたグニラが苦笑いしている。
「すごい勢いですなあ。元気が有り余っておるようじゃ」
「えへへ。いらっしゃいませ、グニラさん。お待ちしてました」
さあさあとグニラを招き入れ、店の応接セットのソファーを勧める。
わたしは確かに元気一杯だけれど、グニラは足が痛むのか前回より少し歩くのが遅い気がする。大丈夫かな。
お年寄りなので、何となく手を添えて支えたくなったが、失礼に当たるかもしれないので体には触れずにおいた。
お茶とオレンジのパイを振る舞い、まずは軽くおしゃべりする。
お茶もパイも気に入ってもらえたみたいだ。良かった。
「せっかくの休みの日にお邪魔してすみませんなあ。店の空き時間に婆のおしゃべりに付き合ってもらえたらと思っておったが、定休日に招待してもらえるとは思わなんだ」
「ありがたいことにお客様が少しずつ増えてきたので、営業日だと集中してお話しできないかもしれなくて。それに、萌えトークを部外者に聞かれるのは恥ずかしいというか、若干抵抗があるものですから」
好きな者同士で語る分にはまったく問題ない内容でも、関心のない者には驚かれたり引かれたりすることは割りとあるから、一応人目は気にしておいた方がいいと思う。
それに、わたしはお誘い不要・恋愛お断りを公言しているから、店の客の前で恋愛エピソードの萌えトークをするのはできれば避けたいのだ。
「それはあるのぅ……。まあ、恥ずかしいと言うなら、年甲斐もなくうきうきしておる自分自身じゃが。同好の士と時間を過ごせるというのは嬉しいものですなぁ」
「わたしもです。まず陽月星記を読んでいる人自体が少ないですし、学術面以外で語る機会もありませんでしたから、前回は本当に楽しくて」
「今後もこうして、同じ趣味を持つ友人として付き合ってもらえると思っても良いですかのぅ?」
「ぜひぜひ! こちらこそ、よろしくお願いします」
何だかクランツと友達になった時を思い出すなぁ。
友情にしろ恋愛にしろ、改まってお付き合いしましょうと言い合うなんてこと、大人になってからはやってないから気恥ずかしい。
しかし、照れているわたしにグニラは更にブッ込んできた。
「ならば、友人なんじゃからもっと気安く話しておくれ。呼び名もグニラさんなどとお堅いのじゃなく、グニラばあさんと呼んで欲しいのぅ」
「ええっ!? そんな、ばあさんなんて呼ぶのはちょっと抵抗が」
「里の者だけでなく他部族の者もそう呼んでおるぞ?」
そりゃばあさん呼びは親しさの表れなんだろうけど、チキンハートな若輩の身にはハードル高すぎるよ!
友達になったからって、いきなりグニラばあさんは無理無理!
「ううう、他の呼び方はないんですか?」
「グニラ刀自と呼ぶ連中もおるにはおるが、お前さんにそう呼ばれるのは嫌じゃ」
「そんなぁ~。ふさわしい敬称じゃないですか」
「堅苦しくて友人らしくないわい。わたしゃお前さんをスミレちゃんと呼ぶつもりじゃが、グニラばあさんが無理ならお前さんもグニラちゃんと呼ぶかえ?」
900歳のドローテアより年長に見える、部族や種族の長老ポジションにいそうな人に対して、グニラちゃん……?
それはまた違う意味でハードルが高いよ、おばあちゃん!
「あの、それじゃ、グニラおばあちゃんではいかがでしょうか」
「ほ、ほ。グニラばあさんとどう違うのかわからんが、お前さんがそれでいいならかまわんよ。ちゃん付けじゃしのぅ」
そう言うと、グニラはにこにこと笑った。ただし、敬語はおやめとダメ出しされたけれど。
グニラは瘦せ型で厳しそうな顔立ちだからか若干威圧感があるので、ジッと見られるとつい背筋が伸びて敬語になってしまう。
でも、おばあちゃん呼びをしていると自分が孫ポジションのような気分になってきて、彼女が望む気安い話し方もしやすくなった気がする。結果オーライだ。
呼び方の話も一段落ついたので、陽月星記トークに入る。
グニラの好きなエピソードを聞くつもりだったが、その前に、伝言をもらった時から更に読み進めてレーヴ湖事変が収束したところまで読んだとわたしが話したことから、レーヴ湖事変の話になった。
レーヴ湖事変は魔族国建国へと繋がった大規模な騒乱だ。
竜人族と獣人族の争いに精霊族が巻き込まれた結果、周辺地域の魔素やエレメンタルに大きな影響が出る程の事態に発展し、魔人族が仲裁に入ってようやく収束を見たと、陽月星記の簡略版である『魔族国物語』では書かれている。
大変な出来事だったんだなと思っていたが、陽月星記で詳細を読んだら深刻さの度合いが違っていて驚いた。
レーヴ湖での竜人族と獣人族の縄張り争いが激化し、争いが湖中央付近にある水の精霊族の里周辺にまで及んだ結果、水の精霊族の種族長のパートナーが争いに巻き込まれて命を落とした。
長と種族の怒りは激しく、周辺地域に大雨を降らせ湖の支流が増水し氾濫、下流域も含めて大水害を起こした後、水の精霊族は水蒸気に変化して湖の遥か上空へと姿を隠してしまう。
水の精霊族が消えた影響で水のエレメンタルが減少し湖の水質が悪化、更に周辺地域から水が蒸発していく。水害から一転して、今度は干害が発生した。
大水害に直後の干害。これには争いの当事者である獣人族と竜人族だけでなく樹性精霊族や草性精霊族、下流域に住んでいた魔人族も大きく被害を被った。
魔人族が素早く動いて四部族の部族長が集まり、争いの停止と協力を取り付けて事態の収拾に乗り出す。
部族長らに依頼され風の精霊族種族長が上空にいる水の精霊族を慰撫、説得し、彼らをレーヴ湖中央の里へ戻すことに成功。水のエレメンタルの正常化と共に自然環境も回復し、ようやく事態は収束したのだった。
「これなぁ、本当に大変だったらしいんじゃよ。ほとんどの部族・種族が被害を受けた。もう二度とこんなことを起こしてはならんと皆が思ったんじゃろう。そりゃ建国も成るわなぁ」
「本当ですね……。わたしこれ読んで、水の精霊族だけは怒らせないようにしようと思いましたもん」
「ほ、ほ。確かに、エレメンタル系精霊族を怒らせると自然災害が起こりかねんからのぅ。まぁ、連中が王都に来ることは滅多にないから心配せんでええ」
他の精霊族から見てもエレメンタル系精霊族はエキセントリックなところがあるらしい。
性格的には単純で裏表がなく気の良い連中なのだが、種族の個性が強く本能に忠実なところがあるので扱いが面倒な面もあるそうだ。
種族が多い部族は大変だなぁ……。獣人族も種族が多いけれど、哺乳類・鳥類・爬虫類で構成されていて生態的にそれ程大きな違いはない。
一方、精霊族は種族ごとに生態がまったく異なる。エレメンタル系、植物系、鉱物系と、ざっと思い浮かべただけでも一緒に暮らすのは無理じゃない?と思ってしまう程だ。
「これだけバラバラな種族がたくさんいて、それを一つの部族としてまとめなきゃいけないんだから、精霊族の部族長って大変でしょうねぇ……」
「……まぁ、長なんてものはどこも大変だろうさ」
グニラは苦笑しながらそう言ったが、やけに実感がこもっているように感じた。
やはり、彼女は部族か種族の長老ポジションか、それに近いところにいるんだろう。
そうだ。グニラのこと、今度里帰りした時にレイグラーフに報告しようかな。
レイ先生と同じ樹性精霊族のグニラおばあちゃんと友達になりましたよ!って。
歳がかなり離れているし、研究院長をしているレイグラーフは部族内の役職には就いていないらしいから、面識があるかどうかわからないけれど。
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