159話 ブルーノのチェックとサロモの調査報告
ダメ出しを終えるとブルーノはダイニングの窓から顔を出し、少し間をおいてから建物の周りに誰かいると言った。来た時にはなかった匂いがするらしい。
通り過ぎて行くだけなら匂いはすぐ消えるが、その場にしばらく居続けると匂いが残るそうで、『生体感知』を唱えたら案の定赤い靄が現れた。
1つは隣のドローテアだろうが、もう1つは……。
「現れたようだな」
ブルーノと共に2階へ上がり、『透明化』して窓から見ると、道を挟んだ向かい側にある建物の影に身を潜めるようにして立っているユーリーンの姿が見えた。
「いますねぇ」
「俺にも見せろ」
「ブルーノさんも姿隠してください」
一旦透明化が解けるのを待って、仮想空間でのアイテム購入機能で『隠遁薬』を買いブルーノに手渡す。
薬をぐいと呷るとブルーノの姿がフッと消えた。おお、誰かが隠遁薬を使うところを初めて見たよ。
続いてわたしも『透明化』すると、消えていたブルーノの姿が半透明な状態で見えるようになった。
「お、薬飲んだらお前が見えるようになったぞ」
「わたしも半透明のブルーノさんが見えてます。これって、透明になっている者同士なら互いの姿が見えるってことなんでしょうか」
「それっぽいな。こりゃいい。お前が透明化しても『隠遁薬』を使えば護衛のクランツはかなり楽になる」
クランツも透明にならないといけないので使える場面は限られるだろうが、見る手段がまったくないより遥かにマシだろう。
ブルーノは窓から屋根に飛び上がると下をジッと見ていたが、そのうちユーリーンが周囲を警戒するような動きを見せ、やがて建物の影から姿を消した。
窓から身を乗り出してもイエローリストの警告文字が現れない。諦めて帰ったのかな?
「腐ってもAランク冒険者だな。俺の殺気に反応した」
「殺気!? いきなり物騒なことはしないでくださいよ!?」
「ちょっと反応を見ただけだろ。ヤツを排除するなら50年くらい王都への立ち入りを禁止すればいい。いちいち相手しねぇよ」
抑えた声で言葉を交わしながら屋根の上からあちこち見下ろしているブルーノの姿を見ている内に、わたしも屋根の上へ上がってみたくなってきた。
「ブルーノさん、わたしもそこへ行ってもいいですか?」
「いいぞ。魔法で移動して来い」
普通に引っ張り上げてもらうつもりでいたら思わぬ指示がきた。
移動距離を縮める横方向だけでなく、高低差がある場所への縦方向にも『移動』を使うという発想はなかった。さすがブルーノ。
下からでは屋根そのものは視認できないが、ブルーノの姿を捉えて呪文を唱えれば何とかなるかな。
「では行きますよー。『移動』……って、うわあああ!」
『移動』した瞬間足元がぐらつきバランスを崩したが、ブルーノがすかさず支えてくれたので何とか落ちずに済んだ。ひいぃ、危なかった!
これまで『移動』は足場の良いところでしか使ったことがなかったから、斜めになった屋根の上に出たらどうなるか、全然考えてなかったよ……。
それにしても、『移動』は任意の場所へ移動できるから使い勝手がいい。
夜歩きテストの時も思ったが、『透明化』したまま『移動』できるのは隠密行動にはかなり便利だ。
身を隠す必要に迫られた時は今みたいに屋根の上に避難するのもアリだな。覚えておこう。
屋根の上からの眺めはかなり新鮮で、『透明化』が途切れないよう重ね掛けしつつ、広々とした空や景色を堪能してから『移動』で裏庭へ下りた。
初めは2階の部屋へ戻るつもりだったが、『移動』するにはその地点を視認しなければならず、屋根の際へ寄り上から部屋の中を覗き込む体勢を取るのは怖くてわたしには無理だったのだ。
ブルーノは懸垂の要領でひょいと屋根の端にぶら下がると、軒下で体を前後に揺さぶってから軽々と窓の中へ飛び込んでいった。
獣人族の身体能力すごいなぁ。さすが魔族軍将軍。かっこいい。
「よし、ヤツの顔と匂いは覚えた。諸々のチェックも済んだし、うまいものを食わせる店へ連れていってもらおうか」
「さっき日本食食べたのにもう入るんですか。さすが大食漢」
「あれくらい、おやつだろおやつ」
ブルーノに催促され、お昼には少し早いが三番街のパイ専門店へ向かった。
エルサたちにも好評だったお惣菜パイ2種をブルーノに勧め、自分用にチキンのパイを頼む。
わたしはまだお腹が空いてはいなかったので、結構ボリューミーな見た目のこのパイを食べ切れるかどうか少し心配だったが、フィル風味のクリーム仕立てでさっぱりとしていたからか意外とペロリといけてしまった。
……わたしも大食漢になりつつあるんじゃないだろうか。そういえば、この世界に来てから体重を計ってない。うう、太ってたらどうしよう。不安だ。
わたしが注文したパイも追加注文したブルーノは結局パイを3つも食べた挙句、わたしがグニラのもてなし用にオレンジのパイを買うとそちらもテイクアウトしていった。
しかもホールで。ヴィオラ会議の時に振る舞うと聞いて納得したけれど。
ブルーノはお惣菜パイをたらふく食べて満足したようで、わたしをオーグレーン荘まで送ると機嫌良く帰っていった。
その後、わたしは再び陽月星記を読み進め、夕食と入浴を済ませた後もたっぷり読書に耽溺し、読書と用心に専念した休日の2日間は静かに幕を下ろした。
定休日が明けて、今日はサロモから調査報告が上がる予定となっている。
何時頃来るという約束はなかったものの、サロモは10時過ぎにやって来た。
バタバタして気忙しい開店直後は避けつつ、でも報告を待つ依頼主のために午前中の早い時間帯に訪問する――こういう細やかな配慮を感じさせるところ、犬族は好感度高いよなぁ。
サロモを応接セットに案内してお茶を振る舞い、調査報告を聞く。
調査は実質2日間だけだったが、それでもかなりユーリーンに関する情報を集められたようだ。
「あいつね、どうも女の子に声掛ける時、毎回イーサクのことをどう思うか相手に確認してるらしいんだよ」
「え? そんなの、皆かっこいいとかタイプだとか言うんじゃないですか?」
「普通そう思うよねえ? でもあいつ、毎回訊ねてはイーサクを知らない、もしくは興味を示さなかった女の子だけを相手にしてるんだってさ」
そんなことをしてたら対象が激減してしまうじゃないか。
競争率は高いだろうし取り巻きが多くて面倒事も多そうだから、イーサクが好みでも実際に交際したいとまでは思わない魔族女性は結構いるだろうに……。
案の定、冒険者が多く住む二番街では対象となる女性は皆無で、イーサクの存在を知る者が少ないエリアまで出向いてナンパしているのだとか。
何、その謎の努力。昨日のシャトルランといい、ユーリーンは努力の方向が致命的に間違っていると思う。
まあ、魔族はあまり行動範囲が広くないから、冒険者と顔を合わせないエリアに住む魔人族以外の部族ならSランクであろうとイーサクの顔も名前も知らないということは十分ありそうだ。
塩対応のわたしにしつこく食い下がっているのは、わたしが一番街に住む元人族だからイーサクと接点がないと思っているんだろう。
ユーリーンの行動原理が何となく掴めてきた気がする。
「でも、言い方は悪いですけど、Sランク冒険者でスーパーモテ男のイーサクさんのことを利用した方が楽にモテるんじゃないんですかね? 俺この間一緒に冒険したよとか言えば、話聞きた~いっていくらでも女の子が寄ってきそうなのに」
「普通そう考えるよなあ? 同じ魔人族冒険者で、ランクだってすぐ下のAだから接点多いはずだし、うまく立ち回れば得する場面って相当多いと思うよ」
実際、魔人族冒険者の多くはそうしてるらしい。調整力が高く如才ない魔人族ならそれが当然だろうと、にわか魔族のわたしでも思う。
それから、商業ギルドで面倒な冒険者と認識されていた理由もわかったそうだ。
何でも食堂で働く獣人族女性のもとに通ってしつこく誘ったらしく、ユーリーンが冒険者だったこともあり食堂の店長から商業ギルドに相談があったのだとか。
結局、部族やギルドが介入する前に該当の女性がさっさと里へ戻ってしまったため事態は収束したが、根本的な問題が解決したわけではないのでギルドの要注意人物リストに残ったらしい。
「というわけで、商業ギルドの方はたいした話はなかったんだけど、別口で撃退成功例が見つかったんだ」
「マジですか!?」
何でも、先程の女性とは別の獣人族女性が、最初にイーサクについて訊ねられた時は知らないと答えたのだが、ユーリーンにしつこく誘われて面倒になり、“会ったことはないけどSランク冒険者なんて素敵ね。そのイーサクって人紹介してくれない?”と言ったらユーリーンはパタリと来なくなったという。
「……いくら何でも、ちょっとイーサクさんにこだわり過ぎじゃないですかね。正直どん引きなんですけど」
「まあね。でも、これで店長がユーリーンを撃退するのも簡単になったじゃない。イーサクとはとっくに面識あるんだからさ」
「そうですね。その点はすごくホッとしました。ありがとうございます、サロモさん。おかげで問題解決の目途が立ちました」
十分満足できる調査結果を得られたので、わたしは報酬としてサロモに残りのテントを1つ渡した。
気前良く報酬を払ったからか、後日また情報が得られたら無報酬で報告するよと言ってもらえたのが非常にありがたい。
犬族冒険者集団とは今後も良い関係を続けたいので、最近のレンタルサービスの状況について伝えておこう。
Sランクにサバイバル道具類が普及したため商品を試すことなく購入する上位ランクが増えたと聞くと、自分が目論んだとおりの展開なのでサロモはにっこりと満足そうに笑った。
そして、今度は中堅の冒険者が購入順を見定めるためにレンタルサービスを利用し始めたことを伝えたら、そちらは意外だったようで少し驚いていた。
「へえ~、そういう利用目的もあるんだね。それじゃ、俺らの利用頻度がアップするのはまだ当分先か」
「う~ん、どうでしょうねぇ。サバイバル道具類を購入できるのって、たぶんBランクまででしょう? レンタル料金は確かに千Dとお値打ち価格で設定してますけど、延滞や弁償が発生したら大変な金額になるという話がもう広まってますから、気軽に借りれるかというと微妙な気がするんですよ」
「確かに、Bランクになって日が浅い冒険者には荷が重いかもね。俺だったら知り合いの購入済み上位ランクに頼んで軽く使用感を試させてもらうかなあ」
……使用感だけ確かめられればいいんだったら、うちの裏庭ででも試してもらえばいい気がする。
それとも、いっそのこと二番街の北にある空き地で無料体験会でも開くってのはどうだろう。
テントを張って、中に入ったり寝袋を試したり、野外生活用具一式も軽く使えれば使用感は十分試せると思う。
日時を決めて告知して、興味のある冒険者は適宜見に来ればいい。
わたしがそんなことを話したら、サロモは身を乗り出して賛成してくれた。
「おもしろそうだね。街の外に持ち出されないし、ちゃんと見張ってりゃ壊される心配もなくていいんじゃない? それに、そのイベントをやればレンタルサービスの利用者はかなり減る。俺らの利用頻度アップのための企画みたいなものじゃないか。依頼してくれたら喜んで手伝うよ!」
サロモがそう言うなら真剣に検討してみようかなぁ。
ミルドはもちろん、冒険者ギルド長のソルヴェイにも相談したいから当分先の話になるとは思うけれど。
とりあえず、頭の隅にメモしておこう。
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