144話 犬族Aチーム1班とヨエルの試食
ファンヌの二度目のお泊り会の翌日、スミレの雑貨屋は開店から丸ひと月となる営業日を迎えた。
今日から2か月目に突入か。何だかあっという間だったような、そうでもないような不思議な心持ちだ。
ただ、魔族社会の商業活動に馴染んだのは事実で、気付けば通貨単位のデニールにもすっかり慣れてしまっている。
デニールと聞いても、もうストッキングやタイツが思い浮かんで笑いがこみ上げてこないのだから、慣れというのは恐ろしい。
というか、結構適応力あるなわたし。
店の窓の鎧戸を開けつつ、このひと月の出来事に想いを馳せる。
開業前の構想にはなかった冒険者ギルドへの高級ピックの納品は予想外の売り上げを叩き出してくれた。
おかげで店の経営は上々の滑り出しとなったが、先日千本納めたのがピークだと思うのでそろそろ落ち着くことだろう。
ギルドの代理販売でうちの商品を知った冒険者の来店も少しずつ増えてきているし、レンタルサービスも好調だ。
このまま順調に雑貨屋を経営できればいいなと思いながら、午前中は来客がないまま陽月星記を読み進めた。
午後3時を過ぎた頃、犬系獣人族3人組がレンタルセットの返却にやって来たので、静かだった店内が一気に賑やかになった。
元気で朗らかな彼らは適切な距離を保ちつつフレンドリーに接してくれるので、癖の強い冒険者がいる中では対応がとても楽なお客と言える。
こういう彼らにこちらもフレンドリーに振る舞っていいかファンヌに尋ねたところ、相手が複数人で談笑しているように見えるなら問題ないとのことだった。
パーティーで活動している彼らだからできる社交術なのかもしれない。
レンタルしてみて彼らもサバイバル道具類を気に入ったらしく、3点まとめてお買い上げとなった。
レンタルサービス利用者の購入率は100%をキープか、本当にすごいな。
ひっそりと感心しているわたしに、サロモというリーダー格のAランクから質問があった。
「あのさ、このレンタルサービスなんだけど、買うかどうか判断するのが目的じゃないと借りられないのかな」
「それは、購入するつもりはないけれど短期間使いたい時だけ借りるのはアリか、ということでしょうか」
「うん、そうそう。犬系獣人族の冒険者は種族内でパーティー組んで活動するのが習わしなんだけど、Bランク以下のチームがこのサバイバル道具類3点セットを買うのは値段的にちょっと厳しいんだよね。でも、これがあると効率がグンと上がる冒険もあるから、レンタルさせてもらえるとありがたいなって思ったんだ」
そういう要望は当然出るだろうなと考えてはいたので、わたしはうんうんと頷きながらサロモの話を聞いた。
ただ、レンタルサービスは貸し出し日数と定休日の関係でひと月に貸し出せる回数が最大で6回しかない。
新規の客が増えている現在、一番の注目商品であるサバイバル道具類を試したいと考える冒険者が多いと思われる以上、レンタルサービスはできるだけ購入目的の利用者を優先したいというのが正直な気持ちだ。
それを上回るメリットがない限り、単に便利に使いたいだけの冒険者に貸し出すのはちょっと…………いや、彼らがパーティーで活動しているなら何かメリットはあるかもしれない。
「ちなみに、Aランクを含めて何チームくらいあるんですか?」
「今は全部で7チームだよ」
彼らのように1班あたり3人とすると、犬系獣人族の冒険者は21人程度はいるということか……と思ったら、何と現在全ランク合計で48人いるという。
予想以上に多い。以前冒険者ギルド長のソルヴェイから聞いた話では冒険者全体で500人くらいということだったから、犬系獣人族の彼らは約一割を占めているということになる。
人当たりの良さそうな犬系獣人族の冒険者がそれだけの人数まとまって活動しているとなると、情報収集やクチコミによる拡散はかなり期待できそうだ。
更に詳しく聞いてみると、Aランクのサロモが率いるこのパーティーは通称“犬族Aチーム1班”と呼ばれていて、Bランクのリーダーが率いるパーティーはBチーム1班、2班、3班となり、Cランクも同様にCチーム1班から3班まである。
Aチームは通常2班体制で稼働しているのだが、しばらく前にAランクが一人引退してサロモだけになったため、現在Aチームは1班しかないらしい。
ただし、そこにいるBランクの片方がもうじき昇格できそうなので、この問題は近々解消する見込みだそうだ。
犬系獣人族の冒険者は駆け出しの段階から同族のパーティーできっちりフォローされるため脱落者が少なく、人数が安定している上に先輩からの引継ぎもしっかりしていることから、他部族からの指名依頼も多いのだとか。
おお、思っていた以上にかなり組織立った運用がなされているっぽいぞ。
わたしの恋愛お断りの周知に一役買ってもらえるとしたら、犬系獣人族冒険者集団とのお付き合いはかなりメリットがありそうだ。
「開店してまだひと月なので、しばらくはサバイバル道具類のお試しサービスという本来の目的をメインに運用したいところなんですが、当店としても幅広いランクの冒険者に商品を知ってもらいたいので、頻度少なめでもいいならご希望のような利用にも対応しますよ」
「わあ、マジで!?」
「ただ、条件というか、わたしの方でもお願いがありまして……」
わたしが元人族で何かと注目を集めるようなのだが、ナンパ目的で来店する冒険者を減らすためにも、わたしがお誘い不要、恋愛お断りだということを周知したいと伝える。
「店のアイテムやレンタルサービスが話題に上がった時にでも、さり気なく広めてもらえたらありがたいです」
「それくらいお安い御用だよ。高級ピックが話題になってるし、レンタルサービスもじきに広まるだろうから、それに便乗して犬族の全チームでさり気なく呟いておくよ。任せといて! で、それならレンタルOK?」
「はい! こちらこそよろしくお願いします」
「やったー! 助かるよ~」
3人で手を叩いてひとしきり喜んだ後、サロモはすかさず頻度の具体的な期間と回数について確認してきた。
うーむ。さすがに犬系獣人族冒険者集団の頂点に立つ男、ぬかりないですな。
とりあえず、上位ランク冒険者50人のうち約半数にサバイバル道具類が行き渡れば、PRの目的は概ね果たせたと見ていいと思う。
今のペースだとあと2か月くらいかかるだろうから、その間はひと月に一度で、2か月後にまた状況を見て頻度を見直すということで話はまとまった。
貸し出し手続きは代表で各班のリーダーが行うが、念のため全使用者の情報を登録しておきたい。
最初の貸し出し時に全員分のデモンリンガをチェックすることになり、Aチーム1班のBランク2人もさっそく保険用魔術具に登録してもらった。
「あと、レンタル料金5回分でどれか1点は買えるわけですから、その辺りのバランスはよくお考えくださいね」
「そうだね。各班での購入は厳しくてもBチームの3班で共有するとか、Cチームも含めた6班で共有するってのもアリだもんね」
「はい。それに、人数の多い班もあるようですから、テントを1つ買ってレンタルの3点と併せて使うというのもアリと思いますよ。皆さんでいろいろと相談してみてください」
「わかった、そうするね! 近いうちに他の班も連れて来るよ」
「ええ、ぜひ。お待ちしてますね」
交渉が成立して、犬族Aチーム1班の3人はそれぞれ手をブンブンと振りながら元気よく帰っていった。
思わぬ展開だったが、おかげで冒険者との交流範囲が一気に広くなりそうだ。
彼らとの付き合いを良いものにしていけたらいいな。
……そう思っていたら、翌日、犬族Aチーム1班からの紹介という新規の冒険者が来店した。
早い! しかも、獣人族のSランクが2人って、嘘でしょ!?
片方が犬族Aチーム1班からレンタルサービスの話を聞いているところにもう片方が現れ、一緒に話を聞いた結果2人共借りる気になったが、別々に借りるとどちらかが待つことになる。どうせなら一緒に借りて、ついでに2人で難関ダンジョンを攻略してこようぜということになったらしい。
わたしは半ば呆然としたまま貸し出し手続きをした。
犬族のクチコミがすごすぎる。わたしは最強の広報集団と手を組んだのかもしれない。
午後にはヨエルがやって来た。
レンタルセットを返却しサバイバル道具類3点セットを買った時以来だから、来店は2週間ぶりとなる。
複数の採集地を訪れると言っていたヨエルは、何回か魔物避け香使用時の情報をメモで送ってくれたので、彼の買い物が済んだら情報料を精算するつもりだ。
「いらっしゃいませ、ヨエルさん。お久しぶりですね」
「やあスミレちゃん、久しぶりじゃのう。今日はな、魔物避け香の補充以外にこの紙袋を売って欲しいんじゃよ」
ヨエルがそう言って取り出したのは、わたしが魔物避け香や薬などの細かい商品を客に渡す時に入れているハトロン紙っぽい紙袋だ。
たまたま採集した素材の一部をこのマチ付きの紙袋に入れたところ、使い勝手が良かったので素材の分類や納品時に使う気になったらしい。
そう言えば、以前ミルドがこの紙袋は採集専門の冒険者に需要があると言っていた気がする。ヨエルに紹介される前の話だからすっかり忘れていた。
「紙袋は5枚入りと100枚入りがありますけど、どちらにしますか?」
「そりゃ100枚に決まっとるじゃろ。これなぁ、荷物にもならんし冒険のついでにちょいと採集した時に便利じゃから、採集専門でない冒険者も5枚入りを買って持っとくといいと思うんじゃが」
ほう、いいことを聞いた。POPに“ヨエルお勧め”と書いてPRしてもいいかと尋ねたらOKをもらえたので、後でカウンターに置いてみよう。
そんなことを考えつつ、買い物の決済が終わって情報料の精算に移った時になって、ふと精霊族だけあんこ菓子の試食が済んでいないことを思い出した。
レイグラーフかシェスティンに頼もうと考えていたけれど、会う予定が少し先の彼らに頼むより、今ここでヨエルに頼んでしまった方がいい気がする。
恋愛感情がないことやお誘いではないことを強調した上で、手作りの“魔族国にないお菓子”の試食を頼めないかとヨエルに尋ねてみたところ、快く引き受けてくれたので大急ぎで準備してお茶とあんこ菓子を振る舞った。
「ほう。豆の菓子というからどんなもんかと思ったが、なかなか美味いのう。これは酒とも合うぞ」
「えっ、ホントですか?」
「ホントじゃわい。手持ちのブランデーを今ここで飲んでみてもええか?」
「はい、どうぞ」
「んぐっ……ほれ、美味い。味の濃いビールなんかも合うんじゃないかのう」
「マジっすか……」
服の内ポケットから金属製の容器を取り出して酒をひと口飲むと、ヨエルはにんまりと笑いながらそう言った。
あんこ菓子をお酒のつまみにするなんて考えたこともなかったよ……。しかも、日本酒ならともかく、洋酒とだなんて。
でも、酒好きなヨエルが言うんだから本当に合うんだろう。
友人がレシピ開発を引き受けてくれたと話したら、レシピが完成したら酒屋にも食わせて合う酒を考えさせたらいいと助言してくれた。
後で夕食を食べに行った時に、さっそくエルサに伝えよう。
精霊族のヨエルも気に入ってくれたことから、あんこの食感は全部族に受け入れられたと考えていいと思う。
お茶だけでなくお酒とも合うとなれば、きっとたくさんの人に喜ばれるお菓子になるだろう。
エルサのモチベーションが上がるといいな。
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