139話 【閑話】第五回ヴィオラ会議
次回からはまた木曜日に投稿します。
少し慌てた足取りで、レイグラーフが魔王の執務室へ入ってきた。
奥の会議テーブルには既に魔王、カシュパル、スティーグが座っている。
「こんな時間に召集だなんて、スミレに何かあったのですか!?」
「僕らも聞かされてないんだ。ルード、ほらレイも来たから早く教えてよ。何で緊急召集をかけたのさ」
催促するカシュパルを横目に、魔王はやや口角をあげたままレイグラーフがテーブルにつくのを待ってから口を開いた。
「ブルーノからの要請だ。スミレが回復魔法を披露した、祝杯をあげたいから皆を集めてくれ、とな」
「回復魔法? ――もしかして、聖女の」
「ああ、そうだ」
「ホントに!? すごいじゃない!」
「それは確かに祝杯をあげねばなりませんねぇ」
そう言ってスティーグがキャビネットを開け準備を始めたところへ、ブルーノとクランツが執務室へ入って来た。
二人とも満面の笑みだ。それだけで、本当にスミレが聖女という存在と折り合おうとし始めたのだと一同は実感した。
酒瓶を回して各々のグラスに酒を注ぎ、グラスを手にする。
魔王の視線を受けたブルーノがひとつ頷いて声を上げた。
「聖女という存在を忌諱していたスミレが聖女の回復魔法を使った。あいつが踏み出した新たな一歩を祝おうぜ!」
グラスを掲げ、祝いの酒を味わいながら、ブルーノとクランツ以外の面々は二人に事の詳細の報告を求めた。
特に、今夜スミレに対してテストが実施されることを唯一知らされていなかったレイグラーフは、まずそこから驚いている。
「夜の城下町で一人酒を飲み、家まで歩いて帰るテストですって!? 先日ナンパされたばかりなのに、危険はなかったのですか?」
「不審者役は俺だけで、クランツは護衛に専念させたから安全性に問題はねぇよ。来月の精霊祭までに一人で夜出歩けるようになりたいって言うから、あいつの力量を確認したんだ。大丈夫だと判断したから、一人の夜歩きを許可しておいたぞ」
「ああ、ご苦労だった」
それでもまだ心配そうな顔をしているレイグラーフの肩を叩きながら、クランツがからかうように言った。
「テストのことはレイには伏せてあるので、スミレから報告するようにと伝えてあります。無事テストに合格した教え子をたっぷり褒めてやってください」
「そうですよ。せっかくスミレさんがやる気を出してるんですから、先生は応援してあげないとねぇ」
「やる気、か……。あんなに頑なだったのに、聖女の回復魔法を使う気になる程度には気持ちに折り合いがついたんだね。本当に良かったよ」
スティーグが言った“やる気”という言葉に、カシュパルがしみじみとした様子で呟いた。
きっかけとなったのは、やはり精霊との契約に関して魔王に報告したことなのだろう。たったの2週間でここまで変化するとは予想していなかったと、皆が口々に言う。
報告の翌日にはスミレが折り合いをつけられそうな感触を得ていたとスティーグだけは知っていたが、わざわざ披露する必要はないと考え、目を細めて頷きながら皆の話を聞くだけに留めた。
重要なのは変化の内容であって、時期ではない。
ブルーノとクランツの報告は続く。
「彼女は意外と商売っ気が強いので、単に実利を求めて回復魔法を使い始めただけなのかもしれません。念のため、不用意に聖女のことに触れるのは避け、回復魔法を称賛するに留めました」
「運が良かったな。スミレが疲れ切っていて、俺たちも少しばかりスタミナを消耗してた。たまたま、複数人を一度に回復できる状況が揃ったんだ。そうでなきゃ、俺たちが回復魔法に触れる機会はもっと先になっただろう」
「ええ。スミレが一人で回復していたらおそらく魔法の使用には気付けなかった。魔法は呪文の詠唱が聞こえませんから」
「その回復魔法ですが、どのような感じでしたか? 魔術での回復と比べて何か違いはあるのでしょうか」
スミレの夜の独り歩きに関する心配は解消したのか、それとも単に好奇心が勝ったのか、レイグラーフが生き生きとした様子で回復魔法について尋ねる。
ブルーノとクランツは顔を見合わせると、いかに驚いたかを話し出した。魔術と魔法では同じ回復でもまったく異なる感覚なのだという。
ブルーノは空のグラスに酒を注いで見せながら、その違いを例えた。
「回復魔術はこんな感じで徐々に回復していくだろう? 一方で、回復魔法は空の状態から一瞬で満杯の状態になる、そんな感じだ」
「今回はスタミナと魔力が少し減っていた程度だったので微々たる差でしたが、外傷を負っていたらその違いはより顕著になるはずです。回復魔法ならおそらく一瞬で傷が消えるのでしょう」
「興味深いな」
「魔術と魔法は術式からして異なりますから、効果の現れ方に違いがあっても不思議ではありません。類似の効果を持つのは回復系だけですから、両者を比較するにはもってこいなだけに、違いに気付く機会がなかったのが惜しまれます……」
「実験施設でいろいろと試せる機会は当分ないだろうからな」
高位の魔術師である魔王とレイグラーフは学術的な関心が強いようだが、単に回復魔法を体験してみたいという気持ちは共通のようだ。
レイグラーフが回復魔法を体験したブルーノとクランツの二人をうらやましがると、カシュパルも同調した。
「僕さ、スミレと空中散歩しようって約束してるんだけど、その時に竜化してスタミナと魔力使ったからって回復魔法を強請ろうかな」
「空中散歩って、まさか竜化した自分に乗せて飛ぶ気ですか!?」
「そうだよ。城下町を上空から見せてあげるって約束したんだ。ただ、落下自体は『霊体化』があるから問題ないけど、『霊体化』してるところを誰かに見られたら不味いから今まで保留してたんだ。ねえ、何かいい案ない?」
一体何を企画しているんだと呆れたような空気が流れたが、そんなことは気にも留めずにカシュパルが一堂に尋ねる。
クランツもカシュパルの背に同乗したらどうかという案は、男は乗せたくないとカシュパルに一蹴された。
それはそれで、異性としてスミレを乗せる気かと物議を醸しかけたが、実験施設で既に一度背に乗せていることと、自分以外の誰が乗せられるのかとカシュパルに言われれば反論のしようもない。
更には、同乗するとなるとスミレの背後から密着しなくてはならず、できれば勘弁して欲しいとクランツが言い、それも尤もだということで同乗案は流れた。
「クランツにワイバーン乗りの技術を身に付けてもらうってのはどうかな」
「ワイバーンに乗っての護衛は難しいだろ。それに、どっちにしろ城下町の上空は飛行禁止だぞ」
「そんなのルードから特別許可もらえば何とでもなるじゃない」
「おい、お前の側近がこんなこと言ってるぞ」
「……姿を隠してなら考えても良い」
「許すのかよ!」
「え~っ、全員の姿を隠すなんて大変じゃない……。でもまあ、約束したのは実験施設で訓練した時なんだよね。当時と違って今のスミレは城下町のことをよく知ってるから別の場所の方が喜ぶかもしれないし、一度スミレの意見も聞いてみてからまた考えるよ」
別の場所となると、それはそれでまた候補地選びから考えなければならず大変なのだが、とりあえず空中散歩の件は一旦保留となった。
そして、話は再び回復魔法の話に戻る。
スミレの回復魔術と回復魔法の両方を経験しているブルーノが、ふと思い出したかのように言った。
「俺は実験施設での訓練で瀕死の大怪我を負い、スミレのヒールで回復した。あの時の回復スピードは相当速かったが、回復魔法だったらあの傷も一瞬でなくなるのかと思うと、ちょっとゾッとするな」
「何故ですか。大怪我なら一瞬で治った方が良いでしょう?」
不思議そうな顔でレイグラーフが尋ねたが、酒をひと口飲んで再び口を開いたブルーノの目は薄暗い感情をたたえていた。
死にそうな怪我をしても一瞬で回復する。それを何度か経験したら、たいていの兵は無敵感、万能感を覚えるだろう。
何をしても死なないと思えば慎重さは不要となる。そして無謀な行動を取り、乱暴になり、容赦がなくなる。
「しかも、そういう空気はあっという間に伝播するんだ。片方の兵がそうなったらもう戦にならねぇ。あとは一方的な殺戮だ」
「……人族の王が聖女を娶り聖女召喚の魔法陣を自国に固定した時にそれが起こったんでしょうねぇ。そうして周辺国をあっという間に呑み込んで強大な国となり、今のイスフェルトになった、と」
「ここ二、三百年は聖女を軍事利用できてないようですが。霧の森すら突破できない体たらくですし」
「ああ、それね。どうも聖女が短命化していったせいか、魔力の割り当ての優先度が軍事より聖女召喚の魔法陣を満たす方が高くなったみたい。聖女を召喚するために聖女を消耗してたんじゃ意味ないだろうに」
この世界全域の偵察や哨戒を担当する魔族軍第四兵団の諜報部隊からの情報や、カシュパルが操る風の精霊たちからの情報によると、聖女召喚の魔法陣の他にも王城の防御や奢侈のために魔力の多くが使われているようだ。
霧の森に阻まれ、これ以上の領土拡張は事実上無理なのだが、王の権威を国民と属国に知らしめるために数十年に一度魔族国討伐軍が結成されては、霧の森で魔物討伐をするだけの侵攻とは名ばかりの軍事行動が繰り返されている。
「そのような不毛な行為にスミレが巻き込まれずに済んだのは本当に幸いでした。ですが、半年後あたりにはその侵攻が起きるのですか……」
「いずれスミレさんの耳にも入れなくてはなりませんが、その前に少しでも聖女の回復魔法に触れる気になってくれて良かったですねぇ」
「だが、どの程度折り合いがついたのかはわからぬ。聖女の役割を負わせるつもりがないことは今も変わりない。引き続き、聖女に関する話題は慎重に扱うよう各自留意しろ」
魔王の言葉に皆が頷いていると、レイグラーフのもとに風の精霊がスミレの伝言を運んで来た。夜間の独り歩きテストについての報告をするようだ。
スティーグが音漏れ防止の結界を張り、自分たちの声がスミレへの伝言に入らないようレイグラーフ以外の全員がその中に入ると、スミレの報告を聞きながら雑談が始まった。
「くっくっく。スミレさん、随分と嬉しそうですねぇ。テストを合格したのが余程嬉しかったんでしょうか」
「重量軽減の魔術が不合格になった時の落ち込みようからすると、あいつは単純に合格を喜びそうだな」
「それもあるでしょうが、将軍が言った“一人前の魔族だ”という言葉がスミレを一番喜ばせたと思いますよ」
自活を望み、魔族社会の一員になりたいと言って城下町へ飛び出していったスミレにとって、一人前の魔族だと認められるのはとても嬉しいことだろう。
城下町へ引っ越して約2か月、雑貨屋開業からはもうじきひと月になる。
短い期間だったが、いつも申し訳なさそうに遠慮ばかりしていたスミレはもういない。望みのために積極的に行動するスミレの姿は随分と魔族らしくなった。
「あ、回復魔法のこともさらっと報告したね。レイもしっかり信頼されてるんだ。ふふ、質問浴びせたいのを我慢してる。レイ先生、頑張れ~」
このままスミレの中で少しずつ聖女という存在と折り合いがついていき、いつかその存在を受け入れられるようになれば彼女の心の負担はより軽くなるだろう。
そんな日が訪れることを祈りながら、彼らは師と教え子の会話に耳を傾けた。
次回は二章最終話です。
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