137話 夜間の独り歩きテスト
「いらっしゃ…………、え? 客?」
「はい、客です。1名お願いします」
「お、おう。えーと、じゃあ、こっちのテーブルで」
ミルドが予想したとおり、シネーラ姿のわたしが串焼き屋に入ったら店員も客もギョッとしたような顔をした。
驚かせて申し訳ないが、遠慮せずさっさと注文する。ビールはラガーを、炙り焼きはまずは豚肉を頼んだ。
しばらくしてブルーノとクランツが店に入って来た。少し離れたテーブルに座って何か注文している。
わたしが一人で飲み食いする様子や周囲の様子をチェックするためだと言っていたけれど、お勧めを聞いてきたので自分たちも串焼きを楽しむ気満々だと思う。
とは言え、どこか串焼きをただの野営食と侮っている風でもあったので、前回食べた鶏肉の炙り焼きを始め、今日食べる予定のメニューを伝えておいた。
ふはは、選りすぐりの串焼きのおいしさに度肝を抜かれるがいい。
わたしが内心で一人高笑いしているとビールが出てきた。いい感じに冷えているようだったので、喉が満足するまでぐびぐびと飲む。
くは―――ッ、うまい! 仕事の後のビールは本当に最高だな!
続いて豚肉の炙り焼きが出て来る。ハァ、いい匂いだ、堪らない。お肉がジュウジュウいってるよぅ。
金属の串を両手で持ってかぶりつくと、口の中に肉汁がじゅわっと広がった。くうぅ、おいしいいぃ!
ラガーを飲み、また炙り焼きを頬張る。至福のひと時だ。これを至福と言わずに何を至福と言おうか。
豚肉の炙り焼きを食べ終わったので、今度はトマトの炙り焼きを注文する。
ブルーノたちに伝えたとおり、今日注文するメニューは既に決まっているのでまとめて注文してしまってもいいのだが、今日は8時近くまで時間をかけて食事しなければならないため、ゆっくりと注文するつもりだ。
……なのに、やって来たトマトの炙り焼きを食べたらすぐに牛肉の炙り焼きを注文をしてしまった。
だってもう、焼いたトマトがジューシーかつ甘味と旨味マシマシの絶品で、これはお肉と一緒に食べたい!と思ってしまったのよね……。
それにしても、生でも煮ても焼いてもおいしくて、たいていの食材と合うトマトは本当に優秀な野菜だなぁ。
トマトの偉大さにしみじみとしていたら牛肉の炙り焼きが出てきたので、ビールのお代わりを注文してからすかさず頬張った。
おお、さすがはビーフ。肉の王様という感じだ。岩塩は本当に肉類と合うなぁ。
というか、この店の塩が特別なのかもしれない。店売りの塩より旨味が強いし、味に深みがある気がする。
お代わりしたビールを飲みながら、再び壁のメニューに目を向ける。
ジャガイモの炙り焼きも食べてみたい。でも、丸ごと1個は量的にそろそろ厳しいのでテイクアウトにしよう。
ジャガイモの炙り焼きを注文し、店員に保存庫を預けた。
おそらく焼けるのに時間がかかると思うので、ゆっくりとビールを飲みながら残りのトマトと牛肉の炙り焼きを楽しもう。
ああ、でもさすがにもうお腹がいっぱいになってきた。ビールもジョッキに2杯飲んだし、少し酔ったかも。
店員がテイクアウト用の保存庫を抱えて来たのは閉店まであと15分という時間だった。
視界の隅でブルーノとクランツが会計に向かうのが見える。打ち合わせどおり、わたしより先に店を出てスタンバイするんだろう。
保存庫をバッグに入れるようなフリをしてどこでもストレージにしまう。さすがにテスト中は荷物を軽くしておきたい。
会計時に紫色のデモンリンガを見て店員はギョッとしていたが、何も言わずに精算を済ませ、わたしは一人店を出た。
時刻は8時少し前。すっかり日も暮れていて周囲は暗い。
魔族国には街灯がなく、必要なら各自魔術で明かりを灯すのだが、自分の居場所を知らせることになるので今日は暗視の魔術のみでいくと決めている。
さて、ここからがミッションの本番だ。気合いを入れていこう。
串焼き屋を出るとわたしはすぐにナイトアイを唱えた。少しでも早く暗視に目を慣らしておきたい。
バーチャルなウィンドウを開いてマップを広げ、あらかじめマークを付けておいたクランツの位置を確認する。
クランツはこれまでの護衛でわたしのマップに映る範囲を把握しているし、彼には帰宅時の予定ルートを伝えてあるので、適切な距離を保ったまま護衛をしてくれるだろう。
一方のブルーノにはもちろんマークを付けていない。
実際に不審者と遭遇する時は前もってマークを付けられるわけがないのだから、マップに表示されている人物を表すいくつもの点のうち、どれがブルーノかわからない方がリアルだと思ったのだが……。
串焼き屋を出て数メートル歩いたところに腕を組んだブルーノが建物の壁にもたれて立っていたので、現在位置がバッチリ把握できてしまった。
赤外線カメラの映像のような視界だと目が光るので、目が合ったのかどうかはわからないがニヤリと笑われた。
普段でもブルーノの凄味のある笑みは怖いのに、暗視状態だとガチで怖い。
スッと目を逸らし、そそくさと中央通りへ向かって歩き出す。ブルーノを表す点は動かないままだ。
角を曲がったところでウォッシュを唱えて衣類ごと全身を丸洗いし、匂いを落とす。狼系獣人族のブルーノは嗅覚が優れているから、匂いで追跡されたくない。
城下町の飲食店の営業時間は夜の8時までなので、この時間帯は帰宅の途につく人が結構いるのか中央通りは思った以上に人が歩いていた。
当然マップ上に表示される点も複数あり、尾行らしき動きをする点があるかどうかはまったくわからない。
マップをガン見することはできないものの、マップ全体を視界に収めつつチラ見しているうちに、気付いたらさっきまであったブルーノの点がなくなっている。
追跡開始か……。ブルーノに追われていると考えたら後頭部のあたりがぞわっとして、思わず唾を飲み込んだ。
落ち着け落ち着け。一番街はわたしのホームグラウンドだ。地の利はわたしにあるはず。
中央通りを渡り、商業ギルド方面へと歩く。
冒険者ギルド近くの串焼き屋からオーグレーン荘へまっすぐ帰るなら北通り沿いを行くのが一番わかりやすいし、分屯地の脇を通る分安全性も高いと思うが、今日はブルーノを撒かないといけないので回り道をするつもりだ。
時々マップをチラ見して、マークしたクランツの点が少し離れた後方からついてくるのを確認する。
商業ギルドのすぐ傍まで来た。マップを確認しつつ、周囲が無人になった瞬間ギルド脇の路地に駆け込むと、『移動』を連発してギルドの裏手の細い路地へ入り、カフェのある小さな広場へと一気に飛び込む。屋台は4時で閉まるので広場は無人だ。
すかさず『透明化』と『消音』を唱えて姿と音を消し、空き地の入り口付近にある植え込みの陰に身をひそめると、タタッという軽い足音と同時にブルーノが広場の入り口に姿を現した。
ひええッ、バッチリ追われてる!!
ブルーノは瞬時に広場内を一周し屋台の裏側と奥の植え込みをチェックしたが、すぐに身を翻して広場から出ると路地の先へと消えていった。
マップ上にあるブルーノらしき点の移動速度がハンパなく速い。
しかも、まっすぐ進むのか次の角をどちらに曲がるのかが読めないので、迂闊に動くのは危険そうだ。
わたしは『生体感知』を唱え、建物の向こう側を高速移動する赤色のもやの動きを探ろうとしたが、複数の建物内にも反応があったので、結局『生体感知』の使用は諦めた。
『透明化』と『消音』を途切れさせないよう重ね掛けを続けながら慎重に歩みを進め、ブルーノがかなり離れている時だけ『移動』を使い、家までの距離を削っていく。
それでも、気配を察知するのか、ブルーノが近くまで接近してくることがあり、『消音』していても呼吸音やこのドキドキとうるさい心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと、気が気でなかった。
何とか自宅へとたどり着き、『生体感知』で路上や窓から外が見える位置に人がいないことを確認して『透明化』が切れるのを待つ。
わたしが姿を現すとすぐにクランツが駆け寄ってきて、ブルーノに伝言を飛ばして帰宅を知らせたと思ったらブルーノがすぐに現れた。
うう、本当に動きが速い。このブルーノから逃げ切るなんて、わたしよく頑張った。偉い。でもマジで疲れた。早く座りたい。
「テスト終了です。よくやりましたね」
「お疲れさん。ほれ、さっさと中入って休め」
そう声を掛けてくれる二人に、へとへとに疲れきったわたしは頷き返すことしか出来なかった。
家に入ったらすぐに回復しようと考えながらデモンリンガで鍵を開け、ブルーノとクランツを招き入れる。
さて回復を、と思ったところでハタと気付いた。
テストしてもらっておいて自分だけ回復するなんてあり得ない。三人回復するなら、一人ずつしか掛けられない回復魔術よりパーティーを組めば全員に効果が及ぶ回復魔法の方が簡単だ。
魔法はヴィオラ会議のメンバーとしか試せないし、彼らが多少なりとも消耗していることなんて滅多にない。いい機会だから試そう。ブルーノならきっと喜ぶ。
「あの、パーティー組んで回復魔法してもいいですか? 全員まとめて回復できるので」
「回復魔法? ……いいぞ、やってみろ」
こくりと頷き、二人と腕を組むと『治癒』を唱える。すると、その瞬間体の疲れが一気に吹き飛んだので驚いた。じんわりと癒されていくような感じの回復魔術とは全然違う。
それに、じっくり見ていたわけではないが、減っていたはずのスタミナの残量を示すバーチャルなバーが瞬時にMAX状態に戻った。回復魔術を使った時のバーは緩やかに戻っていくのに。
「うわ、回復魔法すごっ! 何かいきなり元気になりましたけど、お二人はどうですか?」
ブルーノとクランツはどうかと思って尋ねれば、二人とも驚いた顔をして固まっていた。
魔術での回復とはまったく違う感覚なので、驚くのも無理はない。わたしも回復魔法は睡眠不足解消に『状態異常回復』を1回使っただけだから気付かなかった。
何ていうか、針が動くアナログ時計とデジタル時計の表示の違いのような、同じ“回復”という効果なのにまるで異質な感覚だ。
「な……んだこれは。すごい勢いで回復しましたよ……」
「本当に一度に複数人を回復できるのか……。ハハッ、すげえな回復魔法!」
まだぼうっとしているクランツの背中をバンバン叩きながら、ブルーノが大笑いしているのを見て、予想が当たったとわたしも嬉しくなった。
やっぱりね! ブルーノは魔法を実体験したらきっと喜ぶと思ったよ!
にんまりしていたら、いきなりブルーノにデコピンされた。
「おい、いつまで腕組んでる気だ。誘ってんのか?」
「何言ってんですかッ、そんなわけないでしょ!?」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと反省会を始めましょう。ダイニングでいいんですよね?」
「おう、俺を出し抜いたルートを教えてもらおうじゃねぇか」
わたしが慌てて腕を解くと、二人はさっさと奥の部屋へと歩き出した。
初めての回復魔法に驚き興奮していたのに、さすが軍人は切り替えが早い。
……聖女の回復魔法なのに、二人とも聖女のことには触れなかったなぁ。
単に回復魔法の威力だけを称賛されたこと、そして、さらりと流され反省会へと移行したことが、何だかとても嬉しかった。
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