127話 聖女に対する心境の変化
魔王に精霊との契約について報告した結果、ずっとネガティブに捉えてきた聖女という存在と折り合いをつけられそうな感触を得たことで、長い間背負っていた重い荷物を下ろしたような気分になり、何だかすごくホッとした。
今まで特に意識していなかったけれど、何かに対して拒絶感を持ち続けるというのはすごくストレスがかかるものなんだなぁ……。
こういう心境に至れたのは周囲の人の支えがあったからこそだから、魔王に庇護してもらえて本当に良かったと改めて思った。
そんな風にしみじみしているわたしに、魔王は更に精霊との契約に関する補足や注意事項を申し渡した。
「お前が精霊と契約していたことはヴィオラ会議の面々には知らせておく。だが、老婆の言うとおり本来は他者に明かすことではないので、この件で彼らからお前に何か言うことはない。お前も軽々には話さぬように。質問があれば私へ寄越せ。これに関してはレイグラーフに尋ねてはならぬ」
研究院長のレイグラーフはわたしの教育全般を担っている人だから、彼に尋ねることを禁止されるとは思わなかったので少し驚いた。
それ程に秘するべきことなんだと思ったら、却って魔王やレイグラーフは精霊と契約をしているんだろうかと妙な関心が湧いてくる。
しかし、疑問が顔に出ていたのか、魔王にたしなめられてしまった。
「何を考えているかは想像がつくが、それを口に出してはならんぞ。お前は精霊と仲良くするだけのつもりで気軽に名を与えたのかもしれぬ。しかし、魔族にとって精霊と契約するということはそのように軽いものではないのだ」
「はい、わかりました。気を付けます」
魔王にビシッと言われて思わず背筋が伸びた。
魔王のこの対応から察するに、わたしが聖女であることやネトゲ仕様と並ぶくらいの重要機密に相当するんだろう。
何せ契約するのに百年以上かかるのだ。長命な魔族といえども、寿命の何分の一かに当たるこの期間はさすがに長いはず。
それにグニラの話によれば、精霊と契約を結ぶのは魔王や部族長、高位の魔術師だというから、そもそも一般魔族とは関わりのない高度に魔術的な案件なのだ。
精霊たちとの今の暮らしを守るためにも、慎重を要することなんだと認識を改めなくては。
この際だから聞けるだけ聞いておこうと思い、他にも何か気を付けることはあるかと魔王に尋ねる。
魔王は少し考えた後、契約した精霊には命令できる、お前の場合何の気なしに発した言葉が命令となってしまう可能性がないとも言えないので、精霊の前で迂闊なことを言わないようにと釘を刺された。
ううぅ、ごもっともで……。
今まで調理や壁に絵を飾った時以外で精霊に魔力的な手伝いを頼んだことはないし、生活魔術とメッセージの魔術くらいしか使わないからたぶん大丈夫だと答えたものの、まあ、心配するなと言う方が無理だろうとわたしも思う。
いろいろとやらかしている自覚はあるので、自分の信用のなさに若干凹んだけれど、精霊たちがわたしの膝や肩の上でピョンピョン飛び跳ねながら励ましてくれたので、すぐに浮上した。
いちいち凹むのはわたしの悪い癖だ。必要なのは反省で、大事なのはそれを次に活かすこと!
うん、精霊との契約については口を閉じておく。精霊に不用意な命令をしない。今後はしっかりと気を付けよう。
気持ちを新たにしたところで、せっかく精霊たちを呼び出したことだし、魔力クリームをあげようと思いついた。
空いたつまみの皿をウォッシュして、“おいしくな~れ”と念じながらホイップした魔力クリームを盛る。
魔王がよく見たいというので精霊たちにあげる前に皿を手渡したら、魔王はまじまじと魔力クリームを見た後、唐突に指ですくって口に入れたのでびっくりした。
「ちょっ! ルード様、何してるんですか!」
「ふむ。確かに甘いな」
「え、甘い? 魔力って食べれるんですね」
「いや、初めて食べた」
「ええぇっ、大丈夫なんですか!?」
魔術具の権威であり高位の魔術師だという魔王もレイグラーフ並みに知的好奇心が強いということなんだろうか。
魔王の奇行に仰天しているうちに気付けば夜も更けてきたので、適当な頃合いで飲み会を切り上げて魔王は帰っていった。
久しぶりに二人でゆっくりと話せたなぁ。
おやすみと言いながら頭をくしゃくしゃと撫でてくれたのが嬉しかった。
魔王を見送った後、ささっとシャワーを浴びてベッドで横になる。
ワインの酔いは残っているのになかなか寝付けなくて、飲み会でのことを思い出しながらぼんやりと考えている内に途中からほぼ一人反省会状態になった。
魔王を始めとするヴィオラ会議のメンバーやファンヌに対して、無自覚とはいえ筋違いな嫌悪感をずっと押し付けていたと気付いたからだ。
精霊だけでなく、この異世界の誰にとっても聖女が善良で好ましい存在であるというのは理解できる。
そもそも“そういう設定”なんだから。そこに異論なんてない。
でも、振り返ってみれば、わたしに聖女であることを強いたイスフェルトへの憎悪と聖女扱いされることへの嫌悪感を隠さなかったわたしの態度は、きっとヴィオラ会議のメンバーやファンヌには聖女の存在そのものを否定しているように見えただろう。
わたし自身も両者を一緒くたにしていたのだから、それも当然だ。
イスフェルトに勝手に召喚されたわたしが被害者なのは確かだが、皆には何も関係ないのに甘え過ぎだったと今にして思う。
聖女という存在を全否定しているように見えるわたしを見て彼らがどう感じるかということをまったく考えていなかった。
魔族にとって好ましい存在を否定されてきっと不快な気持ちになっただろう。
それとも悲しんだだろうか。どちらにせよ、嬉しいとは真逆の感情を覚えたに違いない。
当時のわたしは周りのことを考える余裕なんてなかったからどうしようもなかったとは思うけれど、大切な人たちに対してそういう思いをさせていたのかと考えたらいたたまれない気持ちでいっぱいになった。
聖女という存在に対するネガティブな気持ちが変化したとはいえ、すぐにウェルカム状態になれるわけでも、オールオッケーとなるわけでもない。
まだ当分は何かしらわだかまりも残ると思う。
だから、今はまだこの心境の変化を彼らに伝えるのはやめておくけれど、いつかわたしの甘えを見逃してくれたことに感謝を伝えたい。
ああでも、以前聖女のことは自然に折り合いがつくまで放置しておくようにと助言してくれたスティーグには早めに伝えたいなぁ。
明日の朝起きたらスティーグにメモを送ろうと、その文面を考えているうちにわたしはいつの間にか眠りに落ちた。
翌朝、目が覚めたら頭が重い……。
飲み過ぎたつもりはないのにと思いつつステータス画面を開いたら、やはり二日酔いの文字が表示されている。
ネトゲのマニュアルを読んでそういう状態異常があることは知っていたけれど、ついにやってしまったか……。
悪酔いしたのは飲んだ量よりメンタルが影響したかもしれない。
昨日はテンションが乱高下したし、ベッドに入ってからもあれこれ考えを巡らせたからなぁ……。
とりあえず、回復魔術でさくっと状態異常を解除したら、重かった頭がすーっと爽快になっていった。
う~ん、楽だ。こんな風に魔術や薬で簡単に回復できるなら、魔族が病気や怪我に無頓着になるのも当然だよ。
そういえば、何も考えずに回復魔術を使ったが、魔法で回復するのもありかもしれないと思いついた。
聖女として魔法を使えと強制されるのではなく自分のために使うのだし、実験施設では聖女の回復魔法だけは試さなかったから自分に試して効果を見るのもいいかもしれない。
精霊との契約で聖女も悪くないと感じられたのだから、聖女のメリット面から歩み寄ってみるというのは現金なわたしには向いている気がする。
機会があったら試してみよう。そんなことを考えながら朝の訓練に向かった。
朝食のあと、スティーグ宛に聖女という存在と折り合いをつけられそうな感触を得たことと、感謝の気持ちを書いてメモを飛ばした。
返事はメモじゃなく伝言で戻ってきたので少し驚く。
《ほら、自然に折り合いがつくまで放置しておいて良かったでしょう? だから、今後も無理しちゃダメですよ? こうあるべきとか、しかつめらしく考えるようなことじゃないですからねぇ》
何ていうか、とてもスティーグらしい言い方で少し笑ってしまった。
スティーグはいつも心の隙間にスルッと入り込んで、わたしの中のもつれた糸を解してくれる。
メイクや服、お茶やおしゃべりと、その手法はさまざまだ。
わたしの周りは素敵な魔族が多いなぁ。
わたしも早くかっこいい魔族のおねえさんになるぞー!
そんな気持ちで、張り切って城への納品作業に臨む。
今日の担当はカシュパルで、久しぶりにブルーノも参加している。
どうかしたのかと思ったら、『捕獲蔓』は当分発注を止めるので在庫の補充をしなくていいとのことだった。
「これまで毎回購入制限の上限いっぱいまで発注してただろう? 兵士の標準装備にするつもりで大量に購入してたんだが、ちょっと見送ることになってなぁ……。たっぷり備蓄できたからしばらくは発注を控える。いつもどおり在庫の補充をさせちまうと悪ぃから、早いとこ伝えようと思ってな」
「あら、お気遣いありがとうございます。了解しました」
「標準装備への導入は見送りですか。理由を伺っても?」
「ああ、実は樹性精霊族の兵士から不満が出た。蔓を使役できる連中、特に籐族の反発が強い」
「……なるほど」
同席していたクランツに尋ねられて、ブルーノが理由を説明する。
捕獲蔓は蔓が伸びて対象の動きを封じるアイテムで、蔓を使役できない部族の兵士たちも素早く捕縛できるようになるからと、魔族軍での運用をブルーノが考えていたのだが、いざ試用してみたところ不満や反発を示す兵士が出たそうだ。
どうやら単に部族や種族のプライドが傷付けられるというだけでなく、蔓という自分たちの絶対的なアドバンテージを侵されると感じているらしい。
ブルーノとクランツが話しているのを横で聞きながら、ああ、要するに既得権益の話なのか、と腑に落ちた。
そりゃ揉めますわー。無理に推し進めない方がいいとわたしも思う。
わたしは気にしなかったが、捕獲蔓は毎回MAX購入だったので、発注量が激減するからかブルーノがひどく恐縮していた。
だけど、捕獲蔓は1個8D。999個売っても手数料一割だから利益は799Dで、儲けは高級ピック8本分より少ないのだ。
収入面ではほぼ無傷なので、まったく問題ない。
「城への納品はネトゲ仕様を使って貢献できたらと思って始めたことです。お金が目的じゃないんですから、気にしないでください」
「だが……、すまんな」
「もう、ブルーノさんってば! 水臭いこと言うと泣きますよ!?」
「げっ!!」
「あははっ。スミレに1本取られたね、ブルーノ!」
以前、限定販売の手数料を身内価格の一割にしたいとわたしが粘った時のことを匂わしたら、ブルーノは慌てて話を切り上げた。
カシュパルが手を叩いて笑うから、わたしも一緒になって笑った。
あの時泣きそうな顔で交渉したわたしが、今は笑ってブルーノに突っ込めるようになっている。
一歩ずつ進んでいけば、聖女という存在ときちんと向き合える日が来るだろう。
今すぐでなくとも。
いつかきっと。
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