124話 【閑話】精霊族部族長の報告
魔王ルードヴィグからの急な呼び出しを受け、ブルーノが慌ただしい足取りで執務室へやって来た。
勢いよく開けたドアを背後でバンと閉めると、応接セットのソファーに腰掛けている魔王に近寄りながら大声を上げる。
「おい、グニラばあさんがスミレの店へ行ったって本当かよ! 何で止めなかったんだ、ルードヴィグ!」
「部族長会議での通達どおり一人で出向いたんじゃ。文句を言われる筋合いはないわい」
「うおッ、いたのかよばあさん。……んで、どうだったんだ? 精霊族の部族長は聖女の役割を拒否しているスミレに不満を持っていると聞いたが、嫌味でも言ってきたのかよ」
ソファー脇に立つスティーグの影になって見えなかったが、魔王の向かい側のソファーには精霊族の部族長であるグニラが杖をついて座っていた。
彼女の隣には同族であるレイグラーフが心配そうな顔をして座っている。
カシュパルとクランツの姿はなく、執務室内にいるのはこの5人だけのようだ。
「ふん。場合によってはそうするつもりだったがね。そんな些末な話はいいから、早う座らんか。ルードヴィグに報告して帰るつもりじゃったのに、魔族軍将軍と研究院長も共にと申すから待っておったんじゃ」
「報告? 愚痴や文句じゃないのか」
訝し気な顔をしながらブルーノが魔王の隣に腰を下ろすと、グニラは杖の上で重ねた両手に顎を乗せて大きなため息を吐いた。
「愚痴や文句ならあるぞ。いやはや、度肝を抜かれたわい。お前さんたちが知っていて部族長会議に隠しておったのなら断固として抗議するが、あの娘の様子からするとおそらくお前さんらも知らんのじゃろうと思って立ち寄ったんじゃ」
「長、もったいぶらないで早く教えてください。スミレに何かあったのですか」
レイグラーフが身を乗り出してグニラに言い募るが、グニラはレイグラーフを無視して魔王に視線を定めると静かに告げた。
「あの娘、精霊と契約しておるぞ。しかも4エレメントすべてとじゃ。知っておったかえ?」
「何だと」
虚を突かれたと言わんばかりの魔王の顔を見て、やはり知らなかったかとグニラは自分の予想が当たったことに少しばかりの満足を覚える。
レイグラーフとスティーグは驚きのあまり声も出ないようだが、精霊との契約についてよく知らないブルーノがグニラに尋ねた。
「4エレメントと契約ってレアなのか?」
「当たり前じゃ! 精霊との契約なんぞ他者に漏らすことではないが、事が事じゃから特別に教えてやる。他言無用じゃぞ。――精霊族部族長のわたしでさえ、契約しておる精霊は2種類。ルードヴィグ、お前さんも明かせ」
グニラに促されて、魔王がゆっくりと指を1本立てた。
精霊族部族長であるグニラと魔王ですら2種類と1種類。
スミレの契約数がいかに異常かよくわかる。
執務室内に沈黙が落ちたが、それを払しょくするかのようにブルーノが口を開いた。
「スミレが精霊と契約していただなんて俺たちは聞いたことがない。店にも何回か行ってるが気付かなかった。ばあさんは何でわかったんだ?」
「精霊たちから直接聞いたんじゃよ。あの娘が奥へ引っ込む時に風と土の精霊を店番用に置いていったので、これ幸いと彼らから話を聞いてみたら、何と名を与えられたと言うから驚いたわい」
「ばあさんは精霊と話が出来るのか! すげえな、そんな話聞いたことないぞ。レイグラーフ、お前も話せるのか?」
「まさか。精霊族でもそんなことができるのは長くらいのものですよ」
「へえ、さすが精霊族の部族長ってわけか。やるなあ、ばあさん」
「軽く言うでないわ。魔素の循環異常への対応で精霊を大量投入できるのは、歴代の部族長が精霊たちに協力を仰いできたからじゃぞ。彼らと意思疎通ができねば精霊族の部族長は務まらん。お前さんもその役職にあるなら心得ておくんじゃな」
「――すまない。知らなかったとはいえ軽率な発言だった。精霊族の尽力には深く感謝している」
ブルーノがバツが悪そうにグニラに謝罪と感謝を述べると、わかっているなら良いと言ってグニラは話を先へ進めた。
精霊たちの話によると、スミレがあの家の主になったその日、彼らを呼び出したスミレが名前を付けていいかと尋ねてきて、彼らはそれをすんなりと受け入れたのだという。
「にわかには信じがたい話ですが、精霊たちが余程スミレさんを気に入ったということなんでしょうかねぇ?」
「そのようじゃのぅ。何でもあの娘の魔力はとびきり甘くておいしいそうでな、それを毎日たっぷりと食べさせてくれるから非常に満足しておるそうじゃ」
「ああ、アレか……。あいつ、いつも精霊用に魔力クリームを皿に盛って食卓に置いてるらしいんだ」
「精霊たちと一緒に食事をしておると娘からも聞いたが、魔力クリーム、か……。ふむ……」
「刀自、何か懸念があるなら言ってくれ。ことが精霊との契約ゆえ、口にするのも憚られるのはわかるが、精霊のことは我らにはわからぬことも多い。情報は多ければ多いほど助かる」
ここまでほぼ無言だった魔王が言い淀んだグニラを促す。
グニラはやや躊躇を見せたものの、あくまで自分の予想に過ぎず確証はないと言い置いてから彼女の懸念を打ち明けた。
「一般的な精霊は生まれてから消えるまで能力的に特に成長することはない。しかし、おそらくその魔力クリームの影響じゃと思うが、あの娘と契約しておる精霊たちは結構成長しておるぞ。そこらの精霊よりだいぶ強かろうて」
「ほう」
「精霊が強いとどんな影響が出るんだ?」
「魔術を使う際に魔力消費量が減り、効果が増幅されます」
「……精霊の成長がこれからも続くなら、スミレさんの魔術はすごいことになっていきそうですねぇ」
グニラの懸念を全員が理解した。
スミレが魔族国へ亡命して来る際、聖女召喚の魔法陣を破壊してきたことは部族長会議でも報告されている。
スミレの魔術の破壊力が高いことを知っていれば、精霊の成長によってスミレの攻撃力が更に上がることを懸念するのは当然で、それはグニラだけでなく魔王たちも同じだ。
スミレは攻撃的な性格ではないと知るヴィオラ会議の面々だが、イスフェルトが絡んだ時の彼女の苛烈な反応も知っている。
それでもスミレは危険な人物ではないとレイグラーフは訴えようとしたが、先にスミレを擁護したのは意外なことにグニラだった。
「理論上はそうなるから注意を払う必要はあると思って報告に来ただけで、あの娘を危険視などしておらんよ。全エレメンタルがあの娘と契約しておるんじゃ、悪しき魔力の用い方はせんと見なされておるんじゃろうて。精霊に隠し事はできん。これ以上の保証はないわえ」
なるほど、とグニラ以外の面々も腑に落ちた。
精霊族の部族長にとって、精霊が信用しているならそこに異論を挟む余地がないのも当然か。
「それに、あの娘は精霊に対して誠実じゃし、エレメンタルを大切にしておる。それに関してはそこらの魔族以上かもしれん」
そう言うとグニラは皮肉めいた笑みを浮かべた。
魔族の生活はエレメンタルを基とする魔術の上に成り立っている。
その魔術を効率良く扱うために精霊の力を借りるのだが、ともするとそれが当たり前になりすぎて有難みを忘れがちになるのが今の魔族の実態だ。
何なら、精霊を使役する対象と認識している者までいる。
「そこまで不遜な考えはないとしても、高位の魔術師にとって精霊が便利な存在であるのは間違いなかろう? 個の精霊と信頼関係を構築してまで契約を結ぼうとするのは、魔力効率を良くし魔術の効果をより高めるためじゃ。別に咎めているわけではないぞ。わたしもそういう利点は強く意識しておるからのぅ」
高位の魔術師でもある魔王とレイグラーフに向かってそう言うと、グニラは杖を引き寄せ、遠くを見るような眼差しで話を続けた。
「じゃが、あの娘はそうじゃない。利益を求めて精霊と契約を結んだのではなく、単に精霊たちと仲良くなりたかったから名前を付けたんじゃと。名を与える行為が契約になるとは知らなかった、自分は何か禁忌に触れたのかと焦っておったわ」
ほ、ほ、とグニラが乾いた笑いを零した。
古はどうだったか知らないが、今時そんな純朴な気持ちで精霊と契約を交わす魔族がいるだろうか。いるとしても、せいぜいエレメンタル系精霊族の種族長くらいなものではなかろうか。
自嘲気味にそう言った後、グニラはおもむろにレイグラーフを褒めた。
「あの娘はエレメンタルを尊重する姿勢が身についておる。随分と師の薫陶がよろしいようじゃ」
「いえ、スミレは精霊のいない世界から来たというのに、不思議と最初から精霊に対して親しみのこもった態度だったのです」
講義で多方面に渡って語り合う機会のあるレイグラーフから見ると、スミレにはまず前提として自然に対する畏敬の念があり、精霊を尊重する姿勢はその延長上にあるように思えるそうだ。
それを聞いて、グニラがにんまりと笑みを浮かべる。
「そういう意味でも、十分に聖女としての資質があると言えるじゃろうな」
「だが、スミレは聖女という存在を忌諱している。今はあいつに無理強いをしたくねえ」
「そうじゃのぅ。今は魔素の循環異常が起こっておらんからな」
聖女についてグニラが触れると、“今は”という前提条件を付けつつも間髪入れずにブルーノが牽制したが、グニラはそれに対して一定の理解を示した。
その様子に、レイグラーフはスミレに対するグニラの態度が随分と軟化したことを知る。
同じように感じたのか、くつくつと思い出し笑いをしながらスティーグがグニラに水を向けた。
「グニラ刀自、スミレさんと会ってみてどう思われましたか? 何でも悪女だと評しておられたと聞きましたが」
「ほ、ほ。少なくとも悪女評は撤回せねばなるまい。魔王の庇護下で呑気に遊び暮らしておるわけでもなく、魔族国に馴染もうと真面目に勉強しておったわ。傷心が癒えるまで様子を見守る、で良かろうよ」
そう鷹揚に答えるグニラの言葉に、魔王が口の端を少し上げて微笑する。
スミレへの対応にグニラの賛同を得られて、ブルーノとレイグラーフも安心したようだ。
「それにのぅ、レイグラーフよ。陽月星記を勧めたのはお前じゃろう? あれの話でえらく盛り上がってのぅ。また今度おしゃべりしようと約束してきたわえ」
「はぁ!? おしゃべり? ばあさんとスミレでか?」
「そうとも。いやはや、まさか人族の娘っ子と陽月星記の話ができるとは思わなんだ。しかも悲恋話が好きなようでのぅ。あの娘、なかなか情緒を解しよるわい」
「確かにスミレは陽月星記を気に入っていますし、私も話が盛り上がったことはありますが、悲恋話が好きだとは知りませんでした」
「そりゃ、お前のような朴念仁と恋愛話なんぞできんじゃろうて。ほ、ほ。次回もまたこの婆に茶と菓子を振る舞ってくれるそうでのぅ、楽しみにしておると言うてくれたわ。……ふっ、話のついでに聖女の自覚を促してやろうと婆が企んでおるとも知らずにのぅ」
そう言ってにんまりしたグニラの笑みには年季の入った凄味があった。
スミレへの態度が軟化したとはいえ、やすやすと手を引くつもりはないらしい。
ブルーノは険のある顔になり、レイグラーフはあたふたと取りなそうとしたが、まあ最後までお聞きとグニラが両者をなだめる。
「魔素の循環異常が起こり精霊を大量投入することになれば、精霊を慈しむあの娘はさぞかし悲しむじゃろう。ならばと聖女の力を振るう気になるかもしれんぞ? いずれ聖女としての自分を受け入れざるを得ん時が来る。軟着陸できるよう導いてやる必要もあるんじゃないのかえ?」
報告を終え、言いたいことを言うと、グニラは満足げな様子で帰っていった。
次回も閑話でヴィオラ会議です。




