122話 精霊族の老婆来店
店に入ってきた見知らぬ老婆は相当お歳を召しているように見えた。
900歳のドローテアよりしわが深いし、薄く緑がかった灰色の髪は元々は緑色だったんじゃないだろうか。
魔族の中で寿命が一番長いのは樹性か岩性の精霊族らしいから、髪の色からするとたぶん樹性精霊族だろうと思う。
初めて見る顔だが、杖をついているところを見ると普段あまり出歩かない近所の人なのかもしれない。
わたしはサッと観察しただけだったが、老婆はわたしをジッと見たままコツコツと杖をつきながらカウンターの方へやって来る。
……何だかこのお婆さん、瘦せ型で厳しそうな顔立ちだからか、威圧感があってちょっと怖い。
老婆がわたしから目を離さないまま近付いて来たので、ビビったわたしがそれまで読んでいた陽月星記をパタンと閉じて脇によけたら、その音に反応したのか老婆が一瞬本に目を向けた。
うひっ、チェックが厳しいよ!
緊張しつつも、いつも初めて来店した客にするようにカタログを見せてソファーを勧めると、老婆は「ほう」と言ってカタログを受け取りソファーに腰を下ろして見始めた。
ふう。魔族のお年寄りってドローテアしか知り合いがいないから、どう接客したらいいのかよくわからない。
しかも、見るからに穏やかそうなドローテアとはだいぶ雰囲気が違うので、地雷を踏みやしないかと少々不安に思いながらカウンター内で静かに控えていたら、老婆から声が掛かった。
「この毛織物の装備品というのは実物を見れますかな」
「はい、こちらに飾ってあるのがそうです。今そちらにお持ちしますね」
トルソーのある方を手で示したら老婆がソファーから立ち上がろうとしたので、そのまま座って待ってもらうことにした。
杖をついている以上歩行に難があるのだろうから、あまり煩わせたくはない。
先に手袋と帽子にフード、長短のブーツ2種を手元に届けて見てもらい、大急ぎでトルソーからマントを外して手渡した。
「ふむ、かなり温かそうですのぅ」
「はい。寒冷地で性能テストをしてもらいましたが、雪深いところ以外では魔術で体を覆う空気の層の温度調節をしなくて済んだと聞いています。ただ、テストをしたのが体温の高い獣人族なので、他の部族の方には少し寒いかもしれないとのことでした。よろしければ試着なさいますか?」
「お願いできますかな」
「では、失礼しますね」
ひと言断ってから座ったままの老婆にマントを着せ掛け、手袋と帽子と短ブーツを身に着けてもらった。
毛織物装備を一式身に着けた魔族を見るのは何気にエルザ以来だ。案外このお婆さんもオシャレ好きだったりするのかな。
そう思ったら、威圧感を覚えていた老婆の姿が何だか急に微笑ましく見えてきたから不思議だ。
毛織物は寒い地域以外には出回らないと以前服飾関係の業者から聞いたとおり、老婆は毛織物の装備品を見たことがなかったそうで、しきりと生地の触り心地を確かめている。
確かに温かいと品物には満足してもらえたようだったが、自分用ではなく人へのプレゼントとして考えているのだと老婆は言った。
「わたしゃ樹性精霊族なんじゃが、同じ精霊族の他種族にひどく寒がりな者がおりましてなぁ。部族の里へ来るといつも寒い寒いと文句を言うので、これを着せて黙らせてやろうかと思ったんじゃが……、全部買い揃えるにはちと高いのぅ」
「そうですねぇ。着心地がお気に召すかどうかもわかりませんし、揃えるなら一度フードか手袋あたりをお試しいただいてからの方が無難かもしれませんね」
「確かにのぅ」
精霊族は種族によって生態がかなり異なるようだから、身につけるものを他種族が選ぶのはなかなかハードルが高いと思う。
まずは一番安い品で相手の反応を確認することを勧めたら納得してもらえたようで、手袋をお買い上げいただくことになった。
老婆が試着した装備品を脱いでいる間に、新品を取ってくるとひと言断って奥の倉庫へ行く。
仮想空間のアイテム購入機能で毛織物の手袋を購入し、店に戻ろうとしたところで不意に思い付いた。
ハッ! そういえば、魔族のプレゼントってラッピングするんだろうか。
ラッピング用紙もリボンもないけどどうしよう!?
過剰包装と思われる可能性もあるし、ラッピング材料もない。
とりあえず今日のところは素材用の紙袋に入れて渡すことにし、さりげなく会話を交わしつつ作業を進める。
「それにしても、寒冷地は竜人族の住むエリアにあると聞いていましたが、精霊族の部族の里も寒いとは知りませんでした」
「いや、気温は王都と変わらんのじゃが、その種族は火山の近くに住んでおりましてな。そこと比べればたいていの場所はうすら寒かろうというものですわ」
「あっ、もしかしてプレゼントのお相手は火の精霊族なんでしょうか。火口付近にある種族の里から出た火の精霊族がよその土地で寒さに難儀する話を読んだことがありますよ!」
陽月星記の何巻だったかは忘れたが、確かそんなエピソードがあったはずだ。
見知らぬ老婆との会話に自分の知っている話が出て来たことが嬉しくて、つい作業の手を止めて前のめりになりかけたが、一瞬出かけた笑顔を慌てて引っ込める。
危ない危ない。初対面の相手なんだから親し気な態度は控えなくては。
「ほう、よくご存じじゃのぅ。亡命してきた元人族と聞いておったが、よく学んでおいでだね。魔族でも知らぬ者は多かろうに」
「ありがとうございます。いろいろ教えてくださる先生から陽月星記という本を借りて読んでいるんですが、これが中々おもしろくて」
「――陽月星記? 失礼じゃが、お前さんに古語が読めるんですかな?」
「はい。今ちょうど8巻を読んでいるところでして」
老婆に疑わしそうな目で見られたので、嘘じゃないと証明するためにカウンターの上に置いてあった陽月星記8巻を持ってきて冒頭の数行を読み上げたら、よほど驚いたのか、老婆は目を見開いていた。
「驚いたのぅ……。元人族のお前さんが本当に陽月星記を読むとは思わんかった」
「精霊祭について知りたいと話したのがきっかけで、先生が勧めてくれたんです。いろんな部族や種族の生活や慣習に関する描写が出てくるから、読んでいるうちに自然と精霊祭についても学べるだろう、と」
「なるほどのぅ。良い先生のようですな」
「はい! いろんな分野を学ばせていただいてますし、すごくお世話になってるんです」
レイグラーフは陽月星記について、魔族や魔族国に関する知識を幅広く底上げしてくれる、魔族との会話で役に立つこともあるだろうと言っていたが、まさにそのとおりになった。
さっすが研究院長! ありがとうレイ先生!!
「ふうむ、それで店番をしながら読んでおったのかえ。熱心なことじゃ」
「勉強になるのも確かなんですけど、普通に読み物としてもおもしろいので読んでいて楽しいです」
「ほう。実はわたしも陽月星記が好きでしてな。どのあたりがおもしろかったか、良かったら聞かせてもらえんじゃろうか」
「ええ、喜んで! お客様もお好きなんですね。陽月星記の話ができるなんて嬉しいです」
まさか、自分の店で陽月星記が好きな人と知り合えるとは思わなかった。
これまで陽月星記の話で盛り上がれたのはレイグラーフだけで、それも文化や学術方面に関する話ばかりだったから、単なる“好き”について誰かと語り合ってみたかったのだ。
せっかくのこの機会、逃したくない。
「あの、お客様のお時間さえよろしければお茶をご一緒にいかがですか? わたしもぜひゆっくりお話を伺いたいので」
「ほほう、この婆に馳走してくださるか。それなら、ありがたくご相伴に預かろうかのぅ」
「ありがとうございます! すぐに準備しますね!」
ドローテアのようにスマートに誘えたかどうかはわからないけれど、老婆はわたしの誘いを快く受け入れてくれた。
やった! 来客にお茶を振る舞えるように練習してきて良かったよ!
お茶の淹れ方を習うよう勧めてくれたスティーグと教えてくれたファンヌと、魔族とのお茶会を何度も経験させてくれたドローテアに大感謝だ。
ダッシュでキッチンへと向かいかけて、足を止める。
老婆に不審なところなんてないけれど、少しの間ならともかく、初対面でどこの誰とも知らない客を一人店に置いたままお茶を淹れにいくのはさすがに不用心過ぎるだろう。
「風の精霊と土の精霊よ」
監視とまではいかないまでも精霊たちに老婆の様子を見ていてもらおうと思い、ふぅちゃんとツッチーを呼び出した。
人前なので自分が付けた名前ではなく、普通の呼び出し方をしておく。
「この子たちにいてもらいますので、何かあればお知らせくださいね」
老婆にそう声を掛けると、わたしはキッチンへ向かった。
みーちゃんとひーちゃんも呼び出し、お茶を淹れる手伝いをしてもらう。
お茶菓子はスイーツの屋台で買ったジャムのせクッキーにしよう。自分のおやつ用だったけれど、買っておいて良かったなぁ。
ドローテアのようにとまではいかなくても、保存庫があるのだから多少はお茶菓子を買い置きしておいた方が良いかもしれない。
あとはカップにお茶を注ぐだけというところまで準備が整った途端、みーちゃんとひーちゃんがフッと消えてどこかへ行ってしまった。
わたしがもうお客さんがいる店へ戻るからかな。
そう思っただけで特に気にしなかったのだが、お茶の道具とお菓子をお盆に載せて店へ戻ったら、見守り役を頼んだふぅちゃんとツッチーだけでなくみーちゃんとひーちゃんもこちらへ来ていた。
4人とも老婆の前で元気よくポンポン跳ねたりくるくる回ったりしている。
「あらまぁ、うちの子たちがすみません。うるさくしませんでしたか?」
「――いや。良い子たちじゃ。お前さんのことをたくさん話してくれたわえ」
「えっ、精霊と話が出来るんですか!? すごいですね!」
お盆をテーブルの上に置きながら話し掛けたら、老婆がそう答えたので驚いた。
精霊と話せるなんてうらやましい!
そんな話は聞いたことがなかったので驚いたが、何故だか老婆の表情が固い。
店に入って来たばかりの頃は厳しそうな顔つきだったのが、お茶に誘った時には微笑を浮かべているように見えたのにどうかしたのかな……。
少し心配になりつつも、お茶を注いでティーカップとお菓子の皿を並べ、どうぞと勧める。
老婆はカップとソーサーを手にすると、わたしをジッと見ながら口を開いた。
「自己紹介がまだでしたなぁ。わたしゃ先程言ったとおり樹性精霊族で、グニラという者ですじゃ」
「ご丁寧にありがとうございます。わたしはスミレと申します。現在は魔王族で、元人族の亡命者です」
改めて互いに自己紹介をすると、グニラは無言でお茶をひと口ふた口飲んだ。
何だか探るような目で見られているような気がする……。
あれ? 陽月星記トークをしようという盛り上がりはどこへ?
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