121話 オーグレーン屋敷の庭
カフェのある小さな広場を出たわたしは再び中央通りへ戻ってサンドイッチ店で昼食をとると、その後はブラブラ歩いて一番街を探索することにした。
本屋のある路地も入ったことがなかったし、とりあえず一番街にある路地は全部制覇してやろうと食事中に思いついたのだ。
少なくとも自分が住んでいる区画内の店舗くらいは把握しておきたい。
歩き出してすぐに、最高級シネーラを誂えてもらったランヒルドの仕立て屋を発見した。
品質の高い品を扱う高級店はやはり中央通りのすぐ傍にあるんだなぁ。
同じ一番街と言っても、わたしが普段買い物に行くのは西通り寄りの店だから今まで気付かなかった。
高級店と言えば、意外なことにサンドイッチ店は飲食業の中で高級店扱いとなっていて、中央通り沿いには他のエリアと比べてサンドイッチ店が多い。
実はこの異世界には食パンのような四角いパンがなく、大きさは様々だが丸っこいのや楕円形のパンばかりだ。
そのため、パンのメニューと言えば横から深く切れ込みを入れたパンに具を挟む挟みパンが一般的で、マッツのパン屋のように3、4種類の具材の中から選ぶようになっている。
安価で自分でも簡単に作れるお手軽メニューだ。
一方で、サンドイッチはパンをスライスするところから始めなければならないので手間がかかる。
切り落とし部分のロスが大きいため価格も高めになっているうえに、具材のバリエーションが豊富なこともあって、魔族国でサンドイッチは“プロが作る洗練されたメニュー”と位置付けられている。
この中央通りにサンドイッチ店が多いのは、商業ギルドや大きな店に来たついでにいつもと違うちょっと贅沢でオシャレな食事を楽しもうという魔族が多いからなんだろう。
ネトゲのグラフィックがごく普通のハムサンドなこともあって、わたしには“洗練されたメニュー”とは思えないのだが、手間を考えると自分で作る気になれないうえに具材のバリエーションは本当に豊富で選ぶのも楽しいメニューなので、外食する際には割と好んで食べている。
以前のお茶会で、わたしが提案したフルーツサンドをドローテアはその場で作り始めたが、よく考えるとあれは結構すごいことだ。
ファンヌのお茶好きもすごいと思っていたけれど、毎回振る舞われる本式の紅茶といい、ドローテアのお茶に対する情熱は本当にすごいと感心してしまう。
わたしにもこの異世界で情熱を燃やせるような趣味が見つかるといいなぁ。
そんなことを考えつつ入ったことのない路地にガンガン踏み込んでいたら、いつの間にか自宅周辺まで来ていた。
どうやら一番街の全路地を踏破したらしい。ふはは、今日は何だかいろんな目標を達成している気がするなぁ。
本屋も行ったしカフェで読書したし、と脳内でToDoリストに取り消し線を引いていたらオーグレーン屋敷が視界に入ってきた。
ハッ、そうだ。庭に入る許可を大家さんからもらったのに、まだ一度も行ってないんだった。
よし、これも今日のうちに達成してしまおう!
わたしはタタッと駆け出してオーグレーン荘の裏路地に回り込むと、オーグレーン屋敷の庭の裏口の扉をそっと開けた。
「お邪魔しま~す」
誰もいないかもしれないが一応ひと言断りつつ庭の中に入っていき、池のほとりに立った。
池には蓮の花が咲き、柳の葉が水面に触れそうなほどに垂れ下がってゆらりゆらりと揺れている。
毎日窓から眺めているけれど、こんな近くで見るのは引っ越しの挨拶に来た時以来だなぁ。
それに、最近の里帰りは日帰りばかりで離宮でゆっくり過ごせていないから、水辺に来るのも久しぶりだ。
何となく、スーッと深呼吸をする。
ハァ。やっぱり水辺は気持ちがいい。癒されるなぁ。
池に沿って歩きながら、いつも2階の窓から見ているのとは違う角度からの眺めを堪能する。
土や緑の匂いに、空気が潤っている感じやささやかな風の気配が心地良くて、ここはエレメンタルが豊かな場所なのかな、などと考えながら歩く。
うちの精霊たちが元気なのは、すぐ傍にこういう場所があるからかもしれない。
壁を隔てたドローテアの家の裏庭も緑がいっぱいだしね。
のんびり歩いているうちに、いつの間にか顔が綻んでいたことに気付いた。
うわっ、一人でニコニコしてるのを誰かに見られたら気持ち悪がられるかも。
庭師さんがいるかもしれないし、気を緩めすぎないよう気を付けよう。
池を半周して最初に立った場所の向かい側あたりへやって来た時、どこからかわたしを呼ぶ声が聞こえた。
「スミレ~」
「えっ、ドローテアさん? どこですか?」
「こっちよ~、後ろ後ろ~~」
振り返ると植木の向こうに東屋が見えて、その中からドローテアが手を振っているのが見えた。
慌てて植木を回り込んで東屋へ行くと、何とドローテアだけでなく大家のヒュランデルもいるじゃないか!
ひと括りにまとめた赤い髪が相変わらず鮮やかだ。
「あっ、こんにちは。いつもお世話になっております」
「やあ、こんにちは。元気そうですね。雑貨屋が開店したと聞きました。おめでとうございます」
「ありがとうございます。おかげさまで何とかやっています。お言葉に甘えて今日はお庭にお邪魔させていただいてました」
「どうぞ、ゆっくりしていってください」
「池のほとりに来た時から見えていたのだけれど、楽しそうに歩いていたから声を掛けるのも憚られて。あなたが近くに来るまで待っていたのよ」
いきなりの大家の登場に焦ってしまい堅苦しい挨拶が飛び出たが、緊張をほぐす間もなくドローテアの言葉にビシリと固まってしまった。
くうう、ニコニコしながら歩いていたところを見られたのか……恥ずかしい。
メンタルに会心の一撃を食らってダメージ大なわたしを宥めながら、ドローテアは東屋のイスにわたしを座らせる。
何でも時々この東屋でお茶を楽しんでいるそうで、今日はたまたま時間があったヒュランデルが同席したらしい。
そう話しながら、ドローテアはわたしの分のお茶も淹れてくれた。さすがに東屋では略式の紅茶のようだ。
ありがたくいただきつつも、ヒュランデルがいるから緊張して味がよくわからない。
だって、魔族国の物流を担うオーグレーン商会は部族直轄の事業体で、竜人族の王都での拠点としての役割も担っていると講義で聞いた。
物件の下見に来た時にカシュパルから竜人族の中でも有力な人物だと聞いたけれど、その立場を具体的に知った今となってはかなり偉い人だとわかるだけに、わたしが緊張するのも無理はないと思う。
魔族国トップの魔王や魔族軍将軍と普通に話してるくせに何を言ってるんだと自分でも思うけれど、親戚のおじさんでもある自社の社長と話すのと、名刺交換したことがあるだけの同業他社の課長と話すのと一体どちらが気楽かと言ったら、わたしは断然自社の社長の方が気楽なんだよおお!
緊張しながらも大人しく二人の話に耳を傾ける。
部族内の立ち位置は別としても、総合商社であるオーグレーン商会を率いるヒュランデルが大商人であるのは間違いなく、とても堂々としていて自信に満ち溢れているように見えた。
「長いことドローテアのお茶を飲んできたが、君が退職してからその機会がめっきり減ってしまった。こうしてご馳走になるのは3か月ぶりになるかい?」
「そうねぇ。でも相変わらず忙しそうだし仕方がないと思うわよ? それに、お茶ならスミレに付き合ってもらっているからわたしの方は問題ないわ」
「おや、それはうらやましい。スミレさん、私もあなたとは一度ゆっくり話してみたいと思っていたんです。いずれ店が落ち着いてからでいいので、屋敷に招待してもかまいませんか?」
「は、お気遣いありがとうございます。機会がありましたら、ぜひ」
ご招待!?と内心ビビったせいで腰の引けた返事になってしまった。
滅多に顔を合わせない大家と店子の間柄で一体どんな話をするんだろう。普通に世間話? それとも雑貨屋のこと?
亡命や人族に関することは話せないんだけど、そのあたりはカシュパルから聞いているのかな。
うう、どんな態度で臨めばいいのかわからない。わたしの心の準備が整うまで、ご招待が当分先になりますように……。
そんな失礼なことを考えていたのに、カフェで読書してきた話をしたら、ヒュランデルは東屋はこのとおり飲食可だからここでも気軽に読書するといいと勧めてくれた。
相変わらず寛容な大家さんでありがたい。腰の引けた店子ですみません!
充実した休日を過ごした翌日の営業日は、冒険者ギルド長のソルヴェイがレンタルセットを返却しに来店した。
「このセットめちゃくちゃ良かったぜ! 特に『テント』と『寝袋』な、温度だけじゃなく湿度も調節してくれたぞ」
ギルド長は暑い地域の中でも降水量が多くて湿度が高いエリアに行ってきたそうなのだが、いつもは蒸し蒸しして寝苦しいのに今回はさらっとしたテント内でぐっすり眠れたのだと、すこぶる満足そうな顔で話してくれた。
「こんな快適さを味わっちまったら、もう前の野営になんか戻れないね。3点とも買うぜ。売ってくれ」
「わ、ありがとうございます。気に入ってもらえて良かったです」
サバイバル道具類は高いのに全品購入だなんて。さすがギルド長、太っ腹だ。
その翌日には、朝一番にヨエルがレンタルセットを受け取りにやって来た。
貸出手続きの後は、依頼を請けてもらった『魔物避け香』の使用状況に関する情報の売買もして行く。
ヨエルとの依頼は大元の契約と依頼料は冒険者ギルドで交わしたが、個別の情報のやり取りと支払いはギルドを通さずに本人同士で直接行うことにしてある。
普通ならギルドを通さないなんてリスクの高いことはしないけれど、ヨエルはミルドやギルド長の信頼も厚いし、わたしの保護者も名前を知ってるくらいに高名な冒険者だから、信用面で問題ないなら利便性を優先してもいいと判断した。
情報を買い取るのに毎回ギルドを通していては手間が掛かる。億劫になってヨエルが情報を売らなくなるのは避けたいと思い、手間を減らすためとして個人間のやり取りを提案したらヨエルも受け入れてくれた。
彼の方でもわたしの信用を測った結果だと思うと嬉しいし自信にもなる。
「次の報告も店に来た時にまとめてするか? 個別にメモで送ってもええぞ」
「時と場合にもよるでしょうし、ヨエルさんの都合のいい方でどうぞ。採集地はたくさんあるんでしょう? 息の長い依頼になると思うので、負担は減らして欲しいんです」
「そうかい。まあ、いろいろ試してみるかの。ほいじゃ、行ってくるわい」
「はい、お気を付けて!」
サバイバル道具類を肩に担いでヨエルが店を出ていくと、わたしはカウンター内のスツールに腰掛けて陽月星記を開いた。
この本はレイグラーフに借りているものなので外には持ち出せないから、最近は夜だけでなく店の暇な時間にもこうしてせっせと読み進めている。
客が来なくて店が暇なことを喜ぶつもりはないけれど、勉強が捗るのは悪いことじゃない。
もっとも、陽月星記は読み物として普通に面白いから楽しく読んでいるけれど。
そうして、いくらか読み進めたところでドアベルが鳴った。
すかさずスツールから立ち上がり、客を迎える言葉を掛ける。
「いらっしゃいませ」
「お邪魔しますよ」
店に入ってきたのは見知らぬ老婆だった。
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