119話 新規の客とヨエルへの依頼
翌日も午前中は来客なしだったが、客が来なくて暇なのにもだいぶ慣れてきた。
暇といっても仕事がまったくないわけではない。
昨日冒険者ギルド長のソルヴェイから注文された分の納品準備をしたり、減った在庫分を補充したり、発生した支出入や在庫数の変動をネトゲ仕様の表計算機能で作成した帳簿に入力したりする。
もちろん、ネトゲ仕様のバーチャルなウィンドウを広げて作業している姿を窓の外から見られても奇異に映らないよう、カウンター内に腰掛けて何か書き物でもしている風に見えるよう装うことも忘れない。
店の仕事が済んだら今度はToDoリストの更新だ。
雑貨屋開店に向けてのリストの項目はすべて処理済みとなったことだし、次は城下町や魔族について見聞を広めることを目標に据えよう。
やりたいこと、やらねばならないことをネトゲ仕様のメモ帳につらつらと書き出してみる。
短期的なことだと、城下町巡りとか、本を買ってカフェで読書とか、夜間の独り歩きミッションあたりか。
中・長期的なことでは、薬学を学びたいし、各季節の精霊祭についても知りたいし、王都の外へ行けるなら行ってみたい。
そういえば、オーグレーン荘の庭に入る許可をもらったことや、カシュパルと城下町の上空を散歩する約束をしたことも、忙しさに紛れてすっかり忘れていた。
う~ん、いざ書き出してみたら結構やることあるなぁ。メモ帳がカオスな状態になってきてまとまらない……。
少し考えがごちゃついてきたので、一旦頭の中を空っぽにしようとバーチャルなウィンドウを畳んだ。
考えを整理して優先順位を明確にしてから、一つずつ着実にこなしていこう。
とりあえず、目先の用事は片付いたので、午後の暇な営業時間を読書に充てようと、わたしはどこでもストレージから陽月星記を取り出して読み始めた。
レイグラーフに借りて読み始めてから約ひと月。全24巻のうち、7巻まで読み進んでいる。
現在の4部族すべてが出揃い、精霊祭の原型ともいえる祭りの記述が散見するようになってきたが、魔族国ができる前だから暦も現在とは違うのか、部族や種族ごとに好きな時期に好きなように祭りを行っているように見える。
そして、徐々に人が増え里が大きくなっていき、それぞれのテリトリーが接するようになって交流が増えた結果、あちこちでいざこざが起こるようになった。
まだ一つの部族として完全にはまとまっていない精霊族と獣人族では、部族内で一部の種族と種族が衝突するようになってきていて、中にはエグい描写を含む対立もある。
精霊族はそれぞれの種族の独自性が強い分主張も強く、対立に発展しやすいようだ。特にエレメンタルに近い種族は少々エキセントリックな印象を受ける。
精霊族の部族長は大変だろうなぁ。
そんなことを考えながら陽月星記を読んでいたら、ドアベルがカランカランと音を立てた。
視線を向けると誰かが店に入ってくる。知らない人だ。
「──ッ!! いらっしゃいませ」
わたしはとっさにスツールから立ち上がりつつ平静を装って声を掛けたが、脳内で「キタ―――ッ!!」と叫んでしまった。
初めて見る魔族だ。近所では一切見たことがないと思う。
赤茶色の髪に黄色の目。警戒心の強そうな鋭い目つき。これはたぶん冒険者だ、きっとそうに違いない。
ふおお! 知り合いじゃない、近所の人でもない、初めての新規のお客だ。
しかも冒険者っぽいときた。待ってましたよ、お客さん!
爆上げするテンションと頬が緩みそうになる自分に待ったをかける。
落ち着け、わたし。初対面でのニコニコ笑顔は“あなたに気があります”というサインになるんだぞ!
彼がざっと店内に視線を巡らす様を見て、わたしはすかさずカタログの木札を手に取った。
新規の客に、商品はこれだけか?なんて尋ねさせてはいけない。
「初めてのご来店ですね。こちら、商品のカタログです。よろしければあちらのソファーにかけてご覧ください」
「いや、立ったままでいい。ここで見せてもらう」
カウンターに近づきカタログを受け取ると、その客は少し離れたところへ移動してカタログに目を通し始めた。
あの位置……おそらくドアへの最短ルートを意識しているんだろう。退路を確保した上でカタログを見ているんだと思う。
警戒心が強そうと感じたのは間違いじゃなさそうだ。それが冒険者の職業意識的なものなのかはわからないけれど。
初めてうちに来た時のミルドはどうだったろうか。ちょっと思い出せない。
客の視線がカタログと店内の展示物との間を何度も行き来している。
そのうちに毛織物の装備品や『野外生活用具一式』に触れて実物を確認し始めたので、品質保証用ノートを手にしながら声を掛けてみた。
「性能テストの評価をまとめたものがありますが、ご覧になりますか?」
「ああ、見せてもらおう。……評価者はミルドか。あいつが書いたにしちゃ、字が綺麗すぎるな」
「自分で書くのは嫌だと言われたので『口述筆記帳』という商品を使ってもらいました。記述内容は間違いなくミルドさんの言葉ですよ」
ノートを受け取った客はミルドと知り合いなのか、パラパラとページをめくるとまず文字について言及したので思わず笑いを堪えた。
悪筆というわけではないけれど確かにミルドは癖のある字を書くよねと内心で思いつつ、笑いそうになったおかげで新規の客に対する緊張が少し解れた気がする。
口述筆記帳のことに触れたら客は即座に品質保証用ノートの該当ページを読み、実物を見れるかと尋ねてきた。
わたしが普段使いにしている口述筆記帳で実演してみせた結果、強い関心を引けたのは良かったのだが、1冊に何文字書けるのかという想定外の質問に答えられずあたふたしてしまった。不覚!!
慌てて1行の文字数と1ページの行数とページ数を数えて計算し、何とか回答してホッと息を吐いたところへ再びドアベルが鳴る。
店に入ってきたのは見知った顔で、採集専門Aランク冒険者のヨエルだった。
「あっ、ヨエルさん。いらっしゃいませ」
「ほー、名前を覚えててくれたとは嬉しいねえ」
ふにゃふにゃと笑いながらカウンターに寄ってきたヨエルが新規の客にも声を掛ける。どうやら顔見知りらしい。
「よう。さすが、お前さんはチェックが早いのぅ」
「こっちのセリフだ。まさかここであんたに会うとは思わなかった。採集道具も素材も特に見るものはなさそうなのに、意外なところに出入りするんだな」
「ミルドの紹介で開店前に一度来ておるんでな。それに、見るものがないわけでもないぞ? お嬢ちゃん、こないだのアレを100個ばかりくれんか」
「『魔物避け香』ですか?」
「そうそう、それそれ。あとなあ、例のサバイバル道具のレンタルサービスってやつも頼みたいんじゃ」
「あ~、ごめんなさい。今貸し出し中なんですよ。次の貸し出しは明々後日の土の日になってしまうんですけど、それでもいいですか?」
「かまわんよ。ギルド長が借りとるんじゃろ? 昨日たまたま会っての、わしに見せびらかしていきよったわい」
客の情報は伏せるべきだから誰が借りているのか言うつもりはなかったが、ヨエルが暴露してしまった。
不可抗力なので、まあ仕方がないかと思ったら新規客がレンタルサービスにも関心を持ったらしい。
「ほう。このポスターのヤツか。しかし、あんたに『寝袋』は必要ないだろう?」
「魔物避け香と組み合わせれば地面の上でも安全に眠れそうじゃからの。それならわしだって快適さを選ぶわい。お前さん、魔物の討伐依頼もよく請けるじゃろ? 野営がかなり快適になるらしいからお前さんも試してみるといいぞ」
「温度調節機能付きか……。その魔物避け香ってのはもう使ってきたんだな?」
「おう。ヴェストルンド平原で試してきた。いや~、そいつのおかげで採集が捗ってな。補充に戻ってきたついでにレンタルサービスも試すことにしたんじゃ」
魔物避け香の効果を示す目安としてミルドはセーデルブロムの塔というダンジョン1階の大広間を挙げていたが、ヨエルは別の地名を挙げた。
その情報、もっと詳しく知りたいなぁ……。ヨエルが行く先々で使った使用量をまとめれば魔物避け香の良いデータになりそうだ。
ヨエルの話を聞いて新規客もその気になったらしく、ヨエルの後にレンタルサービスの予約を入れたいと言ってきた。
更に、口述筆記帳と魔物避け香、『脱出鏡』に『蜂蜜酒』も購入するという。
先に来ていた新規客の会計から済ませるようヨエルが言ったので、新規客にデモンリンガを提示してもらい、決済と予約用の身分証明の確認もさせてもらった。
お名前はヤノルスさん、狐系獣人族でAランク冒険者、と。
初めての新規客の情報をしみじみと噛みしめつつ予約手続きと商品の受け渡しをすると、用が済んだヤノルスはサッと帰っていった。
ううん、素早い。さすがAランク冒険者という感じの隙のない人だったなぁ。
慌ててドアに向かってありがとうございましたと声を掛けたが、彼の耳に届いただろうか。
初めての新規の客が帰るのを視線で見送ると、奥の倉庫から魔物避け香を持ってきてヨエルに数えてもらう。
数の確認後、支払いとレンタルサービスの予約手続きを済ませ、商品を袋に入れて手渡してから、わたしはヨエルに相談を持ち掛けた。
「あの、ヨエルさんに依頼したいことがあるんですけど、お急ぎでなかったら少しお時間をいただけませんか」
「かまわんよ。依頼って採集かい?」
「採集というか……、採集時に使う魔物避け香のことなんです」
魔物避け香もミルドに性能テストをしてもらったが、あくまで品質保証用の調査なので効果の目安となる情報に留まっている。
冒険者にただで情報を与えるつもりはないが、商品として提供する以上なるべく情報は多く持っておく方がいいだろう。
それに、ヨエルには伏せるが、魔物避け香は魔族軍に納品しているから使用に関する詳細データがあればブルーノは喜ぶと思う。
「わたし、いずれ薬学を学ぶつもりなんですけど、その時に素材採集もするなら間違いなく魔物避け香を使うでしょうから、今からデータを集めておきたいんです。それで、ヨエルさんが使用した時の情報を売っていただけないかと思いまして」
「えらい気の早い話じゃなあ……。まあ、薬学やりたいもんを手伝うのはやぶさかではないからの。お前さんがそう言うなら付き合ってもええよ。魔物避け香をどこで何個、何時間使ったかあたりの情報を1件いくらで売ればええんか?」
「ありがとうございます! はい、そんな感じでお願いします。それで、具体的な金額なんですけど、採集地の危険度レベルごとに設定したいと考えてまして――」
ヨエルと相談しながら依頼の詳細を決め、明日の定休日に冒険者ギルドへ依頼を出しに行くことにした。
ヨエルが帰っていくのを見送りながら、ホッと息を吐く。
特に失礼はなかっただろうか。ギルドとミルド以外に依頼を出すのは初めてだから、勝手がわからなくて緊張した。
でも、冒険者と接するのも少し慣れてきた気がする。
今日は今までの営業日の中で一番冒険者向けの店っぽかったかもしれない。
ついに顔見知りじゃない冒険者が来店したし、ミルド以外の冒険者とも一人で交渉したし!
この調子で雑貨屋経営が軌道に乗っていくといいなぁ。
ブックマークや☆クリックの評価、ありがとうございます。とても励みになっています!
今年一年当シリーズにお付き合いいただきありがとうございました。地味な主人公が地道に頑張る地味なストーリーですが、来年も地道に週1話の投稿を続けることを目標に頑張ります! 皆様、どうぞ良い年をお迎えください。




