膠着 壱
アルシュとシガールらは、目立たない裏路地や物陰などを利用して人目に付かない工夫を凝らして移動していく。勿論、後方への警戒を常に行いながらである。攻撃を受けたのは一度ではない。危険を回避する上で、至極当然の行動だった。
彼らが向かうのは、街の南部に位置する広場から北北西二里離れた場所の極貧地区だ。此処に居を構える人間は貧しい移民や、後ろ暗い事情の者が大半を占める。
この周辺の治安はこの塵溜めに在って、いっとう質の悪い場所となっている。薄暗いという点では貧民窟と類似こそすれど、殺人などの発生率は街で随一を誇る。
何も知らない余所者である移民の男女が訪れ、行方が分からなくなったかと思えば、男も女も乱暴されて翌日には鴉の餌と成り果てていたということはざらである。そうでなくとも、騎士団でさえ足を踏み入れることを躊躇うほどなのだ。
そんな場所だが、此処は赤雷が隠れ家としている廃墟がある。落ち合う時は、常にこの地区を想定している。
尚、一見弱者に映る子供たちの傍らにはアルシュが立つ。彼を見ても傍目には脅威に見えず、ただ飄々としているように映る──が、そこは彼もさるもの。油断なく周囲を警戒している。赤雷ほどではないが、隙のない自然体だ。
ここの住人は愚かではあるが、馬鹿ではない。手を出すべきではない相手を弁えている。彼の診療所が目立つ場所にも関わらず滅多に襲撃を受けない理由がそれだ。だからこそ彼らは、何事もなく歩を進めることが叶うのだ。
さほど広くない通路の頭上にぼろぎれと大差ない衣服が干され、陽の光を遮っている中を歩き続けること数分。彼らはようやく目的とする廃屋の前に到着した。歪んだ窓枠に壊れた扉、一見してまるで生活感のない佇まい。ここが赤雷とシガールの住まう場所でもある。
敷居を越える前に、それとなく後方へ警戒の視線を向け、アルシュは廃屋に侵入した。中は見た目ほど見映えが悪くない。それなりではあるが、掃除もされている。ただ、やはり廃墟となんら代り映えしないのだ。
彼の背後に、シガールとミシェルが続く。
だが、足を踏み入れて数歩の所でアルシュが止まった。後ろ手に合図で、「動くな」と指示を出されシガール達は緊張する。注意深く床を観察すれば、小さな血痕らしきものが見付かったのだ。向かって右の部屋の入り口、それも壁際に付着している。余程目を凝らさなければ、発見出来ない場所である。
──敵が居るかも知れない。
そう考え、動揺が走るのも無理はない。
しかもこの仮説、或いは可能性が高いだろうからだ。見れば血痕はまだ完全に黒化していない。もし手負いの敵が潜んでいるとするならば、これほどの重圧はないだろう。
赤雷の脅威を知らない者は居ないが、恨みを持つ人間は少なくない。アルメ=イディオの団員が赤雷を見付けて、ここに辿り着いた可能性も否定できない。
折悪く、アルシュの踏む床が軋みをあげる。瞬間ほぼ同時に、右の部屋から摺り足で発生したと思われる物音がした。
「くっ」
失態を悟るや否や、彼と共にシガールが襲撃に備える。
しかし、前方に居たアルシュは飛び出して来たものに押し倒される。そのまま流れるような動作で白刃が彼の喉元へ吸い込まれ──
「先生っ!?」
「……おいおい、先生じゃねえかよ」
喉仏から切っ先まで残り一寸もないところで止まった。ミシェルが小さく悲鳴をあげなければ、危うかったことだろう。彼の姿を見るに至り、ようやく皆一様に胸を撫で下ろした。アルシュはこびりついた埃を落としながら、厭らしく笑い掛ける。
「まったく、お主という奴ばらは……危うく死ぬとこじゃったわい」
「そりゃあ、残念。死に損なったな」
「はっ、ほざけ。ところで道中、お主の姿を見かけんのじゃが……やはり追われて来たか?」
赤雷が身を隠しそうな場所、訪れそうな店などは既に見て回った後である。最後に残ったここへ足を運んだ訳だが、よもやこのようなことになろうとは誰も予期しなかったのだ。
そういえば、とアルシュは切り出した。血痕のことを言及され、彼は眉根を寄せる。
「……ああ、あれな。実はピエールの商会付近でいつでも飛び出せるようにして居たんだが、奴の護衛達に背後を取られちまった。そのうえ、これだ」
そういって、彼は外套の袖を捲って見せた。右腕の肘付近に穴が空いていた。その大きさから察するに、矢を受けたのではないかと思われる。
血は滲んでいるが、出血自体は収まりを見せつつあるようで、アルシュとシガールは揃って安堵の息を吐いた。
「連中、趣味悪いぜ。ただの毒かと思ったが、どうも麻痺毒みたいでな……」
「馬鹿者、命があるだけ御の字じゃぞ」
諭すような言葉に、歯切れが悪くなる赤雷。
「なんとか撒いたと思ったら、今度はお前達だ。冷や汗ものだぜ、まったく」
「そんなことがあったの……赤雷さん、平気?」
「ああ、何ともねぇ。毒は吸い出したし、何とかなるさ」
シガールの言葉に対し、鬱陶しげに返答する赤雷。そんな彼らのやり取りを見届けるなり、ミシェルが溜め息混じりに言った。
「大丈夫な訳ないでしょ。……ほら、見てよ。右腕があまり動いてないじゃない」
「何言ってやがる、俺は──」
反論しようと躍起になる赤雷に近寄り、アルシュは彼の右肩を掴む。その時、彼の顔が確信に染まる。
「強がるな、本当のことを言え。そうでなければ──死ぬぞ」
「……思うように動かん。感覚も些かばかり鈍い」
アルシュの見立てでは、彼の右腕は三割方が麻痺していると思われた──だが、違う。爪を立て、全力を込めている。加減を間違えば脱臼するほどに力を込めて、彼はそれでも苦痛に顔をしかめることがない。麻痺が効いているせいだ。剣の腕は十全に発揮されないことだろう。腕の機能がおよそ六割減といったところだろうか。乱戦になり、数多の敵を相手に打ち勝つ見込みは最早絶望的と言っていい。
幸い、毒を吸い出している為に持続こそしないだろうが、この状況で戦力が激減するのは望ましくない。但し、毒を少しでも抜いてあるのは喜ばしいことだ。土壇場で戦闘不能に陥ってはどうしようもないのだから。赤雷の状態を診て、アルシュは経験則から回復までは時間の問題だろうという試算を導く。
──だが、時間などないじゃろうな。
今尚付け狙われて居る。それどころか追っ手を撒くことすらもままならない。そんな状況下で悠長に構えて居られる筈もない。ここで足を止めれば、待っているのは死のみだ。
目的意識を持たせるという意味を含めても、情報共有をするべきだとアルシュは判断を下す。
「そう言えば、赤雷。やっと尻尾を掴んだぞ。どうも怪しいのは騎士団じゃなかろうか、ということじゃな」
「成る程……面白い」
笑顔ではあるが、赤雷の目はそこに宿る感情が判然としないものだ。“目が据わっている笑顔”とでも言うのだろうか。背筋の凍るような気配さえ滲ませている。
「目下の問題と言えば、アルメ=イディオの連中じゃ。赤雷よ、まさか不調の貴様が奴等を撃退せしめようとでも? その上、騎士団をも迎え撃とうとして居るまいな?」
諫めるような口調で彼に問い掛けるアルシュ。後手に回ったきり、一矢報いることでさえ叶っていない。赤雷の性分を考えると、我慢できないだろうと思ってのことだ。
ところが返ってきた言葉は自信に満ちたものだ。
「俺の命もただひとつだ。なあに、安心しろ。俺も手を打って居ない訳じゃあないさ。とりあえずは移動だ、ほとぼりが冷めるまで郊外に出て行楽でもしてれば良いだろうよ」
「赤雷さん、一体何をしようとしてるの? 俺だって闘える。いつまでも子供扱いしないで欲しい」
そんなシガールの頭に手が乗せられる。見ればその手は、赤雷のものであり、そのまま少し乱暴に撫で回される。ややがさつに思えるその仕草に、シガールはソレイユの面影を見る。
「お前は、そこまで思い詰めなくていい。後は俺達に任せてろ」
その言葉は酷く懐かしい──と、同時にいたたまれない気持ちに駆られる。愛しく、守ること叶わず死んでいった家族達のことを思い浮かべてしまうから。
彼らを忘れたことは、ただの一度もない。消えてしまいたい衝動に胸を焦がしたことは、もう一度や二度ではない。しかし、死んでしまっては誰が仲間のことを思い出すと言うのか。
死んでしまえば、何もかもそれまでで終わってしまう。自身が死ねば、それこそ死者への冒涜だ。そう考えて、彼は耐えてきたのだから。
──また、亡くしてしまうのか。
彼の感情は、不安と怒りで綯交ぜになる。そして狂おしいほどに悲しく、無力感に苛まれる。俯いて唇を噛み締め、喉元まで上ってきた慟哭を堪える。
ふと、手には柔らかな感触。目線を動かせば、そこに在るのはミシェルの手だ。
「……お願い、元気出して?」
ミシェルの案ずる視線に、マジーの姿が重なる。
彼女の顔を直視できず、若干そっぽを向くようにして曖昧な笑顔を浮かべることしか出来なかった。今まで向き合って来た筈のものから逃げてきたという思いはないが、どうしてか今はそれが出来ない。
せめて。そう、せめて──
──何を犠牲にしてでも皆を、家族を守る。
静かに、シガールは堅く誓う。騎士に対する憧れは、未だ棄てきれない。それでも、彼は“守護”ということに執着する。
「……まあ、なんじゃな。赤雷の言う手勢が何かは気になるが、何時までもここに留まって居れん。さあ、出立じゃ」
自らが想起する清廉な騎士のように在らんと、彼は決意を新たにするのだった。
いい加減、戦闘描写入れたいなあ(汗)
しかし、ファンタジーで戦闘無いって、ハンバーガーにハンバーグ無いのと同じですよね。
こんなので大丈夫なんだろうか(笑)?
そのうち、何でもかんでも聖剣ぶっぱして解決しようとする、そんな英雄の話でも書いてみたいですね(笑)
……大惨事の予感しかしないなあ(笑)




