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異端ノ魔剣士  作者: 如月 恭二
二章 異国之剣客
38/120

情報戦 弐

後れ馳せながら、投下します。


今回も如月が苦手の会話パートとなってます。

ご注意下さい(笑)


P.S.尚、後日このお話のある箇所に一節程度の描写を挿入する予定です。うまく捩じ込める場所の見当が……(汗)


 「さて、やっと着いたわい」


 街の北側、貧民窟が程近い街路に外套を纏ったシガール達の姿があった。

 羽織っていた黒塗りの外套を脱ぎ、アルシュはそう呟くとやや古びた建物の戸口に向かう。すかさずシガールが口を挟んだ。


 「ちょっと待って……ここって、ただの商会なんじゃ?」


 壁には刃物らしい傷跡と、煤の影響なのか黒ずんだ箇所とがある。この近辺の建物と一見して同じような外観だが、シガールはそれに見覚えがあった。

 かつて隊商に所属していたシガールは、この場所が商人の同業者組合(ギルド)──商会であることに気が付いた。慎ましやかな看板と質素かつ奥ゆかしい調度品があり、周辺の建物との判別が可能だ。


 同業者組合が商売の元締となることは多い。物流の盛んな地域は大抵の場合、商品をこういった場所が扱っているのだ。もっとも、発注してから物が届くのはかなり後にはなるのだが。

 シガールは混乱した。情報屋に会うべく出向いて来た筈だ。

 それが、商人に話をするのだという。ミシェルはともかく、シガールは訳が分からなかった。


 「む……そうか、君らには話して無かったか。此処が、今回頼みにする情報屋のねぐらじゃ」


 「何故なんです? 他にも居ますよね、情報屋。外注するにしても本職に頼んだ方がいいんじゃないかな?」


 「……君は一体何年の間、商人として暮らしておった。どうして商品の仕入れ時、わざわざ同業者組合(ギルド)に発注をする? さすれば答えなぞ簡単じゃろう。下手な奴より、商会の方がいい……やも知れんな」


 そこではじめてシガールは理解する。情報屋という人種はなるほど、確かに有用だろう。だからといって、何も情報屋に頼るばかりが能ではないのだ。近隣地域に根を張り、人と物を扱う同業者組合を当たるのは、至極真っ当な行為だ。組合はそもそもが個人経営ではないのだから尚更だ。更に物資の搬送をすれば当然、様々な場所で思わぬことを見聞きしているという場合がある。人と物を取り扱う職種の強みがここにあった。

 赤雷の所見、それはまずこういった手近な場所から始めるということなのだろう。アルシュはこの場所を数に入れていなかったのだろうが、やはり灯りの下ほど暗くなるものだ。


 そこまで考えたところで、アルシュが言葉を濁したことが気がかりになった。なんとなくではあるが、情報屋を避けようとしていた時の雰囲気に似ている、とシガールはそう感じる。

 

 「先生、声が震えてますよ? ここに何か苦い思い出でも?」


 「まあな」


 気に掛けるような言葉を選ぶが、返答はまたしてもお茶を濁す格好になっている。その気配は僅かに諦念じみたものが感じられなくもなかった。ピエールという男に関する噂の内容が、悪辣極まりないということもある以上無理もないのかも知れない。


 扉の金具に手を掛けて数回叩くと、程なくして野暮ったい両眼鏡を掛けた男が扉から顔を覗かせた。笑えるほど滑稽な状況だ。一見質素に映る扉は漆のような艶やかとも言える光沢と色彩を湛えている。男の方はというと、どことなくだらしのない印象だ。冴えない雰囲気と言っても差し支えないだろう。

 だが、アルシュを視認するや否や彼の双眸が細められる。同時に、気のせいか挙動不審に見えなくもない。視線が泳いでいるのだ。


 「貧民窟の町医者──もとい変人か。何の用だ」


 「口の減らん門番よの…………ろうか」


 「なんだ、よく聴こえんぞ?」


 なんでもないと素知らぬ顔で告げるアルシュだが、隣のシガールは背中に冷や汗をかいていた。

 生きたまま解剖してやろうか──彼はわざと聞こえない音量で、そのように身の毛もよだつ脅し文句を口にしていたのだ。

 貧民窟というものは、有り体に言って治安が宜しくない。当然、そのような場所で生活をしてきた人間は必ずと言って良いほど口が悪い。結果、口論からの刃傷沙汰もけして少なくない。

 しかしそれらはあくまでも突発的なものであり、その場に限っては大抵丸く収まる。誰しも命は惜しいからだ。もっとも、何らかの犯罪組織に所属している場合は、その限りではないのだが。


 破落戸の日常が可愛く思えるほど凄烈な笑顔のアルシュ。笑っているはずの顔は怒りによるものだろうか。心なしかひきつっているようにも窺えた。

 常にふざけた口調の彼だが、意外にも治療行為は丁寧かつ繊細だ。他の医者には見られない突拍子もない行為を行うが、理解あるものは彼の技術をけして蔑ろにはしない。確かに気違いじみた手当てなどを行うことはある。だがそこにあるのは思い付きではなく、寧ろ理論や信念に基づいたものだ。

 それをあからさまに中傷された彼の怒りは計り知れない。要は矜恃(きょうじ)の問題だ。


 とはいえ、彼とてここで騒ぎを起こせばどうなるのかが分かっている。そのため、やむなく抑えているといった格好になっていた。

 そしてシガールは思い出す。アルシュの持つ診療所近辺で稀に、悲鳴のような声を聞いたことを──。今までは思い違いだろうと思って気にも留めていなかったが、あの声が断末魔だったのではないかという考えを否定できない。


 (もしかして、本当に生きたまま解剖していた?)


 普段の穏和な姿を知っているだけに、シガールは当惑気味であった。

 だが、アルシュに気圧されているのは無理もない。そこは場数の違いである。

 そもそも交渉事で下手に出てはならないのだ。交渉するつもりが、相手方に呑まれるという事態に陥りかねない。そうなってしまってはいざというとき、身動きが取れなくなるばかりか致命打に繋がることさえある。


 「まあ良いわ。ここの長こと、ピエール氏に会いたいのじゃが……」


 「あの人は今、留守にしてる。ほら、分かったんなら回れ右して自分の根城に戻るんだな」


 「ほほぅ、そう来たか。別に構わんよ、儂は」


 「ちょっと、先──」


 意外な一言に声をあげ、前に出ようとするシガール、そしてミシェル。そんな彼らを制し、涼しい顔で続ける。


 「随分と物分かりが良いな──変人の癖に」


 「ああ、構わんとも。上の判断も仰がず勝手な采配で客人を無下に扱い、早急に帰したとあっては貴様はただで済まんだろうがな。せっかくよい航路を示そうかというに、残念じゃのう。まあ門番がこれでは、な?」


 眼鏡の向こうで眉根がひそめられる。苦虫を噛み潰した顔は見たことがないが、きっとこのような顔のことを指すのだろう。表面に出さずとも、内心では舌打ちを溢しているのが感じられた。有り体に言ってあからさまである。


 「……ちょっと待ってろ」


 そういって、足早に奥へと引っ込んで行く。


 「へぇ、先生。よく居留守だって分かりましたね」


 「なに、ああいう下っ端は往々にして己の損得でしか動かん。今の言葉も全部、かまかけじゃよ」


 人の悪い笑顔を張り付け、アルシュはくぐもった声で(わら)う。よほど痛快だったことだろう。

 そんなやり取りを終えて程なくすると、門番の男が狐につままれたような顔をして戻る。アルシュたちの方を一瞥してから一言だけ放った。


 「入れ、許しが出た」


 (はは、やったぞシガール君。ミシェル君、見ておったかね?)


 小声で耳打ちして来るアルシュの顔は仄かに、してやったりという色に染まっている。結果、また門前払いになりそうだと危惧したシガール達に諭されるという頓痴気な事態が発生していた。







 一行は入り口から約五メートルの通路を抜け、広間に出る。六○坪といったところだろうか。思いの外広々としており、彫像などが整然と並んでいた。

 幾つかある部屋のうち、応接室とおぼしい場所へ通される。豪奢な机が中央に鎮座し、丸椅子六つが綺麗に並べられていた。眼鏡の男は「座ってろ」と言ったきり、退出していく。

 席に着くなり退屈げにアルシュは溜め息をひとつ。そして、思い付いたように一言。


 「さて……くすねても分からないようなものは、と」


 「バレて袋叩きに遭っても、あたしは知りませんよ?」


 「ミシェル君は少々お堅いのが(たま)(きず)じゃな。将来伴侶となる男が不憫じゃ……のうシガール君」


 言い終わるが否や、アルシュの足の甲にミシェルの踵が突き刺さる。あまりの苦痛に、彼は短い声を出すのみだ。完全に自業自得である。


 「あ、あはは……」

 

 「なんともまあ楽しげなやり取りですなあ」


 そんな笑劇のような雰囲気が緊張の気配に塗り替えられる。声のする方へ目を向ければ、部屋の入り口には一人の男が佇んでいた。中肉中背で品の良い、赤地に金の筋が入った豪奢な衣服に身を包んでいる。掛けられた片眼鏡(モノクル)から覗く眼光は切れ長の目であることも手伝い、猛禽類にも退けを取らない気概に満ちて瑞々しい。

 顔立ちもそうだが線が細くあるものの端正で、碧眼に短く手入れされている黒髪(ブルネット)が映える容姿だ。間違いない、商会の主ことピエールだ。

 その姿を認めると、にわかにアルシュの顔がひきつる。見えていないのか、ピエールは机の反対側に腰を下ろした。


 「おっと、もうお出ましか」


 「時は有限ですからな。おっと、申し遅れた私がここの長を勤める、ピエールだ。私達は忙しい……あまり時間を取りたくはない、用件は手短に。なにせ発注を受けた荷物が山積みなんだ」


 「なるほど、話が早い。儂らは少しばかり聞きたいことがあっての、そちらに何か心当たりがあればと思うてな」


 「……良い航路を知っているという話じゃなかったか」


 「さて、なんのことやら」


 謀ったなというピエールは、しかし少しも落胆した様子がない。ある程度予期していたような風である。


 「大体変り者のあんたのことだ、駄目で元々と思っていた。が、やはり俺は一杯喰わされたって訳だ」


 「まあ、そう言わんで貰えると助かる。情報の謝礼ならするぞ、勿論……」


 「生憎とこちらは十分潤っている。そもそも、あんたの持つ端金程度で貴重な情報を売るわけもない。何より、それほどの信用に足るとでも?」


 取りつく島もないとはこの事だ。まったく相手にされていないどころか、早々に帰れという無言の意志が伝わってくるようである。これにはさしものアルシュも沈黙するより他にない。

 素性を誤魔化して相手の懐に飛び込んだことが仇となった。最悪の場合は言質(げんち)を取られてなぶり殺しの未来が待っていることだろう。当然のことながら、嘘を並べ立てる者の言葉を信じられる人間が居るわけもない。こと此処に至って、アルシュはようやく己の失策を悟った。


 狼狽えるシガールとミシェルを背に(かば)いながら身構える。ピエール子飼いの護衛が居るのは知っていた。それもかなりの錬度を持つ恐ろしい者達が。

 子供だけは守らねば──せめて長い期間を共にした彼らはこの身に替えても。彼が子供たちの言葉に救われたことは何度もある。アルシュをひどく気味悪がる成人に対し、少年少女は冷遇することがなく、親しみを持って関わって来た。ミシェルに暴力を振るわれることはあるが、やはりそこは年頃ということだろうと考えているのだろう。そうやって不問にする辺り、アルシュも大概の親馬鹿である。


 危険と隣り合わせのこの場に連れてきてしまったことは、自らが行った不徳の致すところ。だが、彼には赤雷の教えがある。雑兵ごときに後れを取らぬ自信もある。捨て石となる(はら)も決まった。静かに深呼吸をし自然体に構えようとしたその時、一人の男が息せき切って部屋に飛び込んできた。


 「だ、旦那!」


 「なんだ騒々しい。大声を出すのは構わんが、恥をかくのはお前だけじゃ済まないんだぞ」


 「それが、周辺で赤雷の姿を見かけたと哨戒中の護衛から報告が……」


 「……ほう」


 ピエールは、興味深げに双眸を細める。アルシュは思わぬ状況の悪化に閉口した。赤雷が不手際をしたとは思えない以上、人員の多いピエールの側に利があったということだろう。赤雷は如何に味方の安否を憂慮していても、肝心な時は失敗を起こしたことがない男なのだ。仕方のないこととは言え、こればかりはどうしようもない。起こったことは既に、覆しようがないものである。

 伝言役の男が去り速やかに退出していくが、嫌な予感しかしない。十中八九、赤雷の方によからぬことが起こることだろう。


 「……さて、あんた方の始末はどう付けようか」


 異邦人を嫌うピエールは、異邦人の海賊を見せしめに晒し首にしたことのある恐ろしい男だ。聞けば、彼が航路を開拓に派遣した船団の全員が惨殺されただけでなく、男も女も暴行されたということらしい。しかも、近隣に巣食う海賊の一族郎党を報復として根絶やしにした冷血漢である。

 始末の悪いことに、赤雷とアルシュの関係をこの街の人間が周知している。つまり関与が認められ、仲間とあらば即処断の可能性がある。火の粉がこちらにまで掛かりそうな雲行きだ。

 血路を開くどころか、最悪皆殺しに遭っても可笑しくない。生き残る目が濃いのは赤雷くらいだろう。なにを隠そう、アルシュ達が最も危険な場所に居るのだから。


 「……仕方ない、シガール君」


 「はい?」


 流し目でシガールへ目配せをするアルシュは、逃げろと語っている。顔に浮かぶのは諦観の色だ。動いた視線の先にはミシェルが居る。連れ出して、何とか逃げおおせてくれというのがアルシュの意図だろうか。


 「諦めるかのう」


 「え、ちょっと先生!? 何言ってるんですか、あたしまだ死にたくないですよ?」


 喚くミシェルの声もどこか遠く聞こえる中、シガールは冷や汗を溢す。年長かつ恩人でもある人が、あろうことかミシェルたちを逃がす為に死ぬと言っているのだ。

 赤雷と喧嘩をして途方に暮れたとき、いつも手を差し伸べただけでなく、仲裁までしてくれたのがアルシュである。最早かけがえのない存在となった彼が死のうとしている。シガールは仲間達の死や、ある少女の死に様を浮かべながら思考を重ねる。近しい者は、二度と御免だ。それを考えるだけで、胸が張り裂けそうな思いに駆られる。まさに我慢のならない事態である。


 ──もう大切な人達を死なせない、死なせたくない。……でも、どうすれば?


 あの時何かが出来たはずである。だというのにそれすら叶わず、守りたい人の命はいつも守ることが出来ない。或いは、得物を振るうこともやむなしか。

 様々な思いを巡らせていく中で、ひとつ思い至ることがあった。


 (そういえば、ここは商会だったっけ……。商会の長の気を引くことが出来れば良いんだろうけど、難しそうだよな。商会の人間が欲しがるのは金品だけど、もっと高価な物が良いのかな? ……あ、もしかして、”これ“使えないか)


 そこまで考えた時、シガールは自分がいつも懐に入れている物にそれとなく手を伸ばす。小さな束状の物だ。


 「子供には手荒な真似をするなよ、そこの変人は……」


 「え、えっと、ピエール……さん?」


 「うん、どうした少年?」


 先ほどまでの剣幕が嘘のように穏やかな声であった。おそるおそると切り出したシガールは出鼻を挫かれた気分だ。子供好きというのは本当だろう。

 アルシュが早く逃げんかと目で訴えているが、シガールは気づけない。慣れない交渉事に首を突っ込んでおり、必死なのだ。


 「これ……なんだか分かります?」


 「……?」


 机の上に置かれた物を最初こそ怪訝そうに眺めるピエールだが、徐々にその目が真剣見を帯びていく。一見、小汚ない羊皮紙の束である。アルシュとシガール等が見慣れた冊子──それは、本である。

 識字率の低い時代で、本は貴重な資料となりうる。喩えそれがおとぎ話の世界を描いたものであろうが、昔の生活を知る手立てになる他、学術書としての価値も非常に高い。商人にしてみれば、まさに喉から手が出るほど欲しい代物だ。


 「こ、これは……どこでこれを!?」


 交渉が初めてのシガールでも分かる。相手は完璧に食い付いており、畳み掛けるなら今を逃す手はない。


 「さ、さあ、何処だろう。望むならこれを譲っても良い。だけど、今は僕達に不利な状況ばかり。それさえ何とかして貰えるなら、聞きたいことだけ聞いて退散する……どうかな?」


 ピエールは考えるように黙り込むが、すぐに顔を上げた。


 「……私が君たちを後ろから刺すとは思わないのかい?」


 「うっ」


 想定していない切り返しに呻くシガール。それを見るなり、ピエールは笑い出す。予想の斜め上を行く状況に、アルシュは勿論ミシェルも呆然としている。


 「はは、冗談だよ。中々君は度胸が有るね。思いも伝わった、なんとも危なっかしいけど及第点ってことにしようじゃないか」


 「……お主の狙いはなんなのじゃ?」


 胡散臭げな視線を投げ掛けるアルシュに、しかしピエールはさてな、とかわすばかりだ。ほら吹きに語る言葉は、最早持ち合わせがないとでも言いたげである。


 「まあ、なんだ私達もそこまで大したことを知ってる訳ではない。すまんがな、知っていることは無いも同然なんだ。だから、その本は君が持っているといい。それに見合うだけのものを、私達は持っていない」


 思わぬ言葉に、皆一様に閉口することとなる。目ぼしい情報がほとんどないということは、徒労に終わることと同義だ。八方ふさがりという表現が合いそうである。


 「ありがとう、ピエールさん」


 「なに、子は宝だ。(たっと)いものをまもるのは当然のこと。もっとも君らのような少年少女が荒事に関わるのは、正直感心しないがね」


 シガールは困ったように笑い、出ていこうと身支度を整えるアルシュ達。ところが、その背中に待ったが掛けられた。


 「そういえば……なあ、やぶ医者」


 「少しは言葉に気を付けい、うつけが」


 「これは営業上のやり取りか? いやはや笑わせてくれる。これは私の地だ、そうカリカリするな。身体に悪いぞ、これぞ医師のなんとやらだ。……さて、言葉に気を付けろとは言うが、あんたにそれを言う資格はあるのか?」


 言外の指摘にアルシュは閉口する。商人とは、信用と信頼によってこそ成り立つ職業だ。個々の価格差こそ明確だが、口先八丁だけでは商いという職種は回らない。

 しかも人間関係に至っては、信頼によるやり取りが求められる。つまり、相手を信じ頼ることにある。

 貧民窟で長年生活してきた人間にそれらはない。大抵は口先八丁で矛先をかわし、己に利するようにことを運ぶ詐術に長けている。適当に素性を誤魔化す人間を信頼できる訳がないのだ。加えて、人間の心証というものは対面した時にそれとなく知れるもの。つまり、アルシュが商人に交渉を持ち掛けた時点で、人選が絶望的であっただけの話だ。大体、このような場末で風呂敷を広げている以上、ピエールの眼が肥えていない訳がない。

 シガールが提案したことが、意外にも乾坤一擲の妙手になった。無論、性分ということも手伝ったのだろうか。


 「さて、静かになったところで改めて言うが、最近騎士団の連中がおかしく思わないか? 普段より巡回する人員の数が心もち多い。かといって非常事態でもない。詰め所にしてもそうだ、何だか張り詰めた空気が漂っているように思う」


 「……恩に着る」


 「はっ、頭でも打ったのか? 取るに足らん情報ごときで平伏されては私も居心地が悪い。盗賊まがいが善人のふりをしても、中身までは変わらんだろう。……早々に失せろ、目の毒だ」


 挑発じみた言葉を背に、無言のまま商会を後にするアルシュ。そこにミシェルたちが後に続く格好となる。

 去り際、ぽつりと彼はこぼした──すまない、と。

 誰に向けてのものなのか、二人はすぐに悟った。危険に晒したばかりか、シガールには助けて貰ってさえいる。大人の面目丸潰れであるというのに、この男は謝罪の言葉を口にした。

 保護者失格の烙印を押されても仕方ない。そう思った彼の両手に柔らかい感触が伝わる。


 見ればそこには、シガールとミシェルの手が繋がれていた。

 込み上げて来るものを堪えながら、アルシュは赤雷と合流するべく足を動かす。無様ここに極まれりといった思いは変わらないが、彼の気持ちは穏やかであった。


 穏やかなやり取りから一〇〇メートルほど離れた地点に、武装した男が立っていた。白い地金に、朱のアクセント。騎士の着用する板金鎧に思われる。そして、肩に留まらせていた鳩をそっと解き放つ。

 よくよくみれば、鉤爪には羊皮紙が巻き付けられており、やがて他の鳩に紛れて判別不可能となった。後に残ったのは、ほんの数本の薄汚れた羽のみである。








 シガールとアルシュ達が去ったあと、ピエールは到着した荷物の搬入とその指示を行っていた。現在彼が行っているのは、とある倉庫街で起きた事件による損害の補填と、その補償手続きである。

 数量、物品の確認などをこなれた様子で片付けていくが、眉間には皺が寄っている。それもそのはず、倉庫の物品が盗難に遭ったことで、彼が贔屓(ひいき)とする隊商が移動出来ない事態となっていた。長年の付き合いで得た信用が水泡に帰すかどうかの瀬戸際であり、怒り心頭なのは当然だ。

 難しい顔で羊皮紙とにらみ合いをするピエール。

 そこへ物資搬入中の男が声を掛ける。禿頭にタオル地の鉢巻きをした壮年の男性だ。何でも、綿で織られた手ぬぐいが吸湿性に優れるらしい。


 「旦那、随分気が立っているようですが、大丈夫ですかい?」


 「さてな、私とて人間の心が完全に分かる訳もない。信用を失うかも分からん。ろくなことはないが、立ち止まってばかりも居られんだろうさ」


 「さすが、旦那はよく気を回して下さる」


 声を掛けながらも、男は淀みなく運搬をこなしピエールの元へやって来る。


 「なに、お前達が居なければ私はただの木偶に成り下がる。持ちつ持たれつ、という奴だ。気にするな」


 「そう言えば、旦那は二人目が出来るんでしたか?」


 「そうだな、妻の腹も随分大きくなった。じき生まれるだろうよ」


 「そいつはめでてぇ。産まれた時はお呼びくだせぇ、その時は是非一杯……」


 この男、仕事ぶりは悪くないのだが、かなりの酒浸りである。祝い事とあらば饒舌になるのは、真性の酒呑みだからだろうか。だからといって、嫌いではない。寧ろ、邪気がないため好ましくさえ思っている。仕事はしっかりこなす男だ、非難する余地もないのだ。


 「そうだな、その時は存分に呑み明かそうじゃないか」


 短く挨拶をし、男は慌てて持ち場へと戻っていく。憂鬱となる気持ちは確かにあるが、多少気が紛れた気がした。後はもうひと踏ん張りだ。懸命に対処して心証が悪化するのなら、それまでのこと。

 ──ピエールは、そう気持ちを締め括る。


 それにしても。

 ──と、ピエールは思う。

 気狂い医者と共にやって来た少年のことが、頭から離れなかった。

 彼は全員の様子を然り気無く観察していたため、気が付くことが出来たのだ。その少年は逡巡の一瞬で見せた気配の中に、なにかを感じさせた。一切の感情を窺わせない表情は歳に不相応なものだ。ピエールでさえ、纏う空気を読むことが難しかった。

 あの時感じたのは、不安感。

 ただ漠然と言いようのない焦燥に駆られていたのだ。しかもその渦中で背中にはじっとりと汗を流していた。

 やっと感じることが出来たのは、覚悟だったような気がする。


 喩えるなら、手練が本気で闘い、死ぬ覚悟を決めた時のような苛烈で凄まじい気配。訳の分からないそれは、しかし即座に霧散する。何故かも見当すらつかない。今となってはアルシュの方から重圧を感じたとも思える。寧ろその方が自然だ。


 ──子供は好きだが、彼等はいわば無関係の他人だ。どうなろうと知ったことではない。

 唯一分かることと言えば、あの場で折れなければ危うかっただろうことだ。それは彼の経験から推察されたものではある。そうは言っても、まるで説明が付かない。

 ただ根拠もなく、子供を相手にして我が身が危ういなど世迷言に違いない。考えても答えは出ない。そして、出たとしても何かの益に繋がる訳でもなかった。これ以上は無駄な詮索だ。

 思考を切り替える頃に、彼は独りごちる。


 「……やれやれ、私も人を見る目が落ちたか」

読了お疲れ様です。

実はもう二章終盤に差し掛かろうかと言う頃なんですよ、これ(笑)


随時校正、描写を挿入したりする予定なので(特にこのお話はひとつ抜けがありましてね)、気長にお待ちいただけるのなら幸いです。


それでは、また次回。

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