夕刻の丘
滅びとは、全てが退廃的ではなく──即ち、儚いものの果てでもある。
「……へぇー。凄いね、お爺さんのお話! 特に今聞いたのは、今までにない冒険譚って感じがするよ」
西に傾いた日が差す。目の覚めるような白が、橙色に変遷していく。見た目鮮やかなそれが、少女の横顔を照らす。成長中のあどけなさに、大人びた気配が差しているような気がした。使い古すほど陳腐な言葉だろうが、綺麗なものだ。
「それは何よりじゃ。それにしても、随分長いこと話したのう」
言い終わるや、激しく咳き込む。押さえた手元に、吐き出した血痰がこびりついた。幸いにも、身に付けた衣服は黒一色だ。それとは気取られぬよう、自然な動作で拭い取る。ここに至るまでに何度も吐血しており、外套は自身の血液でじっとりと濡れそぼっていた。
(やはり地面で拭うか……)
思考は、徐々にではあるが億劫となる。話の最中にしても、ほんの短時間とは言え、幾度も意識が暗転しかけたのである。手近な自身の衣服で拭うという行為は、体力の温存が無意識下で行われているからに他ならない。即ち、その単純な作業でさえ、今の彼には重荷でしかないのだ。
「でも、怖いけど寂しいお話ね。皆死んじゃったりするだなんて」
「そうじゃな」
穏やかに反応を返す彼。今でこそ少女は、感想を言えるほど余裕がある。しかし、話を始めた当初は泣くわ騒ぐわと、かなり忙しいものだった。なだめるのに労力を費やすだけでなく、己の不調を悟らせない工夫にもかなり難儀したのだ。
ただ、彼としてはそれも悪くないものに感じられる。寧ろ心地よいとすら思えていた。
「そうとも。人間とは寂しいものよ。生まれ落ちるも、没するも一人。野山を駆ける動物も、皆そう言うものじゃ。おっと、少々難しい話じゃったかな?」
「……えぇ~? よく分からないよ」
「なに、年寄りの独り言のようなものじゃ。年を食うと、説教臭くなってしまって叶わん。波には勝てん、というやつじゃ」
頭の中に疑問符を浮かべているだろう少女。首を傾げ、うんうんと唸りはじめてしまった。
少し困らせてみようかという悪戯心が芽生えたものの、これではいくらなんでもやりすぎだ。このままでは収拾が付かなくなる。反省し、謎かけみたいなものだと釈明する。すると、今度は「やっぱり物知りなのね」と言って、顔を輝かせた。思うに、おしゃまな気質を持つ反面、根はかなり生真面目な性格なのだろう。真に受けすぎるというのも考えものだ。
──純真無垢。
人を疑うことすら知らない、尊く、そして危うい内面だ。
それが彼にはひどく懐かしいものに映った。
「お嬢ちゃん、日も落ちかけて遅くなって来ておる。そろそろ親御さんも心配しておるのでは無いかね? 先程のこともあるし、の。悪いことは言わん、帰りなさい。話がしたければ、また明日ここに来るといいじゃろう」
「いやよ。絶対お爺さんのお話を最後まで聞くの」
「何を言っておるのかね、君には──」
「だってお爺さんも、寂しそうだから」
今度は彼が、閉口する番だった。一拍おいて間抜けな声が漏れる。思いもよらない、断言するような口調。およそ迷いの無い指摘に、彼の心は揺れた。
「なんか、おかしいよ。お爺さんはとても優しいのに、誰も近くに居て欲しくないみたいな、そんな感じがする。でも、私はお爺さんからもっと色んな話を聞きたいの」
「……ふ、ははは!」
その言葉で思い出した。子供という生き物は、時として大人以上に賢しいのだと。まるで心の中まで見通されているような気がした。
しかし、可笑しくて仕方がなかったのだ。老齢になろうと、気骨は棄てずにいた。それがどうだ、まだ幼い子供に先を取られている。いい年をして、尚も肩肘を張る自身が滑稽に思えたのだ。
己にすら向けられていない言葉など、思い上がりも甚だしい。道化もいいところである。
(単純なことじゃった。つまるところは儂も、人恋しかっただけなのかも知れぬ。いやはや、己の事とは言え、ままならぬことばかりじゃな。先程の言葉、重みも何もあったものではないわ)
「すまぬのう、お嬢ちゃん。何より、ありがとう」
「え……? な、なんだか照れちゃうなあ」
それはそうと。彼は話題を元に戻す。恐らくこの先の展開は、彼女には一層酷なものになるかも知れない。やや脅しに近い前置きをするが、彼女は構わずに続けて欲しいと答えた。
「君のお陰で色々と楽になった。……では、儂も今暫く語るとしよう。そう──彼の、悲運を」
彼の重い口が開かれる。ほぼ間違いなく、明日の朝日を拝むことは叶わない。彼は、そう確信する。
一方で、我ながら拙い語り口だ、とは思っていた。台詞を噛むことはほぼ毎回である上、言葉の引き出しが足りないこともしばしばである。それでも、彼女は真摯に聞こうとする姿勢を崩さない。
──つまらぬ語り部じゃと思う。それでいて尚、儂の話を希求するというのならば。せめて彼女が満足するまで語ってから逝くのも、そう悪くない話じゃ。
最終章、開幕。
泣いても笑っても、これが“異端”本編の最後です!
三・五章開幕の切っ掛けとなった橋本氏の期待、そして恐らく、この変態的作品を愛好してくださる方々への期待に沿えるよう。何より、最大級の感謝を込めて。
──いつもありがとうございます!




