88話 視るのが普通の人
霊感が強い人とは、霊と人との差が判らない人なのか。
とりあえず周りでは、そういった傾向がある。
風の人が見える友人は一緒に歩いていると、夜の誰もいない校庭に手を振ったり、誰もいない道端に向かって会釈したりする。
「いまのは?」
「頭を下げられたから」
(・・・聞き方を間違えたな)
一緒に歩いていて、突然立ち止まり1人で話しだすこともある。
内容から誰かに道を教えているようだとは分かるが、ソノ誰かって、どこ?
しかも彼女は本能で道を歩くので、人に道を教えるのがヘタだ。
でも、こういうのは替わって説明をすることは出来ない。
それらが終わってから聞いてみることもある。
「いまのは?」
「知らない人」
(・・・聞き方を間違えたな・・・)
他の霊感アンテナの強い人は、交差点でいきなり飛んで後ずさり「あ、失礼」と言う。
もしくは、いきなり走り出し「大丈夫ですかー」と叫ぶ。
(い、イノキ?!)
つまり、生きている人と霊が変わりなく視えている。ということか。
我は何も見えないが、一度「視えているはず!」と断言される。
しかし、見えないモノは見えない。
そう答えると
「だって、人が寝転がっていたり、手が生えている地面を飛び越えているよ?」
と言われる。因みに、彼女の言う「人」は「人だった現在の霊である」
たまに何の気なしに、ぽんと飛んでみたり、意味なく迂回したりしていたかも知れない。
しかし、それは何かがあったから避けたのではなく、そんな気分だったのだ。
としか言いようがない。
もしかしたら守ってくれる存在が居て、こっち避けろ。そこ踏むな。とか体を動かしてくれているのかなぁ?と一応感謝してみる。
まあ総じてとりあえず、霊感のある方々にイチバン止めてほしいのは、人の背後を見てギョッとした顔をすることだ。
人が居ることが普通なように、霊が居ることも普通の人たちは、当たり前に両者の存在するで世界に居る。
時折、幽霊人口密度が高い時ってないのかなぁ?と疑問に思ったりするが、それを聞いても怖い思いをするのは自分だけなので、結局は霊感の強い人とは余り霊の話をすることが無い。
という事実に気付く。
だって、普通に「え?沢山の人が居るじゃん」って閑散とした場所で言われたら嫌じゃないか。




