98話 少数精鋭の暗殺
クアッドの行動指針は概ね決定した。
ユニットを出撃させてキメラ粘菌アスピドケロスを完全に滅殺する。
それで憂いは断たれ、ユアはそのまま夏のバカンスを満喫して終了する。
今までは謎の海洋生物を想定して人海戦術めいた方法をとっていたが、少なくとも今現在粘菌の本体と思われる存在が居座っている場所は知れている。アスピドケロスの足であり住処となった高級クルーズ船だ。ドローンで追跡を行なっていたため場所はすぐに割れる――筈だった。
「目標をロストした? アスピドケロスにやられたのか?」
出撃の命令を下そうとした矢先のサーペントの報告に、オウルは眉を潜める。
サーペントは「とんでもない」と不本意そうに否定した。
「アスピドケロスの接近に対応できるようフォーメーションを組んで警戒してたさ。でも海軍の艦隊が接近してきて、そいつは運悪くアグレス艦だったんだ。いくら私たちのドローンでも最新のアグレス艦相手じゃ隠れきれないよ」
「それで捕捉されればどちらにしろやられるから引かせたと。間が悪いな……」
確かにロストもやむを得ないとオウルは納得する。
アグレス艦とは、ジルベス合衆国海軍が採用するアグレスシステムを搭載した戦闘艦のことだ。
アグレスシステムは最新の情報処理によって高度な索敵、情報処理、照準、操舵を可能としたもので、嘗ての戦争でパルジャノ連合に海軍で後れを取ったジルベス海軍の肝いりであるため何度もアップデートが施されており、電子戦能力も極めて高い。
「しかし、ただの海軍なら遭遇予測が出来た筈だろう。軍の航行プランや衛星写真での追跡も駄目なのか?」
「うん。一応アルシェラ情報大臣にもお願いしてみたけど、相手が悪いみたいだ」
嘗て一悶着の末に屈服に追い込んだジルベス内閣の一人、アルシェラを以てして相手が悪いと即答させ、軍関係で海となると必然的に情報は絞られる。
「第八艦隊か」
「ビンゴ。あそこ相手じゃ統制委員会と肩組んでもすぐには無理だ」
ジルベス海軍第八艦隊――戦後創設された八番目の艦隊であり、アグレス艦を含む海軍のあらゆる兵器システムの開発・運用に携わるハイテク艦隊だ。機密の度合いで言えばラージストVのセキュリティを上回り、ウィザード級ハッカーのサーペントでも逆探知されるリスクが高いほどの設備と人材を揃えている。海軍内部では「第八艦隊はユニットを所持している」という噂もあるほどだし、実際にあってもおかしくはないほどのポジションにある。
海軍の機密の塊でありジルベス軍の中でも三指に入るセキュリティレベルの高さは、当然ながら彼らの行動にも反映されるため統制委員会でさえ介入は許されない。
接近してきたアグレス艦の情報が衛星写真すら入ってこないということは、テスト運用中の最新の試作艦か、或いは軍独自開発の特別な装備や機能を備えている可能性が高い。
テウメッサが顎に手を当て、深刻そうに唸る。
「……まずくないか、これ。航行プランにないルートを移動する上に通信にも応答しない謎の高級クルーズ船だぞ。もう捕捉されてるだろ」
そのような不審な船にどう対処するのか、ミケが体と頭を傾けて考える。
「ん~……まぁ、普通の軍ならトラブってると考えて船の調査に行くんじゃない? 機密度合いが高いか艦長さんが用心深ければ砲撃して証拠隠滅とか」
高度な軍の機密を抱えた艦だ。
見てくれの写真だけでも軍としては取られたくない。
ましてそれがパルジャノ連合の手に渡ることは嘗て海戦で敗北した彼らの面子が許さない。
一度警告を出して無視されれば、偵察のために仕込まれた無人艦と判断して艦砲射撃で粉々にするだろう。高度な電子戦能力を持つアグレス艦なら指向性EMPで電子機器を破壊することも出来るし、そうした危険性がないと判断されてもミケの言う通り原因究明のために船に乗り込んで調査くらいは行なう。
しかし、船を操っているのは政府も軍も情報を持っていない謎のキメラ粘菌だ。
艦砲射撃で弾けても生き伸びたものが集合して元通りになるし、そうでないなら余計に旺盛な食欲を満たすためにアグレス艦に接近する。
サーペントが慌てて――本当は別に慌ててはいないだろうがこれが正解の反応だと彼は思ったのだろう――立ち上がる。
「どちらに転んでも面倒なことになるよ……! 海を浮かぶ粘菌なんて軍の探知システムの想定外もいいところだ。時刻は夜で目視確認するにしても漂流する襤褸きれにしか見えない。もし船員が全員死ねばシステムが異常を検知し、原因究明のために艦隊を送り――」
「撃沈。調査。調査中に粘菌に食われる。雪だるま式に事態が悪化する可能性はある。下手すると粘菌は生存戦略のために分裂を思いついてそれぞれ海流に乗り、いよいよ追跡できなくなるかもしれん」
全員の意識がリーダーたるオウルの判断に注がれる。
情報漏洩のリスクを背負ってでも粘菌を滅殺しに向うか、一旦待って隙を窺うか、或いは情報を軍に流して代わりに滅殺して貰うか――。
オウルの判断は簡潔だった。
「アルシェラ大臣と回線を繋げ」
「なんと言って繋げばいいのかな?」
「期間限定で簡単に報酬が貰えるとてもホワイトな案件がある、とでも言っておけ」
「オウルってばわる~い顔してる~」
揶揄って笑うミケの言葉を否定しない程度には、オウルは愉快げに口元を吊り上げていた。
◇ ◆
第八艦隊の開発したアグレスシステム搭載型駆逐艦【ピューラー】は、ジルベス海軍第八艦隊が考案した次世代型駆逐艦の試作艦である。
全長約130m、全幅16mと、それまでどちらかといえば拡大路線だった駆逐艦の中では控えめな大きさになっている。
形状としては現行のアグレス駆逐艦と大差はないが、以前の艦と比べて内部はブラッシュアップされてより安全性が高く小型化した設備や新素材、新構造で簡略化された部分が多く、強度をある程度維持したままの軽量化に成功したことで機動力が向上している。
更に、軽量化の恩恵で武装もより充実しており、電子戦能力を含めて殆どの面で従来型を上回っている。
しかし、【ピューラー】最大の目玉は艦を運用するに当たっての人員の圧倒的な少なさだ。
これまでのジルベス海軍の駆逐艦は乗組員がおおよそ100人程度必要だったのに対し、更に高度に自動化が進んだ【ピューラー】の予定人員はなんと約70人。この人数の少なさは驚異的な削減率であり、通常駆逐艦3隻を運用する人員分で新型なら4隻を動かしても人員が余る計算になる。
今現在は試験的な単期航海であるために人数は更に少なく30人。
実弾や火器は当初の予定の半分程度しか搭載されていない。
それでも、試作艦の艦長は同じ駆逐艦相手ならばパルジャノ連合の艦と鉢合わせしても勝利できる自信があるほどに、【ピューラー】重要な艦であった。
だから、驕りがあったのかもしれない。
或いは、その運命はそれに目をつけられた時から決まっていたのかもしれない。
「二時方向から接近する船の詳細は掴めたか?」
【ピューラー】艦長で口ひげを綺麗に整えた50代の男、スマイト・ピーコック少佐の問いに、電測員がはきはきと報告する。
「ヘクラーネ島のライフガードより沿岸警備隊を通して情報あり! 乗客を乗せたまま音信不通になったコーラルビュークルーズ船の可能性が大! こちらからの呼びかけに対して一切反応ありません!」
「内部観測の結果は?」
「現在、人らしき反応はありません! 映像分析では操縦席も無人です!」
「むぅ……シージャックの後、客が拉致されて船が放置されたか?」
あくまで軍人であって犯罪調査に精通していないスマイト少佐は、この事態にどう対応するべきか悩む。彼は長いキャリアこの手の貧乏くじめいた状況を引くことが多く、それが原因で昇格を逃したことも相応にあった。
逆を言えば、結果的に船を生かす方を選べたから試作艦の艦長を任せられたとも言える。
接近する船に何らかの工作があり【ピューラー】に害を為す可能性はある。
しかし、彼にはライフガードと沿岸警備隊の目を縫ってそんな大がかりなことをする可能性は低いようにも思えた。
副官が険しい顔でさりげなく決断を促す。
「如何なさいますか。ボートの進路からして当艦に衝突するリスクがありますが」
「……内部観測を続行しながら目標に対して即座に停止し甲板に船員に甲板に出るよう警告と、従わない場合は砲撃する旨を伝達。警告に対して応答がなく生存者も確認されない場合、砲撃でボートを無力化する。ASLWを自動照準。船体の被害を抑えるために機関部を撃ち抜くよう砲術AIに設定。初撃をしくじった場合は第二射で確実に撃沈せよ」
「アイアイサー! ASLW自動照準、目標セット!」
ASLW――対艦レーザー兵器のコンデンサが唸りを上げ、微かな白煙と共に甲板から砲塔をせり出して自動で照準する。レーザー兵器はCIWS等で既に実用化されているが、対艦レーザーは【ピューラー】が初実装だ。それまでは出力の問題で対艦レベルにまで威力を向上させられなかったレーザー兵器は自慢の正確性によって機械の照準でも瞬時に目標に命中させられ、出力調整も加減が効く。
民間の船に対して砲撃を行なうことには抵抗があったが、乗組員を守る為なら撃ってでも止めた方がいいというのが彼の長いキャリアで得られた経験則であった。
――このとき、最大出力で発射していれば、或いはアスピドケロスは人知れず船ごと塵と消えていたかもしれない。
しかし、スマイト少佐はアスピドケロスの存在を知るよしもなく、消えた乗客の安否に繋がる情報を船に求めた。乗客リストに並ぶ名前の中に政界でも聞いた事のある人物が偶然にも混ざっていたことも、完全な撃沈への躊躇いに拍車をかけた。
一方で、アスピドケロスを知り、なおかつ彼らに伝える手段がなくもなかったクアッド達は、そのような便利な装備が【ピューラー】に搭載されていることを知らず、故に【ピューラー】が失敗したことを想定して動いた。
結果として千載一遇の好機は通り過ぎる。
「エネルギー充填完了! 出力自動調整! 目標ロックオン!」
「目標、有効射程範囲内まで3、2、1――インレンジ!」
「ASLW、ファイアッ!!」
砲撃は目標を正確な照準と威力で撃ち抜き、クルーズ船はみるみるうちに減速していく。
スマイト少佐は船が沈没する前に必要な情報を得るための指示を素早く行なった。
それが貴重な部下を殉職させる愚蒙な決断であることを微塵も知らずに。
――第八艦隊本部に【ピューラー】が暴走しコントロールを受け付けなくなったとの知らせが入ったのは、それからおよそ30分後のことであった。
緊急脱出艇に乗り込むことが出来たのは艦長を始めとするブリッジ要員を中心に十七名。
残り十三名は、クルーズ船の調査に向った者、牽引ワイヤー近くで作業していた者、そしてコントロール不能になった艦をどうにか建て直そうと決死の作業を続けた貴重な技術士官達。
どのクルーも一定の実績ある有望で貴重な人材たちだったが、バイタルチェック装置によって全員の死亡が確認された。
夜の冷たく暗い海で波に揺られるスマイト少佐の耳には、手遅れと判断して見捨てた部下の懇願が耳にこびり付いていた。
「うわ゛ぁぁぁぁぁぁ!! あああ、あああああああ!! 痛い、痛い、痛いぃぃぃ!! 助けてください艦長!! みんな!! 見捨てないで!! 何で!? 何で俺を置いて行くんだよぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
絶望に染まった彼の足は皮も肉も失われて骨が露出し、張り付いた黄色い液体を振り払おうとした腕にべっとり張り付いた液体をパニックで体のあちこちに触れさせてしまった部下。何が起きているのかは分からなかったが、その場の全員が既に彼が助からないことと黄色い液体に触れてはいけないことだけを正確に認識し、介錯の間もなく彼に背を向けた。
艦に配属されたばかりで息子ほどの年齢故に可愛がっていた彼の恐怖と絶望に苛まれた瞳。
彼が今も激痛に悲鳴を上げならずっと自分を見ている気がして、スマイト少佐はどうしようもない後悔と虚無感に苛まれた。
「こんな……こんな訳の分からない死に方で……俺は、何を間違えて……」
「艦長……」
彼らの背後で、駆逐艦【ピューラー】の未使用だった全ての武装が唸りを上げて起動する。
誰を狙うでもなくCIWSを初めとした武装がランダムに動き、あらゆるライトが点灯し、蒸気と白煙を獣の吐息のように吐き出した。
ヘクラーネ海岸を焼き尽くすのに十分な火器を備えた鋼鉄の怪物は、スマイト少佐の部下を胃袋に収めて満足したように脱出艇を無視して夜の海へと泳ぎ出す。
事態は、海軍にとって戦後最大にして最悪の事件へと発展しつつあった。




