64話 真偽の暗殺
ユアが最新の医療技術によって臨床試験前の健康診断を次々に済ませている頃、クアッドたちも各々活動していた。
サーペントは情報収集と支援、ミケとテウメッサは偽薬の見極めや医療ミスを起こしそうなスタッフがいないかの選定。そして直接病院に潜入したオウルはというと、暇を持て余していた。
(暇なのはいいことなんだがな……)
天井裏の配電用スペースの一角に座り込んで持ち込んだ端末をネットワークに割り込ませながら、オウルは内心ぼやいていた。
ワンダホくんを利用してリネンカートの中に潜り込みあちこち移動しながら病院内のシステムや設備を調べ回ったが、特に問題らしい問題やあからさまな隙は見当たらない。
むしろ田舎の病院とは比べものにならない程安全性に配慮し、医療従事者たちも総合的に質が高い。
念のためにいざという時の為の工作をいくつか施しはしたが、ワンダホくんのおかげで予想より遙かに移動が楽になったせいで時間を持て余す。
(粗方の場所にワンダホくんで行けてしまうってのは、効率的すぎるのも考え物だ。流石に研究棟は無理だが……)
とはいえ、そもそも埒外の情報処理処理能力を持つユニットによるハッキングでなければ即座に異常を検知された筈なので、これでも過剰なセキュリティではある。
暇を持て余して栄養バーを囓りながら、手元の端末で病院が取ったユアの生体データを覗き見する。
健康状態、栄養状態、精神状態共に問題なし。
入院歴は子供の頃の不意の事故による骨折のみ。
大病を患ったこともなく、ごく健康的。
クアッドが事前に知らされたデータと照らし合わせてもこれといった変化はなく、年相応だ。
(しかし、シュトロイエンザ特効薬臨床試験の被験者データを見てみると結構な数の未成年がいるのが気になるな。そもそも未成年が臨床試験に呼ばれること自体珍しいのに)
心身共に未成熟である未成年の臨床試験は大人に比べてどうしてもリスクが高くなる。ジルベス以外の国では禁止になっていることも珍しくない。実際、ジルベスで合法なのもモルタリスカンパニーから政府への働きかけがあったからのようなものだ。
(大人なら問題ないが子供には発生する特有の副作用でもあるのか? モルタリスの医療技術なら容態が急変しても持ち直せる自信があるともとれるが……)
新薬の名前は、承認されれば【エンネス】になるらしい。
オウルは【エンネス】の承認に興味は無いが、簡単に治せる病気が増えるのは結構なことだと思う。しかし、夢の薬と謳われて世に放たれた薬が必ずしも理想通りの効果を発揮するとは限らない。
(モルタリスが天下を取るまではジルベスの製薬業界もやらかしが多かったからな……)
薬品の安全性を調べて販売許可を決める省庁や機関職員の買収、被害者の少ない薬害で訴訟を起こした人物の不審死、産業スパイの横行、etc……薬品業界の闇は深い。
モルタリスカンパニーがそれらを吸収したり叩き潰したことで今は安全性は高まったが、逆を言えばその頃のあくどい連中の中でも特に優秀な「ばれずにやれる」連中を囲い込んだとも考えられる。
事実、表沙汰にはなっていない程度にモルタリスは裏で新薬開発のために尊い犠牲とやらを出して隠蔽したり、一部の薬品を生産コスト以上に吊り上げたりと決して清廉潔白ではないことをオウルのような裏の人間は知っている。
オウル自身、恐らくモルタリスの都合であろう暗殺を何度か行なってきた。内部告発も含めてだ。
(他に考えられる理由はまぁ、アレかな)
理由として余りにも妥当なものは思い浮かぶが、裏がとれない以上は憶測でしかない。ともあれオウルは三日間この病院の中に籠もりきりなのだ。ユニットの機能を使えばトイレに行かず排泄は出来るのだが、こうもやることがないと寝ていた方がマシに思えてくる。
しかし、ここで寝るのは流石のオウルでも不安が残る。
端末の画面から放たれる光さえ布で隠している今の状態は夜のアジト以上に暗い。人間は一切光のない場所で寝ると何時間だろうが平気で眠り続けてしまうので、ユニットの機能が起こしてくれるとは言え脳を鈍らせたくはなかった。
と――。
『テウメッサからオウルへ。緊急事態発生だ』
どうやら退屈にはまだ早いようだ、と、オウルは通信に応じた。
◇ ◆
数分前――ミケとテウメッサは喧噪の中にいた。
「普通に忙しいね。やっぱ臨床試験前となるとこういうものなのかな?」
使用済みの医療機器の処分を手伝わされるテウメッサの疑問に、隣のミケが「少し違うかなぁ」と訂正する。
「臨床試験用のお薬は投与前ギリギリに研究棟から運ばれるようになってるんだって。昔、事前に運び込んで盗まれかけたらしいよ」
「ふぅん。これだけセキュリティがあってもそういうこと起きるんだね」
現在、ミケとテウメッサは付き合っているという設定だ。
より具体的にはミケにとってテウメッサはいい顔をしていればお金を出してくれる財布で雑務を任せるのに丁度いい、という設定にしてある。その方がミケがハニートラップで引っかけた男に話が通じやすかったからだ。
今も作業をしているのは主にテウメッサで、ミケはわざと手を抜いているので周囲にもそういう関係性だと思わせてある。
通常の会話もそこそこに、二人は秘匿通信でのやりとりに切り替える。
『ダンドリ確認するよ、テウメッサ』
『君に確認されるのもなんか不思議だが……このあと研究棟から例の薬――【エンネス】が偽薬共々運び込まれる。【エンネス】は容器内にマイクロチップが埋め込まれて偽薬かどうか判別出来るようになっている。僕らはその中からユニットの処理能力を使ってユアちゃんに割り振られる薬を特定し、偽薬であればそのまま放置し、真薬の場合はチップのコードを偽薬と強制的に書き換えて入れ替える』
『はいバッチリ!』
偽薬と真薬をばらばらに持ち込まないのは産業スパイ対策の一環なのだろう。本来は病院内の専用読み取り装置でなければ判別できないが、既に判別用のデータは侵入したオウル経由で手に入れているのであとはユニットの機能を使えばいい。
『それにしても、チップの読み取り機能なんてなんでユニットについてるんだろ? 武器をチップ管理にでもする予定だったのかな? ふっしぎぃ』
『意外となんでもかんでもついてるよね。こっちとしては便利でいいけどさ』
「おい、そっちの二人! そろそろ運搬の時間だから作業中断だ!」
「「はい!」」
遂に時間がやってきた。
運搬車両は無人機で、正面にワンダホくんがドッキングしているという極めてシュールな様相だ。無人機が定位置に着くと車両のコンテナがいくつかのロック解除を経て開封される。
「落とすなよ! たとえ錠剤だろうが雑に扱うことは許さん! 中の薬の一粒たりとも患者のために無駄にしない決意を持て!」
「は、はい!!」
研修医らしい若い医療従事者が、小型のクーラーボックスを想起させる箱を運び出す。他の箱も次々に運び出されていく。冷気に満ちたコンテナから白い煙の尾を引いて持ち出されていく様を見ながら、二人も言われるがままに運んでいく。
これだけ自動化されているのに何故薬の運搬が完全自動化されていないのかというと、ワンダホくんには運搬機能はあるがロボットアームなどの積載機能が無いからだという。
幾らワンダホくんが高性能と言えどやはり機械なので搭載できる機能や精度に限界があるし、整備性の問題もある。それらの欠点を補う為に間を取り持つロボットを導入しようとしたこともあるそうだが、意外にもアゲラタ病院の院長がそれに待ったをかけたらしい。
そこまでロボット化してしまうと、病院ではなく工場になってしまう――そう言ったそうだ。
一医療従事者として人のぬくもりがどんどん通わなくなっていく最新環境へのせめてもの抵抗だったのだろう。
結果的にこの主張は良い作用を齎した。
荷物積み込みロボットというニッチな機械を作るより人が運搬した方がコストが削減されるし、それほど業務を圧迫する仕事ではない。従事者たちもこの薬で患者が救われるという風に実感を持ちやすくなり気が引き締まると好意的に受け止めた。
同時にそれが産業スパイが紛れ込む隙になったのは皮肉だが、対策はしている。
尤も、ユニット相手には無力だが。
『コード判別率50%、60%、72%……』
『データ同期、照合中……じれったいな~』
コードの割り出しとデータの照会を二人同時に行なうことで情報処理は加速度的に速く終わるが、それでもセキュリティを完全に回避しながら行なうには数十秒かかる。
そして運搬中に遂にコードの判別とデータの照会が終了した。
『……???』
『……???』
二人は照会結果に一瞬思考が停止し、気を取り直した瞬間にテウメッサが即座にオウルに通信回線を開いた。
『テウメッサからオウルへ。緊急事態発生だ』
『こちらオウル。状況を報告しろ』
照会は二重に行なった。
アゲラタ病院から読み取ったコードとの判別も一致している。
その上で発生した問題は、彼らの予想外のものだった。
『薬の数はデータと一致しているが偽薬のコードが一つもない。全部真薬だ。これではすり替えが出来ない』
馬鹿め、全部本物だ!




