61話 臨床の暗殺
その日、オウルの家に遊びにいったついでにテウメッサに勧められてPCのアクションホラーゲームで遊んでいたユアのスマホに余り見覚えのないメッセージが届いていた。
ゲームを一時停止し内容を検めると、それは友達からのメッセージでも変な勧誘でもなかった。
「国からの通知アプリ経由だ。なんだろ?」
ジルベス合衆国はペーパーレス推進のためにPDC――国民IDカードと生体認証でスマホからログインできる情報サイトをアプリとして国内のスマホに標準的に搭載している。
国や国営の組織、市役所等の公的な通知の多くがここから送られてくるため、それが詐欺や勧誘ではないことは一目で分かるようになっている。
さっそく内容を確認したユアは暫くその内容と記憶が一致しなかったが、やがて一年前に確かに応募したことを思い出す。
「ああ~……すっかり忘れてたけど本当に当たったんだぁ」
厳密には当たるという表現は正しくないのだが、ユアからすると当たればタダでお小遣いが貰えるのでラッキーという感覚で応募したものだった。
その内容は――。
「国家成長戦略に伴う臨床試験参加者募集?」
「あ、オウル」
後ろから覗き込んだ怪訝そうな顔のオウルに、そういえば彼に説明したことはなかったなとユアは説明する。
「去年に国主導、モルタリスカンパニー経由で応募しませんかって募集が来て、公休取れて三日で十万ジレアって書いてあったから応募したの」
「で、当たった訳か。お前なぁ~……いや、調べてなかったこっちも悪いかもしれんが、面倒なもんに当選しやがって」
オウルはユアの手からスマホを借りると内容を確認し、後ろ頭を掻く。
臨床試験――それは簡単に言えば未認可の薬を正式な認可の下りた薬にするために人体への影響を調べる試験で、内容は言葉を選ばずに言えば投薬による人体実験である。
とはいえ、事前に人体に悪影響を及ぼす可能性のある薬で試験はしないし、臨床試験前にはマウスなどの実験動物による投薬実験が行なわれているため、臨床試験の薬が原因で健康被害が出たり死者が出ることはジルベスでは滅多にない。
そして、僅かとはいえリスクがあるだけあって、臨床試験に協力すると報酬が貰える。
極端な話、病院でゴロゴロして検査を受けているだけでお金が手に入るのだ。
まだ中学生で家が裕福とも言えないユアにとって、三日で十万ジレアは大金である。国主導の試験なので公益性も安全性も一定の確保がされているし公休も出るため、当時の彼女には魅力的に見えたのだろう。
オウルは一応隅々まで通知の内容を確認する。
「国家成長戦略なんぞと大仰だと思ったが、なるほど。シュトロイエンザのE2型ねぇ」
シュトロイエンザは世界中でよく見られるウィルス感染症だ。
世間では重めの風邪程度の認識でいる人間が多いが、症状はより重く、感染率も高い。特に乾燥した冬場に流行し、世界中で多くの死者を出している。ジルベスのような医療の発達した国ではそこまでではないが、それでも一定数の死者は必ず出るし、後遺症が残ることもある。
主に貧しい側の層が、だが。
ユアはそんなことは考えていないのか、自分の記憶を漁っている。
「E2型って言えば、五年前くらいから名前を聞くようになったやつだよね。わたし予防接種受けたと思う」
「今現在世界で流行するウィルスの中では一番死人を出してるからな。特効薬が開発出来れば、そりゃ儲かるだろうよ」
「特効薬……症状を抑える薬じゃなくてシュトロイエンザのE2にピンポイントでよく効く薬かぁ。言われて見れば、モルタリスは何でも作ってるイメージあるけどそれは聞いたことないかも」
E2型は従来のシュトロイエンザで効果の高かった薬の効きが悪い。
ワクチン接種で症状を抑えたりナノマシン治療で対応することは可能だが、それには通常以上に金がかかってしまう。しかし、もしこれによく効く飲み薬が一般販売されればもはやE2型は恐るべき病とは呼べなくなっていくだろう。
「ま、いくらモルタリスが世界一だからって何でも世界で一番目に開発に成功するとは限らない。実際、モルタリスは勝ち星が多いとはいえ海外の製薬会社に特効薬開発で何度か先を越されてるからな。新薬の開発には偶発的な要素が絡むことも多い」
「つまり、早くこの薬を完成させて海外に売り捌きたいんだ、モルタリスは。モルタリスが儲かればジルベスが儲かってるのと同じだから国はそれを後押ししてるってことだね」
「そういうことだ」
新薬はものによっては莫大な利益を生む。
シュトロイエンザのような世界的に流行する病気の特効薬なら尚更だ。
いの一番に特効薬を開発した会社には莫大な利益が流れ込むことになる。
だから国家重要戦略という大仰な文字が躍っているのだろう。
金儲けのためと聞くと印象が悪いが、命は金では買えないのもひとつの事実だ。
ユアはそれに思い至ったのか、やや考えた後にひとりでに納得する。
「ん~……それで多くの人が助かるなら、まぁ良いことかな?」
「薬の値段が法外じゃ無けりゃな。ま、流石のモルタリスもシュトロイエンザでそれはしないだろう」
「それ以外だとやるんだ!?」
「外国で手に入れようとすれば保険適用で手に入るまで五年待ち、適用外だとひとつで億単位のジレアがかかる難病の特効薬。ところがジルベス合衆国ではあら不思議、十分の一以下のお値段で一週間以内に手に入るのです」
「シンプルにひどい!? しかも十分の一以下だとしても元が億だからまだ高い!!」
ユアが憤慨するが、モルタリスカンパニーはそういうことを平気でやる会社である。
曰く、開発費や開発社の功績を加味した上で会社として将来更なる新薬開発を見据えて多少の値段上乗せは納得して欲しい、とのことだ。もちろんモルタリスにしか作れない新薬なので買えない貧乏人は全員泣き寝入りするしかない。
「と、大企業が暴利を貪る仕組みは置いといて、だ。警備どうするか他の連中と会議する必要があるな……これまでと色々勝手が違いすぎる」
オウルにとっての問題は、あくまでユアの護衛。
これからユアの置かれる状況はクアッドと言えどなかなか護衛しづらい。
「三日で十万ってことは入院するタイプだろ? 国家主導の臨床試験となると部外者もホイホイ入れない。ユアに投薬される薬も必ず偽薬になるよう細工する必要がある。もっと早く知ってれば事前に打てる手もあったんだが……」
「だって忘れてたんだもん~! ところでオウル、偽薬ってなに?」
応募しておきながらきちんと調べていなかったのか、ユアは聞き慣れない言葉に首を傾げた。オウルはそれくらい自分で調べろ、という言葉を呑み込んで丁寧に説明する。決してベクターズホールディングスの新社長を暗殺した翌日に怒られたのを気にしている訳ではない。
「臨床試験では、思い込みによって起きる薬と関係のない効能――つまり偽薬効果を排除するために実際にはなんの成分も効果もないのを薬だと言って投与する。それが偽薬だ。文字通り偽物ってこと」
「思い込みで薬の効果が出るなんてことあるのかなぁ」
「催眠術で味覚を変えることも出来るんだ。思い込みには力がある。肉体と精神には密接な関係があるからな」
「あれ、オウル催眠術とか信じるタイプなんだ」
「信頼はしない。安定性が低く個人差が大きい不確かな技術だ」
(あ、これ大真面目に勉強したことありそう。オウルってこういうとこマメっていうか……)
ユアは催眠術を完全にいんちきだと思っていたようだが、人など簡単に騙される生き物である。幻肢痛、洗脳、偽薬効果、精神的が要因が現実の人に影響を及ぼす形は様々存在する。
ただ、クアッドの場合は、薬とナノマシンで代用可能かつ安定性も高いため、催眠術を使う必要性は限りなく薄い。オウルも一応使えるが、披露するタイミングはなさそうである。
「とにかく、万一の影響を考慮してどうにかして偽薬にすり替える。最初から偽薬だと分かっていればリスクは限りなくゼロだ。医者が注射器の使い回しをしたり空気を血管に注入しない限りはな」
「臨床試験自体は止めないの?」
「お小遣いがいらないなら止めるが?」
「えへへ、オウル大好き!」
満面の笑みなのは結構だが、瞳にジレア硬貨が浮かんできそうなほど十万ジレアに夢中になるユアのだらしない告白に、オウルは「こいつ……」とため息をつく。
クアッドはあくまで護衛であって保護プログラムのようにユアを資金的にバックアップしている訳ではない。出所不明の金がユアに流れ込んでいては何かあったときに彼女が疑われるからだ。彼女のお金稼ぎに否を叩き付ける権利はよほどのことがない限りする気はない。
しかし、自分たちの苦労の値段が十万ジレアの為と思うとさしものオウルもちょっと微妙な気分にはなる。
「十万あれば何が買えるかなぁ。スマホちょっとイイのに替えちゃおうか? あ、でもこないだ通販で見たバッグも良さそうだったなぁ。いやいや、ここは美味しいお肉という手も!」
(手に入れてもない十万に浮かれてホイホイ臨床試験に釣られる女と催眠術にかかったコメディアンに、果たしてどの程度の差があるか……)
「オウルは何がいいと思う!?」
「十万を元手に投資でも試して見たらどうだ?」
「えー、なんか難しそうでヤダぁ……あ、サーペントさん辺りにアドバイス貰えばなんか行けそうな感じするかも」
即座に人の伝手を頼るという選択肢が出たのは悪くないが、それまでは浪費一択で考えてた辺りがユアのちょっとアレな所だな、とオウルは心の中で呟いた。
ミケ辺りならそこがキュートなのだと熱弁するだろうが。
製薬会社、殺し屋、ユア……何も起きない筈もなく。




