60話 尻尾切りの暗殺
ジルベス合衆国の大統領官邸は『バースデイハウス』と呼ばれている。
何故そのように呼ばれているのか、来歴は判然としない。
バースデーケーキのように丸い建物だからとか、円卓を意味しているとか、ここからジルベスという国が始まったからだとか、どれもそれっぽい理由に思えるが誰も答えを口にしないし、どうでもいいと思っている。
『バースデイハウス』はこの地上で最も優れた国家の最高権力者が執務を行なう、究極の権力の象徴なのだ。由来が何であれそれは揺るがない。
その『バースデイハウス』の執務室で、ジルベス第三十二代大統領マイヤー・アルペディオはアルシェラ・ドミナス情報大臣から受け取った秘匿レベルSの極秘プロジェクトの修正案に一通り目を通し、一息つく。
「不可解だな」
ジルベスの大統領に相応しい威厳ある精悍な顔立ちをぴくりとも崩さず、マイヤー大統領は整えられた髭を指で弄んだ。これは彼が考え事をしている際の癖であることを周囲は知っている。
「先日、統制委員会の本部で設備不良による事故が発生し、職員十七名が死亡し、二〇名が重軽傷を負った『事故』も不可解だが、この修正案も実に不可解だ。私はこれまでのやり方を黙認していたし、問題も発生していなかったと記憶している。そして情報が漏れた形跡もない。なのに君は何故今になって重い腰を上げたのかね?」
マイヤー大統領の鋭い視線に、アルシェラ大臣は表情一つ崩さず答える。
「国民の犠牲が減ることを望むのはいけないことですか?」
「他ならぬ君の口からそんな言葉を聞く日が来るとは、明日はバースデイハウスに隕石でも降り注ぐのかな」
「承認なさるか否かが今は重要かと存じますが?」
二人の権力者の視線が虚空で衝突し、痛いほどの沈黙が訪れる。
先に沈黙を破ったのは大統領だった。
彼は古式な羽根ペンを模したタッチペンを手にし、目の前のデスクに埋め込まれたタッチパネルにさらさらと書き慣れた自らの名をサインし、承認を決定した。
これでアルシェラの持ち出したメイヴ・プロジェクトの内容変更は正式に承認された。
「私はそれほど権謀術数に優れた男ではないと自覚しているが、人を見る目だけはあるつもりだ。君が持ってきたのならばこれは必要なことなのだろう」
「恐れ入ります、大統領」
「君があの日統制委員会で何が起きたのかを一切語らずただ隠蔽の為の手続きを行なったことにも、わざわざ君が見せつけるように直接バースデイハウスにやってきたことにも、全て意味と意図と愛国心があるものと私は信じよう」
愛国心――それこそが二人の権力者に共通した仲間意識だ。
アルシェラは時にマイヤーに痛烈なダメ出しをすることもあり決して手放しで信頼出来る相手ではない。それでもマイヤーが物言わぬ操り人形ではなく飼い主に噛みつく猛獣を要職に就けたのは、アルシェラであれば人並み以上にこの仕事の意味を理解した上で働いてくれるという一種の信用があったからだ。
アルシェラは、不意に何かを思い出したようにマイヤーに問う。
「そういえば大統領、これは個人的な興味からの質問ですが……黒のユニットはどこの所属ですか?」
「黒の、ユニット?」
――ジルベス合衆国で運用される全てのユニットには、その所属に合わせたカラーリングが施されている。
警察特務課に配備された『ゼピュロス』は警察を象徴する白黒。
統制委員会に配備された『キャリバーン』はグレーゾーンのような鈍色。
ユニットの存在そのものが極秘であるため大臣クラスでもこれら全てのカラーリングを把握することは難しい。唯一それを全て把握しているのはまさに大統領だけだろう。
しかし、マイヤーの記憶の中に答えがない。
「黒のユニットは存在しない。何故そんなことを聞く?」
「いえ、ならばよいのです」
「……もしも、だ」
用はないとばかりに踵を返したアルシェラの背に、マイヤー大統領はたったひとつの心当たりを口にした。
「もしも黒いユニットが存在するとしたら、歴代大統領の誰かの悪戯だろう」
「……大統領に就任した者が、生涯にたった一度だけ発令することが出来る、撤回不可の絶対命令権」
「それがどのような命令だったのかまで伏せて内閣すら通さず承認することも、理論上は可能だ」
「それをつまびらかにする方法は?」
「発令から百年経過すれば秘匿が自動解除される。それまでは命じた本人以外、誰も何も知る術はない。現職大統領の権限を以てしてもね」
「……大変よく理解出来ました」
アルシェラは大統領執務室を出たあと、声を押し殺してくつくつと自嘲した。
この国を、実態不明の怪物が駆けずり回っている。
正体を知ろうにも、大統領の絶対命令権という法改正でも覆すことの出来ない唯一絶対の権利に阻まれて何一つ知ることが許されない。
斯様な理不尽が許されるだろうか。
死んでいった職員の家族や親族はこれを知ればどう思う。
馬鹿馬鹿しい――実に馬鹿馬鹿しいが、それが現実だ。
(理不尽を押しつける側は、より強い力には屈するしかない。当たり前のことなのに、まざまざと見せつけられると、ああ……腹が立つ)
アルシェラは今でも自分の判断が間違っていたなどとは考えない。
しかし、こうなってしまった以上は制約の中での最良を尽くす。
そして、もしもいつかアルシェラが最高権力の座に就く日が来たならば――。
(処分してやるぞ、黒いユニット共……私の権限で新たなユニット部隊を創設し、どこの老人が何の為に維持しているのかも分からない得体の知れない部隊など叩き潰してくれるッッ!!)
理不尽な現実を前にした人には二つの選択肢がある。
諦めるか、抗うか。
彼女は常に後者だった。
覚悟を決めたアルシェラが廊下を歩き出すと、壁により掛かってルービックキューブを弄っていたヒルドルブ・ボウイが顔を上げる。
「終わったの、アルシェラ?」
「帰るぞボウイ。お前の玩具も強化してやらなければいけない」
「あはっ、騎士のパワーアップイベントだぁ。女神の祝福を受けて騎士は騎士王へと進化するかもね」
子供のように無邪気に喜ぶヒルドルブには、敗北して死にかけたことへの恐れはない。
生きているのだからまた戦える、ただそれだけだ。
今はその脳天気さが羨ましいと思うアルシェラだった。
◇ ◆
夜の町を延々と彷徨うオウルは、辟易して秘匿通信回線を開く。
『おい、サーペント。トカゲ男はまだか?』
『ヘビ男だよ。勘弁してくれ、急ごしらえだから結構動かすの大変なんだよ?』
今、オウルはユアと彼女の友人でオカルトマニアのエレミィに付き合ってヘビ男を探している。
と、見せかけて、面倒なのでヘビ男を再現した遠隔操作ロボットを作って彼女に見せつけ、オウルがそれを目の前で壊して実は作り物だったという風に納得して貰おうというクアッドのれっきとした作戦だった。
夜な夜な町に繰り出す彼女をいよいよ心配してこの作戦を承認したユアでさえ、いい加減に肉体的、精神的疲労が隠せなくなるほどエレミィはしつこかった。
「シャー! シュルルル……ちょっとユア、ヘビ真似やってる?」
「ごめんやってない。疲れた。喉いたい……」
げんなりとしたユアの表情は、恥ずかしいからもう勘弁してくれと雄弁に語っていた。
本当は喉を痛めるほどやっていない筈だが、さしものユアもこの蛇の鳴き声でヘビ人間をおびき寄せるという馬鹿丸出しな作戦を大真面目に実行する勇気はなかったらしい。開始当初は変な男が近づいてくることもあったが、エレミィを見てやばい女だと逃げていった際に同類だと思われたのが堪えたのだろう。
さっきからユアがエレミィの視界の外でちょくちょくサボっていたのをオウルは知っているが、賢明な判断だと思うので指摘しなかった。
「おいエレミィ、うちのユアはお前と違って繊細なんだからこれ以上変な要求するな」
「文句あるならあんたも見てないで手伝いなさいよぉ!!」
「いやだね。品性を疑われる。俺たちがヘビ男を捜し出してから何度警察から職質を受けて補導されかけたか言ってみろ。六回だぞ、六回。そろそろ自分たちの将来の進路が心配になるわ」
「なによ、友達なんだから付き合ってくれても良いじゃん!」
「お前が俺たちの何に付き合ってくれてるって言うんだ……宿題までユアに押しつけやがって」
「それに関してはまだ許してないからねエレミィ」
珍しくユアが責めるようなジト目でエレミィを睨んでいる。
夜の探索に熱中しすぎたエレミィに学校の宿題を白紙で押しつけて、あろうことか書いておいてと頼んで爆睡した女である。オウルは段々この悪友はこっそり処分した方が良いのではないかとさえ思い始めていた。
と――視界の隅に大きな影が揺れた。
(やっと来たか、偽ヘビ男)
オウルは息を吐くと、正体に気付いていない風を装って影に近づく。
「おいあんた、さっきから何をこそこそと――」
オウルに引っ張られて街頭の下に引き摺り出されたそれに、エレミィが絶叫する。
「へっ、へっ、ヘビ男ぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~!!!」
殺し屋のオウルもちょっと引くほどの反応速度でスマホを取り出して写真を連写するエレミィだが、引きずり出されたヘビ男の様相にユアは一瞬絶句していた。
尻尾も含めて三メートルはあろうかという大きな身体に、爬虫類特有の滑りを感じさせる鱗に覆われた頭部。唯でさえ爬虫類を余り好きではないユアは、あまりにもリアルすぎて「いやぁぁぁぁ!?」と普通に悲鳴を上げてしまう。
だが次の瞬間、ヘビ男が身を捻ってオウルの手から逃れると、凄まじい速度で尻尾を振ってエレミィの手にあるスマホを弾き飛ばす。余りの速度と風圧に怯んだエレミィまでもが転倒すると、ヘビ男は人間とは思えない機敏な四足歩行で路地裏の闇に滑るように駆け込み、その姿が完全に見えなくなった。
ユアは慌ててエレミィを助け起こす。
「だ、大丈夫エレミィ!?」
「はっ、はっ、吃驚した……あ、でも今のはスマホに証拠納めたでしょ!! 連射してたしリアルタイム自動バックアップでスマホが破損しててもデータは取れた筈! しかもヘビ人間の身体能力まで体感出来るなんてスゴくない!? ねえスゴイよね!! こうしちゃいられない、急いで家のPCで確認しないと!!」
勝手に自分の世界に突入してユアとオウルに感謝の言葉一つもないエレミィは爆速で帰っていった。呆気にとられたユアだったが、一方で少し安心した顔もしていた。
「あそこまで暴れるとは聞いてなかったけど、これでエレミィも満足したし、これ以上付き合うのは身が危ないっていう口実にもなるからよしとするかぁ。オウル、私たちも帰ろ。……オウル?」
「ああ、いや……そうだな」
差し出されたユアの手を、オウルは自然と掴むと指を絡めた。
こんな動き、ショタコンのターゲットに色仕掛けする時とミケと一緒に関係を装う時くらいしか役に立たないものだと思っていたが、今ではそれが以外と役に立つ。ユアがそれで嬉しそうな顔をするならまぁやってもいいかとは思う程度だが。
「それにしてもヘビ男なんて一体誰が言い出したんだろうね?」
「さあな。なんにせよ、それを大真面目に信じて探し出す人間がいるんだから迷惑なことだ。国の統制AIにはこういう訳の分からん噂を消してよりよい社会にして頂きたいな」
「まぁ今回はね……でも、ちょっと楽しかった」
「?」
訳が分からずユアを見ると、彼女はいたずらっぽく笑う。
「初めて一緒に悪いことしたね、オウル」
余りにも邪気のない笑みに一瞬思考が止まるが、少しして意味に気付く。
「……なるほどな。共犯と呼ぶにははささやか過ぎるけどな」
「これくらいの刺激はいいんだよ。多分ね」
そんな下らない些細なことを楽しかったと言えるのも、人が普通に生きるということなのかもしれない。そう考えると、下らない情報に満ちたこの世界も見方次第では案外悪くない。全てが完璧に統制された世界とは、きっと熱のないつまらないものなのだ。
……それはそれとして、オウルとサーペントは気になることがあった。
『さっきのヘビ人間、俺らの用意したものと違ったようだが?』
『分からない。今調べたけど、あのエレミィって子が撮影した写真を上位統制AIが消したみたいだ。あれは高度な機密か、それともAIが感知しえない本物のヘビ男だったのか……』
『いらんいらん、そういうのいらん』
都市伝説には当分関わりたくないオウルは、彼にしては珍しく投げやりだった。
――丁度その頃、マイヤー大統領は真面目くさった顔でメイヴプロジェクトの新たな名前に首を傾げていた。
「何故ヘビ男プロジェクトなんだろうか……?」
余りにも個人的な疑問すぎて聞きそびれた質問の答えは、終ぞ出ることはなかった。
これにて4章終了です。
今回の章では遂にユニットVSユニットの戦いに発展し、段々と作者もこの世界のことを掴んできた気がします。
あと、活動報告にも書きましたが作者の腕は未だにアレルギーの影響で元の状態には治りきってません。いやぁ、マジで酷い目に遭いましたよ。もう少し早くアレルギーの原因に辿り着いていればと後悔しております。
この小説を少しでも面白く感じて頂けるのであれば……。
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