22話 おかしくない暗殺
本日のオウルの予定は、サーペントを手伝いながらユアを狙う連中の傾向と対策でも練るというそこまで暇ではない内容だった。
ところが、その計画は早くも崩れ去った。
オウルの目の前に座る男――イーグレッツ・アテナイによって。
「なんの用だよ……マジで長居する気なら帰ってくれよ。警察に通報するぞ、特務官殿が迷子が居座ってるって」
「そう邪険にしないでくれよ。ちょっとしたお詫びとお知らせさ。それと、特務官は言いづらいだろうから刑事でいいよ」
会って気付いたが、相手も決して好きで来ている風ではない。
微かにだが、声色からオウルに対する嫌味な感情の気配がある。
それでも手土産に先日行った店のクッキーを持参して挑発にも乗らない辺り、流石に仕事と自分の恋愛感情を分けて考えることは出来るようだ。
「それで?」
「一つ目は勿論昨日のことだ。デートを邪魔した上に店の中でも少しばかり迷惑をかけてしまった。安心してくれ、このクッキーは経費じゃなくて僕の自腹だよ」
「それじゃ遠慮無く。で、お知らせって?」
「先日からユア・リナーデルの襲撃予告がSNSサイト『ワイヤー』を中心に散見されている」
オウルは受け取ったクッキーをテーブルの脇に置いた。
イーグレッツが目を細める。
「驚いていないようだね?」
「耳の早い同居人がいてね。主義者に晒されてるとは聞いてた」
「なら話は早い。彼女にこのことを知らせて今後のことを話し合いたいんだが、家にいないんだ。電話にも出ない。彼女は一体どこへ行ったんだい?」
(探ってるな……一体どこで何に勘付いたんだか)
イーグレッツの部下はこの町の全ての監視網を覗き見ることが出来ると思われる。つまり、単純に考えて彼はもうユアがミケと共に出かけていったことを知っている筈なのだ。探る意図は分からないが、想定の範囲ではある。
「友達と相談して、別のシェアハウスのルームメイトに頼んで一旦町から遠ざけた。自主避難って訳だ。幾ら訳の分からん馬鹿が騒いでるだけとは言っても、マジで行動を起こす奴がいないとは限らないしな」
「ふぅん……しっかり彼女のことを心配しているいい彼氏じゃないか」
「バカにしてんの?」
「いや、本心だ。もっと短絡的で自己保身に走るタイプかと」
おどけて肩をすくめるイーグレッツにオウルは演技で舌打ちを打つ。
「嫌味な奴」
「君ほどじゃないと思うけどなぁ。ところで君、コーヒー好きなの?」
「こんなもん唯の眠気飛ばしだ」
「ふぅん」
イーグレッツはテーブルの隅に置いたオウルのコーヒーをおもむろに手に取って飲み干した。
いきなりの奇行に素で引いていると、彼はカップの底を眺める。
「随分せっかちな性格なんだな。砂糖が溶けきっていないうちから飲み始めるなんてさ。そんなに甘くなかったんじゃないか?」
(こいつ……!)
一体どこで違和感を感じ取ったのだろうか、と、オウルは内心で警戒感を更に強める。
確かにあのコーヒーはイーグレッツが突然やってきたため設定に忠実であるため後から入れた砂糖だが、砂糖がそれほど溶けやすいものではなかったため混ぜても溶けきっていなかったのだ。既にコーヒーが冷め始めていたのも砂糖を溶かすのを阻害した。
コーヒーカップをテーブルにことりと置いたイーグレッツは両手の指を組んで前のめりになる。
取り調べ室で犯人を追い詰めるように、お前を逃がさないという濃密な気配を纏って。
「大した理由はないんだ。でもどうしても気になる。刑事のカンだなんて部下に言ったら前時代的だと笑われるかもしれないけどね」
「……俺に男色の気はないぞ」
「刑事にとって隠し事をしている人は恋人みたいなものさ。どうしても暴きたくなる」
背もたれに背を預けたイーグレッツの目が妖しく光る。
「事件関係者を調べる過程で君の経歴を調べたよ、オウル・ミネルヴァ。経歴に空白の多い海外からの移民……珍しくもない経歴だが、便利な経歴でもある。過去を追求することが出来ないからね」
「……人の生まれと経歴をあげつらうのが警察のやり方なのか?」
「まぁ聞いてくれよ。実は警察が色々調べた結果、何者かが町の監視システムに干渉して小細工をしていたことが分かったんだ」
本来なら外に漏らすような内容ではない機密を彼はさらりと白状する。
白状しても問題はないかのような態度は、裏を返せば逃がすつもりはないという宣告だ。
ほんの僅かな隙を見出して食らいつこうと牙を研いでる証だ。
「システムへの干渉は悲しいかな一定以上の技術を持ったハッカーなら出来ることだが、ある日を境に何故かじわじわと干渉が増えた。時を同じくして君はこの学校に資金の都合で転校してきた。不思議な偶然だ」
「んだよ……この町は入居者募集中で元の場所より暮らすのが安く済むって勧めてきたのはジルベスの企業なんだけど?」
「そうだ、不思議なことじゃない。君がこの家でルームシェアという選択をしたのも、お金の都合を考えれば何もおかしくない。年上の住人たちが君に親身になり可愛がるのもおかしくはない。そして我々がこの町で調査を始めた途端にシステムへの干渉が減った。これも腕の良いハッカーなら手を引くのは当然なのでおかしくはない。そして、それから間もなくして君とユア・リナーデルが交際を始めたのも……中学生の男女のやることだ。何も、おかしくは、ない」
ゆったりと、真綿に水が染みこむように、イーグレッツの探りがオウルのカバーストーリーを侵食する。オウルは今、その真綿をゆっくりと首に巻き付けられている。それでもオウルは「オウル・ミネルヴァ」の顔を決して崩さず、やましいこともないのに迫力に気圧されて唾を飲込む。
イーグレッツは演技の奥を見透かそうとするようにオウルに目線を合わせる。
吐息すら聞こえない、狂気を宿した瞳で。
「まるでそうする必要があるかのように――君はおかしくない」
痛いほどの沈黙が場を支配する。
オウルは一つ気付いたことがある。
イーグレッツは狂信的な側面を内包しているが、彼はそれだけではない。
警察組織の中に時折存在する、如何なる障害があろうが己の抱いた疑念を晴らす為なら全てを投げ出す判断を平然と行える者――刑事の執念がこの男の中にはある。
それでも、ユアを守る立場を続けられるのなら、オウルは唾を吐きかけられようが頭を踏み躙られようが演技を続ける。
「……」
「……」
どれほどの時間が経過しただろうか。
二人の沈黙を破るように、玄関がチャイム音で来訪者の存在を告げた。
イーグレッツは不意に鉄面皮を崩して笑顔になる。
「出たら? 僕はここで大人しく待つよ」
「……なんなんだよお前」
努めて吐き捨てるような声色で悪態をつき、オウルは玄関に向かう。
恐らくその隙に彼はパソコンに探りを入れるだろうが、事情を把握しているサーペントが欺瞞工作を上手くやっていると信じるしかない。
モニタに映っているのは郵便屋だった。
イーグレッツに言わせれば、何もおかしくない郵便屋だ。
オウルは自然に壁際のボタンを押し、玄関のドアを自動で開いた。
「失礼します。オウル・ミネルヴァさんのお宅で間違いないですね?」
「こんちわ。はい、俺がオウルです」
「ああ、良かった。貴方宛ですよ」
ほっと安心した顔をした郵便屋は、さほど大きくはない小包をオウルに放り投げ、懐から拳銃を取り出して笑った。
「ユア・リナーデルと交際している貴様は政府の狗に情報を流す内通者!! 裏切り者は民の真実の声を聞け!!」
郵便屋が発砲して銃声が響くこと、とオウルが驚いてよろけたふりをして弾道から逃れること、そして予想外の襲撃にイーグレッツが血相を変えて玄関に走り出したことは、ほぼ同時だった。
流れ弾は関係ない人に当たりがち。




