17話 拡張された暗殺
荒涼たる大地、切り立った断崖の縁。
そこに、二人の少年少女がいた。
少女は緊張に固唾を飲み、手に汗握って眼下の崖下を見つめる。
気が遠くなるほど深い谷は自然が生み出した絶景であり、圧巻の存在感を放っている。
少女ユアは、少年オウルを見やる。
「じゃあ……先に行くね」
「おう。折角だから楽しんできなって」
オウルが背中を押すと、力強く頷いたユアは大きく息を吸い込み、崖に飛び込んだ。
「ぃぃやっふーーーーー!!」
ユアが両手を大きく広げると、服がムササビのように風に靡いて広がり、彼女は凄まじいスピードで崖下を滑空していった。ウイングスーツという高所から滑空するための特殊な服だ。強風で髪型が崩れるのもおかまいなしにはしゃぐ彼女は、崖と崖の隙間を縫ってみるみるうちに遠ざかっていく。
オウルは彼女を見送ると自分も崖の縁に立ち――。
(空ぐらい幾らでも飛んだことはあるが、素人っぽく飛ぶってのも難しいもんだな)
意を決したふりをして、経験者の気配を上手く消したやや拙くした足取りでユアの後を追い、空に飛び立った。
――数分後、すっかり堪能しましたと言わんばかりにVRジャンピング体験コーナーから出てきたユアは興奮した様子でオウルの肩を掴む。
「凄かったね、ベースジャンプ!! はぁぁ、着地に失敗しちゃったけど楽しかったぁぁ~~!」
「初めてやったけど、本当に飛んでるみたいで大迫力だったな」
二人がさっきまで体験していたのは現実ではない。
特殊な送風機を敷き詰めた部屋の中で、二人はVRによるベースジャンピング体験をしていたのだ。ベースジャンピングとは、スカイダイビングとは違って建物や崖から飛び降りて降下のスリルを楽しむエクストリームスポーツだ。本来は二人のような素人が挑めるほど優しいものではないが、VRならリスクなしで楽しめる。
興奮冷めやらぬユアは感心しきりだ。
「VR装置で見える景色が本当に現実みたいだったし、断崖の土の匂いまでするし!」
「神経接続のおかげとはいえ、視界や音は本物と見分けがつかないくらいだったな。しかも部屋の設備で本当に体が浮くし。そりゃ大人気アトラクションになる筈だよ」
「ほんとほんと! 次に来る時はダイビング体験やりたいなぁ……!」
二人のいたコーナーは、実際に目で見れば大量の強力な送風機が部屋に円形に敷き詰められたような場所だ。二人はそこで特殊なスーツを着て風に吹かれて浮いていただけに過ぎない。
しかし、頭部に装着したVRメットは装着者の視覚と聴覚を現実を忠実に再現した仮想現実空間に誘う。これはセミダイブ型と言い、将来的には五感全てに訴えるフルダイブ型を目指しているそうだが、セミダイブの時点で十分すぎる程の臨場感がある。
更に、VR装置がリアルタイムで連動した送風シミュレーションプログラムと絡み合うことでリアリティは一気に増大する。コンピュータのシュミレーションプログラム微細な出力調整によって、本当に崖から落下する際に感じる風を忠実に再現するのだ。
空気の乾燥加減や匂いまでもが擬似的に再現されているが、これは映画などで導入された4DXーー映像だけではなく風や匂い、水しぶきなどで映像への没入感を高める体感型システムの発想を取り入れた結果らしい。
(こりゃ人工的に再現されたリアルが本当のリアルと取って代わるのも遠くないかもな……)
オウル自身、たかが民間アトラクションがここまで進歩しているのかと内心少し驚いた。
VR体験型アトラクションは、ここ数年で急速に拡大した分野である。
十年前の戦争以降、海外旅行では諸外国の治安悪化や関係悪化によって気軽に行けなくなった場所が多い。その観光業の不景気時代に台頭したのがVR体感型アトラクションだ。SFのように仮想空間に意識を反映させ、五感まで操作する所には到達していないとはいえ、まるで実際に異国にいるような感覚を味わえるほどにはVRは高度化している。
先ほどの場所も海外の有名なダイブスポットを忠実に再現したもので、実際に旅行するより安く済む上に安全性が確保されている。
二人は既にいくつか巡った末のここだったが、どれもオウルを以てして馬鹿に出来ない出来映えだった。むしろ軍人や殺し屋はこのようなエンターテインメント的な考えをしないので、当然と言えば当然かもしれない。
それにしても、と、オウルは不思議に思う。
「この施設、入場制限ある上に完全予約抽選制だよな。こんな施設の予約を二つも取ってたのか?」
「ううん、私じゃなくて叔父さんがね。でもおじさんも忙しくてどうしても休みが取れなくて……」
ユアの叔父といえば彼女の保護者であり、データで見た限りはなかなか奇特な人物だ。リナーデル家はお人好しの家系なのか、叔父の性格や傾向はユアと少し似たところがあるため、ユアの父もそうだったのだろう。
「折角だからお友達を誘って行きなさいって。でも本音を言うと叔父さんにも楽しんで欲しかったな。叔父さんきっとこういうのしたことないから」
「ところが誘った相手はどこの馬の骨とも知れない男であったと」
「だってぇ、もし誘って実は高所恐怖症でしたってなったらどうするの! せっかくの体験なのにめっちゃくちゃ気まずくなるよ!?」
「もし俺が高所恐怖症だったらどうすんだよ。気まずくなるだろ」
「あ、そっか……ごめん、考えてなかった」
そんなこと考えもしなかったというきょとん顔のユアだが、実際には殺し屋だから平気だろうと思ったのだろう。実際、体感型VRにはもっとおとなしめのものもあったがユアは容赦なくアクティブなものを選んではきゃっきゃと楽しんでいた。
(にしても高所恐怖症の殺し屋……無理ではないだろうが、なんか嫌だな)
「ね、ね、オウル。もう一個行きたいコーナーあるんだけど。このジュラシックかくれんぼってやつ!」
「……参考までに聞くが、ユア。叔父さんと一緒に来た場合もそのチョイスする予定だったのか?」
「そうだけど、それが何?」
「おじさんは恐竜と高い所大丈夫なのかと思って」
「あ……ダメかも。野生のヘビ見て女の子みたいな悲鳴あげてたし」
「お前なぁぁ~……」
どうもユアは物事に熱中すると他のことが割とどうでもよくなるタイプらしい。
そこがチャームポイントということにしておこうと思ったオウルは、演技か本気か分からない苦笑いを浮かべた。
◆ ◇
デートは、途中までは楽しく上手くやっていた。
当然と言えば当然で、デート内容はユアの行きたいところを彼女自身で固めていて、そしてこの町は基本的に平和だったからだ。
雲行きが怪しくなったのは、昼食を終わらせて次の目的地に移動中のこと。
普段はなんてことの無い街頭に、彼ら――ファクトウィスパー信奉者たちはいた。
「SBP構造の違法性を知りながら放置した政府に鉄槌を!! うそつきの作る法に如何ほどの存在価値があるのか!! 政府は今すぐラージストVに特権的な役割を与え続けることを辞めるべきだ!!」
「「「「おぉぉぉぉぉぉ!!」」」」
ファクトウィスパーの頭文字であるFWの文字がでかでかと書かれた看板を持ち、思い思いにプラカードや旗を掲げて熱狂する大人たち。デモ自体は珍しくないが、彼らの熱狂は異常だった。
ユアは恐ろしいものを見るように口元を両手で覆う。
「うわっ……何なの、あれ」
「主義者だ。目を合わせるな。しれっと通るぞ」
次の目的地に行くルートで、よりにもよってどうしても避けるのが難しい場所に陣取るファクトウィスパー信奉者たちに、オウルは内心で舌打ちした。
ファクトウィスパーは時折信者をけしかけてこのようなゲリラ的なデモを行っている。
監視ドローンが目を光らせても通行人が居心地悪そうに目を逸らしてもおかまいなし。言っていることもそれっぽく聞こえるかと思いきやよく聞くとおかしく、主張があちこちに飛んでいてまとまりがない。
オウルは念のため小声で彼女に注意を促す。
(ユア、主義者集団とは関わらず興味を持たないのが一番だ。目を合わせるな)
(う、うん)
彼らの半分ほどは町の人間ではないが、もう半分は普段は普通に生活している一般人だ。
逆を言えば、潜在的なファクトウィスパー信者は意外といるということだ。
彼らは彼ら身内の間で「ベクターの国家転覆作戦」だの「イデアル値の低い人間を一斉に消去するシステム」だの、挙げ句は「SBPの欠陥改善装置は政府の洗脳装置」などといつのまにか現代には存在しない未来の技術まで主張を始めている。
端から見れば異様な光景だが、彼らは自分たちこそ真実を囁いていると言って憚らない。
彼らの虚偽の真実を、別の虚偽の真実を口にする者が補完する。
そして真実とされることが嘘なのだと現実を封鎖することで、主義者は完成する。
彼らの厄介なところは、リベラルを一切信用せずに自分の主観とそれを補完する情報だけに妄信的な所にある。だから例えば彼らの誰かが「ユア・リナーデルは地底人の手先なので殺さなければならない」と言い出すと、コミュニティ内からそれを信じた誰かが行動を起こすという異常事態がありえてしまう。情報単体では動かなくとも、そこに至る論理に納得すれば、彼らは信じるのだ。現実を全て否定することで法律さえも社会を欺くものだと考えるため、刑罰も抑止として機能しない。
主義者への対応として一般的かつ確実なのは、彼らに反応せず無視することだ。
ファクトウィスパーは犯罪者集団まがいの集団という側面はあるが、どちらかと言えば集団がファクトウィスパー化したり、ファクトウィスパーの特徴を正しく理解して利用している集団が厄介なのであり、彼ら自身はそれほどアクティブに他者を同調させようとしない。それも一概に言えることではないが、少なくとも上記二つを徹底すれば彼らに絡まれるリスクは減るだろう。
ところが、ユアはその禁を迂闊にも破ってしまった。
「――政府の雇った殺し屋は、とっくに町に入り込んでる。きっと洗脳教育しやすい子供がな」
「えっ」
無意識に、だったのだろう。
自分と関連性があるかもしれない情報に反射的に彼女は反応してしまった。
そして、目が合った。
その、男と。
「おや、なんだお嬢さん話せる口だったのかい? その年で感心だよ!」
その男はどこからどう見ても普通の人間なのに、ユアの目には彼は恐ろしく映った。
同じ人間で、同じ国で育ち、同じルールの下で生活している筈なのに――違う何かに見えた。




