15話 距離感の暗殺
取り調べが終わった日の夜、クアッドのアジトにて。
「――サポートできない?」
サーペントからの意外な言葉に、オウルは思わず聞き返した。
当の本人もやや言い辛そうな顔だ。
モニター越しにだが、こんな顔をするサーペントは初め見る。
『特務課のアクセス権限が思った以上に強いんだ。あのイーグレッツっていう子を有能に見せるためのパフォーマンスかとも思ってたんだけど、どうやら政治的な権力闘争の影響で警察の力を強化したい側の思惑が通ったらしい』
「やってることは国としちゃ真っ当だが、こっちに煽りが来るとは思わなかったな」
腕を組み、想像以上に厄介なことになったと唸る。
如何にジルベス政府が強権的でも、基本的にこの国は民主主義国家だ。
中には当然、政治が力をつけすぎることに危機感を持つ勢力もある。
特にジルベスは政治と軍部の結びつきが強いため、表向きに発表していないとはいえ警察にユニットが配備されるまでには相当ないざこざがあった筈だ。それが政府の意向に強く左右される特務課に配備されたのは、軍を納得させるためだろう。
『特務課の権限はこれまでの地元警察の比じゃない。町の管理AI群にまで食い込んでる。おかげで管理AIに小細工して遊んでたハッカーが何人も摘発されちゃったよ。特務課のハッカーは優秀らしい。僕の利用してるシステムは今は上手く擬態してるから見つかってないけど、念のために再構築する必要がある』
「そりゃそうだが、ユニットを通じた秘匿通信まで閉じるのか?」
『あちらもユニットを持っているんだ。探知される危険がないとは限らない。なにせユニットは――言わなくても分かるよね?』
「まぁ、な。言ってみただけだ。お前の判断に任せる」
この分野でサーペントに任せて無理なら、他のどのクアッドにも無理だ。
暫くはサーペントの補助なしで場当たり的に事に当たる必要がある。
とはいえ、逆を言えば警察の目が強力になることでユアが犯罪に巻き込まれる率は減る筈だ。
そう身構えるものでもないかと考えた刹那――サーペントが「それと……」と、付け加える。
『ファクトウィスパーがこの町で活動を始めたんで、気をつけて』
「……面っ倒なことになりそうだな」
ファクトウィスパー、それはジルベス合衆国でも最大規模を誇る陰謀論主義者集団だ。
陰謀論の吹聴があると、発信は不明でも拡散は大体がファクトウィスパーを信奉する主義者の仕業。主義で繋がった集団とは言え活動範囲は広く、環境保護団体をやっていることもあれば、合法ギリギリの悪徳商法で一部新興宗教のように主義者から金を搾り取っている者もいるのは世間でも多少は知られたところだ。
しかし、ファクトウィスパーはあくまで主義を唱えるだけで明確な反政府活動やテロ行為を行っている訳ではなく、上手く法の抜け目をすり抜けることに長けているため政府も簡単には手が出せない。
尤も政府も手をこまねいている訳ではないが、それは対策とは真逆で彼らの陰謀論を支持率のコントロールに利用している始末だ。
『ビルの謎の崩落と会社の失踪の情報の欠片でも見つけて、面白半分に乗り込んできたんだろう。煽動されて狂信者を生み出されると厄介だよ。信念なんて欠片もないから本気で何やらかすか分からないし』
「警察もファクトウィスパー相手には動きが鈍い。特務課も陰謀論の拡散を防止することはしないだろう。数多すぎてキリがないからな」
高度に情報化されたことの弊害の象徴が、ファクトウィスパーだ。
実体験を伴わない情報の中でしか生きたことのない『知ったかぶりの世間知らず』ほど引っかかる。
そして、彼らにとってユアのような若くて一人暮らしで押しに弱そうな女性は格好のターゲットなのだ。このタイミングで警戒を緩めることは出来ない。
「ところで、通信傍受を警戒するなら俺たちの使ってたアプリは?」
『もちろん今はダメだ。ただ、半径10メートル以内でなら秘匿通信の安全性が確保出来るからユアちゃんとのやりとりは条件付きで可能だよ。近くにユニット持ちのイーグレッツくんがいる場合を除いて』
「それだけでも大分マシだ。ちょっと今後の事を考えないとな……」
これからジルベスは国民の祝日が増えてくる。
ユア、オウル双方が友人に誘われてどこかへ遊びに行く機会も増える。
テウメッサとミケの手を借りて連携するにしても、出来るだけユアと離れるリスクは避けたい。
「はぁぁぁ~~~……気は進まねえけど、手段はあるよなぁ」
要は、ユアと一緒にいる口実があればいいわけだ。
例えば、今はバスでの行き帰りと放課後しか付き合いのない関係を、もっと深めるとか。
◇ ◆
『O:と、いう訳なんだが』
『O:監視網の再構築の間だけでいい、お試しで交際してることにできないか?』
朝のスクールバスでのざっくりとした説明に、ユアは流石に動揺した。
残念な事にユアはこれまで男性との交際経験が無い。
フリとはいえ、いきなり交際しないかと言われれば慌てもする。
しかも相手は潜入中の殺し屋。
つまり二人はスパイカップルである。
ユアは別にスパイじゃないが同じ秘密を共有しているので無関係でもいられない。
(どうしよう……でもオウルからこんなこと言い出すってことは、それくらいクアッド側に不安があるってことだよね)
彼らは護衛任務など今までしたことがないから過敏になっているのではとは思う。
監視網の再構築とは言っても、元々ジルベス国内は例外はあれど全体的に治安がいい。
そもそも嘗て拉致されて町外れの倉庫に連れて行かれたのも、行くべきではない道を通ってしまったからという部分はある。
ユアが嫌だと言えば、クアッドはそれに従うだろう。
とはいえ、ユアはほんの少し、魅力も感じていた。
殺し屋と恋人ごっこだなんて今後二度と経験出来ないかもしれない。
しかも、あの素直じゃないオウルとだ。
オウルに恋愛感情を抱いているかと言われると、ユアには分からない。
彼は一度はユアを殺そうとした男だ。
胸のときめきはそのときの恐怖を錯誤しているだけかもしれない。
それでも、ユアはオウルという存在を少なからず意識しているのは確かだ。
たまに不機嫌なところ、一般生徒の振りをしているところ、バスで少し馴れ馴れしくしても文句を言わないところ、家に遊びに行くと話に付き合ってはくれるところ――そして、上から降り注いだビルを消し飛ばしたあの漆黒の鎧の勇姿。
どれが本当のオウルなのか?
どれも本当にオウルなのか?
分からないが故に、余計にオウルを知りたくなる。
学校の中で自分だけが知っているオウルのことを、もっと知りたくなる。
他のクアッドとオウルがどうして違うのかを知りたくなる。
(……やだ、なんか本当に気になってるみたい。私って単純な性格なのかなぁ?)
横目にオウルを見れば、あちらは外の景色を眺めていてユアに一瞥もくれない。
こっちはこんなにオウルのことを真面目に考えているのに、この男ときたら。
ユアはなんだかちょっとムッとした。
「ねえ、オウルくん」
「ん? なんだ?」
漸くこちらを振り向いたオウルに、ユアは悪戯心たっぷりに大声を出す。
「私たち、お付き合いしない?」
相応に人数がいるスクールバスの全体に聞こえるには十分な声量だった。
オウルが呆気にとられた顔をするのを見て、ユアは内心ガッツポーズする。
ようし、イタズラ成功だ。
「……あー、うん。こんなムードもへったくれもない場所でいきなり来るとは思わなかったけど、いいよ」
自分で言い出した提案なので断れなかったのか困惑と、微かな喜びを讃えた表情でオウルは応える。バスの中から身を乗り出してこちらを見る視線や、「マジか」といった声がざわめく。ユアはそのままオウルにもたれかかり、オウルはそれを受け入れながらスマホで鬼の様に文字をタップしていた。
『O:同意もなくいきなり仕掛けるな』
『O:周囲の目線とか少しは考えろ』
『O:こんな大胆にやらなくともこっそり付き合っている体でもよかったろ』
『O:というか即決しすぎだ』
表情にはまったく出さずに猛烈に文句を伝えてくるオウルに、ユアは待ってましたと必殺の返しをスマホに打ち込んだ。
『Y:私にごり押しされて無理矢理付き合ってるって体の方が、そっちとしてもやりやすいと思うけど?』
『Y:逆に聞くけどOは私に主導権取ってデートのお誘いしたかったの?』
『Y:だとしたら照れちゃうな~私そんなにOに愛されてたんだな~』
『O:お前、天然なだけじゃなくてずぶといな』
『Y:悩んでてもしょうが無いし、楽しんだもの勝ちかなと思って』
そう打ち込んで一通り満足したユアは、ふと現実に帰る。
これが演技かどうかというのは二人の間だけで成り立つ話で、周囲からすればいきなりのカップル誕生なわけで、警察に至っては好きになった理由に心当たりまである訳である。これから学校の休み時間でユアは確実に同級生達にそのことを追求されることを考えると、オウルの好きなところを堂々と言わなければならない羞恥が自分を待っていることになる。
頬が熱を持つのを感じ、オウルの肩からばっと離れた。
『Y:やっぱ友達に聞かれたのハズい。早まったかもしれない』
『O:人を巻き込んで自爆すんな』
自分の顔を手でぱたぱた仰ぎながら、しかしユアはほっとしている自分がいることにも今更気付く。これでユアは、この国で一番頼れるヒーローに守って貰えるのだから。




