17.ラミアの子と朝の一幕
ミミイが可愛いと、何気なく感じたのが切っ掛けだった。
その瞬間まで、レイクは自分のペットは不細工だろうと考えていたのである。
愛嬌があって好ましいと思うのは、飼い主の欲目だという自覚もあった。
しかしその時は、普通に可愛いと感じてしまった。
普通に――――、つまり爬虫類としては不細工でも、人間ならば愛らしいと。
大げさに言えば、壁が崩れて別の景色が見えたような感覚だった。
「…………おい、ミミイ?」
「ミー?」
呼び掛けに応えたミミイは、オモチャにしていた甲虫を手に首を傾げた。
その仕草はまるで、人形を抱えた幼児のようである。
目の前のテーブルの上にいるのは、ヘビでもトカゲでもない。
外見年齢四歳ぐらいの女の子だった。
綿毛のようにふわふわして、透けるように輝く白金の髪。
翡翠色のつぶらな瞳は、きらめく宝石のようだ。
ふっくらとした頬は、絹よりも滑らかに見える。
幼くあどけないが、将来の美しさが約束された顔立ち。
ハンカチを服替わりに着た姿は、人間の幼女となんら変わりない。
だからこそ、半身の異形さが際立っている。
腰骨辺りから下は、以前と変わらぬ蛇の胴体そのもの。
美しい桜色の鱗は、さらに彩りが鮮やかになっている。
二つの完全に異なる相を併せ持つ姿は、神秘性すら感じさせた。
「…………いや待て。ちょっと待ってくれ」
あれ? どういうことだと自問自答する迷宮採取人。
自分がペットにしたのはヘビと思ったが実はトカゲで…………。
――ラミアというモンスターがいる。
レイクの脳裏にエルフの知人、シェリーの姿が蘇る。
『遭遇例は極めて稀で、わたしでさえ目にしたことはない。実在さえ疑われている』
記憶の中のシェリーが、静かに話し掛けてくる。
『だが、ラミアは間違いなく存在する。その姿は上半身が見目麗しい女の姿を模し、下半身は蛇そのもの。ダンジョンの最深部に潜み、一説によると…………』
――その後、彼女は何を語った?
それからミミイに食事を与え、やがて日が暮れた。
夜半、レイクはベッドの中でなかなか寝付けずにいた。
なんとか記憶を掘り起こそうと、暗闇を凝視する。
かなり昔のことで、しかもシェリーは興が乗れば幾らでも喋り続けるのだ。
いちいちその全てを憶えてはいられない。
枕元のミミイがすっかり寝入っているのは、気配で感じていた。
レイクは手を伸ばし、手探りでウロコをそっと撫でる。
いつもと変わらぬ手触りに安堵し、やがてレイクも眠りに落ちた。
◆
「――――イテッ!? イテテテテテッ!!」
痛みで目覚めたレイクが、悲鳴を上げた。
「こらミミイ! 起きろ!!」
レイクの腕には、ぐるぐるとミミイが巻き付いている。
小さな手でしがみつき、ガジガジとレイクの指に歯を立てた。
最近明け方になると、寝ぼけたミミイが噛みつくようになったのである。
生まれた時よりも、ミミイはかなり大きくなった。
全長はレイクの腕よりも長いだろう。
しかも現在進行形でレイクの腕を締め上げる蛇身の力は、かなり強力である。
「おい、起きろ、起きてくれよ」
割と必死になって、レイクはミミイに呼び掛けた。けっこう痛いのだ。
だったら寝る場所を別にすればいいのでは? という訳にもいかない。
なにしろ夜は一緒に寝ないと、ミミイが泣いてうるさいのだ。
押しに弱いというのが、レイクという男である。
泣く子には勝てず、毎晩枕元に寝床を用意している。
しかもミミイが絡みつきやすいように、腕を枕元に投げ出しておくのも忘れない。
これは身の安全を守るためである。
万が一、腕の代わりに首にでも巻き付かれたら、えらいことになってしまう。
「…………ミー?」
ようやく目が覚めてきたのか、ミミイがあくびと共に拘束を解く。
「毎朝毎朝、まったくもう…………」
ぼやきながらレイクは、血行が止まって痺れた腕をさする。
「顔を洗ってメシにするぞ」
「メシャッ!?」
しゃっきり目覚めたミミイが、尻尾でビタビタと枕を叩く。
「ほら、いくぞ」
レイクが手を差し出すと、ミミイがスルスルと腕に絡みつく。
タオルを持ち出して、そのまま一緒に裏の勝手口に向かう。
レイクは扉を薄く開いて、警戒しながら辺りの様子を窺う。
ミミイも真似をして蛇身をにゅうっと伸ばし、扉の隙間から顔を出した。
誰もいないことを確認すると、裏庭にある井戸まで移動する。
レイクは井戸から水を汲み上げ、足元のタライに何度も注いだ。
「ミ――ッ!」
タライがいっぱいになると、ミミイがレイクの腕から水に飛び込む。
タライでスイスイと気持ちよさそうに泳ぐミミイ。
レイクもしゃがみ込み、タライの水をすくって顔を洗った。
いきなりレイクのシャツに、ビシャっと水が掛かる。
「あ、こらっ!!」
ミミイが尻尾で水を跳ね飛ばしたのだ。
「くっ! この!!」
「ミッミ――!」
レイクが伸ばした手を、ミミイはするりとかわして水中に潜った。
猛スピードで泳ぎ回るミミイを、レイクは水を引っ掻き回して捕まえようとする。
ミミイは泳ぎが達者な上に、滑らかな蛇身はつかみにくい。
しかも時折、レイクの顔に水を引っ掛ける余裕がある。
「どうだ!!」
悪戦苦闘の末、レイクはようやくミミイを取り押さえた。
ざぶりと水から引き揚げると、イタズラを叱ろうと口を開く。
「ミ――――!」
大はしゃぎのミミイは、楽しそうに笑った。
「…………メシにするか」
レイクがタオルで拭くと、ミミイはくすぐったそうに身をよじる。
身体が乾くとハンカチを着せ、飼い主とペットは家に戻った。




