16.閑話_迷宮採取人からの便り
三大迷宮都市の一つ、クリュスタルドの夜が明ける。
自称博物学者、エルフのシェリーが寝ぼけ眼のまま、自宅の中庭に姿を現した。
緑に乏しい迷宮都市にあって、その中庭は例外的に植物が生い茂っている。
様々な植物が手入れのされぬまま、伸び放題に放置されていた。
四方を高い建築物で囲まれた中庭には、一基の庭園灯が立てられている。
本来ならば薄暗いその場所を、奇妙な形の庭園灯が明るく照らし出す。
そこはまるで、忘れ去られた植物園のようであった。
薄い化粧着のシェリーは、裸足で中庭を歩く。
踏まれた草の汁や土で足が汚れるのも気にしない。
湧き出す地下水を貯めた水槽の前に立つと、透き通った清水を両手ですくい取る。
じゃぶじゃぶと顔を洗い始めるが、その動作は緩慢である。
薄い黄色の長い髪は水槽に浸かり、水の大半が手のひらからこぼれた。
化粧着までも濡れ、薄い生地が胸元の肌に張り付く。
顔を洗い終えたが、手元にはタオルがない。
シェリーはびしょ濡れの格好のまま、ボーと佇んだ。
そうして一〇分、二〇分と時間が経過した頃だった。
エルフの特徴である、長い耳がピクピクと痙攣する。
特殊な感覚器官を備えた耳殻が、微かな波長を捉えた。
半ば閉じていた両眼がカッと見開き、鋭い視線を周囲に走らせる。
中庭の一角でモゾリと地面が盛り上がり、黒いモグラが顔を出した。
シェリーは、それまでの緩慢さが嘘のような速さで動く。
疾風と化して距離を詰め、モグラを捕えようと右手を伸ばす。
その指先が触れる寸前、モグラの体がパンッと弾けた。
「逃さん!」
黒い土塊と化したモグラの残骸に、シェリーは手刀をズボッと埋める。
魔術を起動させると、全身に移植した呪紋が励起して発光した。
モグラの形を模した人造精霊、それを操っていたラインに接続して逆探知する。
ラインの遥か彼方から、術者の動揺が伝わってきた。
「見つけたぞ! レイク!!」
シェリーは、相手が遮断する端からラインを繋ぎ直す。
ついに発信地を突き止めると、霊格の一部を圧縮して送り込んだ。
数瞬後、彼女の化身が現地に発現した。
化身を通じて得た映像で、周囲の状況を確認する。
広々とした草原で、牛に似た動物の群れが草を食んでいた。
どこにも探し求めている人物は見当たらない。
「してやられた!?」
レイクは逆探知を予防するため、ラインの中継地を設けていたのだ。
既にラインは完全に断たれ、痕跡をたどることは難しい。
「おのれ! 小細工を弄しおって!」
シェリーは歯噛みして悔しがる。
その小細工を教え込んだのが自分自身である点が、さらに腹立たしい。
「……だが、およその方角は掴めたな」
尻尾を掴むつもりだったが、また機会は巡ってくる。
迷宮都市を出る前、連絡を絶やすことはないとレイクは約束した。
たとえ逆探知される危険を冒してでも、また接触してくるはずだ。
義理堅いというより、難儀で厄介な性格の持ち主だとシェリーは思った。
ちなみにレイクもシェリーに手ひどい感想を抱いているのを、彼女自身は知らない。
「まったく、あいつときたら…………」
愚痴をこぼし、シェリーは地面から手を抜き取る。
その手には、人造精霊の体内に埋め込まれていた封書を掴んでいた。
◆
シェリーは中庭から屋内に戻り、寝室兼用の研究室に戻った。
研究室の床には、様々な資料とガラクタが散乱している。
それらを蹴飛ばしながら机まで進み、椅子に腰を下ろす。
ぎしりと重く軋んだ背もたれが、シェリーの身体を支えた。
森に住むエルフは、基本的にほっそりした体格をしている。
狩猟と採取で身体を動かし、質素な食生活を送っているせいである。
しかしシェリーは都会生活が長く、滅多に出歩かないので運動不足。
加えてお手製の栄養飲料を摂取しているせいだろう。
エルフとは思えぬほど肉感的で、その美貌と相まって魅力的な外見をしていた。
シェリーは肉付きの良い太腿を組み、泥だらけの手で封書を開く。
中から出てきたのは、レイクからの便りであった。
一年半ほど前から、レイクは近況を詳しく知らせるようになった。
どうやら田舎の村で、親切な人達に温かく迎えられたらしい。
レイクは人付き合いが苦手で、他人から好意的に見られる経験に乏しい。
だから村人の親切に戸惑っている様子が、文面の端々から読み取れた。
本人はいたって真面目なつもりのようだが、どこか間の抜けた日常の話題。
シェリーはレイクの手紙を読みながら、感慨に耽った。
彼が新しい生き方を見出せたのなら、それも好かろうと思ったのである。
ところが、レイクがペットを飼い始めたと伝えた時から雲行きが怪しくなった。
ヘビをペットにしたと知り、最初は毒ヘビではないかと危ぶんだ。
一応解毒の手解きをしているが、どうやら違うらしいと分かって安堵する。
同時に、レイクが描写するペットの生態について首を傾げた。
最初は小さな違和感が、手紙が届く度に不安へと変わっていったのである。
――ミミイに、手が生えてきた。
ちょっと待て! その文面を目にした時、シェリーは思わず叫んだ。
本人はトカゲと勘違いしているらしいが、そんなトカゲはいない。
念のため文献を漁ってみたが、手足が生えてくるヘビやトカゲなど知られていない。
シャリーはその後の経過に、注意を払ってきた。
――最近、上半身のウロコが薄くなってきた気がする。なんだろうか。
――小さな指が生えてきた。握ったり開いたりしている。
――首が細くなり、頭が丸っこい感じになってきた。
――目が寄ってきて、不細工になってきた。愛嬌があって良い。
――メシメシとうるさい。でも、かなり賢いと思う。
――最近、両手で物を掴むことを覚えた。うちのミミイは、とても器用だ。
――両手でチーズを食べるように教えている。追伸、前歯が生えてきた。
――ミミイの顔が、ますます不細工になっている。俺に似てきた気がする。
――上半身のウロコが、すっかり消えてしまった。寒くないだろうか。
――ハンカチに穴を開け首から被せたが、嫌がっている。我慢しろと言い聞かせた。
――今日もハンカチを脱ごうと、ジタバタもがいている。つい応援したくなる。
そして先ほど届いた手紙には、こう書かれていた。
――ミミイに、髪の毛が生えてきた。
「いくらなんでも気付くだろ!?」
シェリーが勢いよく立ち上がり、椅子が倒れる。
ペットに関する描写の断片を、頭の中で組み立てる。
両腕を備えた上半身にウロコはなく、髪の毛に覆われた頭部。
明らかに人間の身体的特徴を持つ上に、胴体はヘビときた。
既に最悪の予想をしていたシェリーは、ついに確信してしまった。
「そいつの正体は――――!!」




