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ラミアな子と迷宮採取人 ~ペットから始まる家族物語~  作者: 藤正治
第一章 ラミアな子と迷宮採取人
12/30

12.閑話_出戻り娘と迷宮採取人 その一

 一番の理由は、わたしが都会の生活に馴染めなかったせい。


 都会の街は高い石の壁に閉じ込められ、外との出入りもままならない。

 通りの両脇には建物がずらりと並んで、見上げる空がとても狭い。

 大勢の人々が急ぎ足で行き来している様子は、まるで川の流れのよう。

 油断していると巻き込まれ、どこまでも押し流されてしまいそうだった。

 空気は埃っぽくて、どこもかしこも嫌な臭いが漂っている。

 山の端から昇る朝日も、夕日を映して美しく彩られる湖もない。

 そこは、ただの田舎娘が暮らす場所ではなかった。


 だから夫に離縁してもらい、わたしは故郷に戻ったのである。


 それから数年が経った、ある日の昼過ぎ頃。

 風変わりな旅人さんが、実家の雑貨屋を訪れた。


「仕事中、申し訳ない」

 ちょうどわたしが、父と一緒に店内の整理をしていた時である。

 店の入り口に見知らぬ男の人が立っていて、ビックリした。

 村の人は、みんな顔馴染み。つまりその人は、余所者ということだ。


 砂色の髪をした男の人で、年の頃はわたしと同じぐらいかな?

 着ている服の色合いは地味だけど、仕立ては上等で洗練された意匠に見えた。

 だけどろくに洗濯していないのか、汚れがひどくてシワくちゃだ。

 靴は専門の職人の品みたいだけど、手入れを怠っている上に泥まみれ。

 余所者が現れた驚きはすぐに消え、ひどい格好に呆れてしまった。

 もし村の誰かがこんな格好で出歩いていたら、サマンサお婆さんに大目玉だ。

 男の人が店の中に入ってきたけど、せっかく磨いた床が汚れてしまいそう。

 村の人なら靴の泥を落としてこいと、遠慮なく追い返してやれるのに。


「宿屋を探しているのですが、場所を教えてもらえますか?」

 低くかすれた声には、聞きなれない独特のアクセントがあった。

 言葉遣いは丁寧だけど、表情が乏しくて感情が読み取りにくい。


「失礼ですが、どちらからいらしたのですか?」

 父が困惑しているけど、それも無理はない。

 ここは辺境にあって、行商人も年に二回しか訪れない辺鄙な村だ。

 余所者が、ふらりと訪れるような土地ではない。


「クリュスタルドからです」

「えっ!? 迷宮都市からきたの!」

 わたしは思わず、大声で聞き返してしまった。

 元夫と暮らしていた街で、迷宮都市の噂はよく耳にしていた。

 わたしが都会だと思っていた街も、数々の迷宮都市と比べれば田舎のようなもの。

 人の数も豊かさも、ぜんぜん比べものにならないそうだ。

 しかも迷宮都市にいるのは、わたし達のような人間だけではない。

 ありとあらゆる異種族の人達が、普通に暮らしているらしい。

 そしてクリュスタルドは、三大迷宮都市の一つとして特に有名だった。


「生憎ですが、この村には宿がありません」

 父が申し訳なさそうに、砂色の髪の旅人さんに告げる。

 わたしには大切な故郷だけど、なんの変哲もない片田舎だ。

 街道から遠く離れて立ち寄る旅人はいないから、宿屋なんて必要ない。

「……そうですか」

 旅人さんが、ちょっと眉根を寄せた。田舎だからと、見下したのかもしれない。

 そんな風に勘ぐってしまうのも、一度村を出て外の世界を知ってしまったせいだ。


 ――わたしは都会の人が、ちょっと信じられない。

 辺境の出身者をバカにするし、情に薄くて他人に冷たいし、お金ばかりに執着する。


 でもクリュスタルドは、とても遠くにあるらしい。

 この村と元夫と住んでいた街も離れているが、もっともっと遠方だそうだ。

 きっと色々な苦労を重ね、旅をしてきたはずである。

 わたしが目顔で問い掛けると、父が頷いた。


「あの――」

「お邪魔しました」

 声を掛けようとした途端、旅人さんは頭を下げた。

 そのままあっさり身をひるがえし、立ち去ろうとする。

「えっ、ちょっと待って? どこへ行くの?」

 慌てて呼び止めると、旅人さんがこちらを振り向いた。

「宿がないのなら、先に進みます」

「で、でも、今日はどこで寝泊まりをするつもりなの?」

「野宿ですが?」

 旅人さんが、こともなげに答える。

 ……たぶん、悪気はないのだ。野宿だって、何度もしているとは思う。

 だけど、だけど――――この村を素通りして?

「今日はうちに泊まりなさい!」

 つい語気が荒くなり、旅人さんに詰め寄る。

「え? いや…………」

「いいから! さあ、こっちに!」

 遠慮する素振りを見せる旅人さんの腕を掴み、家の奥へと引きずり込む。


 遠来の旅人に何のもてなしもせずに追い返す。

 この村が、わたし達が、そんな薄情な真似をすると思ったのか。

 都会ならいざ知らず、そんなのは村の流儀ではない。


 わたしは大声で母を呼び、客人の訪いを告げた。


 ◆


 それから家の中は大騒ぎになった。

 母と一緒に旅人さんを説き伏せ、一晩泊まることを了承させた。

 わたしと母は旅人さんから衣服をはぎ取り、急いで用意した蒸し風呂に押し込んだ。

 旅の途中で身体を洗えなかったのか、とにかく臭いがひどい。

 十分に蒸しあがった頃合いを見計らって、わたしは風呂場に乗り込んだ。

 手にした目の粗い布で、旅人さんの背中を容赦なくこする。

「すごい垢ね!」

 ボロボロと、古い漆喰みたいに垢が剥がれ落ちる。

 どれだけ長い間身体を洗っていなかったのかと、感心さえしてしまう。

「…………」

 しかし旅人さんは、何も答えない。

 わたしが風呂場に乗り込んでから、ずっと身体を屈めてだんまりを決めている。

 せっかく背中を流してあげているのに、礼の言葉があってもいいと思うんだけど?

 ムッとしたので、背中を流し終えると、水を頭からぶっかけてやった。

 ヒャアと、小さく悲鳴を漏らす旅人さん。意外と可愛らしい声だった。


「レイク・ヘンリウッズ」

「え?」

「レイク・ヘンリウッズ、俺の名前だ」

 彼は真っ裸のまま縮こまり、震えながら名乗った。

「…………わたしは、アンナ、アンナ・パッシーニよ」

 何度も口の中で唱えてから、レイクさんがよしと頷く。

「ちゃんと覚えた」

「…………そう」


 わたしは風呂場から出ると、台所に行った。

「レイク・ヘンリウッズだって、あの人の名前」

 夕食の準備をしていた母に、旅人さんの名を教える。

 ――もう、我慢できない。

 なんだか可笑しくなって、腹を抱えて笑い転げた。

「はあ……いい年をして、この子ったら」

 母が呆れてため息を吐く。

 笑いが止まらず息が苦しくて、口答えする余裕なんてなかった。


 ◆


 この村は辺境にあるけど、まれに行商人さん以外の訪問者がある。

 そういう人たちを泊める部屋があるのは、サマンサお婆さんの家を除けばうちだけだ。

 その客間でレイクさんには休んでもらった。

 夕食の準備ができたので迎えに行くと、渡しておいた父の服に着替えていた。

 彼の服は洗濯をしておいたが、明日までに乾くかどうか。

 席に座って食卓に並んだ料理を見ると、レイクさんは微かに表情を動かした。

 田舎では香辛料など手に入らない。きっと粗末な食事に見えているのだろう。


「さあ、食べようか」

 父が告げると、レイクさんは肉料理にフォークを刺し、一瞬ためらってから口に入れた。

 ゆっくりと咀嚼してから呑み込んだ。美味いともマズいとも言わない。

 やっぱり口に合わないのだろうかと、ガッカリする。

 父と母、弟とわたし。皆が注目しているのにも、気付いた様子はない。

 もぐもぐと、ひたすら食べ続ける。もぐもぐ、もぐもぐ、もぐもぐ…………。

 皿が空になると、レイクさんは我に返ったように食卓を見回した。

 わたし達と視線がぶつかると、彼は咳払いする。

 その食べっぷりで、言葉よりもはっきりと伝わった。


「…………これ、何の肉ですか?」

 レイクさんが誤魔化すように尋ねる。

「普通の豚肉よ?」

「…………え?」

 母がご機嫌な様子で答えると、まじまじと皿を見詰める。

「本当に?」

「ええ、もちろん」

 納得がいかない様子で、今度はサラダを口にする。

 野菜が嫌いなのか、顔をしかめていた。ちゃんと食べなさい。

「…………これ、なんという野菜ですか?」

「普通のレタスよ?」

「え?」

 わたしが答えると、レイクさんが目を丸くした。

 家の庭で、わたしが育てた野菜だと告げると、さらに驚いた様子だった。


「…………外の食べ物は、こんな味がするのか」

「口に合わなかったの?」

 わたしが尋ねると、レイクさんが首を振る。

「いや……これが美味しいということなのかなって…………」

 飾らない言葉で、感慨深そうに呟くレイクさん。


 ――都会の人だけど、そんなに悪い人ではないのかもしれない。

 わたしは、そんな風に思った。

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